2020年5月24日日曜日

異色の観音『馬頭観音』を考える!

【観音シリーズ 第一弾】

「馬」に関する面白い本を読んだ。『「馬」が動かした日本史』
と言う新書版の本(❶ 蒲池明弘著、文春新書)。想像を遥かに
越えるレベルで、馬の存在の大きさを知った。歴史を読み解く上
での視座が広がったようにも感じた。馬を見る目が変わった。
❶「馬」が動かした日本史

馬に親しみを感じ、今回は馬頭観音をまとめてみたい。その前に
『「馬」が動かした日本史』についてご紹介したい。

(1)『「馬」が動かした日本史』(❶)のご紹介
 著者は日本史の謎を、三項目あげて解明していく。
 ①なぜ、縄文文化は東日本で、弥生文化は西日本で栄えたのか。
 ➁なぜ、世界遺産に登録された仁徳陵古墳、応神陵古墳など
  巨大な前方後円墳は、ヤマト王権の中心とされる奈良では
  なく、大阪にあるのか。
 ③なぜ、武士政権は東日本の鎌倉で誕生したのか。

 これらを「黒ボク土(くろぼくど)」「草原」「馬」「武士」等
 をキーワードに解明して行く。江戸時代まで通貨の役割さえ担っ
 ていたのはコメであり、コメ文化の陰に隠れて、馬文化の歴史的
 な影響力は過小評価されていたとし、持論が展開される。

 ●黒ボク土(=火山灰土壌)→●木は育たず、草原となる→●馬牧
 (うままき=馬の牧場)に適する→●飼育された馬が時の支配者
  とどのように関わるか、地理と歴史を織り交ぜながら描く。

(2)馬と宗教創始者との関り
 ・釈迦(ゴータマ・シッダルダ)は、出家する時、愛馬カンタカ
  に乗り、カビラ城を出る。
 ・聖徳太子は厩戸(うまやど)の前にて出生したから厩戸皇子
  (うまやどのみこ)と命名されたと言う。聖徳太子の愛馬
  「甲斐の黒駒」と言われている。
 ・日本最初の寺院を建立したのは、蘇我馬子(そがのうまこ)。
 ・キリストも馬小屋で生まれたとの説もある。

 このように開祖(創始者)と馬との縁が強いことに気づく。
 そのことが事実かどうかの問題ではなく、馬が身近で特別な
 存在であったことを示しているように思える。

(3)馬頭観音を考える
  1.「馬頭観音」に対して抱いていた疑問
   いろんな動物の中で、なぜ馬が変化(へんげ)する観音の
   一つに選ばれたのか不思議に思っていた。観音菩薩と言え
   ば、柔和な表情で慈悲深い仏の代名詞だ。

   馬が選ばれたのは、いかなる理由だろうか? また観音で
   ありながら忿怒の表情なのはなぜか?

  2.「馬頭観音」の由来
   サンスクリット語のハヤグリーヴァ、「馬の頭をもつもの」
   を意味し、「馬頭観音」と呼ばれた。ヒンドゥー教の主神
   ヴィシュヌの化身と言われるとのこと。

   ヒンドゥー神話によると、インドの聖典「ヴェーダ」が
   盗まれ、梵天(ブラフマー)がヴィシュヌに取り戻すよう
   に要請したところ、ヴィシュヌは馬の頭に変身して、奪還
   したと伝えられているそうだ。

   馬頭観音のルーツを見る限り、観音菩薩と言うよりは、
   むしろ、守護神や明王と言える。怒りの形相で馬が草を
   むさぼり食うように諸悪を駆逐し、煩悩を断ち切ること
   を使命とし、馬頭観音が生れた。馬頭明王と呼ばれて、
   明王に分類されることもあるようだ。

  3.馬頭観音像の特徴
   馬頭観音像の特徴を❷図に示した。
❷馬頭観音像の解説
   
   第一の特徴は、頭上に馬頭を載せていることだ。眉間には
   第三の眼があり、顔は忿怒相となっている。顔は一、三、
   四面、腕は二、四、六、八臂と様々な造形がある。

  4.代表的な馬頭観音像
   全国的に有名な馬頭観音像や直接お目に掛った像を何躯か
   ご紹介したい。(❸~❼)

   A.馬頭観音像の5躯(❸❹)は国重要文化財の指定。
    ●福岡・観世音寺像 (四面八臂)<像高5mの巨像>
    ●京都・大報恩寺像 (三面六臂)<六観音の一躯>
    ●福井・中山寺像  (三面八臂)<秘仏>
    ●福井・馬居寺(まごじ)像(三面八臂)<秘仏>
    ●京都・浄瑠璃寺像 (三面八臂)<奈良博に寄託>

❸代表的な馬頭観音像    ❹馬頭観音像その2

   中山寺、馬居寺は北陸三十三か所観音霊場巡りの第一番札所、
   第二番札所となっている。馬居寺の開祖は聖徳太子と伝えら
   れており、寺院縁起(下記)が興味深い。

  『太子が愛馬・甲斐の黒駒にまたがり、諸国を巡った折、若狭の
   国で休息を取った。愛馬が見えなくなり、捜すと馬のいななき
   が聞こえ、光明が輝いた。そこを観音の霊地として馬頭観音を
   祀った。文字通り馬の居る寺として、馬居寺となった。』
  
   「聖徳太子(厩戸皇子)⇔愛馬⇔馬頭観音⇔馬居寺」と見事に
   馬で繋がる寺だ。秘仏のため、常時拝観できないのは残念。

   B.その他、印象に残った馬頭観音(❺❻❼)
    ●滋賀県長浜市徳円寺の馬頭観音(❺)は東京藝大の美術館
     で開催の特別展で観覧した。大きな馬頭が印象に残った。
     観音の里と言われる長浜でも、馬頭観音は少ない。若狭、
     丹後の影響があったと思われる。

    ●日光市輪王寺の三仏堂には三体の本尊(❻)が祀られている。
     その中の一体が馬頭観音像。神仏習合により三仏、三山
     三社(三権現)を同一視する考えによる。馬頭観音が三仏
     に選ばれたことに興味がわく。

    ●浅草の駒形堂(❼)がどのようにできたかに関心が深まる。
     蒲池明弘氏によると浅草の地名の由来は、かつて馬牧が
     浅草近辺にあり、草原があったからではないかと推測され
     ている。駒形が馬と関連しているだけでなく、浅草自体が
     馬と関連しているとは想像していなかった。
❺長浜・徳円寺 馬頭観音像  ❻日光・輪王寺 三仏像

❼浅草寺駒形堂 馬頭観音像

馬頭観音をご本尊として祀るお寺は少ない。百観音霊場のご本尊
(❽)を見ても、100分の2となっている。西国三十三観音の
馬頭観音は、舞鶴市・松尾寺(まつのおでら)のご本尊。

この松尾寺は上記の中山寺、馬居寺と青葉山を挟んで京都側に
ある。丹後、若狭の馬頭観音と言えば、この3寺が有名だ。

石仏の馬頭観音は、路傍などいろんなエリアでも良く見かける。
かつては、庶民信仰となっていたことを物語っている。
❽百観音霊場のご本尊

地名から馬との関連が想像できるところは多い。駒込、駒場、
馬喰町、馬籠、群馬県 等々。これからは馬と関連する地名
と石仏の馬頭観音をもっと注目して行きたい。


【観音シリーズ】  つづく



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