2020年8月10日月曜日

中尊と脇侍・眷属<薬師如来グループ>

【中尊と脇侍・眷属(Ⅱ)】
今回は薬師如来と脇侍・眷属を取り上げたい。薬師如来と言えば
病気平癒、健康増進、「現世利益」の仏さまとして人気が高い。

四国八十八カ所霊場で、ご本尊に薬師如来を祀っている寺院が、
24ある。観音菩薩を祀る寺院が30であり、お薬師と観音さま
で、88カ所の6割以上を占める。

最初に、文化財の観点から国宝に指定されている薬師如来像を
確認し、次に、脇侍・眷属を伴う代表的な薬師如来像を取り上げ
コメントしたい。

1.国宝指定の薬師如来像は13件(❶)
  国宝の薬師如来像は、全国で13件が指定されている。うち、
  脇侍を含み、薬師三尊像として国宝に指定された像は4件。
  即ち、勝常寺(福島)、醍醐寺(京都)、薬師寺(奈良)、
  法隆寺(奈良)の4ヵ寺に安置されている。

  また、国宝の薬師如来像13軀のうち、10躯が坐像であり、
  立像は、3躯と少ない。
❶国宝 薬師如来像一覧

2.代表的な薬師三尊像
 (A)奈良・薬師寺像(❷)
  薬師寺は、天武天皇が、皇后(後の持統天皇)の病気平癒を発願
  し、建立した寺院であり、ご本尊が薬師三尊像になる。

  薬師如来像、あるいは三尊像の中で、一番有名な薬師像と言えるの
  ではないか。風雪に耐え、黒々と光る姿、造形の美しさは、数ある
  仏像の中でも、群を抜いている。

  左脇侍(中尊から見て、左側)に日光菩薩、右脇侍に月光菩薩
  配している。中尊、両脇侍の光背には7つの化仏(七仏薬師)が
  付いている。

  日光菩薩は慈悲を、月光菩薩は智慧を象徴する。その逆の象徴だ
  とする解説も見たことがある。遍く照らす日の光は、慈悲であり、
  暗い夜道を照らし、行き先を示す月の光は、正に智慧と呼ぶのに
  相応しい。

 (B)福島・勝常寺像(❸)
  勝常寺の薬師三尊像は、2度拝観したことがある。一度は、勝常寺
  を参詣した時、二度目は東京国立博物館での『みちのくの仏像展』
  に出陳された時(❸)にご対面した。

  2011年7月、勝常寺を訪れた時には、薬師堂でご本尊を拝観し、
  脇侍像は収蔵庫でお目に掛った。ご本尊の安置場所と文化財保護の
  兼ね合いから、妥協の産物と伺った記憶がある。三尊像で指定を
  受けた国宝が離れ離れになって良いのだろうか。

  『みちのくの仏像展』では、本来の三尊像として展示されており、
  中尊と両脇侍は、久方ぶりの再会を喜んでいるようにも見えた。

  日光・月光菩薩の腕に注目すると、薬師寺像と勝常寺像との違いに
  気づく。薬師寺像は、中尊側の腕を上げているのに対し、勝常寺像
  では反対になっている。勝常寺の日光・月光菩薩は配置を逆にする
  と、同じになる。配置が逆では? 
❷薬師寺 薬師三尊像    ❸勝常寺 薬師三尊像

3.薬師如来像と十二神将像の代表例(❹)
  新薬師寺は、光明皇后聖武天皇の眼病平癒を祈って、建立した
  寺院であり、ご本尊が薬師如来になる。

  ご本尊の薬師如来像を上回る人気の像が、ご本尊を守護する塑造
  の国宝・十二神将立像である。伐折羅大将 は記念切手にもなって
  いる。制作年代は、薬師如来坐像よりも古く、奈良時代になる。

  当初像がどのように配置されていたかは、把握していない。本尊
  を囲むようにして並ぶ十二神将は、薬師如来を守護する気迫に
  満ちた像揃いだ。造立から1300年も経った塑像とは到底思え
  ない。天平彫像、匠の技だ。

  「薬師如来像と脇侍像での三尊像」、「薬師如来像と十二神将像」
  2つパターンを薬師寺と新薬師寺の像で対比した(❺)。

  日光菩薩、月光菩薩が昼夜を分担するのに対し、十二神将は昼夜
  12時間を、1年12か月を、12方位をそれぞれ12人で分担
  して見守る。

  更に十二神将1人に7,000名の眷属(部下)が付くと言う。
  従って、総勢84,000名以上で薬師如来を守護している。
❹新薬師寺 薬師如来坐像  ❺薬師寺・新薬師寺 像比較

4.薬師三尊像と十二神将像が揃う代表例
 (A)京都・東寺 金堂像(❻)
  十二神将像が、薬師如来坐像の台座を支えるように配置されて
  いる。薬師如来像は、台座にも注目する必要がある。

 (B)京都・仁和寺 薬師如来像(❼)
  独尊像でありながら、脇侍像、十二神将像を具備した像がある。
  仁和寺の薬師如来坐像は、日本で一番小さい国宝の仏像であり、
  像高はわずか11㎝、光背、台座を含めても24㎝しかない。

  その小さな像の、光背、台座に見事に脇侍像や十二神将が彫られ
  ている。この像も、仁和寺と東京国立博物館の二カ所で拝観した。
❻東寺 薬師三尊像     ❼仁和寺 薬師如来坐像

5.かつてのご本尊(薬師如来)像と再会した十二神将像
  東京藝術大学 大学美術館にて開催された『国宝 興福寺仏頭展
  (❽)でかつてのご本尊と十二神将像がご対面することとなった。
  この企画展を通して、歴史に思いを馳せることになった。

  興福寺の銅造仏頭は、数奇な運命を辿った仏像だ。鎌倉時代初期、
  興福寺東金堂に迎えられる前は山田寺のご本尊だった。その後の
  火災により、頭部のみ残った。昭和12年に、再建本尊の台座下
  から発見されるまで、存在が消えていた。

  仏頭展チラシ(❽)に掲載の木造十二神将立像は、現在も東金堂
  に安置されている。板彫十二神将像は本尊台座の4面に貼られて
  いた。現在は国宝館に所蔵されている。現在の東金堂内陣は❾の
  通り。
❽東京藝大 興福寺仏頭展   ❾興福寺 薬師三尊像

6.薬師如来像の名前が変わった?(❿)
  奈良・室生寺の金堂には数多くの仏像が並んでいる。金堂の本尊は
  国宝・釈迦如来立像。この像の板光背を見ると、七仏薬師が見事に
  描かれている。
 
  また、須弥壇前面には十二神将が所狭しと並んでいる。時代の変遷
  の中で薬師如来から釈迦如来に名称変更がなされたようだ。また、
  客仏の像は新しくできた宝物殿に移されるとのこと。

  尊像が時代と共に名称を変えて、引き継がれる話は良く聞く。これ
  だけはっきりした標識を残しながら、変更するのは珍しいのでは
  ないか。その変更の理由や経緯に関心が高まると同時に、仏像の
  体系を崩してまで尊名を変えてしまうことに違和感を覚える。
❿室生寺金堂 諸尊像

【中尊と脇侍・眷属シリーズ続く】



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