2018年12月30日日曜日

2018年 1年間の活動 まとめ


2018年の活動の記録は以下の通り(❶、❷)。
❶1月~6月          ❷7月~12月

  *荻窪、西荻窪、小平のGはグループの略。
   個人参加団体として「空海研究会」始め3団体がある。

活動(探訪)日数:33日
   <荻窪12日、西荻窪9日、小平2日、個人10日>

参詣寺社
   〇参詣回数:33回  〇参詣寺社数:30寺社

観覧美術館・博物館
   〇観覧回数:14回  〇観覧美術館・博物館数:5館

2018年は、活動33日間、47カ所(延べ)を訪ねた。

美術館・博物館での特別展を複数回、観覧した。
特に、東京国立博物館での観覧が5回と最多回数。 

サントリー美術館3回、金沢文庫(横浜市)2回、
半蔵門ミュージアム2回、三井記念美術館2回と
5館とも複数回数となった。

ご一緒された皆様、一年間有難うございました。
来年もどうぞ、よろしくお願いします。(合掌)




2018年12月22日土曜日

八王子大塚 清鏡寺を参詣!


12月8日(土)10時、多摩都市モノレール「大塚帝京大学」駅に、
荻窪東のメンバー21名が集合。曹洞宗の寺院 清鏡寺(せいきょうじ)
を訪れる。駅から徒歩10分。野猿街道(やえんかいどう)を談笑
しながら歩く。(❶、❷)
❶野猿街道を進む      ❷談笑しながら歩く

道路沿いに案内板(❸)が見える。ほおかぶりをし、境内を掃除されて
いる方に、来訪を伝えると観音堂へ行くように言われた。清掃されて
いた方がご住職であることが、後程、分かった。

観音堂への参道には「南無観世音菩薩」の幟旗が並んでいる。お堂の
一部が、修理のためか、覆われている(❹)。
❸清鏡寺の案内板が見える ❹南無観世音菩薩の幟旗

お堂の中に上がるように促される。何名か、遅れて到着する旨伝えると
繋ぎの話でもしておきましょうと言われ、世間話をされた。解説は全員
揃うまで待つこととされた。何と親切で、気さくなご住職だろう。

清鏡寺には3年前に一度訪問し、今回が二度目となる。当時も感じの
良いご住職だったとの印象が残っている。今回のご対応で、好感度が
更にアップした。

全員揃ったところで、お寺の歴史、観音信仰の「講」、厨子に入れた
ご本尊を背負って、信者のところへ出向く「廻り観音」、仏像の造形
等々、丁寧に解説頂いた。

ご説明を終え、いよいよ、収蔵庫の扉を開けて頂く。中にはご本尊の
千手観音菩薩坐像(❺)、都指定文化財の十一面観音菩薩立像(❻、❼)
が金色に輝いていた。写真撮影の許可が下り、早速シャッターを切る。
❺本尊・千手観音菩薩  ❻都指定文化財・十一面観音菩薩

ご本尊の千手観音は、お顔が京都東山・泉涌寺の楊貴妃観音に良く
似ている。「大塚の御手観音」と呼ばれる真数千手観音。だが実際
には、何度数えても980本とのこと。

小像ながら、実に精緻にできており、文化財指定されていないのが
不思議に思う程である。

十一面観音像は、像高91.5cm、寄木造、漆箔、彫眼の見事な立像。
元々、教福寺と言う別のお寺にあったものが、明治初期の廃寺に
伴い、清鏡寺に移し、安置されたとのこと。(❼解説文)
❼都指定有形文化財の解説 はがき

須弥壇には、厨子があり、身代わりの観音像が置かれ、厨子の脇仏
には、不動明王像(向かって右)と毘沙門天像(左)(❽)が立って
いる。

観音を中尊に、不動・毘沙門で脇を固めるのは天台宗寺院に多い。
ご住職のご説明でも、かつて天台宗寺院であったと言われた。

須弥壇の脇には大黒天像(❾)を安置。大黒天を最初に日本へ請来
したのが、天台宗の開祖・最澄と言われている。したがって、
天台宗寺院に良く祀られる。
❽須弥壇の厨子と脇侍像   ❾須弥壇脇に大黒天像

暫くは、堂内を見学。格天井(❿)には草花の絵が描かれていた。参加者
は、ご住職に質問、歓談しながら拝観した。(⓫) 天井近くの壁には
「多摩川三十三霊場 第十番札所」のご詠歌が掲げられていた(⓬)。
 『よもすがら まよえるこころ おてひきて きよきかがみを 
  てらすおおつか 大塚観音堂』

本堂から外を眺めると修理の覆いが目に付く(⓭)。これは、「これまで
経験したことの無い」と言う言葉で表現された、あの暴風雨による被害
のようだ。大変な中でも快く、拝観を認めて頂き、本当に有難い。
❿格天井        ⓫堂内を見学

⓬清鏡寺の御詠歌     ⓭本堂内から外を見る

最後に、ご住職にも加わって頂き、記念撮影(⓮)をした。ご住職の
お人柄に触れ、楽しいひと時を過ごすことができた。
⓮ご住職と記念撮影

拝観を終え、昼食は立川駅ビル内のレストランで取ろうと立川へ向う。
何人かのグループに分かれ、歓談・昼食となった。




2018年12月21日金曜日

空海研究会(3)當麻寺を訪れる

(続き)<12月6日(木)朝護孫子寺、参詣後>

當麻寺
 バスを降り、當麻寺を目指して歩くと、前方に仁王門(❶)が
 見える。
❶前方に仁王門

 頂いた伽藍配置図を反時計回りに90度回転させ、上を北に
 してと、眺める(❷)と堂塔の位置と方角が良く分かる。

 南から見ると、東塔、西塔が前面に建ち、中央に金堂、講堂
 が一直線に並ぶ。薬師寺式伽藍配置のようになっている。

 また、本堂が境内の西方に、東向きに阿弥陀堂のように建つ。
 中之坊は前身が「中院御坊」と呼ばれる真言密教を伝える御坊。
 東塔の北方に建立されている。
❷境内の伽藍配置図(左図…上が西、右図…上が北)

 當麻寺の縁起(❸)に『草創は聖徳太子の弟、麻呂子(まろこ)
 親王が河内国に造られた禅林寺を、親王の孫、當麻国見が、
 役行者(えんのぎょうじゃ)錬行の当地に移した。その後、
 天武天皇が伽藍を造営し、當麻寺と改めた』とある。

 宗旨としては、最初は三論宗(奈良仏教、南都六宗の一つ)、
 次いで、平安時代に弘法大師の真言宗となり、鎌倉時代には、
 浄土宗の霊場となって行った。

 現在は真言・浄土の二宗を併立している言う。時代と共に
 宗旨が変遷し、堂塔に反映されてきた。宗旨が変わろうと
 古いものを大事に残すところに、仏教の寛容さを感じる。
❸當麻寺の縁起
  
 本堂の受付で拝観料を納めると、本堂、金堂、講堂の3つのお堂
 を拝観できる。先ずは本堂からスタート。

 A本堂
  仁王門から見て、正面に位置する本堂(❹)は国宝建造物。内部の
  状況は❺のようになっている。

  中央の須弥壇には厨子に入ったご本尊の曼荼羅(❻)が安置されて
  いる。須弥壇を中心に、時計回りに廻ると、「弘法大師参籠間」、
  「役行者」を祀る部屋がある。

  須弥壇の裏側を進み、反対側に出ると、須弥壇の中に、中将姫
  二十九歳像を目にする。中将姫の向かい側の部屋には織姫観音
  と呼ばれる十一面観音菩薩(重文)が立つ。

  本堂で、「蓮糸大曼荼羅」の御朱印を頂いた(❼)
❹本堂(国宝)      ❺本堂の内部
❻本尊・文亀曼荼羅(重文) ❼當麻寺御朱印


 B金堂・講堂
  いずれも、鎌倉時代造立の重要文化財指定の建造物(❽、❾)。
  金堂には特別有名な仏像が安置されている。
❽金堂(重文)      ❾講堂(重文)
 【金堂
   中央に本尊の弥勒仏が鎮座し、四方を四天王が囲む(❿)。
   各尊像文化財指定状況、材質、制作年代は⓫の通り。
   このような視点でとらえることは、仏さまを文化財として
   見ている。不謹慎と言われかねない

   本尊の弥勒仏像は日本最古の塑造、四天王像は最古の乾漆造
   と言われている。正に白鳳仏の名作。
       (ネットの画像)
❿本尊・弥勒仏(国宝)     ⓫金堂の仏像配置

 【講堂
   講堂には数多くの仏像が並んでいる(⓬)。どのような基準で
   選ばれた仏像なのかは良く分からない。初めて聞く名前の
   仏像を目にした。「妙憧菩薩(みょうどうぼさつ)」。
   地蔵菩薩の古称であることを、後で知った。
     (ネットの画像)
⓬本尊・阿弥陀如来(重文)   ⓭講堂の仏像配置

 C中之坊
   中之坊は弘法大師所縁の御坊(⓮)、「導き観音」(⓯)の信仰
   が篤い祈願所、後西(ごさい)天皇をお迎えした書院(⓰)、
   名勝・史跡の庭園(⓱)と様々な顔を持っている。

   「導き観音」とは、平安時代に、中将姫の守り本尊である
   十一面観音を刻み本尊とした。「導き観音」と呼ばれ、道に
   迷った時に行くべき道を示して下さるとの信仰となった。
⓮中之坊の縁起など       ⓯導き観音

⓰後西天皇 御幸の間    ⓱名勝・史跡 中之坊庭園

當麻寺の拝観も済ませ、奈良へ向かう。途中、矢田寺に寄ること
となり、バスで向かう。お昼時間となり、昼食は、バスの中で
取ることとなった。コンビニで弁当や、おにぎりを各人買った。

矢田寺
  寺名は知るも、誰も訪れたことがない。山門から見える階段
  (❶)は何段もありそうに見える。登ろうかどうか思案(❷)。

  登り始めるも、途中で断念し降りる(❸)。境内の案内図(❹)
  を見て、状況を理解した。
❶矢田寺山門        ❷階段はどこまで?

❸途中で引き返す   ❹境内案内図

京都駅までどのくらい、時間がかかるか読めないため、早めに
切り上げ、京都駅を目指した。2日間の古刹巡りも幕を閉じだ。
福田先生始め、ご参加の皆さんと共有できた時間は、心和む
楽しいひと時となった。感謝!(合掌)




2018年12月19日水曜日

空海研究会(2)奈良・信貴山でご祈祷‼


(続き)
12月5日(水)は信貴山玉蔵院の宿坊「富貴閣」に宿泊。
信貴山真言宗 総本山 朝護孫子寺には3つの宿坊があり、
その一つが玉蔵院。山内寺院(塔頭)が3つとも言える。

信貴山真言宗の管長様や玉蔵院のご住職が歓迎のご挨拶に
部屋まで来られた。福田先生の人脈の広さを改めて知る機会
となった。夕食は、全員揃って大広間で美味しく頂いた。

信貴山 玉蔵院 浴油堂での護摩祈祷
  宿泊している玉蔵院富貴閣のそばに、浴油堂がある(❶)。
  朝5時30分からの護摩祈祷に参加するため、5時前に
  起床し、ロビーに集合(❷)。
❶総本山信貴山案内図    ❷浴油堂に向かう前

  護摩祈祷と言えば、本尊は不動明王となるのが通例。
  浴油堂の場合は出世毘沙門天が本尊となっている(❸)。

  新義真言宗の開祖である覚鑁(かくばん)上人が信貴山の
  毘沙門天王に秘法を修され、開いたお寺が玉蔵院、その秘法
  が、浴油法となる。

  浴油法と言う護摩祈祷は、真言密教の諸々の秘宝の中でも
  最秘宝と言われる。清浄なこころを意識し、堂内へ入る(❹)。
❸浴油堂・出世毘沙門天の解説 ❹階段を登り浴油堂に入る

  狭い堂内に、参列者がどっと集まる。半数をフランス人の
  団体客が占めた。通訳の話によると、今までに何度も引率
  されたとのこと。外国人が、日本の伝統的なものに関心を
  持たれることは大変喜ばしい。

  護摩壇を囲むように、着席して待つ。暫くすると浴油法を
  執り行うお坊さんが入って来られた。静寂な中、護摩祈祷
  が始まった。

  堂内に響く読経の声、燃え盛る護摩木の炎、打ち鳴らす
  太鼓の音を間近で体感。迫力満点のご祈祷に感動した。
  次は、6時45分からの本堂でのご祈祷。
  
信貴山 朝護孫子寺 本堂での大般若祈祷
  本堂は京都・清水寺の舞台を思わせる懸(かけ)造りの
  様式になっている(❺)。
❺朝護孫子寺本堂

  堂内で椅子に着席して待つ。6時45分からのご祈祷が
  始まった。管長の朗々とした声が響き渡る(❻のイメージ)。
  ご祈祷を申し込んだ人の名が三度も読み上げられた。諸願
  も成就しそうに思える。

  また、大般若経の読経と合わせて、経典で打ち鳴らす音の
  迫力に度肝を抜かれた。本堂の須弥壇には、毘沙門天王(❼)
  吉祥天女、善膩師童子のファミリーが祀られている。

  浴油堂、本堂と言い、信貴山のご祈祷は、今までにない、
  強烈な印象を残した。
❻本堂でのご祈祷 ❼本尊・毘沙門天王
          (イメージ)

  ご祈祷が終り、本堂の外に出ると、雲間から朝日が指す光景(❽)
  に目を奪われた。辺り一面が、刻一刻と明るくなる様子(❾)が
  現出した。清々しい気分になった。
❽本堂外陣からご来光を仰ぐ  ❾時間と共に一面が明るくなる

  参列者は、懸造りの舞台から、眺望を楽しみ、景色をカメラ
  に収めていた(❿)。振り向いて、本堂に掛る扁額「毘沙門天王」
  の文字、両側に百足(むかで)がいる(⓫)。百足が毘沙門天王の
  お使いであることを初めて知った。
❿眺望を楽しみ、記念撮影  ⓫本堂に掛る扁額

  宿泊した玉蔵院の方面を見渡すと、巨大なお地蔵さんと
  三重塔が見える(⓬)。浴油堂と本堂でご祈祷されたお札を
  頂く(⓭)。
⓬地蔵尊と三重塔     ⓭ご祈祷のお札

宿坊に戻り、朝食を済ませた後、参道を歩き、バスの待つ駐車場
へ向かう。参道脇に、聖徳太子像(⓮)、大きな寅の像(⓯)を目に
する。

蘇我氏と物部氏との戦いの時、聖徳太子は蘇我氏側で参戦している。
戦勝祈願したところ、天空から毘沙門天王が出現し、必勝の秘法を
授けられたそうだ。その日が寅年、寅日、寅の刻であったとのこと。

その先勝祈願をした山を、信ずべき山、貴ぶべき山「信貴山」と命名
された。ついでに、朝護孫子寺と称したのは醍醐天皇の時代とのこと。
醍醐天皇が重病の時、信貴山の毘沙門天王のご加護によって全快され、
朝護孫子寺の勅号をたまわった。

聖徳太子~毘沙門天王~寅~信貴山~朝護孫子寺の歴史・伝説が実に
興味深い。
⓮馬上の聖徳太子像    ⓯世界一大福寅

樹齢1500年の榧(かや)の木(⓰、⓱)や参道の鳥居(⓲)は
古代から神仏習合の聖地であったことを物語っている。
⓰樹齢1500年の榧の木     ⓱榧の木の解説

⓲参道の鳥居

次に向かったのは當麻寺。(続く)