2017年1月27日金曜日

1月参拝寺院は中野区 石仏の寺 百観音明治寺


26日(木)は穏やかな日和であり、訪問先も近く、参加者が16名と
大勢となる。JR中野駅北口改札に10時集合。最寄りのバス停から
バスに乗り、江古田二丁目で下車、徒歩3分で明治寺に到着した。

今回の参拝寺院は中野区の百観音 明治寺。お寺の縁起には
「明治45年7月30日、明治天皇御崩御の報に接し、沼袋の地に
観音石仏の建立を発願された」とある。開基は榮照尼(えいしょうに)
と言う尼さん。

石仏の寺 百観音明治寺は西国三十三観音、坂東三十三観音、
秩父三十四観音の合計百の観音菩薩が並んでいる。現在は番外も
含めて百八十体ほどの観音石仏が祀られている。一度に3つの
観音霊場を廻れるとは何と有難いことだろうか。

明治寺は真言宗東寺派の寺院。ご本尊は、如意輪観音。
到着するなり、直ぐに本堂のご本尊をお参りする。

明治寺の境内に入る        本堂参拝に向かう

ご本尊の如意輪観音         境内の観音菩薩
 
本堂の須弥壇中央には輪王座の如意輪観音が鎮座されている。
向かって右には、胎蔵界曼荼羅、左に金剛界曼荼羅が掛けられている。
密教寺院らしい設えだ。
 
お参りを済ませた後は、境内の霊場を巡る。霊場は、本堂の近くが
秩父三十三観音、その奥に坂東、更に奥が西国と続いている。
番外にもたくさんの観音像が並んでいる。
 
観音様のお姿から何観音でしょうかと類推しながら、楽しく巡拝して
廻った。明治寺は観音菩薩について理解を深めるのに格好のお寺と
言える。
百観音が並ぶ霊場
 
中でも目を引いた観音像は、千手観音と馬頭観音。十三重の塔の
そばに立つ千手観音は、像容と背景の梅の花がマッチし、慈悲深さを
強く感じさせた。
 
下に掲載の馬頭観音は「六代目菊五郎馬頭観音」と言うようだ。明治寺の
縁起を記したリーフレットに書かれている。この馬頭観音はお顔立ち、姿も
すっきりした、好印象の像と言える。「煩悩を馬の如く食い尽くす観音様。
菩薩面、憤怒面、大笑面の三面を持つ」との解説がある。
千手観音            六代目菊五郎 馬頭観音

巡拝を済ませた後は、霊場をバックに記念撮影をする。小さなお子さんを
連れた若いお母様が通りかかった。お願いし、シャッターを切って頂いた。
百観音霊場を背に記念撮影
 
天候に恵まれ、わいわいがやがやと観音様を話題に、楽しく過ごした。
記念撮影後解散とした。
 
折角の機会であり、近くにある哲学堂を見学しようとなり、希望者5名で
出かけた。哲学堂公園の中を散策し、井上円了がどんな人か、どんな
思想を広めたかなどを良く知ることができた。
哲学堂公園 解説板
 
六賢臺         硯塚に腰かけ記念撮影

六賢臺には東洋的六賢人を祀っている。六賢人とは日本の聖徳太子、
菅原道真、中国の荘子、朱子、インドの龍樹、迦毘羅(かびら)とされている。
迦毘羅は初めて目にする。インドの哲学者のようだ。

更には、直ぐ近くにある蓮華寺まで足を伸ばした。その蓮華寺に
井上円了のお墓があることも知り、驚いた。
蓮華寺にある井上円了のお墓
 
参加者のお一人から「ウォーキングコースとしても面白かった」との
感想も出る。楽しい一日となった。(合掌)
 
 
 
 
 

2017年1月21日土曜日

中嶋莉恵さん 3回目の講演会 開催!


1月20日の定例会は東京藝大・藪内教授の門下生 中嶋莉恵さんの
講演会を開催。中嶋さんは、彫刻家、高校教師、工房での仏像制作と、
多方面でご活躍されている。今回が3回目の講演会となる。

テーマは「川崎市多摩区登戸、真言宗豊山派寺院の光明院仁王像制作」。
荻窪東館からも4名の参加があり総勢29名と大盛況となった。

BACの新規会員が増えたこともあり、最初に中嶋さんとBACとの交流を
ご紹介した。仏像が取り持つご縁、仏縁と感謝している。ご縁は次の通り。
 【1】テレビ放映
  2013年4月20日(土)夜11時、Eテレのドキュメンタリー番組が
  放映される。
  タイトルは「仏像の魂に挑む ~東京藝術大学 若者たちの一年~」
  であり、中嶋さんの挑戦ぶりを視聴。真摯なお取り組みに感動する。

 【2】修了作品を観覧、その後の講演会開催へと繋がる
  同年4月28日(日)、東京藝大の陳列館での修了作品を妻と一緒に
  観覧した。会場で中嶋さんをお見かけし、ご挨拶の上、BACの活動に
  触れ、講演のお願いをする。

 【3】講演会の詳細打合せに東京藝大を訪問
  その後、数回のメールやりとりを経て、6月21日(金)開催が決定する。
  詳細打合せのため、5月31日(金)BAC幹事の橋本さんと一緒に
  東京藝大を訪問する。終了後中嶋さんのご案内で藝大の中を見学、
  藝大食堂で昼食をご一緒する。

第1回講演会 2013年6月21日(金)
 テレビで放映、紹介された仏像制作についての講演。中嶋さんの
 修士課程修了作品・福井県清雲寺の吉祥天立像と善膩師童子
 (ぜんじしどうじ)立像の模刻制作についてお話し頂いた。

 模刻により先人の心や技を学ぶ様子が良く伝わって来た。
 吉祥天立像のお顔立ちや気品のある表情は中嶋さんに
 そっくりだったように記憶している。

第2回講演会 2014年7月18日(金)
 館山市那古寺(なごじ)の木造阿弥陀如来坐像の修復について
 講演頂いた。テーマが模刻から修復へと変わった。修復の大変さ、
 根気のいる作業を初めて知り、応援したい気持ちになった。
 この講演を機会に、東京藝大の保存修復彫刻研究室にBACが
 寄付を始めることとなった。

☆今回の講演会☆
 最初に、仁王像制作に関わる関係者について紹介された。
 依頼主は稲荷山 光明院(真言宗豊山派の寺院)、制作請負が
 東京文化財センター、素材が青森ヒバ。
 青森ヒバを使用されるのは、ご住職が青森県ご出身であり、
 決定した。香りの良い、高価な素材。

 2014年から2016年の2年半にわたる仁王像制作過程が
 今回のテーマ。現在の工房ではどのように仏像を仕上げて
 行くのか大変興味深く拝聴した。総高3メートルもある
 大きな仁王像を造像する様子は、彫刻家のイメージより

 大工さんのように感じられる。繊細さと同時に頑強さが
 求められるように思えた。

 「鋸引き」「電動ドリルでの穴あけ」などと言う作業は、今まで
 抱いていた造像イメージと違う。現在の工房での実情を知り、
 大変驚いた。
 
 仏像制作には4つのステップ「原型制作」、「木彫」、「漆」、「彩色」
 があり、通常「漆」と「彩色」は専門家に渡すとのこと。
 今回は彩色まですべて4人で担当。2年半での完成は極めて速い
 とされる。

 特に、興味が湧いたものが「漆」と「彩色」。「木地固め」は、テレピン
 オイルと漆を混ぜたものを塗って、水分が像に入らないようにする
 とのこと。撥水効果を持たせる作業と言える。金箔を貼る像には
 必ず行うようだ。湿度、温度が高い程乾き安いとのことであり、
 大変な環境の中で作業することになる。

 「彩色」には白土で下地を作り、何層にも塗るということもお聞きした。
 天然顔料を使用し、赤も4層くらい塗るそうだ。実際には「色を載せる」
 と言う表現の通り、膠を接着剤にして色を載せている。
 何度も塗るようになったのはどうしてだろうか。体験的に回数が決まった
 のだろうか。
 
 また、背中には東大寺法華堂の執金剛神と同じように、繧繝彩色
 (うんげんさいしき)が施されている。紺丹緑紫(こんたんりょくし)と
 言う決まりがあるようだ。天平時代に、このような技があったこと
 にも驚かされる。この彩色は仁王像が仁王門に安置されると、
 隠れて目にすることができなくなってしまう。大変、残念であり、
 勿体ないと思う。

 天然顔料は色が落ちて来る時に、ナチュラルに落ちるそうだ。
 人工的なものは落差が大きいの対し、天然のものは徐々に変化する
 から受け入れやすいのかもしれない。

 像内に銘札を入れ、そこには中嶋さんのお名前も記されている。
 制作者のお一人として末永く記録され、歴史に残るとは羨ましい。
 50年、100年経って、修理の時には必ず確認される。

 一方で、責任の重さも感じる。名前が残るということは栄誉と責任
 の両方があるということか。

 仁王像制作のお話を終え、中嶋さんの作品(動物などの彫刻)も
 ご紹介頂いた。日本橋三越本店 本館美術フロアに展示された
 「雨上がりのロバ」は私の好きな作品だ。

 講演の後には質疑応答の時間を取り、参加者が自由に質問した。
 様々な質問が出た。
 「製作費はどのくらいかかるのですか」 「動物などを彫る時と、
 仏像を彫る時では気持ちの上で違いがありますか」
 「青森ヒバと言う、香りの良い木を使いながら、どうして彩色される
 のですか」「仏像は美術品ですか」など。皆さん、現実的なことや
 本質的なことなど尋ねていた。

 ぜひ、早い時期に登戸の光明院を参詣し、仁王像にお会いしたい
 と思う。「館山市の那古寺へも行きましょう」と言う声も上がった。

 3回の講演は「模刻」「修復」「新しい仏像造立」をテーマに、お話し
 頂いた。中嶋さんのステップアップぶりに敬服する。

 引き続き、BACでは中嶋さんを応援することを参加者一同約束した。
 作品の出展や個展を開く際は、早くご連絡くださいとお願いし、講演会を
 終了した。

 第4回の講演会は、どんなテーマで、いつお願いしようか?
  (今回は、諸般の事情で写真撮影を控えたため、画像はありません。)



 

2017年1月8日日曜日

今年の七福神めぐりは下谷七福神!


1月7日は好天に恵まれた。朝10時、JR鶯谷駅北口改札に集合。
今年の七福神めぐりは下谷七福神。参加者は29名。仏像サロンの
メンバーに加え、荻窪東館で他のサロンにご参加の方々も大勢
来られた。

多人数のため4グループ編成し、移動の都度グループ内の人数確認を
お願いした。巡拝は案内チラシの通り寿老人の元三島神社から始め、
布袋尊の寿永寺で完了する。

「下谷七福神めぐり」チラシの地図    巡拝案内(チラシ裏面)
 
七福神めぐりでよく戸惑うことが2つある。1つは参拝の仕方、もう1つは
本尊や祭神の参拝。参拝の仕方は通常、お寺なら合掌礼拝
(がっしょうらいはい)であり、神社は二礼二拍一礼。
(回数は異なることもある)
 
お寺が、神社のような様式の設えとなっていることもある。神仏習合で
あったため仕方がないとも言える。
 
また七福神はご本尊とは別のことが多く、ご本尊の堂宇が長蛇の列と
なっている場合時間の制約もあり、割愛することがある。
 
下谷七福神は寺院6、神社1。寺院では日蓮系2、浄土系2、天台系1、
禅系1の構成となっている。
 
1.寿老人(元三島神社)
  最初に目にしたものは「茅の輪」。この輪を8の字でくぐることで
  お祓いをするとの解説があった。身を清めてお参りすることは良い。
  早速8の字に通り抜けた。
 
  この神社創建が蒙古襲来に関連していたことを初めて知った。
  必勝祈願が成就したことで創建したとする縁起が多いように思う。
  戦争に勝つことより、戦争を起こさないことを祈るばかりだ。
   
寿老人(元三島神社)の解説文    境内の茅の輪が見えてくる
 
茅の輪をくぐり本殿へ        本殿を参拝する
 
次の福禄寿(入谷鬼子母神)へ向かう。

2.福禄寿(入谷鬼子母神 真源寺)
  入谷鬼子母神は別称で正式な寺院名は真源寺。法華宗本門流の
  寺院で、ご本尊は三宝尊(仏、法、僧)。入谷鬼子母神についての
  解説に「鬼」の字に角(点)がないとある。
  悪神が釈迦に帰依して、善神になったことを意味するために角を
  無くした字を使用している。興味深い拘りだ。
  

  福禄寿の愛敬ある顔や姿には何とも言えないほのぼのとしたもの
  を感じる。名前も七福神のご利益を一身に集めている。福(幸福)、
  禄(財産)、寿(長寿)は結婚式の配席にも良く使われるほどめでたい。
福禄寿(入谷鬼子母神)の解説文    入谷鬼子母神の掲示板

福禄寿を参拝           鎮座される福禄寿像
 
3.三面大黒天(英信寺)
  3番目は英信寺。浄土宗寺院でご本尊は阿弥陀三尊像。七福神
  では大黒天を祀っている。しかも、左に毘沙門天、右に弁財天の
  三面となっている。こちらも一体で三体分のご利益を感じる、大変
  有難い福徳神と言える。
 
  三面大黒天を念持仏としていた武将が豊臣秀吉。ねねの寺・京都の
  高台寺で同様な三面大黒天を拝観したことがある。秀吉は戦場に
  まで携帯して行ったようだ。
  
  また、解説文に弘法大師御作と伝えられるとある。平安時代初期、
  弘法大師の時代に、大黒天を三面で造像することがあったのだろうか?
  少しクエスチョン。
 
  三面大黒天を祀るお堂は本堂左側にある。厨子に入った優しそうな
  笑顔の像であり、親しみが持てる。本堂には大きな数珠が下げられ、
  引く度にご利益のありそうな音がする。大数珠の前で記念撮影される
  人も多い。
  
  
  
三面大黒天(英信寺)解説文      英信寺境内へ
 
本堂の前でご夫妻記念撮影       三面大黒天像

4.毘沙門天(法昌寺)
  4番目は毘沙門天を祀る法昌寺。宗派は入谷鬼子母神真源寺と
  同じ法華宗本門流。十界曼荼羅がご本尊。解説文にあるように、
  たこ八郎の菩提寺となっている。
  
  一番目を引いたのはお堂の壁面一杯に掲げられた千手観音像
  の画像。千手観音の手にも眼があり、千の眼と千の手で見、守って
  くれると言われている。千手千眼観音とと言われる通りの姿だ。
  その千眼に圧倒される。
  
  また、山門そばに祀られた救世観音は法隆寺夢殿の像を連想
  させるような造像が 印象深い。七福神の毘沙門天をお参りし、
  次に向かった。
 
毘沙門天(法昌寺)解説文
        
法昌寺境内           お堂に掲げられた千手観音像
  
毘沙門天像            救世観音像
 
5.朝日弁財天(弁天院) 
  次は5番目の弁財天。弁天院は曹洞宗の寺院。本尊は釈迦如来か。
  解説文によると、不忍池に弁財天を建立した時期と同時とある。
  江戸初期に創建された。
 
  元々は弁財天は、川の女神、言語の神様であり、川のせせらぎが
  音楽に聞こえることから音楽の神様にもなったようだ。七福神に
  なって、弁才から弁財と書かれるようになったと聞く。色んな願いに
  応えるように、女神の功徳も増えて行ったことが、良く分かる。

  境内では、呈茶のサービスや、記念撮影用に顔を出すボードも
  用意されており、和やかな雰囲気を醸し出していた。
弁財天(弁天院)解説文      境内の参拝客

本堂内陣             ネット掲載の朝日弁財天
 
弁財天となって記念撮影       小さくなった池
 

6.恵比寿神(飛不動尊正宝院)
  6番目は日本生まれの七福神 恵比寿神。飛不動尊正宝院の
  本尊は文字通り不動明王。関東三十六不動霊場第24番札所
  になっている。天台宗系の単立寺院。
  
  七福神の恵比寿神は「きく恵比寿」と言われ、願い事を「聞く」
  とのことだ。菊の花を供えてお参りするそうだ。
  何という語呂合わせかと思う。

  お参りの後、全員揃って記念撮影。シャッターは参拝に
  来られた方にお願いした。

きく恵比寿の解説文      のぼりが立つ参道

羅漢さまの解説板        恵比寿神のそばに羅漢像
 
 きく恵比寿神を参拝    本尊の飛不動尊にお参り
 
酉年で更に飛ぶようにと飛不動尊の境内で記念撮影
 
7.布袋尊(寿永寺) 
  いよいよ最後は布袋尊(寿永寺)。時間も12時を過ぎ、お昼時間
  となってきた。寿永寺は浄土宗寺院で、ご本尊は阿弥陀如来。
  徳川二代将軍秀忠公の菩提を弔うために寿永法尼と言う尼さんが
  創建されたとある。
 
  布袋さんが大笑いする表情はいかにも大物ぶりを見せている。
  布袋尊の功徳は清廉度量とある。布袋尊は実在の人物で弥勒菩薩
  の化身とされている。

布袋尊(寿永寺)
 
参道近くの掲示板        境内に安置された布袋尊像

無病息災、家内安全、諸願成就の一年となることを祈念し、
下谷七福神めぐりを終え、解散とさせて頂いた。皆さんの
ご協力に深く感謝した。

解散後、昼食のお店を探して歩いた。運良く、大勢が坐れる
中国料理店があった。3テーブルに分かれて歓談会食をした。

歓談する皆さん