2015年3月26日木曜日

大本山 川崎大師 平間寺を参拝!


好天に恵まれ、17名が川崎大師を参拝する。お寺に到着すると、
お坊さんのお迎えを受けた。お坊さんのお名前は小山夏津成様。
早速、参拝の仕方についてご説明を受け、手水舎で手と口をと清めた。
 
身を清めた後に、本堂に案内される。ご本尊厄除弘法大師を
お参りしてから護摩壇の真横に着席する。お坊さんの説法に
耳を傾けながら、護摩供養が始まるのを待つ。
 
大勢のお坊さんが護摩壇の前に正座する。読経や太鼓の音
と共に火が焚かれて、護摩木が燃え盛る。
なかなかの迫力に圧倒される。合掌して「南無大師遍昭金剛」
の名号を唱えた。
 
護摩供養を「お護摩」と呼んでいる。護摩は梵語でホーマといい、
「焚く(たく)」、「焼く」などの意味をもつ音写文字。
仏の智慧の火で煩悩を焼きつくすことを表わしている。
 
護摩木を焚いて、ご本尊・厄除弘法大師を供養し、その功徳に
浴することになる。
ご本尊は弘法大師、左脇壇に不動明王、右脇壇に愛染明王が
安置されていた。
(お護摩の写真は撮影できないため、掲載は無い)
 
お護摩終了後、広い部屋に案内され、お坊さんのご挨拶や
川崎大師の縁起などについてご説明がなされた。
寺号は…
「金剛山金乗院平間寺(こんごうさんきんじょういんへいけんじ)」。
やはり川崎大師の方が、馴染みがあり、親しみが持てる。
 
真言宗智山派大本山、宗祖は弘法大師空海、
中興の祖は興教大師覚鑁(かくばん)。
関東の智山派三大本山は他に成田山新勝寺と高尾山薬王院。
川崎大師の縁起を話されるお坊さん
 
引き続いて、境内のご案内をして頂いた。
境内図とお寺の縁起は次の通り。
 
厄除弘法大師略縁起         境内案内図
 
最初に、ご案内された堂宇は経蔵。
真正面に金色の釈迦如来坐像が鎮座し、像前に
大きな五鈷杵が置かれていた。
 
経蔵には中国最後の木版大蔵経と言われる「乾隆版大蔵経」
が収蔵されている。
堂内ぐるりと壁一面に経典が積み上げられている。
天井の飛天や龍の図が色鮮やかに描かれている。
ふくよかな飛天はちょっと悩ましい。
 
経蔵の中を見学する皆さん


次は、人気スポット「遍路大師尊像」。
弘法大師像の前に並べられた草履に水をかけ、
四国八十八カ所霊場のお砂踏み参拝をする。

数年後には百観音霊場も創設されるとのこと。
西国三十三、東国三十三、秩父三十四の観音様で百観音。
百観音霊場巡りが一度にできるとは、有難いようでもあり、
ちょっと要領が良すぎるようでもある。
草履に献水
 
続いては、「やすらぎ橋」を渡り、薬師殿へ向かう。
太鼓橋を渡ったところには、またもや金ぴかの釈迦如来坐像が鎮座。
経蔵の釈迦が説法印であったのに対し、こちらの像は降魔印
(ごうまいん)といい、魔物を打ち倒す印。

その後悟りを得る、成道(じょうどう)となり、合わせて
「降魔成道釈迦如来像」となる。
やすらぎ橋の向こう側にはインド風の白い建物、薬師殿が見える。
やすらぎ橋        降魔成道釈迦如来坐像 

薬師殿の薬師如来と十二神将
 
薬師殿で暫く歓談した。撫で薬師像も安置され、
皆さんあちらこちらと撫でまわしていた。
そんなに撫でたら、お薬師さんも困ってしまうのでは?
 
最後に、唯一戦災を免れ、焼け残った稲荷堂を参拝。
すべてが焼ける中、残るとは何か強いパワーを感じる。
ご利益にあやかりたい。
稲荷堂             大本堂を背に記念撮影
 
(アップの写真)
 
大本堂 を背にして、記念撮影。
シャッターは経蔵受付のお坊さんにお願いする。
ご案内頂いた小山様にお礼を言い、川崎大師を後にした。
門前にあるお蕎麦屋さんで皆舌鼓を打った。
大変楽しい一日となりました。南無大師遍昭金剛 合掌!
 
なお、頂いた資料の中に、
平成27年度川崎大師仏教文化講座のご案内があった。
「空海の諸思想」全7回の講演会(1講座1000円)。
毎回日曜日2時~3時30分。
空海にご興味のある方にはお勧めです。
 
初回は5月3日(日)福田亮成 川崎大師教学研究所長です。
福田所長は空海研究会の第一人者、
私の所属する「空海研究会」の主宰者、
以前、BACでもご講演頂いた先生です。
 
 
 

2015年3月20日金曜日

山森さん 第二弾「いにしえの色彩[青]を求めてNo.2」

3月の定例会は山森平世さんの第二弾
「いにしえの色彩[青]を求めてNo.2」のご発表。
参加者21名は、ロノ字配席に適正人数となり、
お互いの顔を見ながら、質疑応答もできる。

今回は、「色彩の変遷」「いにしえの仏像・絵画の色彩」
「色彩豊かな仏像等のCG復元やお堂の復元」をテーマにお話頂いた。

古代エジプトで色彩文化が花開いた話に始まり、ツタンカーメンの色、
中国の陰陽五行説での五色の話、日本では邪馬台国・卑弥呼時代の色
について時代を追って解説された。

 
特に、興味を引いたのが、聖徳太子「冠位十二階」
での色を指定したことだ。
 
紫は今日においても、高貴な色との認識がある。この時代から、
最高位の色とされていたことを改めて、再確認できた。
色の分類もランクも時代と共に変化している。
色名の充実が図られたのは主に、奈良・平安時代になって
からとのこと。
 
色の変遷は967年(平安中期)から1704年、ドイツ・ベルリンでの
「プルシアン・ブルー」の発見まで飛ぶ。
葛飾北斎もこの「プルシアン・ブルー」を用いて、描いたと聞いている。
 
この青が無かったら、北斎の名が世に知られることも
無かったかもしれない。
そう考えると色の及ぼす影響は極めて大きい。

仏像の髪色については「奈良博・薬師如来坐像」や
「弥勒寺・弥勒仏坐像」などの事例で解説された。
顔料は群青が使われたようだ。


復元されたものとして、三千院の舟底天井の色彩が鮮やかだ。
極楽浄土をイメージさせる。
画像を駆使しての解説、大変分かりやすく、皆さん満足されたこと思う。
「青」をこれほど熱心に研究される山森さんの情熱に頭が下がる。
 
青以外の色は、色んな物質から採取可能であるが、
青は極めて難しいようだ。
これを機会に今一度「青」について、考えてみたい。
そう言えば、LEDも青が最後となった。やっぱり「青」は神秘的な色だ。
 


2015年3月14日土曜日

根津美術館「救いとやすらぎのほとけ 菩薩」を観覧


荻窪東館の講座にご参加の皆さんと根津美術館を訪れた。
今回、根津美術館所蔵のコレクションの中から菩薩を表した作品、
約40件が展示される。菩薩に限定した展覧会というのも面白き企画だ。

展覧会チラシ
 
菩薩で一番ポピュラーなのは「観音」と「地蔵」。「文殊」や「普賢」が
次に続くように思える。
観音信仰は古く、飛鳥時代からあったとのこと。
したがって、観音菩薩像は飛鳥時代銅造、木造共に展示されていた。
木造・漆箔の観音菩薩像が印象に残る。
お顔立ちは飛鳥と言うより白鳳期の童子形に思われた。
 
一方、地蔵信仰は平安末期から鎌倉にかけて始まったようだ。
当然のことながら、作品もすべて、鎌倉時代以後のもの。
末法思想で一気に広がったことだろう。
 
観音、地蔵は六観音、六地蔵でも造像される。
六道世界の救済者として、その役割を担っている。
極めて慈悲深い仏さま。人気の最大要因と思える。
 
密教での普賢菩薩は普賢延命菩薩と呼ぶとの解説があった。
天台系は二臂、真言系が二十臂で造像されるようだ。
基となる経典によって、呼び名が違ったり、宗派によって
造像面で違いが出てくるとは少し厄介だ。
 
「普賢菩薩十羅刹女像」仏画は普賢菩薩が女性からの信仰が
いかに厚かったかを物語る。
女性は救われないという不合理がまかり通る時代に、女性にとって
有難いほとけであったに違いない。
他の仏画では稚児文殊像は可愛らしく、図像も鮮明で、印象に残る。
 
更に注目したのは「虚空蔵菩薩像・如意輪観音像(華鬘)」。
この組み合わせは、何に基づいているのだろうか。
奈良・東大寺大仏の脇侍と同じ組み合わせだ。
密教の儀軌に何かあるのだろうか。
 
別の展示室に「北野天神縁起絵巻(根津本)」が
巻一から巻三まで展示されている。
百年に一度の天才と言われる学問の神様、
菅原道真の生涯は興味が尽きない。
 
仏教美術史上において、遣唐使廃止は時代を
区分する大きな出来事。
その決定を進言したのが道真。
仏像好きの我々にとって、何がしかの繋がりを感じる。
 
観覧後は、庭園を散策した。
メンバーのお一人がお仕事で海外へ赴任される。
別れを惜しんで、記念撮影となった。
(3名は先にお帰りになっため写らず。)
 
根津美術館の庭園での記念撮影
 
根津美術館まで来られたら、ぜひ参拝をお勧めするお寺がある。
永平寺別院・長谷寺。「長谷寺」と書いて、「ちょうこくじ」と読む。
麻布大観音の名がつく十一面観音菩薩立像。
像高約10mもある樟の一木造り。
お顔立ちは正にビーナス。
頭上の化仏は三段になっている。
暫く、椅子に腰かけて、眺めていた。
 
麻布大観音と解説文
 
天気にも恵まれ、菩薩のような皆さんと菩薩を観覧し、
幸せな気分となりました。(合掌)