法隆寺の国宝仏像を概観してきた。いよいよ最終となる。
今回は、上御堂(かみのみどう)、西円堂(さいえんどう)、
大講堂(だいこうどう)のご本尊を取り上げたい。
上記3つのお堂の位置関係は西院伽藍・配置図(❶)の通り。
大講堂が回廊、中門と繋がり、金堂、五重塔を囲む。大講堂
の北方に上御堂、西方に西円堂が建つ配置となっている。
どの堂も当初の建物ではない。当初堂の発願者、造立者と
される人物に、天武天皇皇子の舎人親王や橘夫人、行基と
ビッグな名前が挙がる。法隆寺の歴史を感じさせる。
現堂宇建立の年代順は、1.大講堂、2.西円堂、3.上御堂
となっている。
❶西院伽藍・配置図
3堂宇の本尊(❷❸❹)は、いずれも丈六の堂々とした像。
制作年代順では、1.西円堂・薬師如来像、2.上御堂・釈迦
三尊像、3.大講堂・薬師三尊像となる。
西円堂の薬師如来像は脱活乾漆造。唐招提寺の廬舎那仏像、
東大寺法華堂の不空羂索観音像、興福寺の阿修羅像も同じ
脱活乾漆造であり、いずれも、天平時代の名作ばかりだ。
文化財としての造形面で見ると、後者の3像の影に隠れて、
西円堂の薬師像は目立たない存在となっていると感じる。
一方、庶民信仰面では「峯の薬師」としての存在感を発揮
している。
上御堂の釈迦三尊像は、10世紀前半、サクラ材の一木造。
木彫像と言えば、年代順にクス、カヤ、ヒノキが一般的で
あり、サクラはあまり見かけない。しかし、木彫像の用材
としてサクラ材もあったようだ(❺)。
大講堂の薬師三尊像は、10世紀末、ヒノキ材の一木造、
寄木造併用となっている。後の時代、一木造から寄木造へ、
用材がヒノキ材主流となる造像技法の魁(さきがけ)か?
❷西円堂・薬師如来像 ❸上御堂・釈迦三尊像
❹大講堂・薬師三尊像 ❺木彫像の用材
法隆寺の国宝仏に、薬師如来像が3躯ある。元々、法隆寺の
建立は薬師如来を祀ることから始まっている。金堂の薬師像
光背には薬師像造立の経緯が銘記されている。法隆寺の本尊
は、嘗ては薬師如来だった。
薬師像以上に多いのは、観音菩薩像。国宝仏が4躯(阿弥陀
三尊像の脇侍像を含めると、5躯)。聖徳太子が観音の化身
と言われるだけに観音像が多いのも頷ける。
「法隆寺金堂壁画と百済観音」特別展中止を契機に、法隆寺
国宝文化財(仏像)を整理してみた。国宝仏一覧は❻の通り、
国宝彫刻は18件(仏像は17件の110躯)。
❻法隆寺 国宝彫刻一覧
法隆寺は、日本仏教の展開を考える上での源流であり、
聖徳太子は元祖のような存在と言える。法隆寺は鎮魂、
慰霊、祈りの心を脈々と伝えている。
コロナが蔓延し、世界中で多くの死者が出ている。先行き
が見えず、不安に思う人が多い。不安が敵意と結びつき、
攻撃的な言動が増えると社会心理学者の加藤諦三氏が指摘
している。氏は、こういう時こそ「自分をよく知る機会」と
捉えることの必要性も説いている。時間を有効に使いたい。
コロナはグローバリズムや自国第一主義に対する警鐘とも
思える。グローバリズムでヒト・モノ・カネ・情報が世界を
巡り、格差が生れ、大国の自国第一主義により、世界が分断・
対立となる。コロナ蔓延の下地となるのではないか?
聖徳太子の「和を以て貴しと為す」は、今こそ求められて
いるのではないだろうか。仏教の根本「寛容と利他の精神」
を持ちたい。
世界が連携し、心穏やかに過ごせる日が、一日でも早く到来
することを願って止まない。(合掌)
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