如意輪観音で一番有名な像は、大阪・河内長野の観心寺像(❶)
ではないだろうか。観音像と言う慈悲深い仏である一方、妖艶
な雰囲気を漂わせている。正に密教の「煩悩即菩提」の表現が
ぴったりの観音様のように思える。
❶観心寺(大阪)如意輪観音坐像
1.「如意輪」とは何のこと?
如意輪観音像は六臂で輪王座(りんのうざ)での造像が多い。
輪王座とは右膝を立て、足裏を合わせる座り方を言う(❷)。
6つの手の内、右第2手に如意宝珠を載せ、左第3手で法輪
(輪宝)を支える。この如意宝珠の「如意」と法輪の「輪」
を合わせ「如意輪」となった。
如意宝珠とはあらゆる願いを叶えると言う不思議な珠であり、
法輪とは仏の教えであり、仏法が人間の迷いや悪を打ち破る
ことを意味する。
❷如意輪観音の特徴
2.如意輪観音の像容
六臂・思惟手(しゆいしゅ)・輪王座の如意輪観音像以外に、
二臂像の観音像がある。如意輪観音の像容は❸の通り。
二臂像は2パターンあり、思惟手像と施無畏印・与願印像と
ある。
二臂・思惟手像は、弥勒菩薩の造形と共通し、如意輪観音と
特定が難しいと思われる。施無畏印・与願印像についても、
如意輪観音固有の印相ではないため、特定が難しいのでは
ないだろうか。❸に掲載の像は、次項で画像をご紹介する。
❸如意輪観音の像容
3.代表的な如意輪観音像のご紹介
A.六臂・思惟手・輪王座の像(❹❺)
醍醐寺像(❹左側)は2018年10月にサントリー美術館で
開催の「醍醐寺〝真言密教の宇宙″ 展」で観覧した。
優美な姿に、うっとりしたことを思い出す。
如意宝珠と法輪以外について触れておく。右第1手が、
頬に当てる思惟手、右第3手が外側に腕を垂らし、数珠
を持つ。
左第1手は掌を広げて地に触れ、左第2手は未開敷蓮華
(みかいふれんげ=開く前の蕾の蓮)を持つ。このよう
に、ルールが決まっているから、特定できる。
❹六臂の如意輪観音像(Ⅰ) ❺六臂の如意輪観音像(Ⅱ)
B.二臂・思惟手の像(❻)
二臂・思惟手の像は、「半跏思惟像(はんかしゆいぞう)」
と呼ばれる。中宮寺像(❻左側)が如意輪観音であるのに
対し、京都・広隆寺像は弥勒菩薩(❼)となっている。
調べて行くと面白いことが分かる。飛鳥時代の半跏思惟像
は、弥勒菩薩として造像されたようだ。ところが、平安末
から鎌倉時代に、この像が如意輪観音とされた。
理由は、聖徳太子が如意輪観音の化身とされ、太子信仰と
結びついて如意輪観音となって行ったとの説がある。そも
そも中宮寺像が造立された頃には、如意輪観音は請来して
いない。
❻二臂・思惟手の像 ❼国宝半跏思惟像3躯
C.二臂・施無畏印・与願印の像
願徳寺像(❾左)は、いつの時代からか如意輪観音と呼ばれ
るようになったか分からない。いろんな変遷を経て来た像だ
けに、様々なドラマがあるかもしれない。
十二世紀に成立した図像集に、施無畏印・与願印を結び、
片足を踏み下げた形式の如意輪観音像を石山様(いしやま
よう)と称していると書かれているそうだ。
石山寺で成立した像容(❽右)が、東大寺や岡寺へと伝わっ
たのではないかと言われている(❾)。この形式像容の基と
なる経典ははないとのことだ。
また、石山寺は醍醐寺の影響を受け、醍醐寺は空海の法脈
を引き継いでいる。
❽二臂、施無畏・与願印の像(Ⅰ)❾二臂、施無畏・与願印の像(Ⅱ)
如意輪観音は、空海の密教と共にもたらされ、聖徳太子信仰と
結びつけられ、二臂の像も如意輪観音とみなされて行ったこと
が分かる。
日韓国交正常化50周年記念「ほほえみの御仏(みほとけ)」
の図録で「半跏思惟像をめぐる旅」と言う論文を読んだ。
その中に次のような記述があった。
『この姿の像(半跏思惟像)はいずれも如意輪観音とされ、
聖徳太子を如意輪観音の化身とすることがその背景にある
と考えられている。
そして太子を如意輪観音と結びつける考えは、後白河法皇
および京都・醍醐寺の周辺において成立した可能性のある
ことが、近年の研究で指摘されている。(中略)
また、二臂像には石山寺像(施無畏・与願印の像)のよう
に右脚を曲げ左脚を踏み下げるものがある。このような
像容の類似も、本来は弥勒菩薩であった半跏思惟像が、後
に、如意輪観音とされたことの一因でもあるのだろう。』
【観音シリーズ】 つづく
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