仏像の観方・楽しみ方の一つに、中尊を中心に脇侍・眷属を
含めたグループ全体の構成を知った上で、観覧することだと
感じている。
中尊に従う脇侍・眷属の顔ぶれを整理することで、仏の世界
を多面的に眺めることができる。合わせてそれぞれの尊像が
持つ意味を探ることで興味が更に広がる。最初に、仏教開祖
の釈迦如来を取り上げてみたい。
★釈迦如来の脇侍 文殊菩薩・普賢菩薩
三尊像となる場合、両脇侍は、一方が「智慧」を、他方が
「慈悲」を象徴すると、高僧からご教示頂いた。釈迦如来が
中尊の場合、文殊菩薩が「智慧」を、普賢菩薩が「慈悲」の
象徴となる。
「智慧」とは、「仏の智慧」、「悟りへの智慧」であり、
我々が日常使用する「知恵」とは違う。「貪(とん)」
「瞋(じん)」「痴(ち)」の煩悩(三毒)を断ち切り、
真理に目覚めることへ導く力(パワー)と理解している。
そして、その力は他人に対してではなく自分自身に向け
られるものと思う。
「慈悲」とは人々の「幸せが続くことを願う(慈)」、
「苦しみから抜け出せるように寄り添う(悲)」という
心(ハート)と認識している。その心は相手に対して
向けられるものだ。
1.奈良・法隆寺上御堂 釈迦三尊像(❶)
法隆寺上御堂の釈迦三尊像では、左脇侍(ひだりわきじ)、
即ち、中尊から見て左側の像が文殊菩薩であり、右脇侍が
普賢菩薩となっている。左の方が上位者と言われている。
釈迦如来は「施無畏印」(恐れなくて良い、心配しなくて
良い)と「与願印」(望みを叶えましょう)の印相をして
いる。
文殊菩薩は、煩悩を断ち切る「宝剣」と仏法の「経典」を
手に持ち、「智慧」を象徴している。普賢菩薩は清浄な心・
悟りの象徴である「蓮華」の花を持って、「慈悲」を象徴
している。この法隆寺上御堂の三尊像については5月10日
の投稿で解説しており、ご参照ください。
❶法隆寺上御堂 釈迦三尊像
2.岐阜・願興寺 釈迦三尊像(❷、❸)
岐阜県可児郡御嵩町にある願興寺(がんこうじ)は天台宗の
寺院。ご本尊の釈迦三尊像は、左脇侍が普賢菩薩、右脇侍が
文殊菩薩となっている。法隆寺像(❶)とは反対の配置。
普賢菩薩は、象に載せた蓮華座に坐し、文殊菩薩は、獅子に
載せた蓮華座に坐す。象はいかなる障害も乗り越え前に進む
行(ぎょう=慈悲の行動)の象徴であり、獅子は、あらゆる
敵に打ちかつ最強の力を象徴する。
仏教では、白い象は神聖な動物であり、釈迦の教えを広める
とされる。獅子の遠吠え[獅子吼(ししく)]は釈迦の教え
とされる。
釈迦如来の印相は説法印となっている。転法輪印とも言い、
釈迦が悟りを開いて、最初に説法を行った時の姿とされる。
釈迦の五印と言われる印相の一つである。
釈迦の五印とは「施無畏印」「与願印」「説法印」のほかに、
瞑想している時の姿を表す「禅定印」、釈迦が悟りを開いた
時に、邪魔しに来た悪魔を、指を大地に触れて退散させた姿
を表した「降魔印(ごうまいん)」のことを言う。
❷願興寺 釈迦三尊像 ❸同左 解説図
★釈迦如来の脇侍 薬王菩薩と薬上菩薩
3.法隆寺金堂 釈迦三尊像(❹)
法隆寺金堂の釈迦三尊像は脇侍が「薬王菩薩」「薬上菩薩」
となっている。文殊・普賢に比べあまり馴染みがない。兄弟
の菩薩であり、尊名からして薬に関係した菩薩であることは
想像できる。
「三十日秘仏(さんじゅうにちひぶつ)」と言って、三十日
を周期として、特別な日(縁日)だけ御開帳が許される秘仏
がある。薬王菩薩が29日、薬上菩薩が26日となっている。
庶民信仰では知られた仏様かもしれない。
法隆寺金堂の釈迦三尊像は日本最古の三尊像であり、極めて
重要な脇侍像であることは確かだ。
❹法隆寺金堂 釈迦三尊像
4.奈良・興福寺中金堂 釈迦如来像と脇侍像(❺)
2018年に301年ぶりに再建された興福寺の中金堂の
ご本尊と脇侍を興味深く眺めた。中尊・釈迦如来坐像の
脇侍に薬王・薬上菩薩が立つ。
この薬王・薬上菩薩は鎌倉時代(1202年)制作で、国の
重文指定を受けている。かつで、西円堂(焼失して今はない)
に祀られていたそうだ。。
❺興福寺中金堂 釈迦三尊像
★禅宗寺院 釈迦如来の脇侍 迦葉尊者と阿難尊者
禅宗寺院では、釈迦如来の脇侍に、十大弟子の迦葉と阿難が安置
される。迦葉は「拈華微笑(ねんげみしょう)」の伝説が示す
通り、釈迦から正法を授かった人物。
釈迦の死後、経典編集事業(第1結集)の座長を務めた。頭陀第一
(ずだだいいち)と言われ、衣食住にとらわれず、清貧の修行を
行った。
阿難は釈迦の侍者として、常に説法を聴いていたことから多聞第一
(たもんだいいち)と言われ、迦葉の跡を継ぐ人物。老成の迦葉
と若々しい阿難の対比が面白い。
5.神奈川 小田原市・玉宝寺 釈迦牟尼仏と脇侍像(❻)
玉宝寺(ぎょくほうじ)は曹洞宗の寺院。最寄り駅の駅名が
五百羅漢駅。伊豆箱根鉄道大雄山線の駅で、命名の由来は、
玉宝寺に祀られている五百羅漢像によるそうだ。
ご本尊の釈迦牟尼仏の前、左右に高僧の像が安置されている。
向かって右が迦葉尊者、左が阿難尊者。ご本尊の両脇に見える
菩薩像は、文殊・普賢か。
玉宝寺の本堂には五百羅漢像や十六羅漢像が、所狭しと並んで
いる。その数526体とのこと。正に圧巻の光景だ。
❻神奈川 小田原市・玉宝寺
6.東京 目黒区・五百羅漢寺 釈迦如来と脇侍像(❼)
禅宗の黄檗宗から独立し、単立寺院となっている東京目黒区の
五百羅漢寺にも、本尊の釈迦如来を中心に多くの羅漢像が祀ら
れている。
東京都指定有形文化財に指定の像が305躯ある。内訳を見る
と、次のようになっている。
●釈迦如来及両脇侍像 3躯
●大迦葉阿難陀両尊者像2躯
●十六羅漢立像 5躯
●五百羅漢坐像 287躯 など。
僧形の迦葉・阿難と菩薩形の文殊・普賢の配置が、玉宝寺と逆に
なっている。いずれにしても、禅宗寺院では迦葉と阿難を本尊の
そばに祀っている。
❼東京 目黒区・五百羅漢寺
7.京都 東福寺三門楼上須弥壇 宝冠釈迦如来と脇侍像
~月蓋長者と善財童子~
京都 東福寺三門楼上須弥壇には宝冠釈迦如来の脇侍に、月蓋長者
(がっかいちょうじゃ)と善財童子(ぜんざいどうじ)が安置され、
十六羅漢像も並ぶ。
月蓋長者は古代インドの富豪で、悪疫が流行した際、弥陀三尊を祀り
悪疫を除いたという。善光寺縁起で一光三尊仏が誕生する説話に登場
してくる。
善財童子は、華厳経入法界品に登場する若者で53人の善智識を訪ね、
修行を続ける。最後の普賢菩薩に会って、浄土往生を願ったという。
なぜ、この二人が脇侍に選ばれたのだろうか。
❽京都 東福寺三門須弥壇 ❾同左 釈迦三尊像と羅漢像
★興福寺西円堂の本尊と脇侍・眷属を再現すると…(❿)
興福寺西円堂(さいえんどう)は奈良時代、光明皇后が母・橘美千代
の一周忌に際し建立したお堂。度重なる焼失で、鎌倉時代の再建には
運慶にによって本尊の丈六釈迦如来像が制作されたと伝わる。また、
江戸時代に焼失後は再建されないで、今日に至っている。
鎌倉時代の西金堂内陣を現存する仏像で再現するとすると、次のよう
になる。運慶作・釈迦如来(木造仏頭)を中尊に脇侍に薬王菩薩・
薬上菩薩、眷属に八部衆、十大弟子、金剛力士(阿形・吽形)、
天燈鬼・竜燈鬼が配置されている。
脇侍像の薬王・薬上菩薩は、2018年再建の中金堂に安置され(❺)
その他の諸尊像は、国宝館所在となっている。
❿興福寺・旧西円堂所在の諸尊像
薬王菩薩と薬上菩薩、迦葉と阿難、月蓋長者と善財童子はどちらが
智慧、どちらが慈悲の象徴か、どうぞ、ご自身でお考えください。
【中尊・脇侍・眷属シリーズ】 続く
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