2月22日(木)小雨が降る中、西荻窪のグループメンバー15名が
東京国立博物館開催の「仁和寺と御室派のみほとけ」特別展観覧
のため集合した。平日の雨天にも関わらず、大勢の人が会場前に
並んでいた。
仁和寺は、お気に入りのお寺で、何度も訪れたことがある。仏像、
宝物、建造物、庭園のいずれも優れている。日本屈指、京都随一
の古刹と言える。
仁和寺は、第58代光孝天皇によって発願され、第59代宇多天皇
によって創建された。(A) 宇多天皇は側近に菅原道真を登用
したこと、皇位を醍醐天皇に譲って出家されたことや仁和寺を最初
の門跡寺院にしたことでも知られている。
(A)桓武~醍醐までの歴代天皇
展覧会場は第1章から第5章までの構成で展示されている。【第1章】 御室仁和寺の歴史 / 【第2章】 修法の世界
【第3章】 御室の宝蔵
【第4章】 仁和寺の江戸再興と観音堂
【第5章】 御室派のみほとけ
第1から第3までが第1会場、第4、第5が第2会場となっている。
第1章から順次観覧して行った。10時入館し、12時までの2時間では
慌ただしいように感じた。盛りだくさんの展示は実に見応えがある。
案内パンフレット(B)や図録(C)の通り、国宝、重文の仏像が沢山出展
されている。そこで、第2会場の展示と仏像に絞って、コメントしたい。
(B)特別展案内パンフ表紙と見開き
(C) 図録 表紙
1.仁和寺 観音堂の再現
第2会場に入ると、観音堂の内陣が再現されている。須弥壇には
本尊の千手観音菩薩立像、眷属の二十八部衆など数多くの仏像が
所狭しと並んでいる。
ここだけ、写真撮影が許されており、大勢の人がシャッターを押して
いた。「フラッシュはやめてください」と係員の声が何度も聞こえた。
仏像と合わせて、須弥壇内側の壁画、お堂外側の壁画も見事。絵画
ファンから賛嘆の声を聴いた。
(D)仁和寺 観音堂の再現(筆者が撮影)
2.国宝の仏像は4件6躯(次のa~d)
a.仁和寺創建当初の本尊が阿弥陀如来坐像(①)。
腹前で定印を結ぶ像は、造立年がはっきりしている像の中で最古
とのこと。ふくよかなお顔は宇多天皇似だろうかと想像を巡らした。
両脇侍像(②)の位置が、通常とは逆になっている。一般的には
左脇侍(向かって本尊の右側)が観音菩薩、右脇侍が勢至菩薩と
なる。両脇侍は逆になっている。特別の理由があるのだろうか?
(仁和寺)
①国宝 阿弥陀如来坐像 / ②国宝 および両脇侍立像
b.日本一小さい国宝の仏像が仁和寺の薬師如来坐像(③)
この仏像だけは、第1会場、第1章の中に展示されている。ガラスの
ケースに入れられた像の前には長い列ができている。「時計回りに
ご覧ください」と、係員の声が聞こえる。
白檀でできた像高約12㎝の像は、実に精緻にできている。丸い光背
の後ろには板彫の日光、月光菩薩立像が台座に差し込まれている。
また、光背には七仏薬師の姿が確認できる。
極め付きは、台座に彫られた十二神将。一面に三体ずつ、彫られて
いる。仏師は円派の祖、円勢とその子長円であり、当代一流の技を
見た思いがする。截金も残っており、実に見事な像だ。
③国宝 薬師如来坐像(仁和寺)
c.本特別展見どころNo.1は葛井寺の千手観音坐像(④)かも
しれない。真数千手と言われる千手観音の中でも、実際に千本を
越える像は本像のみとのこと。1041本が確認されている。
ぐるりと回り、前後左右からじっくり眺めた。脇手の小手が光背の
ようにも見える。お顔が東大寺法華堂の伝・月光菩薩と似ている
とのことであり、まじまじと見つめた。確かに穏やかないいお顔だ。
④国宝 千手観音菩薩坐像(大阪・葛井寺)
d.菅原道真の作と伝わる道明寺の十一面観音菩薩立像(⑤)
道明寺は平安時代には「土師寺(はじでら)」と呼ばれており、
土師氏(はじし)の氏寺。土師氏は菅原道真の祖先にあたり、
この地域の豪族だった。
カヤの一木造りで、彩色をしないで木肌をあらわす檀像彫刻
となっている。写真より実物の方がはるかに強いインパクトを
感じる。
国宝の十一面観音菩薩像は7躯ある。その中で一番小さな
像が、本像で像高は1m弱。
⑤国宝 十一面観音菩薩立像(大阪・道明寺)
3.本特別展に出展の御室派寺院
真言宗御室派の寺院は仁和寺を総本山に全国に約790寺院ある
とのこと。今回の特別展に出展は17寺院(E)。出展仏像のうち、
特に印象に残った像を北から南へ順に列挙する下記e~mの通り。
(E)特別展に出展の御室派寺院
e.宮城・龍寶寺 釈迦如来立像(⑥ 重文)
縄状に結った頭髪、丸首の着衣、同心円状の衣文など典型的な
清凉寺式釈迦如来像。別のお寺にあった像を伊達家の祈願寺
である龍寶寺に17世紀末に移したとのこと。
像高163㎝、13世紀の作。
⑥釈迦如来立像(宮城・龍寶寺)
f.神奈川・龍華寺(りゅうげじ) 菩薩坐像<金沢文庫保管>(⑦)
国宝の6躯以外で、一番インパクトのあった像と言える。1998年
に、龍華寺の土蔵改築に際して発見され話題となった像とのこと。
奈良時代(8世紀)、脱活乾漆造の像であり、どのような経路で、
龍華寺の所蔵となったかは明らかではない。発見当時各部が
バラバラとなっていた。学術的な検討に基づく修理がなされ、見事
な姿となった。今回観覧して、指先の造形を絶賛する人もいた。
⑦菩薩坐像(神奈川・龍華寺) <金沢文庫管理>
g.三重・蓮光院 大日如来坐像(⑧ 重文)
智拳印を結ぶ大日如来を目にすると、直ぐに運慶作の大日如来と
比較してしまう。運慶仏とは違った素朴な良さを感じた。つるんと
したボディは、東寺講堂の菩薩像と共通するように見える。
⑧大日如来坐像(三重・蓮光院)
h.福井・明通寺 深沙大将立像/降三世明王立像(⑨、⑩共に重文)
像高2メートル50を超える大きな像が2体並んだ姿は迫力がある。
本尊・薬師如来の脇侍像として三尊像で祀られているそうだ。このよう
な三尊像はお目に掛かったことがない。
口を開けた阿形の降三世明王は見かけない。また、深沙大将は口を
閉じた吽形となっている。当初から阿吽の対で祀るように制作された
ことを物語っている。
(福井・明通寺)
⑨深沙大将立像 ⑩降三世明王立像
i.福井・中山寺 馬頭観音菩薩坐像(⑪ 重文)
忿怒相、真っ赤な円光の光背を観て、愛染明王と見間違えてしまう。
奈良・西大寺の愛染明王坐像とよく似ている。頭上の馬、馬口印、
持物を見れば、馬頭観音と識別できる。
台座は、不動明王の瑟瑟座(しつしつざ)となっており、いろんな特徴
を兼ね備えたパワー全開の馬頭観音坐像に見える。
⑪馬頭観音菩薩坐像
(福井・中山寺)
j.大阪・金剛寺 五智如来坐像(⑫ 重文)
第2会場、観音堂を再現した部屋の隣に、金剛寺の五智如来が
お寺と同じように安置されている。一瞬、博物館に展示されている
ことを忘れる。
智拳印を結ぶ金剛界大日如来を中央に、阿閦、宝生、阿弥陀、
不空成就の4如来が囲む。京都・東寺講堂の五智如来は、印相
が全員異なる。本像は大日、阿弥陀以外の3如来は皆同じような
印相をしており、見分けがつかない。光背の種子(しゅじ)で判別
できるとのこと。
⑫五智如来坐像(大阪・金剛寺)
k.兵庫・神呪寺(かんのうじ) 如意輪観音菩薩坐像(⑬ 重文)
何とも不思議な坐り方をされた像だ。如意輪観音の坐り方として
よく知られているのが輪王座(りんのうざ)。右足を立膝にした、
両足の裏を合わせる坐り方を言う。
この如意輪観音像の坐り方は初めて見る。当初から、このような
形をしていて、後補ではないことは、像底からの調査でも明らか
になっている。
像の醸し出す雰囲気、坐り方、寺名の漢字「神」「呪」や読みの
「かんのうじ」とすべてが不思議な魔力を感じさせる。
⑬如意輪観音菩薩坐像
(兵庫・神呪寺)
l.広島・大聖院(だいしょういん)不動明王坐像(⑭ 重文)
両目を見開き、前歯を出したような様式は、「大師様」と称され、
弘法大師・空海が請来した「不動明王像」の姿。顔だち、体つき
ともボリューム感があり、どっしりとした重量感も感じる。
⑭不動明王坐像
(広島・大聖院)
m.香川・屋島寺 千手観音菩薩坐像(⑮ 重文)
全体として、安定感抜群の印象を受けた。顔、身体、脇手、
光背がバランスよくまとまっており、安心感を与えてくれる。
⑭不動明王坐像以上のボリューム感、重量感も感じる。
⑮千手観音菩薩坐像
(香川・屋島寺)
n.徳島・雲辺寺 千手観音菩薩坐像(⑯ 重文)
不動明王立像(⑰)/毘沙門天立像(⑱ 重文)
千手観音を中尊に不動明王と毘沙門天を脇侍とする三尊像は
天台宗寺院に見られる組み合わせ。
現在は、重文の千手観音と毘沙門天は収蔵庫に、不動明王は
護摩堂に安置されているそうだ。折角の三尊像が離れ離れに
なることは寂しい。
(徳島・雲辺寺)
⑯千手観音菩薩坐像
⑰不動明王立像/⑱毘沙門天立像
他に、仁和寺の「吉祥天立像」「愛染明王坐像」「文殊菩薩坐像」
「悉達太子坐像」なども素晴らしい。今回はコメントを割愛。
また、第1章から第3章の宝物については、別の機会にまとめたい。
観覧を終えて、いつものようにメンバーと昼食を共にし、よもやま話
に花を咲かせた。参加者に感謝!(合掌)