2017年2月23日木曜日

今月2度目の参拝 登戸「稲荷山光明院」!


小雨混じりの中、西荻グループの15名が登戸の光明院を参拝した。
気温が高いためか小雨も心地よさを感じる程だった。つい最近歩いた
道だけに、スムーズな案内となる。
お寺の方へ来訪をお伝えし、本堂へ上がらさせて頂いた。
気持ち良いご対応に感謝!

到着後、境内を見渡す
 
1.本堂内の諸尊像
  ①五智如来(中央奥)、真言八祖像(両脇)、天燈鬼・龍燈鬼(一番手前)
     真言八祖像は左手前から後ろへ
     龍猛(りゅうみょう)、龍智(りゅうち)、金剛智(こんごうち)、
     善無畏(ぜんむい)。
     右手前から後ろへ
     不空(ふくう)、一行(いちぎょう)、恵果(けいか)、最後に
     空海となる。
 
     天燈鬼、龍燈鬼は興福寺像(運慶の三男康弁作)の模刻像と
     思われる。
 
  ②五大明王(本堂の左側奥)、不動明王と矜羯羅童子、制多迦童子
 
   ③興教大師 覚鑁(五智如来の後ろ、左手奥)、弘法大師 空海(右手奥)
 
  ④壁面の雲中供養菩薩と格天井
 
 
本堂への廊下に飾られた見事な胡蝶蘭
 
2.本堂正面上部の外壁には四天王像 
広目天と多聞天         持国天と増長天
 
3.仁王門の内側に祀られる像 
山号の稲荷山を象徴する荼枳尼天(だきにてん)が向かって右側に見えた。
左側は男性は、どなただろうか?

4.仁王門外側の扁額下には十六羅漢像
 
最後に本堂をバックに記念撮影。仁王門の外に出て、仁王像を再びじっくり
眺めながら、中嶋さんのご苦労を話題に、暫く歓談した。満足の見仏会と
なった。

(筆者 撮影)         市文化財不動明王・二童子像の
            解説板を読む
 
多摩区役所の11階食堂で、美味しく昼食を頂いた。赤魚のA定食とコーヒーで
600円とは本当に安い。ご参加の皆さん、お疲れ様でした。楽しいひと時と
なりました。
  

 
 
 

2017年2月17日金曜日

渡辺亮一さんのテーマは「運慶の仏像」


2月定例会の参加者は23名。今月は、渡辺亮一さんが「運慶の仏像」に
ついて、まとめられたことを発表された。運慶、快慶は東博、奈良博で
特別展の開催が予定されており、正に時宜を得たテーマと言える。
   ☆東博   9.26~11.26 興福寺中金堂再建記念特別展「運慶」
   ☆奈良博  4.8 ~ 6.4  快慶 日本人を魅了した仏のかたち

発表される渡辺さん        拝聴する参加者の皆さん
 
ご発表は飛鳥時代の止利仏師から定朝までの各時代を代表する
仏師と作品をまとめ次に、運慶、快慶の作品を紹介された。
 
休憩時間に談笑する皆さん
 
渡辺さんの解説を補足する意味で、時代別の造寺・造仏の変遷を
発願者の観点から整理すると・・・
 
①飛鳥…氏族の安穏・繁栄としての氏寺
   蘇我氏➡飛鳥寺(釈迦如来)、 
   聖徳太子一族➡法隆寺(釈迦如来)
 
②奈良~平安前期…天皇家を中心とする鎮護国家的色彩
  奈良(天平)…聖武天皇➡東大寺(盧舎那仏)
  平安(弘仁・貞観)…桓武・嵯峨天皇➡東寺(大日如来・密教到来)
 
③平安(藤原時代)…藤原摂関家
  平安末期…藤原頼通➡平等院(阿弥陀如来)
          白川法皇➡6000を超える造仏記録
          (末法到来で極楽往生を祈願)
 
⑤鎌倉時代…東国武士 ~慶派の活躍~
          (東大寺・興福寺の復興)
 
運慶と快慶の比較が面白い。天才運慶と秀才快慶の違いが
造像において表れている。
興福寺北円堂の弥勒仏坐像(運慶作)と醍醐寺弥勒堂の
弥勒菩薩坐像(快慶作)を比較してみると、運慶と快慶の違いと
併せて、仏(如来)と菩薩の違いも良く分かる。
 
運慶作 弥勒仏坐像(国宝)    快慶作 弥勒菩薩坐像(重文)
 
玉眼でリアルを表現した運慶が、北円堂の弥勒仏では玉眼
にしないで、彫眼にしている。
これは、古式を意識していると同時に仏はあまりにリアルで
あってはいけないと考えていたのではないだろうか。
運慶展、快慶展に備え、更に学習を深めて行きたいと思う。
 
最近読んだ本のご紹介をした。 
☆☆ 「荒仏師 運慶」(梓澤要 著  新潮社)☆☆
運慶の名作がどのような経緯で造像されたか、大仏師運慶の
下で働いた小仏師は誰か等の記述もあり大変興味深く読めた。
僧綱位も法印と最高位まで上り詰めた運慶は当時も、今も、
名実ともにナンバーワンの大仏師と言える。
 

 

2017年2月11日土曜日

川崎市登戸 稲荷山光明院の諸尊像を拝観!

 
前日までの悪天候と打って変わって、穏やかな日和となった。荻窪東館の
15名が小田急線向ヶ丘遊園駅に集合し、稲荷山光明院を参詣した。
仁王門の仁王像始め、光明院の諸尊像を拝観したい。駅から徒歩8分で
光明院に到着。
 
予め電話を入れ、拝観可能かをお尋ねしたところ、11時からの法要が
あるため、その前後であれば良いとのお返事を頂き、そこで10時の拝観を
お願いした。これも、仁王像制作者のお一人、中嶋莉恵さんのお力添え
あってのことと深く感謝。

向ヶ丘遊園駅から徒歩8分    交差点の先に仁王像が見える
 
仁王像が出迎えてくれるように立っている。光明院到着がちょうど
10時となった。仁王像の拝観は後程とし、直ぐに本堂に向かう。本堂の
扉が閉ざされたままであり、ご住職のお住まいを訪ね、来訪の旨を
お伝えした。奥様と思われる方の応対を受け本堂と別棟の玄関から
入り、本堂へご案内された。
仁王像の祀られる仁王門    仁王門から見える本堂
 
本堂内はきらびやかな空間となっていた。中央には護摩壇が設えてあり、
その奥には大日如来坐像を始めとする五智如来が鎮座。手間には興福寺像で
有名な天燈鬼(赤色)と龍燈鬼(緑色)の像が色鮮やかな彩色で立っていた。
 
本堂の向かって左の壇には不動明王を中央にし五大明王が祀られている。
不動明王は、平安時代の作、他の明王は新しく造立されたと副住職の
森崇峻さんからご説明して頂いた。また、市指定の文化財不動明王及び
二童子像は五大明王の前方に、ひっそりとして佇んでいた。
本堂中央の須弥壇五智如来    本堂向かって左壇の五大明王
 
五智如来上方の天井は煤けて、書かれたものが読み取れない。一方、
外陣は梵字が書かれた見事な格天井となっている。四方の壁には飛天
(あるいは雲中供養菩薩?)舞っている。
 
向かって右手の壇には阿弥陀如来座像が安置されている。この像は、
廃仏毀釈のあおりを受け、光明院に移座されてきた像と森さんのご説明が
あった。この像も平安時代の作だそうだ。
 
修復されたためか、表面は金泥塗りのような色合いの金色となっていた。
金ぴかでない金色は色彩的に気持ちも落ち着くように感じる。

本堂外陣の格天井と飛天   向かって右壇の阿弥陀如来坐像

阿弥陀如来像の右手壁際には、閻魔王始め十王像が並んでいた。
閻魔王だけ大きな像となっている。この像は江戸初期の作のようだ。
暫く、お堂の裏奥に収蔵されていたものを堂内に安置されるように
したそうだ。これは、極楽の阿弥陀に対し、地獄の閻魔をイメージ
されたからではないだろうか。
閻魔王始め十王像             閻魔王

五智如来の後ろには、向かって右側に胎蔵界曼荼羅、左側に
金剛界曼荼羅が掛かっている。中まで入れて頂き、間近で拝観
させて頂いた。
弘法大師と胎蔵界曼荼羅
 
本堂内の諸尊像を拝観させて頂いた後は、境内をゆっくり眺めながら
過ごした。中には聖徳太子を祀った太子堂や聖徳太子像が立っていた。
太子堂がいつ頃、なぜ建立されたかについては、解説板に書かれていた。
 
建築職人を中心に「太子講」が形成され、この太子堂が幕末から
明治にかけて造られたとある。聖徳太子が色んな層の人達から
尊敬されていたかを物語る。

太子堂              聖徳太子孝養像
 
太子堂の由来 解説板
 
本堂をバックに記念撮影をすることにした。運良く、本堂の清掃を
されている方にお願いしたところ、快く引き受けて頂いた。
大変陽気な方で、全員の顔が写るように立ち位置の移動を
言われたりし、楽しい撮影となった。
本堂を背に記念撮影
 
最後に、じっくり仁王像を眺めた。どっしりとした安定感のある像だ。
手足の太さや掌の大きさが一層力強さを増している。阿形の右手が
「待て」、吽形の左手が「OK」と言っていると理解した。
 
中嶋さんの所属する東京文化財センターと光明院との関係は強い
ようだ。仁王像以外にも、本堂の大日如来や五大明王の造立や
平安時代像の修復されたそうだ。

吽形像            阿形像

吽形像                 阿形像

仁王門脇に掲げられた文化財の説明板
 
諸尊像の拝観を済ませた後は早めの昼食を取ることになった。光明院を
出て、直ぐ近くのとんかつ店に入った。15名全員坐って、貸し切り状態と
なった。時折、お客さんが扉を開けて覗くも、貸し切りですかと言って、
帰ってしまった。
 
今日も楽しいひと時を過ごすことができた。ご参加の皆さん
有難うございました。(合掌)

お寺近くのとんかつ店で昼食歓談