「不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)」と聞いて、最初に
思い浮かべるのは、東大寺法華堂の御本尊・観音像(❶)。
不空羂索観音は密教系の変化観音であり、奈良時代に密教が請来
していたことを示す。
空海が請来した密教を純密(じゅんみつ)と呼ぶのに対して、
奈良時代の仏教を雑密(ぞうみつ)と呼んでいる。体系化され
る前の密教のことを言う。
法華堂・不空羂索観音造立の経緯は諸説あるようだ。いずれに
しても、造立の基となる経典は、遣唐使の玄昉(げんぼう)に
よってもたらされたことは確実のようだ。
この法華堂の不空羂索観音像は、日本最古の不空羂索観音像で
あり、国宝に指定されている。堂内での存在感に圧倒される。
宝冠を飾る宝玉は質、量とも見事だ。
❶東大寺法華堂 不空羂索観音像
1.不空羂索観音とはどんな観音様?
「不空」とは「空(むな)しからず」の意。空振りがない、
空回りしない、空手形がないと受け止めた。「この菩薩を
信じるなら願いが叶えられないことはない」と解説される。
「羂索」は手に持つ縄(投げ縄や捕縛縄)を意味して、衆生
を救うための道具。即ち、「羂索で衆生を洩れなく救う事を
成し遂げる観音様」が、不空羂索観音となる。
天変地異に怯え、観音に救いを求め、一途に念じたに違い
ない。コロナの恐怖を目の前にして、祈る気持ちは千数百
年前の人達と現代の我々とあまり変わらない。
2.不空羂索観音像の特徴
多臂像、胸前で合掌印を結ぶ姿は千手観音と良く似ている。
腕の数は、千手観音に比べ、明らかに少ない。変化観音の
成立順は、古い順に十一面観音、次に不空羂索観音、三番目
に千手観音と続く。
不空羂索観音、千手観音は十一面観音の造形を踏襲して、
更に変化して行ったように思われる。不空羂索観音(❷)
や千手観音の頭部が「十一面」となっていることが多い。
他の特徴としては、眉間に「第三の目」、左肩に「鹿皮の
衣」、胸前で「合掌印」組み、観音の名前となった「羂索」
を左手に下げる(❷)。
特徴の中で、注目したのは「鹿皮の衣」。鹿は神の使いと
として、大事にされ、奈良公園近辺ではたくさん見かける。
鹿は、春日大社造営と関わる。藤原氏の氏神である鹿島神
武甕槌命(たけみかづちのみこと)が鹿島(茨城県)から
神鹿に乗って来たと伝わる。そのことから、鹿は神の使い
として古来、手厚く保護されたと言う。
不空羂索観音は武甕槌命の本地仏とされており、鹿皮の衣
を纏うことになったのだろう。
❷不空羂索観音像の特徴
3.代表的な不空羂索観音像
ご本尊が不空羂索観音像の寺院(堂塔)は東大寺法華堂、
興福寺南円堂(❸)、不空院(❹)がある。
「(奈良)三不空羂索観音」と称されている。
〇興福寺南円堂 不空羂索観音坐像(❸)
南円堂は、藤原冬嗣が建立した。藤原北家が繁栄するには
どうしたら良いかを空海に相談したところ、堂塔の建立を
勧められ、父・内麻呂追善のため南円堂を建てたと聞く。
南円堂の不空羂索観音こそ、藤原氏の氏神である春日大社・
武甕槌命の本地仏として造立された。興福寺と春日大社は
氏寺、氏神の関係。
現在の不空羂索観音は、運慶の父、康慶の作であり、国宝
に指定されている。南円堂には歴史上の人物が大勢関わり、
興味の尽きないお堂だ。
〇不空院 不空羂索観音坐像(❹)
不空院は最寄りのバス停から新薬師寺に向う途中にある。
不空院には鑑真和上が住んでいたとか、興福寺南円堂を
建立する際に、空海が試みとして、不空院に八角円堂を
建立し、本尊・不空羂索観音を作ったと伝わる。
現在の不空羂索観音像は鎌倉時代の作で、像高は約1m
と、先の2像にに比し、小さい。お顔立ちの凛々しさで
は、一番のように見える。
❸興福寺南円堂像 ❹奈良・不空院像
〇京都・広隆寺 不空羂索観音立像(❺、❻)
国宝の不空羂索観音像が3躯あり、残りの1躯が京都・
広隆寺像。像高が3メートルを超える大きな像だ。
弥勒菩薩で有名な広隆寺の新霊宝殿は、見どころ満載の
宝物館だ。不空羂索観音像の横に千手観音像2躯が並び
見応えがある。
❺京都・広隆寺像 ❻広隆寺新霊宝殿諸尊像
〇福岡・観世音寺 不空羂索観音立像(❼)
観世音寺の不空羂索観音像は、像高517㎝と、その巨大さ
に圧倒される。国重文に指定されている。
宝蔵には5mの像が3躯並んで安置されている。先にご紹介
の馬頭観音像を中央に、左側に千手観音右側に不空羂索観音
と並ぶ。この宝蔵には、重文クラスの仏像が16躯も所蔵
されており、拝観をお勧めする。
❼福岡・観世音寺像
【観音シリーズ】 つづく
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