2019年11月30日土曜日

仏像めぐり(山梨)④甲斐善光寺


11月22日(金)午前中に大善寺、仁勝寺、青松院を訪れ、
午後の最初は甲斐善光寺を参詣。

4.甲斐善光寺(かいぜんこうじ)<浄土宗(甲府市善光寺)>
  
  甲斐善光寺の開基は武田信玄。川中島の合戦の折、信濃
  善光寺の焼失を恐れ、永禄元年(1558)ご本尊の
  善光寺如来像などを移したことが始まりとなる。
  その後、武田氏滅亡により、ご本尊は織田・徳川・豊臣氏
  を転々とし、慶長三年(1598)信濃に戻られた。
  甲府では新たに前立仏をご本尊と定め、現在に至っている
  とのこと(❶)。信濃善光寺と甲斐善光寺との関係が良く
  分かる。
  甲斐善光寺の境内の伽藍配置は❷の通り。金堂山門
  国の重要文化財に指定されている。
❶善光寺の歴史    ❷善光寺境内略図

  参道を進むと、金堂の手前に大きな香炉がある(❸)。
  参拝客を遮るように設置してある。身を清めてから
  金堂へ参れと言う事だろう。

  金堂は、信濃善光寺と同様に撞木造(しゅもくづくり)
  という建築様式になっている。撞木とは、鐘などを
  打ち鳴らす丁字形の棒のこと。
  
  二棟が直角に接続されT字型になった建築を撞木造と
  言う。外観からT字の形を確認できなかった。

❸金堂の手前に香炉堂    ❹撞木造の金堂

  金堂に上がると、内陣に案内された。参拝を済ませた後、
  天井に描かれた泣き龍の真下に立ち、手を打つ。反響音
  が聞こえる。

  続いて、戒壇巡りに向う。壁を頼りに、進む。「心」の
  字を象ってあるそうだ。残念ながら、良く分からない。
❺金堂内陣

  甲斐善光寺は、重要文化財の阿弥陀三尊像三組所蔵
  している(❻)。銅造阿弥陀三尊像のご本尊は、丑年
  と未年にだけご開帳となり、今回は拝観できない。

  ❻一番右の木造阿弥陀三尊像は、収蔵庫に保管されて
  おり、非公開。拝観できるのは宝物館に展示されている
  中央の阿弥陀三尊像だけ。

  宝物館は金堂を出て、右手にある。お目当ての三尊像
  を拝観する。中尊の阿弥陀如来は口を開いた「歯吹き
  (はふき)」のように見えた。

  三尊像は、経年による劣化が進んでいるような印象を
  持った。東京国立博物館で、修復された仏像を拝観した
  ばかりであり、猶更感じたのかもしれない。

  源頼朝像、実朝像は、それぞれの彫像として日本最古の
  像とのことであり、楽しみにしていた。実朝像は修理の
  ために不在となっていた。頼朝像の損傷も気になった。
  文化財保存の難しさを感じさせた宝物館だった。  
❻重文・阿弥陀三尊像三組  ❼木造源頼朝座像・実朝坐像

  境内には、露座の大仏(❽)や地蔵菩薩(❾)が鎮座
  されている。銅造や石造の仏像が逞しく感じた。

❽露座の大仏      ❾地蔵堂と地蔵菩薩

(続く)

2019年11月29日金曜日

仏像めぐり(山梨)③青松院


大善寺、仁勝寺と参詣し、午前中最後は青松院を訪れる。

3.青松院(せいしょういん)<曹洞宗(甲府市山宮町)>

  境内に入り、直ぐ目に入るのは、立派な舎利殿(❷)と
  大きな立て看板(❶)。鎌倉・円覚寺の舎利殿(❸)と
  よく似ているのに驚く。

  立て看板は「佛舎利殿建設趣意書」と表題が付けられ、
  建立の意義や、構造と特色などが書かれている。落慶
  法要が平成九年四月八日に厳修されたことも分かる。
❶仏舎利殿建設趣意書

 ❷青松院の仏舎利殿    ❸円覚寺舎利殿(参照)

  本堂(❺)に通され、用意されていた椅子に着席した。
  ストーブで本堂は温かくなっていた。お茶を頂きながら
  ご住職のお話をお聴きした。青松院は1522年の創建
  で、現在のご住職は第三十一世になられるとのこと。

  仏舎利殿の建立についてもご紹介された。昭和58年に
  先代のご住職が檀信徒を伴い、スリランカへ親善使節団
  として訪問された際、ジャヤワルダナ(ジャヤワルデネ)
  大統領から、仏舎利を戴いたそうだ。その仏舎利を祀る
  ために仏舎利殿が建立された。

  このジャヤワルダナ大統領は、第二次世界大戦の戦後処理
  で、日本が連合国によって分割統治されそうになった時、
  ブッダの教えを引用した演説で窮地を救ってくれた。当時
  の日本にとって恩人と言える方だ。
❹ジャヤワルダナ スリランカ大統領
(ネットから)(1906~1996)

  仏像についての解説もあった。お寺は創建して500年。
  本尊の十一面観音は、11世紀平安・藤原中期の作であり、
  お寺ができるよりも、ずっと前に造られている(❻❽)。

  ご住職の解説によると、当地は、平安時代に真言密教の道場
  があったとのこと。また、観音を中尊に、不動と毘沙門天を
  脇侍とする配置は天台宗寺院に見られる。いずれにしても、
  平安時代仏教の影響を受けたことは確かと思われる。
❺光沢山の扁額が掛る本堂  ❻十一面・不動・毘沙門

  ご本尊の十一面観音菩薩立像は県指定有形文化財(❼)と
  なっている。また、青松院は甲斐国三十三観音霊場「結願
  の寺」。ふっくらとして穏やかなお顔立ちは、観音らしく、
  心が和む(❽)。
❼十一面観音像の解説   ❽十一面観音菩薩立像

  ご住職からお寺の楽しみ方は3つある言われた。「仏像」
  「建物」そして「庭」。庭には「池泉式」と「枯山水」。
  青松院は池泉式の庭園もあり、3つ揃っていると関西弁風
  な語り口でPRされた(❾)。

  拝観を終え、辞去しようすると、お土産まで頂戴した。
  仁勝寺に引き続き、大変親切なご対応が気持ち良い。
❾本堂北庭(池泉式)
(パンフレットから)

  午前中の拝観予定を終え、予約した店で昼食タイム。
  舌鼓を打った。(①➁)
①予約したお店        ➁歓談昼食

(続く)



2019年11月28日木曜日

仏像めぐり(山梨)➁仁勝寺


大善寺の次は仁勝寺に向う。
2.仁勝寺(にんしょうじ)<臨済宗向嶽寺派(甲府市小瀬町)>

  到着をお伝えすると、ご住職が出て来られて、八角形の
  お堂(❶)に案内された。奈良・法隆寺の夢殿(❷)を
  思わせる形をしたお堂だ。

❶仁勝寺八角形のお堂     ❷法隆寺夢殿(参照)

❸聖徳太子像を拝観    ❹ご住職の解説を拝聴

  禅宗寺院である仁勝寺になぜ聖徳太子孝養像(きょうようぞう)
  が安置されているのか(❺)、また像の特徴など、ご住職から
  解説頂いた。扉の内側には解説文が貼られてあった(❻❼)
  
  この聖徳太子立像は、元々、京都の恵心院に安置されていた。
  甲斐源氏(武田氏)の祖、新羅三郎源義光(しんらさぶろう
  みなもとのよしみつ)が天皇の勅命により甲斐へ供奉される
  際、一緒にお連れし、それ以来武田家の守り本尊となった。

  武田勝頼敗戦の際、家臣が縁ある仁勝寺に隠し、守ったという
  ことが仁勝寺略縁起に記してあるとのこと。
❺聖徳太子孝養像      ❻甲斐源氏(武田氏)系図

  聖徳太子が16歳の時の像を「孝養像(きょうようぞう)」
  と呼んでいる。髪を左右に分けて「角髪(みづら)」を結い、
  両手に笏(しゃく)や柄香炉(えごうろ)を持って立つ姿は
  父である用明天皇の病気平癒を願う像と言われている(❼)。
 
  衣には、赤や緑などの色が残り、所々に金色で鳳凰の模様
  が表されたり、眼には水晶の玉眼がはめ込まれるなどの
  技法が施されている。鎌倉時代に造られたと考えられて
  いるとのこと(❽)

  昭和4年に文部省指定で国宝となり、昭和25年文化財保護法
  が新たに施行された時に文化庁指定で重要文化財となった。
  お寺によっては「旧国宝」と呼んでいるところもある。
❼「聖徳太子 その姿」 ❽「仁勝寺の聖徳太子像」
               解説          解説


  聖徳太子像一体で、武田氏の歴史や文化財としての価値など
  関心や興味が尽きない。聖徳太子の偉大さを改めて認識した。
  次は、午前中の最後の寺院、青松院へ向かう。仁勝寺のご住職
  が、出発するバスにいつまでも手を振られていたのに恐縮した。

(続く)



2019年11月26日火曜日

「花南仏像の会」仏像めぐり(山梨)①大善寺


11月22日(金)小平「花南仏像の会」主催のバスツアー
が開催された。西武新宿線・花小金井駅そばのピーコック前
を7時に出発。山梨県仏像めぐりの旅が始まった。

参拝予定寺院は、午前中が大善寺仁勝寺青松院。昼食を
挟んで午後から、甲斐善光寺放光寺の合計5ヵ寺。

1.大善寺(だいぜんじ)<真言宗智山派 甲州市勝沼町勝沼3559>
  ●通称名はぶどう寺 ●ご本尊・薬師如来(秘仏)の左手は、
   薬壺(やっこ)でなく、ぶどうの房を持つ。

  大善寺の本堂は寺務所の脇から長い階段を上ったところ
  にある(❶)。大善寺は沢山の文化財を所蔵している(❷)。
  見どころは、国宝・薬師堂と堂内の諸尊像。
❶大善寺境内案内図      ❷大善寺の文化財

  寺務所で受付を済ませ、階段を上り山門を目指す(❸)。
  重厚な山門は威容を誇る。山門には阿吽の金剛力士像が
  構えている(❹❺)。この像もなかなかの風格。

  山門のそばには大善寺が歴史の舞台となったことを紹介
  する看板が立っている。「武田勝頼投宿地(❻)」や
  「近藤勇最終の戦い(❼)」。

❸階段を上り山門へ

❹吽形像           ❺阿形像

❻武田勝頼投宿の地 看板  ❼近藤勇最終の戦い 看板

  山門からの階段を更に上る。前方にはお堂が見え、階段の
  両側には紅葉した木々や、ご神木とされる巨木が立つ(❽)。

  前方のお堂は、「楽屋堂」と言い、祭りや縁日に音楽が奏で
  られる。楽屋堂の床下を潜るようにして本堂前の広場に出て
  来る(❾)。
❽山門から階段を更に上る   ❾楽屋堂の床下を潜る

  楽屋堂の横に、金属製の解説板が設置されていた(❿⓫⓬)。
  「甲州ぶどう発祥の地(❿)」では、大善寺が奈良時代の
  高僧・行基によって開創されたことや薬園をつくって民衆
  を救済したことが記されている。ぶどうが薬として栽培
  されていたことを初めても知った。

  「国重要文化財 木造薬師如来及両脇侍像(⓬)」には、
  ご本尊の薬師三尊像が桜材の一木造漆箔像で、密教風の
  弘仁仏であることが記されている。
【山梨県教育委員会 他2団体が設置した解説板】
❿甲州ぶどう発祥の地     ⓫武田勝頼主従投宿の地

⓬木造薬師如来及び両脇侍像

  いよいよ、お目当ての薬師堂参拝となる。檜皮葺(ひわだ
  ぶき)で落ち着いた、端正な形が大変美しい(⓭)。
  さすが国宝と感心する。

  薬師堂では、お寺の方が解説された。勝沼町年中行事の
  「藤切り祭り」「鳥居焼き」などの紹介や、テレビドラマ
  「逃げるは恥だが役に立つ」のロケがこの薬師堂で行われ
  たことも話された。その時の座布団がそのまま置いてある。

  薬師堂内陣は須弥壇中央に厨子が設えてあり、その厨子を
  囲むように諸尊像が並んでいる(⓮)。右側に日光菩薩像、
  左側に月光菩薩像が立つ。

  十二神将像が厨子の左右に6体ずつ並ぶ。右側から干支の順
  となっている。また、右隅に文殊菩薩像、左隅に毘沙門天像
  も鎮座。文殊さんと毘沙門さんが安置されるのはなぜか?

  厨子の御開帳は5年に1度であり、残念ながらご本尊は写真
  のみの拝観となった。実際の像容は⓯⓰の通り。像高は、
  薬師如来像が90㎝弱、日光・月光菩薩像が1m強と小ぶり
  でありながら、弘仁仏らしくボリューム感がある。

  厨子は薬師堂に組み込まれ一体となっている。その様子は、
  お堂の裏側に回ると確認できる。(裏側まで拝観可能)
⓭国宝・大善寺本堂(薬師堂) ⓮薬師堂内陣 厨子と諸尊像
            (ネットから)

⓯国宝・厨子と三尊像 ⓰(同左)薬師如来及び両脇侍像
(ネットから)     (絵葉書から作成)

  国宝の薬師堂と厨子、重要文化財の日光・月光菩薩像、
  十二神将像を拝観でき、大変満足。拝観を終え、記念撮影。
  皆さん笑顔で楽しそう。
⓱薬師堂の前で記念撮影
(筆者撮影)

  社務所のある地点まで紅葉を愛でながら下山する(⓲)。
  途中、ご神木の霊気を体感するため、抱きつく人もいた(⓳)。
⓲拝観を終えて下山    ⓳ご神木の霊気を体感
<続く>