2019年12月29日日曜日

2019年参詣の寺社、観覧の美術館・博物館


2019年の活動は、1月5日(土)の新宿山ノ手七福神
めぐりでスタートした。1月~6月の上半期は、美術館・
博物館での観覧が多く、9回訪れていた。(下期は3回)

特に、東京国立博物館での「東寺 空海と仏像曼荼羅」展
には都合4回も観覧した。同じ展覧会を4回観たのは初めて
の体験。それだけ、空海に関心が高いことの現れか?

7月~12月の下半期では、寺社への参詣が大幅に増えた。
上期12寺社が下期21寺社と倍増近い数となった。
これは、11月山梨県、大阪府、12月滋賀県、福井県の
古刹を巡ったことによる。

この1年間でご一緒された方は、延べ317名。楽しい
時間を共有できたことに感謝‼ (合掌)

2019年参詣寺社、観覧美術館・博物館一覧
2019年1月~6月    2019年7月~12月




2019年12月18日水曜日

文京区 浄心寺と駒込大観音光源寺を参詣



12月14日(土)10時、地下鉄南北線 東大前駅に
20名が集合。天気にも恵まれ、絶好の寺参り日和となる。

最初に向ったお寺は、11月21日に訪れた浄心寺。
(この時の内容は、11月24日 ブログにアップ)

銀杏並木を眺めながら大人数が本郷通りを歩いた(①)。
暫く歩くと、目印の大きな布袋尊像(②)が見える。
①銀杏並木の本郷通りを歩く  ②門前に立つ布袋尊

1.浄心寺(じょうしんじ)
  来訪をお伝えすると、直ぐに室内に通された。前回、
  お会いした執事の鍵和田さんは外出中であり、今回
  は職員の安野さんにご対応頂いた。

  室内から2階の本堂へ案内され、ご本尊を始めとする
  仏像や堂内に安置された仏具などを拝観させて頂いた。
  皆さん、間近で食い入るように観ていた(④⑤)。

  阿弥陀三尊像始め須弥壇の仏像は皆、金色や鮮やかな
  彩色が施されている。普通なら派手で、けばけばしく
  なってしまう。浄心寺像はそのような印象は受けない。

  神々しい感じはするも、決して華美になってはいない。
  恐らく、仏師の技量の高さによるものではないかと、
  想像を巡らした。

  浄心寺には、大きいものが沢山ある。門前の布袋尊、
  木魚(⑤)、香炉、硯、虎、等々。一般的に、大きい
  ものに対し、畏敬の念を持ったり、パワーを感じたり
  することがある。それは、信仰心に通じるものがあり、
  宗教的空間を作り出しているのかもしれない。

  拝観後、本堂前で記念撮影(⑥)。職員の安野さんに、
  シャッターを押して頂いた。安野さんから「楽しそう
  なグループで、羨ましいです」とのお言葉を頂いた。

  次の参詣寺院、駒込大観音 光源寺へ向かった。
③浄心寺参道と本堂    ④阿弥陀三尊像を拝観

⑤巨大な木魚       ⑥本堂前で記念撮影


2.光源寺 駒込大観音(こうげんじ こまごめおおがんのん)
  光源寺は、浄心寺と同じ浄土宗の寺院。浄心寺創建より
  二十数年前の天正17年(1589)、神田四軒町に創建
  された。創建から六十年ほど経った、慶安元年(1648)
  現在の地に移転したと言う。

  更に、移転後五十年ほど過ぎた元禄十年(1697)、境内
  に大きな観音様を建立、駒込大観音(こまごめおおかんのん)
  として知られるようになった(⑦)。

  観音堂(⑧)の外から拝観した後、寺務所へ来訪をお伝え
  すると、快くお堂の中へ通して頂いた。(1週間ほど前に
  予めお願いをしておいた。)間近で拝観できる機会を頂き、
  大変有難い。
⑦光源寺の沿革       ⑧現在の観音堂
      (案内チラシから抜粋)

  黄金色に輝く十一面観音像を四方八方から拝観させて頂いた。
  見事な造形美に見とれる(⑨⑩⑪)。この観音像は平成五年
  に再建された2代目像。

  像高が6メートル余と大変大きい。初代の像は8メートルと
  更に大きかったようだ。長谷寺式十一面観音と言い、錫杖
  持ち、岩座に立つ。観音様、お地蔵さんの慈悲を合わせ持つ
  有難い仏様と言える。

  頭上には表情の異なる頭上面が並ぶ(⑫)。特に真後ろには
  人間の愚かさを嘲り笑う「暴悪大笑面」が見える。  
⑨大観音左斜めから  ➉大観音右斜めから

⑪左背面から      ⑫表情豊かな頭上面

  長谷寺式十一面観音
  長谷寺式と言う通り、モデルになるのは奈良・長谷寺の十一面観音。
  参拝したことある長谷寺式は下に掲載の通り。港区にある曹洞宗の
  寺院、長谷寺(ちょうこくじ)の麻布大観音(⑬右)も見事。

  本家本元の奈良・長谷寺像や鎌倉・長谷寺像も掲載した(⑭)。
⑬駒込大観音、麻布大観音  ⑭奈良-長谷寺、鎌倉-長谷寺

  拝観を終え、昼食のお店を探し始めたところ、運よく
  20名が一度に入れる店が見つかった(⑮)。3テーブル
  に分かれ、ワイワイガヤガヤ、舌鼓を打った。

  海鮮焼きそば(⑯)が大変美味しかった。ご参加の皆さんと
  楽しいひと時を過ごした。昼食後、解散。
⑮昼食の店 「福招門」    ⑯注文した海鮮焼きそば



2019年12月17日火曜日

「空海研究会」探訪❺(湖東三山)西明寺

<前号(4.明通寺)から続く>

【9日(日)】
小浜から長浜に戻り、昼食を取る。帰りの新幹線時間を
考えると、午後からは湖東三山のうち一つだけしか参詣
できない。

5.西明寺(さいみょうじ)
  湖東三山とは、滋賀県湖東地方にある三つの天台宗寺院
  の総称。北から西明寺、金剛輪寺、百済寺(ひゃくさいじ)
  が該当する。米原に一番近い、西明寺へ向かう。

  小型バスなら、本堂まで80mのところまで行ける。
  今回は中型バスのため、進めず、下の駐車場に留め、
  約400mの階段を登ることとなった(①)。

  40分程の時間で往復しなくてはならない。急いで
  階段を登り始めた。参道の紅葉を愛でることで心が
  洗われる(②③④)。
①境内図       ➁西明寺の石柱

③山門         ④参道の階段

  途中、「不断桜」を見ることができた(⑤)。これは
  滋賀県の天然記念物で、例年9月に咲き始め、11月
  が満開とのこと。紅葉とのコントラストが美しい。

  西明寺の庭園「蓬来庭」は色んな表情を持っており、
  充分に楽しめた。国指定文化財になっている(⑥⑦
  ⑧⑨)。
⑤不断桜      ⑥蓬来庭の解説板

⑦庭園の石組        ⑧庭園の池

⑨庭園の苔

  本堂に辿り着く。本堂は鎌倉時代初期建立の国宝建造物。
  釘を一本も使用しないで建てたもの。絵葉書の写真解説
  には、国宝第一号指定とある(➉)。

  本堂の内陣に入り、お参りする。ご本尊の薬師如来像は
  秘仏のため、拝観できない。脇侍の日光・月光菩薩像、
  眷属の十二神将像、そして四天王像が須弥壇に立つ(⑪)。

  日光菩薩・月光菩薩は、東京国立博物館で開催された
  「文化財よ、永遠に」展に出展されていた。

  三重塔(⑫)も、本堂と同様に国宝に指定されている。
  建立は鎌倉時代後期とのこと。本堂、三重塔ともに、
  織田信長の兵火を免れ、残っていること自体、奇跡的
  に思える。

➉国宝・本堂        ⑪本堂内陣(絵葉書)


⑫国宝・三重塔

  急いで、参拝を済ませ、バスに戻った。すべての探訪も
  終わり、新幹線で帰るだけとなった。

         ーーー<お礼・まとめ>ーーー
  今回は、いつも空海研究会旅行の幹事を務められていた
  菊地さんがご逝去され、急遽、市川さん、酒井さんと
  3人でピンチヒッター役を務めさせて頂きました。

  優しく、見守って頂いた福田先生、ご協力を頂いた
  ご参加の皆さんにお礼申し上げます。
  また、急な計画であったため、ご都合がつかずに、
  ご参加できなかった方へはお詫びいたします。

  明通寺の本堂には次の言葉が掲げられていました。
  「自利利他円満」「少欲知足
  ぜひとも、心掛けたく思います。

  菊地さんのご冥福を祈りながら、今回の探訪記を
  終了します。(合掌)
            <完結>



2019年12月16日月曜日

「空海研究会」探訪❹ 小浜市・明通寺

<前号(3.羽賀寺)から続く>
【12月9日(月)】

今回の探訪で個人的に一番楽しみにしていたのが、明通寺の参詣。
国宝の堂塔や重文の仏像が拝観できる。それ以上に、ご住職の
中嶌哲演(なかじまてつえん)師にお会いできることが何よりの
楽しみだ。

中嶌師については、空海研究会に参加させて頂いた直後、2013年
6月の講義で福田先生がお話しされた。その時に初めて知った。
仏教者が原発反対の社会活動をされる姿に強く感銘を受けた。

昨年3月、NHKEテレ『こころの時代』「隠れ病む人々と歩む」
と言うタイトルで中嶌哲演師の活動が放映され、ますます関心を
寄せることとなった。2018年4月8日の本ブログで番組視聴の感想
をアップした。

朝9時に明通寺到着となるよう、8時半過ぎ、宿を後にした。

4.明通寺(みょうつうじ)
  駐車場にバスを留め、坂道を歩く。「棡橋」と書かれた、朱色
  の橋が架かる(①)。「ゆずりばし」と読む。明通寺の山号も
  「棡山(ゆずりざん)」。棡橋を渡ると階段が見え、その上に
  山門がある(②)。(「棡山」命名の理由は④)

  山門を抜け、更に坂道を登る(③)。参道には明通寺の縁起や
  文化財が書かれた案内板(④)が立つ。
①棡橋(ゆずりばし)     ②山門(仁王門)

③参道の坂道      ④明通寺の縁起

  拝観受付に行くと、ご住職が待機されていたように、出て
  来られた。受付を済ませ、直ぐに本堂(⑤)へ案内された。
  本堂は、鎌倉時代中期に再建され、昭和28年、新国宝
  指定されている。

  本堂は単層入母屋造りの檜皮葺。大陸様式を摂取しながら
  和様美を具えた優秀な密教建築と言われる(⑥)。
⑤国宝・明通寺本堂     ⑥本堂の解説板

  本堂内陣(⑦)に入る。福田先生がご挨拶と中嶌ご住職の
  ご紹介をされた。「尊敬する生き仏のような方です。」

  続いて、ご住職から明通寺のご説明があった。創建は真言宗
  の開宗より古い。806年、坂上田村麻呂公が蝦夷の人達の
  冥福を祈り、すべての人々の安穏と幸福を願い建立した(④)。

  明通寺縁起では「孤魂窮鬼(ここんきゅうき)」「孤独の
  魂、窮地に陥れられた鬼」と言う四字熟語が書かれている。
  その「孤魂窮鬼」の鎮魂、冥福を願ってという文言が出て
  くるそうだ。

  次に、仏像について解説された(⑧⑨)。国指定の文化財
  になっている仏像は、正面の3体(⑨)と下のお堂にある
  不動明王(⑭)の合計4体

  中尊の薬師如来は33年に1度ご開帳の秘仏を、先代の
  ご住職がいつでも拝観できるように改めたとのこと。
  お蔭で、お目にかかることができた。有難い。

  脇仏の降三世明王(ごうざんぜみょうおう)と深沙大将
  (じんじゃだいしょう)は、昨年、東京国立博物館開催の
  「仁和寺と御室派のみほとけ」特別展で拝観した。

  この三尊形式は、極めて珍しく、今まで拝見したことが
  ない。いずれも、藤原末期の像であり、ヒノキの一木造り
  であること、脇仏が阿吽の口をしていることから当初から
  の三尊像であることは間違いないようだ。
⑦本堂内陣        ⑧本堂須弥壇
             (ネットから)

⑨本尊・薬師如来像と脇侍像
(展覧会図録写真から)

  本堂でのご説明を拝聴した後は、国宝の三重塔をバックに
  記念撮影となった。
➉記念撮影写真

  記念撮影後は、国宝建造物の本堂や三重塔の秀麗な造形美
  を鑑賞しながら、皆さんシャッターを押した(⑪⑫)。
  本堂前の池には色鮮やかな錦鯉が優雅に泳いでいた(⑬)。

  暫し楽しんだ後、下にある客殿で歓談しましょうとご案内
  された(⑭)。
⑪国宝・三重塔    ⑫本堂を眺める皆さん

本堂前の池の鯉      ⑭本堂から客殿へ向う

  客殿の仏間には、あと一つの重要文化財、不動明王像
  祀られている(⑮)。この不動明王像は羽賀寺所蔵の
  千手観音像、毘沙門天像と共に、別のお寺、松林寺(廃寺)
  に三尊像として祀られていたようだ。(イメージ⑯)
⑮客殿仏間の不動明王立像 ⑯かつて三尊像形式で祀られる


〇明通寺ご住職・中嶌哲演師との交流、意見交換
 座卓の周りに座った。最初に、中嶌師から活動の状況と
 何が問題かについてご説明があった。資料も沢山ご準備
 され、熱いお気持ちが伝わってくる。
⑰意見交換会の様子
 ガリ版刷りの「鈴声」第一号は中嶌師の活動原点であり、
 一番注目した。1968年7月9日から今日まで、実に
 51年間も原発と向き合って来られた姿勢に頭が下がる。

 福島での原発事故以後、ドイツでは「脱原発倫理委員会」
 が設置されたと言う。日本では「倫理」の発想が全くない。

 火力発電所と原子力発電所の設置場所の違いや、電力の
 受給関係など、何が問題かを浮き彫りにして頂いた。

 自分に何ができるだろうかと自問自答しながら、拝聴した。
 参加者の皆さんから、意見、感想などの発言が多くあり、
 充実した交流がなされたように感じた。

 福田先生が言われた。「お寺は、建物や、仏像でなく、
 住職で決まる。」中嶌師にお会いし、改めて、強く感じた。
 

●妙楽寺(みょうらくじ)
 残念ながら、お寺の手違いで拝観できなかった。
 (後程、携帯にお詫びの電話があった)
 境内だけ歩いた。二十四面千手観音菩薩像には
 お目にかかりたかった。
妙楽寺の山門        妙楽寺の縁起

<続く>



2019年12月14日土曜日

「空海研究会」探訪❸ 福井県小浜市・羽賀寺

<前号(長浜市・石道寺)から続く>

長浜から敦賀へ、そして小浜に到着したのは3時半頃。
8日(日)最後の参詣寺院は羽賀寺。

3.羽賀寺(はがじ)
  バスを降りて、坂道を登ると石柱が立つのが見える(①)。
  柱には「元正天皇・村上天皇勅願 羽賀寺」と刻まれる。
  境内の案内図(③)で確認しながら、進む。高い木々に
  囲まれた階段の先に本堂が見える(④)。
①「羽賀寺」と刻した石柱  ➁参道脇に立つ鮮やかな紅葉

③羽賀寺境内案内図     ④本堂へ続く参道の階段

  羽賀寺には、国指定の重要文化財が5つある。その中の
  一つに羽賀寺本堂がある(⑤⑥)。檜皮葺の入母屋造り
  で、軒が反っている(⑥)。室町中期の建立とのことだ。

  高台にありながら、周りを山に囲まれ、盆地のようにも
  なっている。前庭の広さと言い、静寂な空間を形作って
  いる。
⑤本堂と紅葉する木々   ⑥右手から眺望する本堂

  羽賀寺は、真言宗高野山派の寺院。716年、女帝・
  元正天皇(げんしょうてんのう)が行基に命じて創建
  したとある(⑦)。
  
  第44代の元正天皇は、文武天皇(42代)の姉であり、
  元明天皇(43代)は母、持統天皇(41代)は、祖母と
  なる(⑧)。女性天皇が続いた時代である。
  (横書きの赤い字が女性天皇)
⑦羽賀寺創建の看板    ⑧奈良時代の天皇系譜

  ご本尊の十一面観音菩薩像を間近で拝観した(⑨)。  
  このご本尊は元正天皇のお姿とされている(⑦)。

  お顔立ちは知性的で気品があり、いかにも高貴な女性と
  言う印象を受ける(➉)。向源寺像、石道寺像と比較
  すると、三者三様の魅力がある。
   ●向源寺像…異国風(ガンダーラ的)で妖艶
   ●石道寺像…村娘のような純朴
   ●羽賀寺像…気品があり知性的
⑨解説を聴き、ご本尊を拝観 ➉ご本尊の十一面観音菩薩立像

  厨子に入ったご本尊を挟むように、両脇に千手観音菩薩像
  (向かって左)と毘沙門天像(むかって右)が立つ。
  いずれも、重文指定を受けている(⑪)。

  このような配置はなぜだろうか? 調べて行くと、この二体
  は当初、松林寺と言うお寺にあり、後に、羽賀寺に移って来た
  ことが分かった。客仏であり、配置に意味はないと思われる。
⑪ご本尊の脇仏

  本堂の裏側にも回って拝観できた。ご本尊の真後ろには
  薬師如来坐像(⑫)が鎮座し、天井近くの棚には観音の
  変化身、三十三応現神(⑬)が並んでいた。
⑫薬師如来坐像      ⑬三十三応現神像(一部)

  なお、重要文化財5件のうち、残る1件は、「紙本墨書羽賀寺
  縁起」がある。これは、拝観できていない。
  羽賀寺での拝観を終え、今晩の宿へと向かった。

  
  〇若狭・小浜の宿「花椿」で宿泊
  昼食がボリュームのある食事となったため、夕食はちょっと
  遅めの7時とした。

  夕食も、次から次へと蟹料理が出された。正に蟹三昧の夕食
  となった(⑭⑮)。福井県は量が半端ではない。楽しく歓談
  しながら、懇親も深まった。
⑭蟹づくしの夕食       ⑮献立メニュー

<続く>