(続き)
12月5日(水)は信貴山玉蔵院の宿坊「富貴閣」に宿泊。
信貴山真言宗 総本山 朝護孫子寺には3つの宿坊があり、
その一つが玉蔵院。山内寺院(塔頭)が3つとも言える。
信貴山真言宗の管長様や玉蔵院のご住職が歓迎のご挨拶に
部屋まで来られた。福田先生の人脈の広さを改めて知る機会
となった。夕食は、全員揃って大広間で美味しく頂いた。
4信貴山 玉蔵院 浴油堂での護摩祈祷
宿泊している玉蔵院富貴閣のそばに、浴油堂がある(❶)。
朝5時30分からの護摩祈祷に参加するため、5時前に
起床し、ロビーに集合(❷)。
❶総本山信貴山案内図 ❷浴油堂に向かう前
護摩祈祷と言えば、本尊は不動明王となるのが通例。
浴油堂の場合は出世毘沙門天が本尊となっている(❸)。
新義真言宗の開祖である覚鑁(かくばん)上人が信貴山の
毘沙門天王に秘法を修され、開いたお寺が玉蔵院、その秘法
が、浴油法となる。
浴油法と言う護摩祈祷は、真言密教の諸々の秘宝の中でも
最秘宝と言われる。清浄なこころを意識し、堂内へ入る(❹)。
❸浴油堂・出世毘沙門天の解説 ❹階段を登り浴油堂に入る
狭い堂内に、参列者がどっと集まる。半数をフランス人の
団体客が占めた。通訳の話によると、今までに何度も引率
されたとのこと。外国人が、日本の伝統的なものに関心を
持たれることは大変喜ばしい。
護摩壇を囲むように、着席して待つ。暫くすると浴油法を
執り行うお坊さんが入って来られた。静寂な中、護摩祈祷
が始まった。
堂内に響く読経の声、燃え盛る護摩木の炎、打ち鳴らす
太鼓の音を間近で体感。迫力満点のご祈祷に感動した。
次は、6時45分からの本堂でのご祈祷。
5信貴山 朝護孫子寺 本堂での大般若祈祷
本堂は京都・清水寺の舞台を思わせる懸(かけ)造りの
様式になっている(❺)。
❺朝護孫子寺本堂
堂内で椅子に着席して待つ。6時45分からのご祈祷が
始まった。管長の朗々とした声が響き渡る(❻のイメージ)。
ご祈祷を申し込んだ人の名が三度も読み上げられた。諸願
も成就しそうに思える。
また、大般若経の読経と合わせて、経典で打ち鳴らす音の
迫力に度肝を抜かれた。本堂の須弥壇には、毘沙門天王(❼)
吉祥天女、善膩師童子のファミリーが祀られている。
浴油堂、本堂と言い、信貴山のご祈祷は、今までにない、
強烈な印象を残した。
❻本堂でのご祈祷 ❼本尊・毘沙門天王
(イメージ)
ご祈祷が終り、本堂の外に出ると、雲間から朝日が指す光景(❽)
に目を奪われた。辺り一面が、刻一刻と明るくなる様子(❾)が
現出した。清々しい気分になった。
❽本堂外陣からご来光を仰ぐ ❾時間と共に一面が明るくなる
参列者は、懸造りの舞台から、眺望を楽しみ、景色をカメラ
に収めていた(❿)。振り向いて、本堂に掛る扁額「毘沙門天王」
の文字、両側に百足(むかで)がいる(⓫)。百足が毘沙門天王の
お使いであることを初めて知った。
❿眺望を楽しみ、記念撮影 ⓫本堂に掛る扁額
宿泊した玉蔵院の方面を見渡すと、巨大なお地蔵さんと
三重塔が見える(⓬)。浴油堂と本堂でご祈祷されたお札を
頂く(⓭)。
⓬地蔵尊と三重塔 ⓭ご祈祷のお札
宿坊に戻り、朝食を済ませた後、参道を歩き、バスの待つ駐車場
へ向かう。参道脇に、聖徳太子像(⓮)、大きな寅の像(⓯)を目に
する。
蘇我氏と物部氏との戦いの時、聖徳太子は蘇我氏側で参戦している。
戦勝祈願したところ、天空から毘沙門天王が出現し、必勝の秘法を
授けられたそうだ。その日が寅年、寅日、寅の刻であったとのこと。
その先勝祈願をした山を、信ずべき山、貴ぶべき山「信貴山」と命名
された。ついでに、朝護孫子寺と称したのは醍醐天皇の時代とのこと。
醍醐天皇が重病の時、信貴山の毘沙門天王のご加護によって全快され、
朝護孫子寺の勅号をたまわった。
聖徳太子~毘沙門天王~寅~信貴山~朝護孫子寺の歴史・伝説が実に
興味深い。
⓮馬上の聖徳太子像 ⓯世界一大福寅
樹齢1500年の榧(かや)の木(⓰、⓱)や参道の鳥居(⓲)は
古代から神仏習合の聖地であったことを物語っている。
⓰樹齢1500年の榧の木 ⓱榧の木の解説
⓲参道の鳥居
次に向かったのは當麻寺。(続く)
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