2017年2月11日土曜日

川崎市登戸 稲荷山光明院の諸尊像を拝観!

 
前日までの悪天候と打って変わって、穏やかな日和となった。荻窪東館の
15名が小田急線向ヶ丘遊園駅に集合し、稲荷山光明院を参詣した。
仁王門の仁王像始め、光明院の諸尊像を拝観したい。駅から徒歩8分で
光明院に到着。
 
予め電話を入れ、拝観可能かをお尋ねしたところ、11時からの法要が
あるため、その前後であれば良いとのお返事を頂き、そこで10時の拝観を
お願いした。これも、仁王像制作者のお一人、中嶋莉恵さんのお力添え
あってのことと深く感謝。

向ヶ丘遊園駅から徒歩8分    交差点の先に仁王像が見える
 
仁王像が出迎えてくれるように立っている。光明院到着がちょうど
10時となった。仁王像の拝観は後程とし、直ぐに本堂に向かう。本堂の
扉が閉ざされたままであり、ご住職のお住まいを訪ね、来訪の旨を
お伝えした。奥様と思われる方の応対を受け本堂と別棟の玄関から
入り、本堂へご案内された。
仁王像の祀られる仁王門    仁王門から見える本堂
 
本堂内はきらびやかな空間となっていた。中央には護摩壇が設えてあり、
その奥には大日如来坐像を始めとする五智如来が鎮座。手間には興福寺像で
有名な天燈鬼(赤色)と龍燈鬼(緑色)の像が色鮮やかな彩色で立っていた。
 
本堂の向かって左の壇には不動明王を中央にし五大明王が祀られている。
不動明王は、平安時代の作、他の明王は新しく造立されたと副住職の
森崇峻さんからご説明して頂いた。また、市指定の文化財不動明王及び
二童子像は五大明王の前方に、ひっそりとして佇んでいた。
本堂中央の須弥壇五智如来    本堂向かって左壇の五大明王
 
五智如来上方の天井は煤けて、書かれたものが読み取れない。一方、
外陣は梵字が書かれた見事な格天井となっている。四方の壁には飛天
(あるいは雲中供養菩薩?)舞っている。
 
向かって右手の壇には阿弥陀如来座像が安置されている。この像は、
廃仏毀釈のあおりを受け、光明院に移座されてきた像と森さんのご説明が
あった。この像も平安時代の作だそうだ。
 
修復されたためか、表面は金泥塗りのような色合いの金色となっていた。
金ぴかでない金色は色彩的に気持ちも落ち着くように感じる。

本堂外陣の格天井と飛天   向かって右壇の阿弥陀如来坐像

阿弥陀如来像の右手壁際には、閻魔王始め十王像が並んでいた。
閻魔王だけ大きな像となっている。この像は江戸初期の作のようだ。
暫く、お堂の裏奥に収蔵されていたものを堂内に安置されるように
したそうだ。これは、極楽の阿弥陀に対し、地獄の閻魔をイメージ
されたからではないだろうか。
閻魔王始め十王像             閻魔王

五智如来の後ろには、向かって右側に胎蔵界曼荼羅、左側に
金剛界曼荼羅が掛かっている。中まで入れて頂き、間近で拝観
させて頂いた。
弘法大師と胎蔵界曼荼羅
 
本堂内の諸尊像を拝観させて頂いた後は、境内をゆっくり眺めながら
過ごした。中には聖徳太子を祀った太子堂や聖徳太子像が立っていた。
太子堂がいつ頃、なぜ建立されたかについては、解説板に書かれていた。
 
建築職人を中心に「太子講」が形成され、この太子堂が幕末から
明治にかけて造られたとある。聖徳太子が色んな層の人達から
尊敬されていたかを物語る。

太子堂              聖徳太子孝養像
 
太子堂の由来 解説板
 
本堂をバックに記念撮影をすることにした。運良く、本堂の清掃を
されている方にお願いしたところ、快く引き受けて頂いた。
大変陽気な方で、全員の顔が写るように立ち位置の移動を
言われたりし、楽しい撮影となった。
本堂を背に記念撮影
 
最後に、じっくり仁王像を眺めた。どっしりとした安定感のある像だ。
手足の太さや掌の大きさが一層力強さを増している。阿形の右手が
「待て」、吽形の左手が「OK」と言っていると理解した。
 
中嶋さんの所属する東京文化財センターと光明院との関係は強い
ようだ。仁王像以外にも、本堂の大日如来や五大明王の造立や
平安時代像の修復されたそうだ。

吽形像            阿形像

吽形像                 阿形像

仁王門脇に掲げられた文化財の説明板
 
諸尊像の拝観を済ませた後は早めの昼食を取ることになった。光明院を
出て、直ぐ近くのとんかつ店に入った。15名全員坐って、貸し切り状態と
なった。時折、お客さんが扉を開けて覗くも、貸し切りですかと言って、
帰ってしまった。
 
今日も楽しいひと時を過ごすことができた。ご参加の皆さん
有難うございました。(合掌)

お寺近くのとんかつ店で昼食歓談


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