2020年8月31日月曜日

中尊と脇侍・眷属<阿弥陀如来グループ>Ⅱ


今回は阿弥陀如来像の印相や阿弥陀三尊像の姿勢を取り上げたい。

1.阿弥陀如来の印相変化と背景(❶)
 5年程前、学習院大学で開催の「仏像美術の世界」という講座に
 参加した。その時の講師が解説された講義内容を基に、「阿弥陀
 信仰と印相の変化」を一覧表にまとめてみた。

 平安前期までの阿弥陀信仰は「悔過(けか)」と追善供養ためが
 中心とのこと。自分自身の極楽往生を願うことが主目的になった
 のは、平安中期以後だそうだ。阿弥陀堂や阿弥陀仏が数多く造立
 される背景が納得できる。

 阿弥陀如来の印相については、施無畏・与願印から説法印、定印
 となり、来迎印へと変化して行く。奈良時代の説法印は初期密教
 (陀羅尼集経、だらにじっきょう)により出現した。平安前期の
 定印は密教の曼荼羅に描かれた図像に基づき造立された。

 印相は密教からの影響を受けていることが良く現れている。密教
 では「身・口・意(しん・く・い)」三つの行為を重視する。即ち、
 手に印を結び、口に真言を唱え、心に本尊を観念すること。これを
 三密(さんみつ)もしくは三業(さんごう)と言う。

 コロナの時代、「三密」が別の意味に使われている。奥深い意味の
 「身密・口密・意密」が、「密閉・密集・密接」の三密となった。
 弘法大師空海は、どう思われるのだろう。
❶阿弥陀如来印相の時系列変化

2.阿弥陀如来像の印相変化(❷~❺)
 施無畏・与願印から来迎印までの阿弥陀如来像を掲載した。定印の
 阿弥陀如来像で最古は、京都・仁和寺の阿弥陀三尊像。亡くなった
 光孝天皇追善のために造立されたと伝わる。

 清凉寺の阿弥陀三尊像も、源融(みなもとのとおる)の一周忌に、
 子息が造立した。こちらも追善供養と考えられる。一方、平等院の
 阿弥陀如来像は明らかに、発願者自身の極楽往生を願って造立した
 ものだ。

 三千院の阿弥陀如来像は来迎印であり、極楽往生を祈願するための
 本尊となっている。浄土寺像においては、「逆手(さかて)来迎印」
 と言う通常と反対の印相となっている。浄土寺では、西日が差し込み
 さながら、西方極楽から来迎したような設えになっている。
❷阿弥陀如来の印相例    ❸施無畏・与願印~定印

❹定印            ❺来迎印

3.阿弥陀三尊像 姿勢の変化(❻~❿)
 三尊像の姿勢に注目した。清凉寺像では、三尊像とも結跏趺坐して
 いる。この像は、悔過や追善供養のための本尊であり、動く気配は
 感じられない。中尊像は、定印を結ぶ。

 一方、中尊が来迎印を結ぶ三尊像の場合は、来迎の動きを感じさせ
 る造形となっている。その動きは、脇侍像から伺える。三千院像の
 観音、勢至は跪坐であり、今まさに立ち上がろうとしている。なお、
 観音は蓮台を捧げ持ち、勢至は合掌する姿が両像の特徴。

 浄楽寺像では、観音、勢至とも立像となり、来迎へ動き出している。
 更に、浄土寺像では、中尊の阿弥陀如来も立像となり、三尊像とも
 今まさに揃って動き出した。
❻阿弥陀三尊像 姿勢の変化

❼三尊像が結跏趺坐        ❽脇侍像が跪坐

❾脇侍像が立像      ❿三尊像とも立像

【中尊・脇侍・眷属シリーズ 続く】


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