2014年5月16日金曜日

中島憲子さん解説「新納忠之介と百済観音」

 
5月定例会は25名の参加。本日のメインは中島憲子さんが解説される
「新納忠之介(にいろちゅうのすけ)と百済観音」。来週には藝大美術館
での「法隆寺展」を観覧することもあり、しっかり事前学習も済ませたい。

最初に、先月の見仏会「塩船観音寺」をスライドを見ながら、感想を伺った。
境内のつつじは観るも、堂内の仏さまを拝観することは今までになかった
ようだ。歴史ある古刹なだけに、見どころ満載の寺と言える。

中島さんが、レジュメとスライドを使い、新納忠之介の偉大さを解説された。
中島さんは「百済観音半身像を見た(野島正興著、晃洋書房)」を読まれ、
感銘を受け、今回ご発表されるに至った。

岡倉天心が廃仏毀釈の中から、多くの仏像を救ったことは承知していた。
実際に、修復の任に当たった新納忠之介までは、恥ずかしながら、存知
あげていなかった。

明治30年(1897)に古社寺保存法が制定され、国宝指定と仏像修理が
本格的に行われるようになる。翌年、天心とともに美術大学を辞職して、
日本美術院創設に参加、修理保存技術部門の責任者となる。

中島さんの解説で、新納忠之介の心情が良く理解できた。仏像修復へ
かける情熱。また一方、自身の創作活動への思いと、揺れ動く心理的
な葛藤も想像できた。

修理した仏像が2631体(昭和12年まで)とのことだ。その数の多さに驚く。
また、昭和8年(1933)には百済観音を2体模造し、東京国立博物館と
大英博物館に納めたようだ。ぜひ、一度は拝観したい。

「新納忠之介と百済観音」の解説をされる中島さん

解説に耳を傾けるご参加の皆さん
 
仏像の修理は古くからあったことだが、国宝としての保存を目的とする
修理は全く初めてのことであり、大変なご苦労であったろうと想像される。
 
今日、奈良の仏さまで新納忠之介の世話になっていない仏さまはない
といっていいそうだ。本当に頭が下がる。新納忠之介の情熱に感銘を受け、
中島さんから早速本をお借りした。
 
新納忠之介 作
百済観音立像 模造
 
新納忠之介と同じ時代の人で、今回の法隆寺展に作品が展示される方
をお二人ご紹介した。平櫛田中と鈴木空如。田中は彫刻、空如は仏画。
田中については小平にある美術館へ一度ご案内することとした。また、
空如についてはEテレの日曜美術館で紹介されることをお知らせした。
古仏画を模写し、後世に伝えようと格闘した空如の生き方にも感服。
 
出陳される仏像の中で、一番の注目は、国宝の吉祥天と毘沙門天の
両立像だ。この像が、なぜ法隆寺金堂・釈迦三尊像の脇に鎮座される
のか、また何のために造像されたかを知ることができた。
 
「仏像歳時記」の中で「法隆寺の修正会」について詳しく書かれている。
一度、良くお読みいただきたい。
吉祥悔過(きちじょうけか)のご本尊として祀られている。「悔過」とは自ら
の罪や過失を仏前で悔い改めることで、利益を願う儀式のことだそうだ。
 
平安時代の人々がこの像の前で、どのような思いでお参りしたかを想像
しながら拝観するのも良いのではないだろうか。仏像も、その履歴を知り
時代を遡って思いを馳せることで、日本人の心情や伝統を再認識できる
ように思える。
国宝 吉祥天立像・毘沙門天立像
 
 
 


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