4月8日は仏生会(ぶっしょうえ)、灌仏会(かんぶつえ)、
降誕会(ごうたんえ)、花まつりと呼び名は様々。お釈迦様の
誕生を祝う法要のこと。今朝の新聞では「緊急事態宣言発令」
と大書きされた文字が目に付く。
外出を憚り、自宅で過ごす時間が長くなっている。今まで
録画しておいた番組をまとめて見始めた。2009年、NHK
で放送、更にアーカイブスで再放送の番組を興味深く視聴した。
前編「秘められた聖徳太子の夢」、後編「守り継がれた奇跡
の伽藍」。法隆寺の国宝38件(今年1件増え、現在39件)、
すべての解説があり、法隆寺の魅力を堪能できる。
放送の前年、2008年に金堂内部の修理があり、新たな発見
があったと番組で伝えている。
(1)現在の金堂は、創建伽藍(若草伽藍)が焼失した時には
既にできていた。
(2)東院夢殿の救世観音は、夢殿ができる前は、現在の金堂
に安置されていた。
最初に、法隆寺の年表(❶)により、時系列にポイントとなる
年号をチェックしておく。(年号にマル印)
607年 法隆寺建立(創建伽藍=若草伽藍)
622年 聖徳太子薨去(死去)
623年 釈迦三尊像造立
670年 法隆寺炎上
739年 上宮王院(東院伽藍)造営
❶法隆寺の年表
(1)現在の金堂は、創建伽藍(若草伽藍)が焼失した時には
❷法隆寺、創建時と現在の位置
奈良文化財研究所、年輪年代学の専門家が、金堂天井裏
に入る。面皮(めんかわ)と呼ばれる、木の皮を剥いだ
後に残る樹皮を調査し、木の伐採年を科学的に特定した。
年輪年代学の凄さに改めて、感心した。現在の法隆寺建立
に使われている木材の伐採年が668年となった。焼失の
670年より2年も早いことが明らかとなる。
古代、木材の伐採は建物の建築が決まってから、必要な
分だけ切り出すとのことであり、計画も無い段階で伐採
しておくことは考えられないとのことだ。従って、焼失後
再建したと言う説は、成り立ちにくい。
ご本尊の釈迦三尊像に火災の痕跡が無いことは、火災の
前に、移されていたことになる。建築史家の鈴木嘉吉氏は
最初の法隆寺から独立して、火災の前に建てられたとの
考えを示された。
(2)東院夢殿の救世観音は、夢殿ができる前は、現在の金堂
に安置されていた。
金堂内陣・西の間に鎮座するのが阿弥陀三造像(❸)。
運慶の四男・康勝が制作した鎌倉時代の仏像。重文指定。
阿弥陀三尊の台座(❹)は、金堂と同時代、飛鳥時代の
制作。漆の塗っていない丸い部分は仏像を載せると隠れた
部分。漆が貴重なこともあり、塗り残したようだ。
丸い部分の直径は約70㎝であり、夢殿の救世観音の台座
とぴったり一致するとのこと。救世観音の造立は7世紀
前半から中頃の作で、釈迦三尊像より少し遅い時期の作か。
現在の金堂が建立当初は、❺のような仏像配置になって
いたのではないかとの推論があった。現在の金堂内陣(❻)
と比較してみると、面白い。❺の方が、聖徳太子をより
前面に出した祀り方となる。
金堂内陣・西の間に鎮座するのが阿弥陀三造像(❸)。
運慶の四男・康勝が制作した鎌倉時代の仏像。重文指定。
阿弥陀三尊の台座(❹)は、金堂と同時代、飛鳥時代の
制作。漆の塗っていない丸い部分は仏像を載せると隠れた
部分。漆が貴重なこともあり、塗り残したようだ。
丸い部分の直径は約70㎝であり、夢殿の救世観音の台座
とぴったり一致するとのこと。救世観音の造立は7世紀
前半から中頃の作で、釈迦三尊像より少し遅い時期の作か。
現在の金堂が建立当初は、❺のような仏像配置になって
いたのではないかとの推論があった。現在の金堂内陣(❻)
と比較してみると、面白い。❺の方が、聖徳太子をより
前面に出した祀り方となる。
❸金堂西の間 阿弥陀三尊像 ❹阿弥陀三尊像台座の丸い部分
❺金堂建立当時の内陣(推論) ❻現在の金堂内陣・諸尊像
法隆寺には謎が多い。知れば知るほど興味が深まる。日本最古の
木造建築、五重塔の耐震構造は最新技術として東京スカイツリー
にも活用されている。信仰と科学技術を併せ持つお寺と言える。
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