2015年9月25日金曜日

小平市 「花南仏像の会」開催!


今年5月から「花南仏像の会」講師をお引き受けしている。
この会の9月学習会が本日開かれた。8月は夏休みとなり、
今回が4回目の開催となる。

前任講師の方は、かつて大学で仏教美術をご専門と
された教授とのこと。この先生がご高齢となり、講師を
お務めになることがご無理となったようだ。

長年続いた会の存続も危ぶまれる事態となり、偶然にも、
不肖私に白羽の矢が立つこととなった。
代表幹事の竹田さんが、このブログをご覧になり、
お電話されたことが発端となる。

仏像が好きなだけで、仏教美術についての学識も、
キャリアも未熟な私に、到底務まるはずがないと
一度はお断りした。
仏像について雑談して頂くだけで良い言われ、好きな
仏像の雑談ならできると、お引き受けした次第。

「花南仏像の会」は、花小金井南公民館を会場に、
毎月1回、午前中2時間、仏像についての学習をしている。
テキストとして「副島弘道監修 仏像の楽しみ方 完全ガイド」
を使用。 
また、お薦め図書として「關(せき)信子著 仏像歳時記」を
挙げている。

テキストとして使用の書籍     お薦め図書
 
初回(5月)、会員の皆さんにどんな仏像がお好きですかと
尋ねたところ、「癒される仏」「大日如来」「聖林寺の十一面観音」
「向源寺の十一面観音」「百済観音」「慶派の仏像」
「石仏」「菩薩が好き」「歴史が好き」等々、
仏像好きなご様子が伺えた。
会員の皆さん
(7月24日撮影)
 
本日の学習は「菩薩や明王、天部などの役割は?」
特に観音菩薩は、菩薩に限らず、すべての仏像の中でも
極めて人気が高い。
そこで観音菩薩のルーツについてまとめたものをご紹介した。
 
観音菩薩のルーツ一覧
今日は、新規に入会の方1名と、見学者2名も
お見えになられていた。和やかなうちにあっという間の
2時間でした。
10月は「仏教と仏像はどのように日本に伝わったのか」
「東寺、大日如来で知られる〝密教″はどんなもの?」
について一緒に学びましょう。
 
 

2015年9月24日木曜日

国宝 正福寺地蔵堂 ご開帳!


国宝建造物の正福寺地蔵堂が11時からご開帳となる。
10時、西武線東村山駅にBAC会員17名が集合した。
駅の改札口を出て待機していると、地元のボランティアガイドの
方から、ご案内のお申し出を受けた。即答でお願いした。

ガイドの方も3名も付いて頂き、駅から正福寺へ向かう道すがら、
名所のご紹介があり、皆さん熱心にお聴きした。

最初に、ご案内頂いたのは弁天池公園の中にある神社。
弁財天を祀った神社で、この神社はお参りすると出世するとのこと。
「我々は、今から出世しなくも良い人ばかりだ」との声が聞こえてきた。
「出世」とは釈迦が世に出た、生まれたことに由来する仏教語。
多くの人を教え導く立場に立つ意味が、時代と共に変化して、
地位が上がることだけに使われるようになったようだ。
出世弁財天を祀った神社     弁天池に架かる橋を渡って、参拝
 
次に案内された場所は「経文橋」。ここにはかつて板碑が架けられて、
橋となっていたそうだ。板碑には経文が刻まれていて、水面に経文が
写ったことから経文橋となったとの解説があった。
その現物が、正福寺に保存されている。
板碑が架けられていた橋
 
次に向かった先は大善院(だいぜんいん)。不動明王と三十六童子が
富士山の噴火でできた溶岩の上に立っている。
一番高いところに不動明王が立ち、三十六童子を従える姿は壮観。
檀信徒の人達が溶岩を寺に運び込んだそうだ。
このお寺は「野口不動尊 大善院」と縁起に書かれている。
ご本尊は阿弥陀如来であり、本堂はこの不動堂ではない。
どう見ても、不動堂が本堂のように思える。

寺の縁起              不動堂を参拝

不動明王と三十六童子       伝教大師像       伝教大師の解説文

いよいよ、正福寺へ向かう。以前、地蔵祭りの時に来たことがある。
その時は、境内に溢れるばかりの人で、落ち着いて、ゆっくり眺める
ことができなかった。
境内の様子を見ると、11時ご開帳を待つ人たちが十数人いただけ。
今回はゆっくり、眺めることができそうで、嬉しい。
 
山門から入る            山門の解説文
 
境内でガイドさんの解説を聴く
 
板碑が保管された建物        板碑の解説文
 
国宝 正福寺地蔵堂        地蔵堂の解説文

地蔵堂のご本尊       小地蔵尊

地蔵堂内を拝観する皆さん    地蔵堂を背景に記念撮影

境内に立つ菩提樹          本堂
 
最後に同じ敷地内ある、八坂神社をお参りした。
 
八坂神社

親切なガイドさんのお蔭で、より一層楽しい見仏会となった。
時間もお昼時になり、予約しておいた駅前のお店に向かった。
 
 

2015年9月18日金曜日

朝倉さん発表の研究テーマは「川原寺の謎」


9月定例会参加は26名。長寿ポイントシールをお渡しした方、
16名は過去最高人数。
BACが少しでもシニアの生きがい活動に役立つことを願っている。
今月のメインは朝倉さんが語る「川原寺の謎」。
朝倉さんは今回が3度目の発表となる。
シルクロードへの熱い思いが、様々は方向へ広がって行くように
感じられる。

最初に、8月の見仏会「鎌倉国宝館・仏像入門」等について、
何人かの方から感想がご披露された。
「閻魔大王や俱生神などを見て、
地獄についての関心が強くなった。
迎講での極楽と対比さすことで、面白味も増す」
「円覚寺に立ち寄り墓参りを済ませた。
務めを果たすことができ、ほっとしている」等々。

美術館についての情報提供として、三井記念美術館での
「蔵王権現と修験の秘宝」をご紹介した。
金峯山寺のご本尊・蔵王権現と国宝・藤原道長経筒について解説。

いよいよ、朝倉さんのご発表。パワーポイントとレジュメを使い、
解説スタート。
謎の多い川原寺は何時、誰がどの様な目的で建立したのか
諸説あるなか、古代のロマンに迫ってみると前置きされた。

朝倉さん 発表の様子
 
今回のテーマは「1.川原寺の謎」にまとめられている。
朝倉さん作成のPPT画面の一部を掲載。
1.川原寺の謎
 
2.飛鳥京における川原寺の位置   3創建当時の伽藍配置.
 
<遺跡から伺える広大な寺域 >
4.南大門からみた川原寺跡      5.東回廊跡と東室後 

 <出土品>
6.三尊塼仏と塑造断片         7.軒丸瓦
 
       8.復元した塼仏      9.エローラ石窟 壁面荘厳(インド)
 
川原寺の創建、隆盛について
●川原寺の創建は乙巳の変(大化の改新)の頃。皇極から孝徳へ、
 そして皇極が重祚して斉明となった時代であり、西域からの
 外国人が多く渡来した。
 
●天智天皇が崩御した母親・斉明天皇の追善のために川原宮に
 寺を創建したというのが有力な説とのこと。
 
●天武・持統両天皇の時代に川原寺が最も栄えた時代。
 
朝倉さんがスポットを当てた斉明天皇に対して大変興味深く、
また新たな認識を持つことができた。女帝にも関わらず、勇猛果敢で
あったことや西域からの渡来人を厚遇したこと、
特にサザン朝ペルシャ最後の王やその夫人(舎衛夫人)を厚遇する
様子はちょっと驚きでもある。
 
川原寺はなぜ飛鳥に留まったか。
ここが、今回のキーポイントと言える。朝倉さんの解説では・・・
「インド仏教の影響を強く受け、斉明・天武両帝の厚い庇護を受けながら、
独特の地歩を築き、インド石窟寺院の見紛う異様な金堂・伎楽団・瑠璃
(大理石)の礎石など外国に向けて開かれた寺として大きな役割を
果たしてきた。

やがて凋落の時を迎えるこことなる。川原寺は異端さ故に平城京への
移転が許されなかったのではないかと想像される。」
 
遷都に伴う移転が認められないという認識を今まで、あまりしなかった。
移転を拒否されたとは、意外な印象を持った。遷都されると、移転する寺院と
なる場合と移転組、残留組とに分かれる場合があると認識していた。

興福寺は飛鳥の厩坂寺が平城京へ移転した例。

法興寺は元興寺(移転・奈良)、本元興寺(残留・飛鳥)と分かれた。
薬師寺も同様に薬師寺(奈良)と本薬師寺(飛鳥)に分かれる。確かに、
移転が全くないということは、不自然と考える方が妥当かもしれない。
また、残留組は暫くすると衰退している。

写真6、7の出土品から当時の様子をイメージしたり、伝来のルートを探り、
ペルシャ、インドとシルクロードを辿る姿はいかにも、朝倉さんらしいと感じた。
古代のロマンに迫る、よくまとめられたご発表に、ご参加の皆さんは大変感心、
拝聴していた。

朝倉さんから、「興味が広がり、あれこれ調べていくと縦・横が繋がり、
理解が深まる」趣旨の発言があった。心に響いた一言となる。

【今後の予定】
 見仏会:10月 日向薬師(伊勢原市)   11月 浄楽寺(横須賀市)

 研究発表:10月 朝比奈義幸さん 「阿弥陀聖衆来迎像制作と背景」
        11月 渡辺亮一さん 「私の出会った国宝仏像」
        12月 山森平世さん 「莫高窟」
        1月  安元伸夫さん 「仏像の印相」
        2月  中島憲子さん 「鑑真と遣唐使」
 
 

2015年9月12日土曜日

三井記念美術館「蔵王権現と修験の秘宝」を観覧!


荻窪メンバー14名が日本橋の三井本館1階に集合。
美術館受付となる10時を待って7階の美術館へ移動した。
会場は、展示室1~7までの7ブロックに分かれている。

入館して直ぐに、蔵王権現像のオンパレード。これだけ、
蔵王権現を一時に観覧することは初めてだ。
蔵王権現と言えば修験道。修験道は山伏のイメージ。
仏像とは別物に思え、今まであまり、積極的に観覧することはなかった。

今回の特別展を機に、「修験道」「役行者」「蔵王権現」
についての関心が一層高まった。
修験道は役行者(634~701)が、金峯山寺で開いた
日本独特の宗教であり、東大寺より古い歴史を持つ。
密教との関連性も強く、空海(774~835)も大きな影響を
受けているものと思われる。
特別展のチラシ
 
展示室1、2には経箱や経筒の展示がある。平安期には
宇多上皇や藤原道長・師通に代表される皇族や貴族たちが
こぞって金峯山詣をしたそうだ。
末法到来で、埋経の流行があったようだ。
これらは金峯山経塚の埋葬品として伝わっている。
(下の①、②)
①国宝 経箱・脚台付       ②国宝 藤原道長経筒
 
道長経筒の側面に刻まれた文言に当時の世界観が伺える。
「南贍部州大日本国左大臣二位藤原朝臣道長・・・/ 」とある。
「南贍部州(なんせんぶしゅう)」とは仏教の宇宙観で須弥山世界にある
4大州の一つ。人間界のある世界。六道輪廻を恐れ、極楽往生する
ことを願いながら埋経したものと思われる。
 
展示室4の中で注目した像は如意輪寺の源慶作・蔵王権現像と
櫻本坊の役行者坐像。
蔵王権現像はバランスの良さ、火炎光背の見事さ、
色彩のインパクトがあり、大変印象深い。源慶は鎌倉時代に活躍した
慶派の一仏師とのことだ。流石、慶派と納得。

この像は蔵王権現の代表的な作例で、右手を振り上げ五鈷杵を執り、
左手は剣印とし腰に当て、右脚を蹴り上げて立っている。
蔵王権現の解説で、刀印を剣印と呼んでいる。
刀を剣とする理由があるのだろうか。
 
役行者像は玉眼でリアルの顔立ちの中に威厳に満ちた
表情があり、修験道の開祖に相応しい像と思えた。

③重文 蔵王権現像    ④役行者坐像
(如意輪寺)         (櫻本坊)

展示室5には懸仏(かけぼとけ)と鏡像(きょうぞう)の蔵王権現が
多く展示されていた。
会場では良く判別できなかった像が、図録に収められていたクリアな
像を見て、見事さを再確認できた。
しかもこの鏡像は国宝であり、所蔵が西新井大師總持寺とは意外。

(図録より)
⑤国宝 蔵王権現鏡像
(西新井大師 總持寺)
 
最後の展示室7は国宝 投入堂で有名な三徳山三佛寺
(みとくさんさんぶつじ)所蔵の蔵王権現が多く展示されていた。
その中ではチラシの表紙を飾る蔵王権現像が造像的に
スタンダードであり、蔵王権現らしく、親しみが持てた。
⑥重文 蔵王権現
(三佛寺)
 
その他、大変愛着を持った像として、(番号4-7)金峯山寺の
釈迦如来坐像がある。
微笑を浮かべ、こころ和む像と言える。
10時から11時半までの1時間半の観覧で足りず、
館内での昼食後、再度観覧へと向かった人もいた。
今日も、こころ豊かに、楽しい時間を過ごしました。
感謝。