2016年11月17日木曜日

阿佐谷地域区民センター主催「仏像講座」1日目内容


2日間の仏像講座が終了した。70名の定員に160名の応募があった
とのこと。抽選で110名の方に当選の通知を出されたようだ。2日間とも
会場はほぼ満員の賑わいとなっていた。

1日目(11月10日)は東京の寺院と仏像、2日目(本日)は鎌倉の寺院
と仏像をテーマに、講座を進めた。2日間の講座内容概略は次の通り。
2回に分けて、アップする。先ずは1日目。

講座開始直後の様子        1日目の講座内容

1.テーマ別の巡拝例(一部)

徳川家所縁の寺           天海の鬼門封じ
 
江戸五色不動               六地蔵
 
江戸三閻魔
 
2.講師推薦の仏像 (時間の制約で11件)
①大倉集古館 普賢菩薩騎象像    ②深大寺 釈迦如来倚像

③高幡不動 不動明王二童子像    ④大円寺 釈迦如来立像

⑤浄真寺 九品仏       ⑥五百羅漢寺 五百羅漢
 
⑦武蔵国分寺 薬師如来坐像   ⑧大悲願寺 阿弥陀三尊像

⑨養玉院如来寺 五智如来坐像  ⑩長谷寺 十一面観音立像

⑪正福寺 地蔵堂 & 地蔵菩薩立像
 
(続く)
 

 

 

2016年11月13日日曜日

神奈川県立 金沢文庫「忍性菩薩」展を観覧する


前日までの真冬日とは打って変わって、今日(12日)は小春日和の
良い日となった。10時、金沢文庫駅に11名が集合。極楽寺の諸尊像
は前々から拝観したいと願うものの、ご開帳日と訪問日が合わず、
実現しないままとなっていた。

「忍性生誕800年記念、関東興律750年」で、秘仏・極楽寺釈迦如来
立像が特別公開となった。楽しみにしていた特別展と言える。
「清凉寺式釈迦如来」と言えば、東京近辺では鎌倉・極楽寺、金沢文庫・
称名寺、東京目黒・大円寺の像が有名。

今回は、極楽寺像と称名寺像が同時に拝観できる。また、極楽寺は、
立像の他に、坐像の釈迦如来像も所蔵されており、今回出陳されている。
これも、楽しみの一つ。いずれも国の重要文化財指定を受けた像。

展覧会チラシ(表)(裏)
 
金沢文庫に到着し、学芸員の瀬谷さんから特別展について解説頂いた。
瀬谷さんには午後からの講座準備でお忙しい中、貴重な時間を割いて
頂いた。大変有難い。
 
忍性がどのような僧であったか、真言律宗が鎌倉新仏教との対比に
おいて、どのように位置づけられたか。清凉寺式釈迦如来は全国で多く
造立された。これこそ、真言律宗の布教を証明する事績とのこと。
最近の研究では、長谷寺式十一面観音像の広がりも、
真言律宗布教活動の結果だとする説もあるようだ。大変興味深い。
 
会場2階へ移動し、特筆する展示として、茨城・蔵福寺の阿弥陀三尊像
について解説して頂いた。この阿弥陀三尊像の開眼供養を仕切る導師を
忍性が勤めたのではないかということ。
 
忍性の東国下向を予知して、造立を開始し、像の完成を忍性の到着に
合わせたようだ。それだけ、忍性の人望、信任が大きかったかを物語る
事例とのこと。
<忍性は最初に常陸三村寺(茨城県)に入った>
 
また、忍性が、いきなり真言律宗の教義を広めようとしないで、地の宗教を
受け入れながら対応して行ったことも分かるとの解説もあった。柔軟な対応
によって、その後の展開が上手く行ったことだろうと想像できる。
 
(図録写真から転載)

茨城・蔵福寺 阿弥陀三尊像
 
極楽寺の釈迦如来坐像の印が大変珍しい。転法輪印(説法印)の掌が
左右反対の向きをしている。この像は、極楽寺多宝塔の中に安置されて
いた「金泥三尺釈迦如来像」に該当する可能性が高いそうだ。
「釈迦と大日を同体視して荘厳された」と図録での解説文に書かれている。
 
原点回帰で、戒律を重んじ、釈迦に帰れとする一方、釈迦と大日を同体視
するとは、真言律宗が密教の系統を引くことが容易に理解できる。
同じような転法輪印の像は、岐阜県・願興寺 釈迦三尊像(重文)の印相も
同じ。
 釈迦如来坐像      岐阜・願興寺 釈迦三尊像
 
次に目に付いたのは「忍性像」と「叡尊像」。師弟関係であり、お顔まで
よく似ている。特徴的な大きな鼻が印象に残る。叡尊は西大寺像が今年、
国宝に指定されたこともあり、一躍脚光を浴びた。「忍性の顔を思い浮かべ
ようとすると、叡尊の顔が浮かび、邪魔する」いう声がメンバーから聞こえた。 
忍性菩薩坐像            興正菩薩叡尊坐像
 
今回の最注目は、清凉寺式釈迦如来像。極楽寺像は、背筋を伸ばして
すっと立ち、爽やかな感じの像に見えた。一方、称名寺像は、少し、
前かがみで、考え込むようなお顔立ちをしている。個人的には、極楽寺像
の方が好きだ。
 
釈迦如来立像
極楽寺像       称名寺像
 
極楽寺像は善派、称名寺像は院派の仏師によって製作されたようだ。
西大寺の愛染明王坐像は善円作であり、また叡尊の念持仏であった
ことが知られている。極楽寺の像は、叡尊との繋がりで善派仏師に
よって造立されたことが想像できる。
 
また、称名寺仁王門の仁王像が院派仏師によって製作されたことも
記録がある。同じような時期に、善派や院派が鎌倉で競って仏像を
造立していたとは、凄い。
 
十大弟子像についても、極楽寺像と称名寺像の比較をしてみた。
極楽寺像の方が迫力、凄み、リアルさ、精神性などにおいて優って
いるように感じられる。称名寺像は老成したというより、これから修行を
するようにも見え、若々しい雰囲気がする。 
 
大迦葉像 
極楽寺像      称名寺像
 
阿難陀像
極楽寺像     称名寺像
 
極楽寺、称名寺創建の時代に登場した主要な人たちの生存年を
まとめると以下の通り。
生存年を並べることで、交流の有無を想像することができる。
 
観覧を終えた後、記念撮影をする。館内のレストランで 昼食を取り、
その後、希望者のみ、称名寺境内を散策した。ガイドブックに掲載された、
称名寺境内の石仏を探して本堂の裏山を歩いた。
記念撮影          称名寺側から入り口
 
境内の山道を散策
 
山道を時計回りに歩くと、最後に北条実時公の墓所に到着した。
今まで、何度も称名寺を参詣しているものの、今回が初めての墓参りとなる。
貴重な文化遺産を残してくれたことに感謝し、手を合わせた。
北条実時の墓

探し求めた、石仏について、ボランティアガイドの方や、境内の植木を
整備する庭師の人達にも尋ねるも、結局見つけることはできなかった。(残念)

称名寺山門
 
仁王門を眺めながら、帰途に就いた。今回も充実した一日となった。(合掌)


 

2016年10月29日土曜日

三井記念美術館「松島 瑞巌寺と伊達政宗」展を観覧!


10月27日(木)10時 日本橋の三井記念美術館に12名が集合。
遅れて1名加わり、13名が「松島 瑞巌寺と伊達政宗」展を観覧した。
特別展チラシ
 
仙台は学生時代の4年、会社生活での勤務で4年半と都合8年半
暮らした町であり、思い出多い、懐かしい土地だ。
今回の観覧目的は3つ。第一に、33年に一度しか、お目にかかれない
秘仏「五大明王」を拝観すること。第二に瑞巌寺の来歴を確認したいこと。
三点目として、展示品を通して伊達政宗の人物像を垣間見たい。

1.五大堂 五大明王像について
  三十三年に一度御開帳される秘仏で、前回は2006年に御開帳。
  本来は2039年まで拝観できない。今回特別に震災復興祈念として
  出開帳となったとのこと。
  伊達政宗も敵地を攻めるにあたって、松島に赴き、戦勝祈願をした。
  勝利の暁には堂宇を再建すると誓願し、実現した。
(図録から)
(中央)不動明王坐像
 
(東)降三世明王    (南)軍荼利明王
 
(西)大威徳明王    (北)金剛夜叉明王
 
第一印象は身体に比べ、顔が大きく、幼児のような体型をしている
ように見えた。恐ろしい明王の雰囲気、忿怒相ではなく、親しみや
温かみを感じた。金剛夜叉明王は特に笑っているようにも見えた。
 
六足尊・大威徳明王の左足が三段に重なっている姿は初めてお目に
かかる。うっかりしていると、気づかないで見落とす。不動明王の台座・
瑟瑟座(しつしつざ)が少し低いように感じ、数えてみたら五段だった。
通常は七段のところが二段少ない。
理由は何だろうと想像する。後補でそうなったのか、厨子に安置するため、
総高を調整したのだろうか?
 
五大明王とも、平安時代、10世紀後半の作。ケヤキの一木造り
(頭体幹部が一材)で内刳りは施していないとのこと。干割れした様子も
見えず、保存状態が良い。
 
お前立 不動明王三尊像
 
個人的には、お前立 不動明王三尊像の造形が気に入っている。
こちらの不動明王は、天地眼(てんちがん)や歯で唇をかむ形など
「不動十九観」に基づいた安然様(あんねんよう)であり、不動明王らしい。
また脇侍の二童子、 矜羯羅童子と制吒迦童子の表情が対照的で面白い。
鎌倉時代、13世紀の作、針葉樹の一木割矧造(わりはぎづくり)。
 
2.瑞巌寺の来歴
  東北の名刹は慈覚大師円仁を開山とする寺が多い。、東北地方では、
  お大師さんといえば、弘法大師ではなく慈覚大師のことを言うそうだ。
  瑞巌寺も元々、円仁が開いたお寺が時代と共に宗派が変遷して来た。
 
  「天台宗の延福寺」が「臨済宗建長寺派の円福寺」となり、現在は、
  「臨済宗妙心寺派の瑞巌寺」となった。延福寺は(比叡山)延暦寺との
  対比でつけた寺名のようだ。
 
  瑞巌寺以前の寺宝として「天台由緒記」や「松島山円福禅寺住持次第」の
  展示を目にした。そこには、慈覚大師円仁、大覚禅師蘭渓道隆の名前が
  掲載されている。
  蘭渓道隆は鎌倉幕府5代執権の北条時頼が建長寺の開山として迎えた
  中国僧。円福寺と建長寺が繋がることに興味が湧く。
 
「天台由緒記」部分        「円福寺住持次第」部分
慈覚大師(円仁)の名      大覚禅師(蘭渓道隆)の名
 
  円福寺の開山は法身性西(ほっしんしょうさい)、二世が蘭渓道隆。
  二人の頂相(ちんぞう)が展示されていた。法身性西の名は今回の展覧会
  で初めて知った。法身性西は、天台宗から臨済宗に改宗した時の初代住持
  (開山)になる。

法身性西像    蘭渓道隆像
  
  更に、時代が過ぎ、伊達政宗に円福寺の復興を勧めた僧が正宗の師でも
  あった妙心寺派の虎哉宗乙(こさいそういつ)。そして、この時に寺名を
  瑞巌寺と改めて、宗派も妙心寺派となった。
 
  僧の生存した年から3寺院の時代を整理してみると・・・
  円仁(794~864)、 蘭渓道隆(1213~1278)、 
  虎哉宗乙(1530~1611)となる。
  平安初期、鎌倉中期、安土桃山から江戸初期
 
3.伊達政宗について
  伊達政宗と言えば、派手ないでたちで有名であったようだ。
  伊達男も一説ではそこから来ているとも言われる。伊達政宗の書を見て、
  武将でありながら、文人でもあったのだろう思えた。何と流麗な文字
  だろうか。
 
  「伊達政宗和歌詠草」は図録の解説によると、五年がかりの大工事で竣工
  した瑞巌寺方丈の祝儀があり、寺の末永き繁栄を祈願して詠んだ和歌との
  こと。
  「松嶋乃枩農齢尓此寺の春恵佐可へなむ年ハ婦るとも」 
  「まつしまの まつのよわいに このてらの すえさかえなん 
   としはふるとも」
 
  目を引いたのは二体の尼僧像。正宗の正室と子の五郎八(いろは)姫。
  この姫は徳川家康の六男と結婚した。「白い肌、朱く彩られた唇が五郎八姫
  の優雅さと気品を表し、眼差しや鼻梁のとおった顔立ちに、父正宗の面影を
  見ることができる」と図録解説にある。時代に翻弄された人生を送ったこと
  だろうと思いながら眺めた。
 
伊達政宗和歌詠草   天麟院五郎八(いろは)姫像
 
観覧後は、ビデオを視聴し、その後館内のレストランで昼食歓談をした。
今回も楽しいひと時となった。