夢殿の救世観音(くせかんのん、ぐぜかんのん)と聞いて、
直ぐに連想するのは、フェノロサと岡倉天心(❶)。
明治17年夏(1884)、二人が救世観音を初めて目に
した時の様子がエピソードとして伝承されている。
包帯巻きにされた仏像から、包帯が剥され、金色に輝く姿が
出現した時の衝撃は、今でも生々しい感覚として伝わる。
聖徳太子の祖父・欽明天皇が6世紀の中頃、金色に輝く仏像に
初めて接した時の驚きも、記録となって残っている。欽明天皇
が、仏像を仏教の仏(ほとけ)として意識された最初の日本人
ではないだろうか?
一方、フェノロサ、岡倉天心は仏像を文化財と認識し、文化財
の概念を日本にもたらした最初の人物ではないだろうか。二つ
の出来事はいずれも、聖徳太子と結び付いている。
❶フェノロサと岡倉天心
法隆寺東院伽藍は聖徳太子の斑鳩宮跡地に建つ。その中心となる
お堂が「夢殿」であり、ご本尊として救世観音が祀られている。
西院伽藍から東大門を抜け、夢殿へ向かう参道を歩くと、いつも飛鳥の息吹を感じる(❷)。
夢殿は、奈良時代(739年)、行信僧都によって建立された。
ご本尊の救世観音像は飛鳥時代に造立された。夢殿は救世観音を
祀るために建てられた(❸、❹)。「法隆寺地域の仏教建造物」
は、姫路城とともに日本初の世界遺産に登録されている。
❷法隆寺の東院伽藍 ❸夢殿の国宝・重文一覧
❹夢殿
文化庁の国指定文化財等データベースによると、夢殿の堂内
には、国宝3躯、重文3躯、仏像彫刻の所在が確認できる。
飛鳥から、奈良、平安、鎌倉と時代ごとの名作が勢揃いして
いる(❸、❺~❼)。
国宝の仏像(❺)では、木造、脱活乾漆造、塑造と制作技法
や材質が異なる。重文の仏像(❼)では一木造り、寄木造り
の違いがある。夢殿の中には飛鳥から鎌倉まで、時代の香り
が詰まっている。
なお、文化庁のDB(❸)で「所在夢殿」と表記されている
「木造阿弥陀如来坐像」の所在は、確認できない。
や材質が異なる。重文の仏像(❼)では一木造り、寄木造り
の違いがある。夢殿の中には飛鳥から鎌倉まで、時代の香り
が詰まっている。
なお、文化庁のDB(❸)で「所在夢殿」と表記されている
「木造阿弥陀如来坐像」の所在は、確認できない。
❺夢殿の国宝仏像3躯 ❻救世観音のご尊顔
❼夢殿の重文仏像2躯
最後に、法隆寺の聖徳太子像をまとめてみた(❽)。太子像
は全国の寺院で良く目にする。宗派を超えて、いかに敬愛
されているかを物語っている。
❽法隆寺の聖徳太子像
緊急事態宣言を受けて、23日から法隆寺が拝観停止となった
ニュースが流れた。
同じ日に「第七十回法隆寺夏季大学中止のお知らせ」の葉書が
届いた。一日も早い終息を願うばかりだ。(合掌)
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