2020年10月18日日曜日

びわ湖長浜KANNON HOUSE(観音ハウス)を訪問! 


上野にある「びわ湖長浜KANNON HOUSE」が10月末で閉館となる。昨日
(10月17日)伺った。東博や藝大美術館での展覧会に行った際、よく立ち
寄った。

1.びわ湖長浜KANNON HOUSE
  今回展示の観音像は、長浜市宮司町・総持寺の千手観音立像(❶、❷)。
  平安時代(12世紀)のヒノキ一木割矧造で像高が106.1㎝の像。柔和な
  お顔立ちは、典型的な定朝様。持物は後補ではあるものの、千手観音の
  法力を感じさせる。

  今までに展示された観音像のパネルもじっくり眺めた(❸)。「東京に
  ある長浜の観音堂」として本物の観音さまとの出会いは今月末で幕を
  閉じることになる。2016年3月にオープンしてから4年半楽しまさせて
  頂いた。
❶長浜・総持寺千手観音像  ❷展示千手観音像を観覧
❸観音ハウスに展示の観音像パネル

2.浅草文化観光センターでのパネル展
  観音ハウス展示の仏像が浅草文化観光センターでパネル展示されている
  とのことであり、浅草まで足を延ばした(❹)。当日が最終日だった。

  展示の新聞記事が目に留まった。観音文化を後世につなぐために、活動
  される、若い女性(記事の写真)が紹介されていた(❺)。外部から、
  地域に溶け込み、地域の文化継承に活躍される姿勢は心を打つ。 
❹浅草文化観光センターでの  ❺長浜観音文化を伝える
          パネル展          新聞記事

3.「観音の里」を紹介した展覧会やTV番組
 (A)東京芸術大学大学美術館での展覧会
   長浜「観音の里」に関心・興味を持つきっかけは二度の展覧会による。
   「観音の里の祈りとくらし展ーびわ湖・長浜のホトケたちー」が開催
   (2014年と2016年)され、感銘を受けた(❻)。その時の様子は、
   2016年7月21日のブログでご紹介した。
❻展覧会の図録

 (B)BSフジ「古都浪漫こころ寺巡り」で「観音の里」放映(❼~❿)
   コロナ禍、以前録画したTV番組をよく視聴する。仏像好きの仲間
   と一緒に観て楽しんでいる。「奥びわ湖観音の里~小説家・井上靖が
   魅了された美しき観音菩薩

   120体もの観音が祀られる観音の里。井上靖が魅了された美人仏、
   古物商から救われた仏、炎から救われた仏、地中に埋められた仏
   たち。様々に秘めた歴史を持つ観音菩薩を紹介している。
   近藤サトさんのナレーションも良い。
❼番組で紹介「観音の里」 ❽井上靖の小説「星と祭」

   番組の中で、長浜「観音の里」に独自の仏教文化が開いた地理的背景の
   解説があった。高月観音の里歴史民俗資料館の学芸員・佐々木悦也氏は
   主要街道交通の要衝であったことと周りに信仰面で大きな影響を及ぼ
   した宗派があったことを上げている(❾、❿)

   即ち、奈良・京都と繋がり、東海道、中山道、北国街道を結ぶ交通の
   要衝となっている。また、奈良時代には奈良仏教、平安時代になると
   天台宗の影響を受ける。「白山信仰」という山岳信仰の影響も受けて
   いる。

   白山神社のご祭神は三柱。一柱の本地仏が十一面観音ということも
   あり、長浜には十一面観音が多い。

   姉川の合戦、賤ケ岳の合戦など戦の多いエリアでもあり、正に修羅道
   の世界となっている。修羅道は六観音の中で、十一面観音が守護する。
   長浜に十一面観音が多いのは戦が多かったからとも聞く。
❾主要街道要衝となる地域  ❿影響を受けた宗教・信仰

「観音の里」では観音さまをお守りすることによって自分たちが守られている
と感じている。学芸員の佐々木悦也氏はそのように解説されていた。


2020年10月9日金曜日

中尊と脇侍・眷属<千手観音>


如来を中尊とする三尊像や眷属を整理してきた。中尊となるのは如来だけ
ではない。今回は、千手観音を中尊とする三尊像や眷属についてまとめて
みたい。

1.千手観音を中尊とする三尊像
  千手観音の脇侍像については、数パターンを目にする。具体的な事例
  で確認したい。

 A.婆藪仙・吉祥天の両脇侍
  千手観音の脇侍に婆藪仙(ばすせん)と吉祥天を配置した仏画を目にし
  たことがある(❶)。この両脇侍は仏教における基本ルールとも聞く。

  婆藪仙とは、殺生の罪を犯し地獄に落ちるも、釈迦の教えに帰依して、
  修行を続ける仙人(バラモン僧)。独特な風貌、痩せ細ってガリガリの
  体形は大変インパクトがある。一方、吉祥天は美と芸術、施福の女神
  として馴染み深い。

  2尊の対比は男vs女、老vs若、質実vs華麗、清貧vs豊穣、修行vs慈善
  など様々なイメージが湧く。婆藪仙は「智慧」、吉祥天は「慈悲」の
  象徴ではないかと思える。<彫像での像容は❻参照>
婆藪仙と吉祥天の両脇侍

 B.不動明王・毘沙門天の両脇侍
  不動明王と毘沙門天を両脇侍にする形式は、天台系の寺院に多いようだ。
  滋賀・正明寺(しょうみょうじ)の千手観音及び両脇侍像については、
  天台系の名残りとある(❷)。

  延暦寺横川中堂の本尊は聖観音を中尊に、不動、毘沙門を脇侍とする三尊
  としており、「横川形式」と呼ばれている。これには、伝説がある。即ち、
  慈覚大師・円仁が入唐時に海難に会った。観音を念じると、観音の化身と
  して毘沙門天が出現し、嵐が静まった。

  比叡山に戻った円仁は一堂を建立し、観音と毘沙門天を祀った。その後、
  弟子の良源不動を加えて三尊にしたとのこと。これで横川形式三尊の
  成立になった。中尊の観音菩薩は、聖観音もあれば、十一面観音、千手
  観音と様々ある。
❷不動明王と毘沙門天の両脇侍

 C.不動明王・降三世明王の両脇侍と
   二十八部衆の眷属
  2018年1月~3月、東京国立博物館で開催の「仁和寺と御室派の
  みほとけ」展を観覧した。その時に、撮影した写真が❸、❹。これは
  仁和寺の観音堂を再現したものである。

  中尊・千手観音の両脇侍が「降三世明王」と「不動明王」となっている。
  いかにも、密教的な尊像と言える。左右に、二十八部衆が並び、観る者
  を圧倒する。さながら曼荼羅の世界のようにも見える。
❸脇侍の不動明王像     ❹脇侍の降三世明王像

 D.地蔵菩薩・毘沙門天の両脇侍
  京都・清水寺では本尊・千手音の両脇侍が「地蔵菩薩」と「毘沙門天」に
  なっている。これも、比叡山の「横川形式」と同様の伝説がある。

  坂上田村麻呂が蝦夷征伐へ赴く際に、延鎮上人は、地蔵菩薩と毘沙門天を
  彫って、武運を願った。戦場で全滅覚悟の中、観音に祈り続けると、どこ
  からともなく、僧侶老翁が現れ救ってくれた。二人は地蔵菩薩と毘沙門
  天が姿を変えて現れた。

  無事に帰還した田村麻呂は本尊・千手観音の両脇侍に地蔵菩薩と毘沙門天
  を安置し、現在に続く清水寺の三尊形式が誕生したと言う。残念ながら
  三尊とも秘仏のため、お目に掛れない。

  従って、千手観音の脇侍については、その寺独自の縁起があることが良く
  分かる。必ずしも、儀軌によるものではないようだ。
  
2.三十三間堂の二十八部衆
  全国の「千手観音と二十八部衆」の中で最も有名で、かつ圧倒的な存在感
  を感じさせる寺院は、京都の三十三間堂だと思う。2018年に1001体の
  千手観音立像が国宝に指定され、堂内1032体すべての尊像が国宝となる。

  また、2018年には、尊像の改名や配置換えも行われた。この改名や、
  配置換えを行うに至った経緯については別途確認したい。

  堂内の仏像配置がどのように変わったを比較し、まとめてみた(❺)。最初
  に気づくことは「風神・雷神」の位置が入れ替わった。これで、俵屋宗達
  風神雷神図と同じ構図になる(❼)。俵屋宗達は、三十三間堂の風神・雷神
  をモデルにした。

  次に、中尊を囲む4体に注目した。旧配置13-東方天、14-毘楼勒叉天
  (びるろくしゃてん)、15-毘楼博叉天(びるばくしゃてん)16-毘沙門天
  となっている。つまり四天王が囲んでいる形になっている。

  現配置では、13-婆藪仙、14-大弁功徳天(吉祥天)、15-帝釈天王、16
  -大梵天王となっている。特に前面の一番目立つところに、婆藪仙と吉祥天
  が配置され、中尊の脇侍のようになっている(❻)。

  二十八部衆については、分からないことがたくさんある。詳しく調べて、別
  の機会にまとめたい。
❺三十三間堂内 現旧の仏像配置図

❻三十三間堂中尊像と眷属  ❼尾形光琳作 風神雷神図


【中尊と脇侍・眷属シリーズ 続く】