2018年5月10日木曜日

秦野市 大日堂や閻魔堂の諸尊像を拝観!

 
4月27日、伊勢原市の「日向薬師」「大山寺」に続いて、最後に
訪れたのは、秦野市蓑毛(はだのしみのげ)の大日堂や閻魔堂。
これらのお堂は宝蓮寺(ほうれんじ)の所管となっている。また、
「秦野みのげ文化の会」という組織がお堂や仏像の保存活動を
されている。
 
「蓑毛山 宝蓮寺」の石柱(①)の左手を進むと宝蓮寺本堂があり、
右手道路の向こう側に大日堂などある。保護活動される団体作成
の立て看板の解説板(②)に、お堂や仏像の説明が書かれている。
 
大日堂は聖武天皇が奈良の大仏を建てるときの勅願所として、
742年に創建され、翌年に本尊大日如来が造立されたそうだ。
その大伽藍を建立したのが行基と言う。何と由緒ある堂宇だろうか。
その歴史に驚く。
①蓑毛山宝蓮寺の石柱    ②秦野みのげ文化の会
                     による仏像の解説板
 
朱塗りの仁王門(③)には、阿吽の仁王像が安置されている。
境内に入ると、宝蓮寺大日堂及び諸堂の案内板(④)がある。
 
「宝蓮寺が丹沢山の登山口及び大山の参道入り口として、要所
に位置し、金目川に沿った山合いの山岳修験信仰の霊場として
ふさわしい場所にある」と書かれている。
 
宝蓮寺は、現在臨済宗建長寺派の末寺となっている。元々は
修験道や密教系寺院であったことが分かる。
③仁王門            ④宝蓮寺 諸堂案内
 
仁王門の先に、大日堂(⑤)がある。宝蓮寺の方がお見えに
なり、扉を開けた。堂内へ誘導され、お目当ての五智如来を
拝観させて頂いた。お堂の外には、仏像の案内板(⑥)がある。
そこに詳しく解説文が書かれてある。
 
中央の金剛界大日如来は県指定重要文化財であり、他の4体は
市指定文化財となっている。制作年代は平安後期と推定とのこと。 
一木造、彫眼、材質はヒノキやケヤキ。(⑦)
 
このような山深いところに、これだけ見事な像が5体揃って残って
いることに驚く。信心深い人たちが護ってきたに違いない。像高
2メートル近くある大日如来は一際輝き、迫力もある。
五智如来の五智とはどのような智慧なのかについて、参加者の
皆さんへ説明した。
 
五智如来とは別に大きな木造聖観音菩薩立像(⑧)を目にする。
元々観音堂に祀られていた像が、今は客仏として大日堂に安置
されている。傷みが大きく、少し痛々しい感じがした。
⑤大日堂            ⑥大日堂の仏像解説
 
⑦五智如来           ⑧観音菩薩
 
不動堂は開扉とならないため、扉の隙間から覗くように拝観。(⑨)
お寺の縁起によると不動堂は7世紀の頃、朝鮮半島からの渡来人
である秦氏が守り本尊の不動明王を祀ったのが始まりとされる。
地名の秦野市と言い、秦氏との繋がりがいかに大きいかを感じる。
⑨不動堂の不動明王
 
大日堂の次に、扉を開けて頂いたのは、木造十王像を安置する
「茶湯殿(ちゃとうでん)」(⑩)。百一日目に「茶湯供養」と言う法要
を行う場所になるそうだ。そこから「茶湯殿」と呼ばれたのだろう。
通常は閻魔堂と言われるお堂のこと。 
⑩茶湯殿(閻魔堂)         ⑪木造十王像解説板
 
閻魔堂は地蔵堂とも呼ばれ、お堂の中央には地蔵菩薩(⑫)
が鎮座している。閻魔王の本地仏が地蔵菩薩であり、一緒に
祀られている。3つの呼称があるとは紛らわしい。
 
地蔵菩薩像は正徳五年(1715)、閻魔王(⑬)始め十王像には
享保六年(1721)の墨書銘と仏師名も残っている。すべてが
残って、制作年も分かる像は史料的価値が極めて高い。
五智如来像、十王像と、勢揃いしていること自体素晴らしい。
⑫地蔵菩薩
 
⑬閻魔王              ⑭奪衣婆
 
閻魔堂(地蔵堂)のそばに「木喰光西上人入寂(もくじきしょうにん
にゅうじゃく)の地」と書かれた案内板が立っている。(⑮)
 
宝蓮寺地蔵堂の庵主であった木喰光西上人が江戸時代中期、
飢饉などで日本全体が危機に瀕したときに農民を救済したり、
大日堂、仏像の修理などの功績を残し、この地で亡くなったと
伝えている。立派なお坊さんだったようだ。
 
木喰仏、円空仏と言うように、木喰は個人名と思い込んでいた。
案内板のように木喰上人とは穀物を食べず草根・木皮・果実等
を食物にして修行する僧のことを言う。 
⑮「木喰光西上人入寂の地」案内板
 
日向薬師、大山寺、宝蓮寺大日堂はいずれも奈良時代に起源を
持つ古刹。いずれも歴史の重みを感じる貴重な文化財を目にし
満足の外部探訪日となった。
 
竹田会長の企画立案にいつも感服。楽しい一日となり、バスツアー
に同行させて頂いたことを感謝し、リポートを終える。(合掌)
 
<完>
 

2018年5月6日日曜日

伊勢原市の古刹巡り②「大山寺(おおやまでら)」


4月27日(金)「日向薬師」参拝の後は、「大山寺」へと向かう。バスに
乗り、参道の登り口(①)に10時40分頃到着。ケーブルカーの乗車駅
まで坂道、階段が続く。途中、大手鞠の見事な花を眺めながらひたすら、
登る。(②、③、④)
①参道の登り口          ②こま参道

③参道脇に大手鞠の花が咲く   ④ケーブルカー駅へ階段を昇る

ケーブルカーの山麓駅に到着した時には11時を過ぎていた。
ケーブルカーに乗り、大山寺駅まで行く。乗車時間は数分間。
下車してから、更に数分歩くと大山寺に到着した。(⑤~⑧)
⑤ケーブルカーに乗り大山寺へ   ⑥下りのケーブルカーが見える

⑦ケーブルカーを下車        ⑧徒歩で大山寺へ向かう

登りの坂道や階段ばかりにも関わらず、全員登り切って、途中
断念される方はお一人も出ず、大山寺に無事到着した。(⑨)

大山寺の縁起を記した案内板(⑩)によると、大山寺を建立した
のは東大寺の別当良弁(ろうべん)僧正と言われている。
本尊不動明王と二童子像は、中興の祖・行願上人(ぎょうがん
しょうにん)の作とされる。鎌倉期の鉄造像で国重要文化財に
指定されている。
⑨大山寺の本堂         ⑩大山寺縁起の案内板

大山寺は不動明王で有名なお寺。理由をまとめると・・・
1.ご本尊の不動明王像が数少ない鉄造の仏像で、重文。(⑫)
2.関東三十六不動札所の第一番霊場となっている。(⑪)
3.高幡不動、成田山新勝寺と共に「関東の三大不動」に数えられる。

⑪第一番札所の石柱       ⑫2体の不動明王像解説

本堂には数多くの仏像が安置されていた。思い出しながら
配置図をまとめてみた(⑬)。 ご本尊像以外にお前立の
不動明王、五大明王の不動明王と3体もの像を確認した。
不動明王のパワーが堂内に満ち溢れているようだ。
                                (ネットから取り込み)
⑬本堂内の仏像配置図       ⑭本尊 鉄造 不動明王坐像

堂内の仏像をじっくり拝観した後、本堂の前で記念撮影をした。
近くで休憩中の若い男性にシャッターをお願いした。
皆さん、目的を達成され、満足そうなお顔をされている。
⑮本堂の前で記念撮影

大山寺参拝の後、再度ケーブルカーに乗り、更に上にある
大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)をお参りした。
⑯ケーブルカーで阿夫利神社     ⑰更に階段を昇り神社へ

⑱阿夫利神社の鳥居         ⑲大山獅子

⑳大山阿夫利神社の解説      21大山名水 神泉

阿夫利神社駅から大山ケーブル駅まで戻った。駅から1分の
ところにある「かんき楼」で昼食を頂く。そのお店に掛かって
いた額が目に入った。(22) 仁王護国経から店名を付ける
とは、どんなご主人だろうか?

元来た坂道を下る時、道路脇の林の中で咲く藤の花を、
地元の方が教えてくれた。(23)
22昼食の店に掛かる額    23木々に巻き付く藤の花

(続く)

2018年5月5日土曜日

伊勢原市の古刹巡り①「日向薬師(ひなたやくし)」


4月27日(金)朝7時、花小金井駅近くのピーコック前に18名が集合。
「花南仏像の会」仏像探訪バスツアーに同行させて頂いた。
目指すは、伊勢原市の「日向薬師」「大山寺」、秦野市蓑毛(はだのし
みのげ)の大日堂など。古刹、名刹で見どころ満載!

今回の探訪記は3回に分けてリポートする。参拝順に、先ず、日向薬師。
バスに乗って2時間余り、幟(のぼり)が立つ参道入口に到着する(①)。

「史跡 宝城坊境内」(②)と書かれた案内板に、日向薬師についての
解説がある。霊亀二年(716)に行基が開創したと言われているのが
霊山寺(りょうぜんじ)で、その中の一坊である宝城坊だけが現存して
いる。宝城坊が「日向薬師」と呼ばれている。
①南無薬師如来の幟が立つ参道 ②史跡 宝城坊境内の案内板 

最初に、宝物殿に入る(③)。 国重要文化財の仏像がびっしり並ぶ。
仏像安置図(④)が記されたパンフレットを頂く。ご本尊は厨子入りの
薬師三尊像(⑤)。本日は、ご開帳日でないため、お目に掛かれない。

ご本尊像は⑥の通り、鉈彫り(なたぼり)と呼ばれる様式の仏像。
10世紀末から11世紀初め頃の作で、鉈彫り像として最古に属する。
「厨子」「薬師三尊像」とも国重要文化財。
③宝物殿 入口       ④宝物殿仏像安置の図 

⑤ご本尊を納める厨子(A) ⑥本尊・薬師如来及び両脇侍像(A)

宝物殿の左右壁際に像高2メートルを越える巨像が安置されている。
仏像安置図(④)の右端(B)に薬師三尊像(⑦)、左端(C)に阿弥陀
如来像(⑧)がどっしりと鎮座。いずれもボリューム感のある鎌倉期
らしい仏像で、重要文化財。
⑦薬師三尊像(B)     ⑧阿弥陀如来像(C)

宝物殿拝観後、本堂(⑨、⑩)へ移動。この本堂は、霊山寺本堂を
引き継いだものと解説板(⑫)に記されている。更に、江戸時代の
万治三年(1660)に幕府から丹沢の立木百本の寄進を得て修造が
行われ、現本堂はこの時の再建と考えられるとのこと。

本堂の格子戸越しに、薬師如来と十二神将像が拝観させて頂いた(⑪)。 
⑨本堂(左手からの画像)   ⑩本堂(右手からの画像)

⑪本堂の扉から見える堂内   ⑫宝城坊本堂の解説板

その他、境内を散策して目にしたものは鐘堂(⑬)。解説文(⑭)を
読むと、銅鐘が暦応三年(1340)の銘を持つ国重要文化財であり、
鐘堂は伊勢原市の指定文化財となっている。

一隅(ひとすみ)に、3本の柱を使い、四隅合わせて12本の柱で
建てられているのが特徴となっている。これは、薬師如来を守護
する十二神将を表しているそうだ。日向薬師ならではの建造物
と言える。
⑬宝城坊の鐘堂        ⑭鐘堂の解説板

立っている幟も目に付く。「南無大師遍照金剛」「南無虚空蔵菩薩」。
弘法大師・空海像と虚空蔵菩薩を祀っている。(⑮、⑯)

高野山真言宗の寺院だけに、弘法大師像は外せない。虚空蔵菩薩
は「虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)」と言う無限の記憶力を
獲得する修法のご本尊であり、空海が信奉していた。

虚空蔵菩薩についての解説は⑰の通り。幹が空洞になった中
に祀られているのが興味深い。
⑮弘法大師像

⑯虚空蔵菩薩像        ⑰虚空蔵菩薩の解説
  
9時20分頃から約1時間過ごし、次の大山寺へバスで向かった。(続く)