3月11日、根津美術館特別展「高麗仏画」を、荻窪東メンバーの
11名が観覧した。仏像彫刻に比べ、仏画に接するする回数は少ない。
まして、朝鮮半島の高麗仏画をまとめて鑑賞するのは初めてのことで
あり、大変興味深い。
特別展の解説文に「朝鮮半島全域を統一した最初の王朝、高麗
(918~1392)は、仏教を国の支柱と定めた」とある。
(新羅が最初に統一したのでは? と思っていた。)
仏画に描かれる仏教思想を知るのも面白い。日韓の違いはあるの
だろうか?
高麗仏画特別展案内チラシ
(表) (裏)
最初に目を引いたのは、紺紙銀字のお経。漢字で書かれた文字を見ると、
親しみを感じた。漢字や仏教文化を共有する国として、身近な存在と言える。
達筆な文字と見事に描かれた図像に感心。(画像①) 現在、近くて遠い国
となっているのが残念。
<画像は高麗仏画の図録から>
①紺紙銀字文殊師利菩提経
(京都国立博物館)
次に注目したのは、阿弥陀三尊・二比丘像(②)と阿弥陀八大菩薩像
(③、④、⑤)。
解説文では二比丘像が阿難と迦葉とある。主尊は阿弥陀ではなく、
釈迦ではないかと思った。しかし、最前列に鎮座する左脇侍・菩薩の
宝冠前面に化仏があり、観音菩薩となる。このように、観音・勢至と
阿難・迦葉の組み合わせでは主尊は何かと戸惑う。
尊像名は主尊を阿弥陀としたから、阿難・迦葉と特定しないで、
二比丘像としたのかもしれない。
図録の解説によると、日本で大正3年、文化財指定の時には、
「釈迦三尊及び阿難迦葉像」となったようだ。胸前にあげた両手の
印相は日本では釈迦の説法印とされたとのことだ。
一方、高麗仏画ではこの印相は阿弥陀となるのが一般的。
②阿弥陀三尊・二比丘像 ③阿弥陀八大菩薩像
(埼玉・法恩寺) (大和文華館)
「阿弥陀八大菩薩」とはどんな菩薩か。初めて耳にする「八大菩薩」。
八大菩薩の前に、阿弥陀如来に対するイメージや役割に日韓で違い
はあるのだろうか。日本では、阿弥陀と言えば、極楽往生のために
来迎して頂ける有難い仏と認識している。いわば、ゴールが極楽往生
であり、その先は論じない。
ところが、高麗仏画では極楽往生の後、更に華厳世界へ導かれ、
衆生救済を施さねばならないとある。往生者の目的地は華厳世界であり、
極楽浄土ではない。阿弥陀如来の極楽浄土は、華厳世界の入口に
過ぎない。阿弥陀如来は極楽浄土から華厳世界へと導く役割まで担って
いるとは驚く。利他の精神が最後まで求められている。
④阿弥陀八大菩薩像 ⑤阿弥陀八大菩薩像
(根津美術館) (徳川美術館)
阿弥陀八大菩薩とは、観音菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩、弥勒菩薩、
金剛手菩薩、除蓋障菩薩(じょがいしょうぼさつ)、地蔵菩薩、
虚空蔵菩薩とある。この中の一体を勢至菩薩と入れ替える場合も
あるようだ。
阿弥陀如来を囲むこの菩薩の顔ぶれを見た時、胎蔵界曼荼羅の
菩薩と重なる。即ち、大日如来を囲む中台八葉院の四菩薩(観音、
文殊、普賢、弥勒)と金剛手院、除蓋障院、地蔵院、虚空蔵院の
各菩薩。正に慈悲と智慧が遍満する曼荼羅の世界
をイメージさせる。阿弥陀八大菩薩像を通して、仏教そのものを
考える機会となったように思う。
同時に展示されていた梵天、帝釈天像を拝観した。元々は対で
祀られていた像が、今では別々に保存されている。帝釈天像(⑥)
は現在、根津美術館の所蔵、梵天像(⑦)は興福寺の所蔵となって
いる。
「興福寺の梵天・帝釈天」案内チラシ
<画像はネットから>
⑥帝釈天 ⑦梵天
(根津美術館) (興福寺)
梵天像は左袖のところが欠損したままである。一方、帝釈天像は
良く補修されたからか傷みが少ないように見える。いずれも仏師定慶
(じょうけい)作の像。
梵天像は国の重要文化財指定を受けている。帝釈天像は
受けていない。理由は何か、気になるところだ。個人的には
梵天像の方がお顔立ちが良いように見える。
定慶と言えば、運慶の父、康慶を師とする仏師で、運慶、快慶
とは兄弟弟子に当たる。
興福寺の金剛力士立像(⑧)は東大寺南大門像に負けず
劣らずの名作と思える。その迫力は凄い。興福寺東金堂の
文殊菩薩坐像や維摩居士坐像(⑨)も名作だ。
【定慶作の国宝諸尊像】
⑧金剛力士立像 ⑨文殊菩薩坐像・維摩居士坐像
高麗仏画、定慶作梵天・帝釈天像、共に素晴らしかった。
根津美術館での特別展グループ観覧は、今回で3回目となる。
毎回満足する内容となっている。
根津美術館の観覧後、永平寺別院の長谷寺(ちょうこくじ)の
十一面観音立像を毎回、拝観している。
長谷寺
麻布大観音 十一面観音立像