2015年10月23日金曜日

伊勢原市 日向薬師、大山寺を参詣する!

 
昨日は神奈川県伊勢原市の日向薬師宝城坊と雨降山大山寺
(あふりさんおおやまでら)を参詣した。お寺の縁起では、
関東屈指の古刹と言える。参加者は健脚の男女11名。
 
今年5月、金沢文庫で日向薬師 秘仏鉈彫本尊開帳の特別展を
観覧した。この時に、日向薬師の参拝を計画していた。
近辺の大山寺がご本尊のくろがね不動尊や秘仏の諸尊像を
ご開帳されるとの情報を得て、今月実現することとなった。
 
伊勢原駅からバスで終点「日向薬師」まで行く。
そこから徒歩で山道を上って行く。15分程歩くと、
山門の仁王像が眼前に現れる。
山門を抜け、更に鬱蒼とした林の中を進む。
バスの終点から坂道を登る       階段の先に山門

吽形              阿形

山門を過ぎて更に上る
 
本堂は改修中であり、シートで覆われおり、参拝できない。
向かった先は宝物館。ここに、重文クラスの仏像が数多く
安置されている。
日向薬師の縁起によると開基は行基となっている。
開基の行基にも、文化財の多さにも驚く。
  縁起と文化財一覧        宝物館仏像の安置図
 
宝物館には丈六の薬師如来像(三尊像)と阿弥陀如来像が
館内の東西にどっしりと鎮座している。いずれも鎌倉時代の作で重文。
慶派による造像の可能性が指摘されている見事な像だ。
恐らく、いずれかの堂塔に、ご本尊として祀られていた像と推察される。
この2体を拝観できただけでも満足する。
 
館内正面の厨子を囲むように四天王や十二神将が所狭しと
並んでいる。四天王は、奈良・興福寺南円堂四天王像に近い
雰囲気が見られる。
こちらも間違いなく、慶派仏師のなかでもかなり優秀な人の作
ではないかと言われている。
 
また、十二神将は大小二組の像が交互になって立っている。
小さい方の像は平安時代の作とのことであり、中にはVサイン(刀印)を
出しているような像もある。
また、今まで見たこともないポーズを取る千手観音は愛嬌がある。
 
薬師三尊像          阿弥陀如来坐像
(金沢文庫 特別展の図録から)

 厨子の周りの四天王像が見事  拝観を終え、宝物館を後にする
 
日向薬師での拝観を終え、元来た道を逆コースで戻った。
伊勢原駅前で昼食を済ませ、午後からは大山寺へ向かう。
午前中とは別ルートのバスに乗り、徒歩、ケーブルカー、
と乗り継ぎしながら大山寺に辿り着く。
午前中に比べ、少しハードな行程。
 
駅バス停から見える鳥居      バス停を降りケーブルカー目指して歩く

ケーブルカーで大山寺へ向かう

大山寺に到着して、早速、外陣から参拝する。
その後、拝観料を納め、内陣に入り、数々の
仏像を拝観して回った。
大山寺の開山は東大寺の初代別当良弁(ろうべん)
僧正とのことだ。

大山寺に到着          お寺の歴史
 
内陣左手には不動明王を中心にして周りを4明王が囲む
五大明王像が目に入って来た。造像もしっかりしている。
中央にはご本尊のお前立となる不動三尊像が並び
不動明王のお姿が見えないくらい大きな倶利伽羅龍が
刀に巻き付いていた。
 
更にこのお前立両脇には、向かって左右に分かれ
金剛界、胎蔵界の大日如来が鎮座している。
また開山良弁僧正と、弘法大師空海も両脇に祀られていた。
 
お前立の奥へ進むと、ガラス張りとなった中に、ご本尊の
くろがね不動明王三尊像が安置されていた。
鎌倉期、重文の見事な像だ。玉眼は後補か、異様に光っていた。
仏像と言えば、木造、銅造、乾漆造、塑造などが一般的だ。
鉄造の仏像はあまり、聞いたことがない。
          五大明王像     ご本尊 鉄造 不動明王三尊像
                       (ネットでの画像)
 
ご本尊の真ん前(お前立と背中合わせの場所)に、
秘仏三面大黒天が安置されている。
この作者が高村光雲とのこと。
高村光雲は今年ご開帳となった高野山金堂ご本尊の作者でもある。
中央が大黒天、左右に、毘沙門天、弁財天を配置したご利益の
多そうな像と言える。
三面大黒天は豊臣秀吉の念じ仏として有名。
秀吉はこの仏像を戦場にまで携行したようだ。
 
また、秘仏の愛染明王や如意輪観音も拝観できた。
これだけ沢山の仏像と一時に接し、大変得をしたように感じられた。
 
最後に、記念撮影をして、今回の見仏会を締めくくった。
本堂を背に記念撮影
 
日向薬師、大山寺の創建に関わる人物として、行基(668~749)、
良弁(689~774)、空海(774~835)が登場する。
日向薬師の宝物館にも、薬師三尊像の脇に行基(向かって右)と
空海(左)が祀られていた。
 
生存年を見ると行基、良弁は同時代を生きた人であり、
共に聖武天皇を支え、東大寺創建と大仏開眼に多大な
功績を残した。
良弁が亡くなった年に空海が生まれたことも不思議な縁を
感じる。
 
旧仏教である南都六宗に対して、新仏教として台頭したのが
最澄の天台宗と空海の真言宗。
日向薬師も大山寺も東大寺(華厳宗)と言う南都のお坊さんが
創建した寺院。
 
空海は旧仏教創建の寺院も引き継いでしまう融通無碍な、
懐の深いところがあるように思える。
空海は敵対しないで、すべて吸収してしまう。
この2寺院の創建縁起を見ても、感じた。
 
今回も、本当に楽しい、充実した一日となった。
ご参加の皆さん、共に過ごせた貴重なお時間
有難うございました。
  
 

2015年10月16日金曜日

朝比奈さん「阿弥陀聖衆来迎像の制作と背景」を解説!

 
10月定例会にはゲスト3名も加わり、総勢31名の参加と大変賑やか。
今月のメインは、朝比奈さん制作の仏像彫刻を拝見させて頂き、制作の
背景やプロセスについての話をお聴きすること。
定例会にご参加の皆さん      映像で解説される朝比奈さん

朝比奈さん制作の仏像彫刻展示(中央:阿弥陀如来、
向かって右:観音菩薩、左:陀羅尼菩薩)
 
仏像の制作だけで大変なところ、発表用のパワーポイントまで
きっちり準備され、本当に頭が下がる思いだ。
朝比奈さんの熱意は皆さんに充分伝わったことと思う。
 
阿弥陀聖衆来迎像制作のきっかけとなった出来事、参考にされた
仏像・仏画の紹介、具体的な制作プロセス、制作上苦心されたこと、
今後の予定と順序立ててお話しされた。
その中からポイントのみまとめて、ご報告させて頂く。
 
阿弥陀聖衆来迎像とは中尊の阿弥陀如来にお供する二十五菩薩の
ことであり、今回は観音菩薩と陀羅尼菩薩を制作された。
(阿弥陀如来像は以前に制作済み)
 
制作のきっかけになったことの一つに、BAC企画の
「關信子先生の講演会〝迎講″」があったと聞いて、
プランナーとして大変嬉しく思えた。
また、お身内のご不幸に、極楽往生を願い、
制作意欲を後押ししたことと推察する。
 
プレゼン内容の次第     制作のきっかけとなった出来事
 
朝比奈さんは、仏像制作前に、二十五菩薩で有名なお寺を
参拝し、制作のためのイメージづくりをされている。
奈良・當麻寺、京都・即成院、大阪・葛井寺などの国宝・重文クラスの
名作を制作者の眼で観察された。仏師・道雲の眼だ。

當麻曼荼羅           即成院、當麻寺の二十五菩薩など
 
九品往生でのお迎えの解説が面白い。
「上品上生」は阿弥陀聖衆来迎(阿弥陀と二十五菩薩)、
「中品中生」が阿弥陀三尊(阿弥陀と観音・勢至)、
下品下生は蓮台のみとされた。皆さん、大笑い。
(皆さん、ご自身はどれと思われたか?)

二十五菩薩のうち観音菩薩と陀羅尼菩薩が完成し、
次の制作は勢至菩薩とのこと。
勢至菩薩が完了すると阿弥陀三尊像が成立する。
制作にどのくらいの年数がかかるのだろうか。
それにしても、いろんな持物がある。
持物の意味も明確にしたいものだ。
 二十五菩薩の名前と持物
 
いよいよ、制作の手順について解説された。
朝比奈さん独自の工夫が興味深い。
粘土モデルの制作に着せ替え人形を
活用されているとのことだ。
首、腰や手足の関節を自由に動かすことができれば、
二十五菩薩の姿勢も造り易いと想像できる。
 
①粘土モデルの制         ②木取り

③粗彫り             ④小作り

⑤仕上げ             ⑥完成
 
それぞれの段階に独自の工夫やご苦労された点を
詳細に解説された。本体以外の台座や光背などの
制作も大変な神経を使われるようだ。
二十五菩薩制作は正に、ライフワークとなると思われる。
ご無理なさらずに、楽しみながら続けて頂きたいと
願ってやまない。

定例会終了後、朝比奈さんは展示の仏像を一体ずつ、
丁寧に梱包し、宅急便での返送準備をされた。
精魂込めて制作された作品であり、大切に扱う姿に、
再び感謝の気持ちが湧き上がった。

今回は時間的に質疑応答の時間を設けられなかった。
ぜひ、次回に時間を設けたい。


 

2015年10月10日土曜日

青梅市の古刹 天寧寺(てんねいじ)の伽藍に感嘆!

 
荻窪東メンバーで青梅市の天寧寺を参拝する。朝10時、
東青梅駅改札に集合。荻窪から約1時間かかる。
メンバーの友人(青梅在住)も加わり、総勢16名となる。
 
曹洞宗 高峯山(こうほうざん)天寧寺は禅宗の伽藍配置を
今に伝える寺として有名。東京都の指定史跡になっている。
 
平安時代に「高峯寺」の名で平将門が建立したと伝えられている。
一旦、廃寺となるも、青梅周辺の領主三田弾正忠政定
(みただんじょうのじょうまささだ)によって再興されたとのこと。
 
天寧寺を紹介するパンフレット
                 (表紙)           伽藍配置
 
東青梅駅南口を出て、線路沿いに歩き、右折して踏切を
横切ると成木街道となる。
成木街道を真っ直ぐ進むと道が二股に分かれる。
右側の通りが天寧寺坂通りとなり、やがて総門が見えてくる。
 
天寧寺近辺の地図      天寧寺の伽藍配置
 
天寧寺坂通りへ進む      総門前で歓談する皆さん

六地蔵             天寧寺の解説文
 
総門を抜け、長い参道を進む。このような木々に囲まれた
参道を都心で見ることはできない。寺域の広さを感じながら歩く。
左にカーブしながら更に進むと堂々とした山門が現れる。
総門を抜け進む          長い参道

扁額「高峯山」の掛かる山門
 
山門の建立は江戸時代(1760年)。向かって右手に増長天、
左手に多聞天が立つ。今回のお目当ての一つに楼閣となった
山門階上の諸尊像を拝観すること。
予め電話で拝観予約をお願いしたところ、
葬儀が無ければ可能ですとの回答を頂いた。
 
黒の礼服を着た人を数人見かけ、今日の拝観は
無理かもしれないと思われた。念のため、ご住職に面会し、
お尋ねたしたところ、快くご了承して頂いた。
お寺の方に案内され、山門の階段を上った。
これほど急な階段はあまり記憶にない。
 
階上には木造の釈迦如来像と十六羅漢像が
安置されている。薄暗いため、最初は良く見なかった。
徐々に目が慣れてきた。
釈迦如来像はもともと別のお寺のご本尊だったものが、
そのお寺の廃寺に伴い、天寧寺に移されたようだ。
 
皆さん、熱心に拝観しながら、記念の写真も撮っていた。
その間、お寺の方はずっと階上でお待ちになって頂いた。
大変お世話になり、有難い。
 
釈迦如来像と十六羅漢          拝観する皆さん
 
山門の諸尊像を拝観した後、境内の伽藍を見て回り、
最後に山門をバックに記念撮影をした。
 
僧堂
 
 法堂             参拝する皆さん

 記念撮影
 
参拝を終え、昼食は東青梅駅近くの蕎麦屋さんに入った。
貸し切り状態、4テーブルに分かれ、歓談しながら食事を取った。
朝食後、帰途につく人、更に塩船観音へ向かう人に分かれた。
今日も楽しい時間を共有できました。感謝!