2014年10月23日木曜日

サントリー美術館「高野山の名宝」を観覧


冬のような肌寒い中、六本木のサントリー美術館に14名が集合した。
BACでのサントリー美術館訪問は25年12月以来2度目となる。

「高野山の名宝」展は、高野山が平成27年に開創1200年の節目を
迎えることを記念して開催されている。
「空海研究会」に所属する小生としては、見逃す訳には行かない。
展示会パンフ
展示テーマは3章で構成されている。第1章 大師の生涯と高野山
第2章 高野山の密教諸尊  第3章 多様な信仰と宝物。
 
4階第1展示室に入ると、最初に目にするのが「弘法大師坐像」。右手に
金剛杵、左手に数珠を持った姿は典型的な弘法大師像。聡明で、意志の
強そうな顔立ちをしている。
 
次に、国宝「聾瞽指帰」。空海が24歳で著した書。空海の恐るべき才能を
感じつつ、文字を追う。「ひらがながある」と渡辺さんの声が聞こえた。この
時代にはまだ、ひらがなは生まれていないはず。きっとその兆しがすでに
空海の書には見えているのかもしれない。
 
国宝「諸尊仏龕」も近くに展示されている。白檀で造られた像で、見事な
までに精緻に彫られている。ガラスケースのため、香りを嗅ぐことはでき
ない。空海が唐から請来したものとされる。高さが20cm程の小さな像で、
解説文には「枕本尊」とあった。枕本尊とは携帯可能な小型の念持仏の
ことを言うようだ。空海もこの像を前にして祈ったのだろうか。
諸尊仏龕
(絵葉書から)
空海と言えば、いつも金剛杵を持っている。独鈷杵、三鈷杵、五鈷杵
や五鈷鈴の展示も面白い。仏像好きの人の中には密教法具のマニアも
いる。つい、その人のことを思い浮かべた。
 
第二章の密教諸尊では、運慶作の八大童子が一番の見どころ。
 
八大童子
(絵葉書から)
全体的にみなふっくらとして穏やかな表情が多いように思う。やんちゃ
坊主のイメージが強い制叱迦童子すら、優しい顔立ちをしている。
南北朝時代14世紀作の像(両端)は明らかに運慶の作風と違う。
高野山に行かずに、一度に見られるとはラッキーとの声も聞こえた。
 
 
4階展示室から3階に移動すると、いきなり快慶作の孔雀明王坐像が
堂々と鎮座。快慶らしい凛々しい顔立ちと孔雀の大きさに目を奪われる。
孔雀に乗り、孔雀の羽を持ち、孔雀の羽を光背にし、孔雀づくしの像。
 
孔雀は害虫や毒蛇を食べることから「人々の災厄や苦痛を取り除く功徳」
があるとされ、信仰されてきたようだ。
孔雀明王は明王の中で唯一優しい顔立ちであり、女性の尊格とも言われ
ている。
 孔雀明王坐像
(パンフレットから)
 
第3章 多様な信仰と宝物で一番印象に残ったのは、快慶作の四天王像。
朝比奈さん曰く「東大寺戒壇堂の四天王は〝静″ですが、こちらは〝動″
ですね」。展示の中で、この四天王像は特に気に入った像だ。
四天王に踏みつけられる邪鬼の表情も面白い。それぞれ4通りの表情を
しており、四天王の顔と邪鬼の顔を見比べながらの観覧も楽しい。
 
四天王立像
(パンフレットから)
 
他にも沢山の見どころがあり、日を改めてもう一度じっくり観覧したい。
観覧後、8名が同じビル内のレストランで昼食を取りながら歓談した。
 
 
☆予告:11月の定例会では原山さん所有の「善光寺DVD」を視聴。
 
 

 

2014年10月17日金曜日

美術史家・關信子先生の講演会 開催!


御高名な美術史家・關信子先生の講演会とあって会場は超満員となる。
36名の参加は過去、最高人数を記録した。椅子だけの配席で対応した。
講演会テーマは「野外仮面宗教劇<迎講(むかえこう)>についてー極楽
へ誘った阿弥陀像を中心にして ー」。

關先生の解説は、極めて分かりやすく明快、しかも溌剌としたお声で、
元気まで頂く。皆さん、さぞ満足されたことだろうと思う。講演会終了後、
たくさんの人からお礼の言葉を頂いた。超一流のプロは人を引き付ける。
 
講演会会場の様子
 
ご講演の關先生

末法到来の時代、当時のベストセラー作家・恵心僧都源信が著した書物
「往生要集」が基になって、迎講が始まったとのことだ。末法の時代、貴族は
造寺、造仏、写経もして、極楽往生を願った。庶民は迎講に救いを求めた
ことだろう。

浄土の中でも一番の人気が阿弥陀さまが教主の西方極楽浄土だったよう
だ。死者が往生するためには、阿弥陀さまに「来迎」してもら必要がある。
お迎えに来て頂けるとイメージトレーニングすることこそ、末法の世を生き
抜く術だったのだろう。見苦しい最後は見せたくないと思う願いは今も共通
しているように思う。

迎講の登場人物、道具、舞台、開催日、開催時刻など、詳細にご説明頂き、
当時の仮面劇の様子がクリアな形で浮かんで来るようだ。仮面劇復活に
専心される關先生でしかできないことだと感服する。

迎講の主役が変遷する流れも大変よく分かった。阿弥陀面に始まり、
着装の迎講阿弥陀像、更には被り仏の迎講阿弥陀像となり、最後には、
阿弥陀さま不在の行道に変化したとのことだ。主役変遷の長所や短所、
あるいは迎講に求める目的の変化も良く整理できたように思う。

講演会でご紹介された画像の一部
       「阿弥陀面」(浄真寺)   「着装の迎講阿弥陀像」(浄土寺)

「被り仏の迎講阿弥陀像」(當麻寺)

今回の講演会を通じ、阿弥陀さまに今まで以上の親しみを感じるように
なった。阿弥陀さまと言えば、三尊像として観音、勢至の菩薩像が直ぐに
浮かぶ。天蓋を掲げるのは普賢菩薩ということも知った。

迎講が始まったのは源信がいたからということが分かった。源信と
言えば、源信のお母さんの言葉を思い出す。世俗にまみれずに、
世の人々のために尽くしなさいと言った言葉のようだ。
「後の世を渡す橋とぞ思いしに、世渡る僧となるぞ悲しき」
源信が頂きものを母親に送ったところ、頂きものをして喜んでいるとは
情けないと言って送り返したとのこと。一部の政治家に学んでほしい
逸話だ。

源信がこれほど名を遺したのは、母親の教育があってのことではないか?
この辺のことを關先生にお伺いしたかった。時間なくて質問できず、残念。
またの機会にお聴きしたい。

会場でお知らせした、先生のご著書
お蔭様で大満足の講演会。關先生のご予定をお伺いし、ぜひ第二弾を
企画したいと強く決意。盛会裏の講演会に感謝、感謝!(合掌)