2020年4月12日日曜日

法隆寺は国宝文化財の宝庫③<金堂諸尊像>


今回は、法隆寺金堂の諸尊像を取り上げたい。金堂には
5件13躯の仏像が安置されており、内4件10躯が国宝
に指定されている。

1.金堂の国宝諸尊像と天蓋
  4件10躯の国宝とは、本尊の釈迦三尊像3躯、薬師
  如来像1躯、毘沙門天・吉祥天像の2躯、四天王像の
  4躯。

  配置図や像容は❶~❸の通り。制作年代については、
  平安時代の毘沙門天・吉祥天以外、すべて飛鳥時代
  となっている。国宝の飛鳥仏が一つのお堂に、これ程
  揃うお寺は、唯一法隆寺だけだ。凄い‼

  更に、3如来像の頭上を覆う天蓋(❹)も今年、国宝
  となり、文字通り燦然と輝いた。
❶内陣と配置図     ❷釈迦三尊像・薬師像など
❸四天王像         ❹木造天蓋

2.文化庁の国指定文化財等データベースを検索
   国指定文化財等データベースに登録されている項目の中
   から抜粋し表にした(❺)。
❺文化庁のデータベース

  〇薬師如来像の年代が607年と記録。607年は
   法隆寺建立の年である。薬師如来像の光背銘から、
   法隆寺創建時の像と記録された。(下記光背の銘)

   今では、創建時の像と見る人はあまりいないようだ。
   国宝に登録されると、記録を訂正することはしない
   のだろうか。研究成果で新しい事実が判明した場合
   には、データベースに反映して頂きたい。
 
  〇吉祥天立像は、毘沙門天立像と対になって国宝指定を
   受けている。データベースで検索すると、毘沙門天像
   は、出て来るも、吉祥天像は出てこない。これでは、
   データベースとして不十分ではないだろうか。

   吉祥天像は、「吉祥悔過会(きちじょうけかえ)」の
   ご本尊であり、歴史的、文化的に見ても大きな役割を
   担っている、重要な像だ。

3.光背の銘記
   金堂安置の飛鳥仏には、光背に銘がある(❻)。釈迦
   三尊像と薬師如来像については、誰が、いつ、どんな
   目的で造立したかが、四天王像の広目天像、多聞天像
   には作者名が銘記されている。

   釈迦三尊像光背の要約
   「621年12月聖徳太子の生母が亡くなった。翌年の
    正月、太子と太子妃が病気になったため、妃や皇子達
    が太子等身の釈迦像の造像を発願、病気平癒を願った。
    しかし、妃、太子と相次いで亡くなる。623年
    釈迦三尊像を止利仏師に造らせた。」
   
   薬師如来像光背の要約
   「用明天皇が病気の時に、平癒を念じて、寺と薬師像を
    作ることを誓われた。果されずに亡くなられ、遺志を
    継いで推古天皇と聖徳太子が607年に建立した。」
   
   光背銘記は、様々な探求の手掛かりとなる。価値ある
   第一級の史料と言える。記録は、国民の貴重な財産で
   あり、歴史的検証の鍵となる。
❻金堂 国宝仏の光背銘

4.釈迦如来像と薬師如来像の比較
  釈迦如来像と薬師如来像を比較してみた(❼)。釈迦像
  の尊顔は、「面長」「杏仁形(きょうにんぎょう)の目」
  「仰月形(ぎょうげつけい)の唇」が特徴。

  「アーモンド形の目」「アルカイックスマイル」とも
  言われる。

  一方、薬師像は、少しふっくらとしたお顔に、微笑みが
  少し増しているように見える。白鳳期の仏像と共通する
  特徴がある。時代的には7世紀後半となる。釈迦像より
  古い607年造立とは思えない。
❼釈迦如来像と薬師如来像

 先のブログで触れたNHK放送の「秘められた聖徳太子の夢」
 の中では、この薬師像は、持統天皇が納めたのではないかとの
 解説もあった。正に白鳳期となる。謎の多い、お薬師さんだ。




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