2016年1月21日木曜日

中野区の古刹 成願寺、宝仙寺を参拝


地下鉄丸ノ内線中野坂上駅改札口、10時に24名が集合。
最近にない大勢のご参加。24名が三々五々が集まると、
改札口近辺に人だかりができる。賑やかだ。

今回の参拝は最初に、「中野長者の寺 多宝山 成願寺」と言う
曹洞宗の寺院。次に、真言宗豊山派の寺院 明王山 宝仙寺。

成願寺は幹事の井戸さんが予約をされ、堂内の拝観許可も下りている。
先ずは、成願寺目指して、スタート。幼稚園の敷地に大きな布袋尊像が
安置されている。
成願寺付属の幼稚園と気づく。長い塀を右手にして進むと、成願寺の
山門が見えて来る。中国風の門で、禅宗寺院の中でも、黄檗宗寺院
で良く見かけたように思う。
~~~【成願寺】~~~
                     中野坂上駅から成願寺を目指して歩く           三門

三門を抜け境内に入ると、六地蔵と「中野長者ものがたり」絵巻物が
目に付く。六地蔵は墓地の入り口に安置されており、六地蔵には名前が
付けられている。六道世界のどこを守護するか決まっている。
鈴木九郎が中野長者と呼ばれるようになった経緯やお寺の名前が
成願寺となった縁起が書かれている。

六地蔵         中野長者ものがたり

本堂(大雄宝殿)に集まり、ご住職から寺縁起や所蔵の
仏像について解説を受ける。
ご本尊の釈迦牟尼如来(禅宗寺院では釈迦牟尼と言う)は
鎌倉期の仏像(頂いた冊子では室町前期とある)で、衣が
台座に掛り、垂れ下がる様式は鎌倉時代に多い。

ご住職の説明では、都内では成願寺と青梅・天寧寺の仏像
だけとのこと。
鎌倉・円覚寺の宝冠釈迦如来も、同様な様式だった。
宋風の仏像と言える。ご本尊の方が、お寺創建より古いのは、
創建時に開山となるお坊さんが本山寺院の小田原から
移されたから。

本堂(大雄宝殿)

ご本尊は黒く、須弥壇が薄暗いため、お姿が確認しにくい。
そこで大きなパネルの写真でご説明された。
          ご本尊パネル写真  須弥壇のご本尊・釈迦牟尼如来

堂内には、他に厨子に入った観音菩薩像とその前に数多くの
位牌が並べられていた。
この観音は講を組んだ人達のところへ出開帳された像とのこと。
100観音の中で、唯一残った像のようだ。
厨子に入っていたからか、金色に光っていた。

更に、別の部屋へ案内され、小さな千手観音像を拝観させて
頂いた。截金が施された精緻な像であり、檀信徒から奉納された
ものだ。作者が現代の大仏師、松本明慶師と言うから凄い。
厨子入り観音菩薩     奉納された千手観音

通路の窓から外を眺めると、防空壕が見える。第二次大戦中の
空襲で堂宇や、仏像は全焼したが、かろうじてご本尊はこの防空壕の
お蔭で守れたと言う。仏像は大事に思う人によって受け継がれる。
防空壕

その他の拝観した堂宇は圓通閣(百観音堂)と龍鳳閣(開山堂)。
百観音堂には百の観音霊場のご本尊と同じ姿の観音さまが安置
されているという。
 
百観音への信仰が盛んな中、この寺を参詣することで、同じ功徳が
得られるとは何と有難いことか。
百観音とは西国三十三、坂東三十三、秩父三十四の観音霊場で
百となる。

開山堂には中央に開祖・川庵宗鼎(せんあんそうてい)大和尚、
向かって右に道元禅師左に瑩山禅師が祀られている。
道元は曹洞宗の祖、永平寺の開祖、瑩山は總持寺の祖であり、
いかにも禅宗寺院らしい配置となっている。
百観音堂(手前)と開山堂(奥)

百観音堂の内陣          開山堂の内陣

参拝を終えた後、本堂を背に記念撮影。シャッターは若いお坊さんに
お願いした。

次に、向かったのは宝仙寺。こちらの参拝は境内のみで、
堂宇内の拝観はできない。門柱に「明王山 宝仙寺」の文字。
明王山とあるように、このお寺のご本尊が明王であることと
容易に想像がつく。
~~~【宝仙寺】~~~
明王山 宝仙寺の門柱   境内にある堂塔や諸尊像の解説板

石臼塚              三重塔

弘法大師像          八十八大師塔

御影堂                弘法大師像

見返り(見送り)地蔵

初めて拝見した珍しいものに、「石臼塚」「八十八大師塔」
「見返り地蔵」(宝仙寺発行の冊子では見返り地蔵。見送り地蔵
と紹介されるものもある)
特に、見返り地蔵には驚いた。顔を西方に向けた珍しい地蔵尊で、
亡くなった方々が極楽浄土に往生するまで見送るという慈悲心を
表しているとのこと。









2016年1月20日水曜日

美術史家・關信子先生 特別講座 初日開催!


 「迎講」の講演会や「仏像歳時記」を通して、絶大な人気の關信子先生。
本日、仏像入門編として3回シリーズの特別講座を開催した。
参加された方は48名。

「仏像サロン」「仏像愛好倶楽部」「小平花南仏像の会」の各会員と
ゆうゆう荻窪東館の運営に携わる人など主として4グループの皆さん。

いつものように、終始お立ちになったまま、マイクもお使いにならず、
2時間お話になられた。良く通るお声、明快な解説と、またまたファンが
増えたのではないだろうか。
特別講座でお話しされる關先生

仏像入門の第1回目は「仏像の世界」。仏像誕生の推移を仏教の
変遷に合わせて解説頂いた。最初に色んな像をスクリーンに映され、
「これは仏像ですか?」と問題を投げかけられた。

また、入門書に書かれている三角形の組織図(如来を一番上に書き、
次に菩薩、明王、天部の四層の図)はおかしいとご指摘された。
ほとけの世界はそんな単純なものではない。今日のお話は、皆さんを
少し、混乱させることになるかもしれませんと前置きしながら進められた。

仏像とは〝ほとけ〟の像とされる。〝ほとけ〟は釈迦牟尼だけに限らず、
他の仏・菩薩など数多い。ほとけさまが一人でないところに仏教を難しく
している面がある。
一方、多神教の日本人にとっては馴染みやすい面もある。

[Ⅰ]仏像の定義、[Ⅱ]仏教の歴史、[Ⅲ]諸仏の誕生、[Ⅳ]仏像の誕生、
の順にお話しされた。釈尊誕生から2500年、仏像誕生から2000年の
歴史を概観して頂いた。

仏教の歴史の中で印象に残ったことは釈迦との関わり方の推移。
①釈迦の時代・・・釈迦から直接教えを受ける
②原始仏教の時代・・・釈迦を拝む〔仏舎利、遺物崇拝〕
③部派仏教の時代・・・仏伝の表現〔超越的な不可視の存在〕
④大乗仏教興隆・・・仏像礼拝
⑤密教興隆・・・衆生は本来仏性を備える、即身成仏の教え

「仏舎利を拝む」「仏伝で表現」「仏像礼拝」する時、釈迦像があるか
ないかの違いはあるものの、拝む者の精神に違いはあるのだろうか。
無いようにも思える。

密教は大乗仏教の発展形なのだろうか、全く別物だろうか。インドでは
仏教が衰退しかけた時の宗教改革として密教が登場したとのこと。
大衆に好まれるものを取り入れないと宗教も廃れる。

大乗仏教がもたらした諸仏誕生の中で、「釈迦牟尼」と「釈迦如来」の
違いが明確になった。「釈迦牟尼」と言った場合は釈迦族の聖者であり、
実在の人物。「釈迦如来」と言った場合は「仏陀」となった礼拝の対象。
ところで、「釈迦牟尼仏」と「釈迦如来」の違いは何だろう。

更には、三世十方お諸仏として、阿弥陀如来や薬師如来など浄土を
持った如来が生まれ、釈迦如来も如来の中の一人と位置づけされた。

密教によって大日如来が考えられると、諸仏は大日如来の変化した
尊像となる。そうなると釈迦如来の存在も違って来る。これは次回の
講座でお聞きしよう。

菩薩は大乗仏教発展の功労者と言える。利他行を実践するほとけ様
であり、我々にとって有難い存在だ。「慈悲の観音」「智慧の文殊」
「行の普賢」は有名。
 
他に、どの菩薩にどんな徳目があるかも知りたいところ。
特に二大テーマの「慈悲」と「智慧」のどちらを分有するのだろうか。

最後に、出題された尊像名の正解と合わせ、仏像と言えるかどうか
解説して頂いた。
仏像と言える決め手の一つは手を合わせたくなる像かどうかのようだ。
手を合わせたくなれば、その人にとっては正に〝ほとけ〟と言える。
なるほどと頷いた。

講座終了後に、關先生と歓談する中から学んだこと。三角形組織図
の山は一つではなく、いくつもある。説明がつかないものを一つに
まとめるからおかしい。
ある時は不動明王が一番上にある山。観音菩薩が一番上の山などと、
数限りなくある。

ぜひ、そのような図解入りの入門書をご執筆くださいと要望する。
残念ながら、時間的にご無理のようだ。

次回は、「如来」「菩薩」についての講座。質問は当日受け付けて
頂けるとのこと。どうぞ、お楽しみにしてください。





2016年1月15日金曜日

安元伸夫さん「印相」について解説する!


1月BAC定例会には26名が参加。先ずは、先月参拝の曹洞宗大本山
總持寺について進行役の朝比奈さんが、参加者へ感想を伺った。
七堂伽藍や千畳敷となった太祖堂が広大なことに感心したと言う方。
また、修行僧が座禅を組んだり、生活するスペースの狭さに驚くとの
感想を言われる人もいた。

禅宗寺院は伽藍配置などを見るのも、楽しみ方の一つと説明すると、
「三門」とは何かとの質問が出た。そこで「三門」とは「三解脱門」のことで、
三毒である煩悩「貪(とん)、瞋(じん)、痴(ち)」を解脱するために通る門
だと解説した。即ち、貧は貪欲の欲、瞋は瞋怒の怒り、痴は愚痴の愚かさ
と言ったところ。

続いて、朝比奈さんが参拝された川崎市の影向寺(ようごうじ)と光明院に
ついて報告された。影向寺は来月、BACで参拝予定であり、重文の薬師
三尊像が見どころ。
光明院については、中嶋莉恵さんが勤務している工房で制作された
仏像が多く祀られており、3mもある仁王像も8月頃に奉納されるようだ。
いずれも拝観が楽しみ。

私からは、谷中七福神巡りと昨年末に参拝した鎌倉や藤沢の寺院を
報告した。源義経所縁の鎌倉市腰越・満福寺や日蓮が処刑されそうに
なった藤沢市片瀬の龍口寺(りゅうこうじ)、元(中国)の国使が北条時宗
の命により処刑された事で知られる常立寺(じょうりゅうじ)を紹介した。

本日のメインは安元さんが発表される「印相」。数か月前の定例会で
安元さんから印相についての質問が出た。そこで、一度お調べになって、
ご発表されてはいかがですかと提案した。
そのことが契機となり、本日を迎えた。
ご発表される安元さん

先日、お会いした時には、画像資料を作成に2か月間集中し、
他のことに一切手が付かなかったとお聞きした。その時は提案した
ことがまずかったと反省した。そんな気持ちで今日を迎えた。

簡潔にまとめられた内容に、参加者は一様に「良く分かった」との
感想。私も、PDFの画像資料、発表内容や進め方など見事と感じた。
ご発表をお勧めしてしたことも、良かったのではないかと少し気が
楽になった。
ご参加の皆さん         安元さんと幹事のお二人

ご発表内容の概略は以下の通り。
印相は釈迦の身振りから生まれたもの。我々を導くための願いや
働きなどの重要なメッセージが表現されている。形を決めれば、何かが
心に中に現れてくるのではないか。五郎丸もあのポーズを取ることと
印相は共通しているのではないか。上手い例えだ。

釈迦の五印「定印、降魔印、説法印、施無畏印、与願印」について
一つずつ、丁寧に解説された。説法印、施無畏印、与願印が衆生教化
の印と分類。なるほどと感心する。

密教印として、智拳印や法界定印。阿弥陀如来の九品往生印
(くぼんおうじょういん)。
その他として、刀印(とういん)や思惟手(しゆいしゅ)にも触れた。

「印相」解説に使われた画像の一部



解説の合間に言われる個人的な感想が良い。なるほどと頷くことも多く、
話にメリハリが付き、楽しく拝聴でできた。特に、感心したことは、
法隆寺・阿弥陀如来像(鎌倉大仏の右隣の像)の印相について、
これは説法印か来迎印か。

安元さんの解説が面白い。阿弥陀さんの眼は説法しているように見える。
決して来迎に見えないと言われた。印だけに注目するのではなく、眼も判断の
決め手だとすることは凄い。
印相をきっかけに仏像を観る眼が数段アップされたのではないだろうか。

話が弾み、時間が足らなくなった。予定されていた分は次回に、お話しして
頂くこととなった。来月も続きをお願いします。

なお、今月の見仏会は中野区の成願寺と宝仙寺を予定。井戸さんから
寺院の解説と集合場所を連絡頂いた。
終了後、十数名で昼食歓談。楽しいひと時を過ごした。



2016年1月9日土曜日

2016年 谷中七福神巡り


2016年 谷中七福神巡り 御朱印




(1月9日 頂いたもの)

JR田端駅北口改札、10時に26名が集合。今回は仏像サロンメンバー
以外に6名、「読み聞かせ講座」修了の皆さんが合流した。
穏やかな日和の七福神巡りとなる。田端・東覚寺の福禄寿からスタートし、
上野・不忍池弁天堂の弁財天が最後となる七福神を巡る。エリアで言えば、
北区、荒川区、台東区の3区にまたがる。

田端駅改札口にはいくつもの旗を目にする。グループが集合ための目印
としている。旗を目印に集合を呼びかけたものの、旗が多すぎて全く目印
にならない。一部、迷う方も出た。10時には勢揃いした。

七福神巡りの移動時間に85分、参拝時間70分と見積もって、およそ
2時間半の所要時間となる。昼食時間を13時として、予約を済ませた。
いよいよ最初の寺院、東覚寺へ向け行動開始。

谷中七福神の案内板      田端駅を出て東覚寺へ向かう


【1.東覚寺・・・福禄寿】
東覚寺で最初に目につくのは赤い紙が貼り付けられた仁王像。
この赤紙仁王尊の解説板には1641年から露仏として立って
いるとある。通常は山門に立ち、境内を護る存在。
ところが、この仁王像は病気の身代わりになってくれる。
自分の患部と同じところに赤い紙を貼って祈願する。
何と有難い仁王尊か。東覚寺は真言宗豊山派の寺院。
赤紙仁王尊               解説板

東覚寺境内と参拝の様子

【2.青雲寺・・・恵比寿】
北区田端から荒川区日暮里へ移動する。1㎞18分歩くと、
禅寺の青雲寺に到着する。
臨済宗妙心寺派の寺院。第二次世界大戦で焼失し、現在の
重層造本堂は昭和35年に再建された。境内には滝沢馬琴の
筆塚もある。七福神の中で唯一、日本の神。
重層造本堂               恵比寿神

【3.修性院(しゅしょういん)・・・布袋尊】
青雲寺から2分の距離に日蓮宗寺院の修性院がある。
ここの布袋尊は「日ぐらしの布袋」として知られているとのこと。
堂々とした体格の布袋さんだ。重量が200㎏もある。
解説板を読むと、江戸時代中期頃から、このあたり一帯が
「ひぐらしの里」と呼ばれていた。
そこから、日暮里と言う地名になったことだろう。
布袋尊             日ぐらしの布袋 解説板

【4.長安寺・・・寿老人】
修性院から歩くこと13分。朝倉彫塑館の前を通り、長安寺に着く。
手前に七福神そばの幟旗を立てる店があり、見間違う。長安寺は、
青雲寺と同じ臨済宗妙心寺派の寺院。
この寺の寿老人は徳川家康が納めたと言われているそうだ。
参拝者の頭上に鎮座し左脇に鹿を従えている。岡倉天心と繋がりの
深い日本画家・狩野芳崖の墓もある。
鹿を従える寿老人          狩野芳崖の墓

【5.天王寺・・・毘沙門天】
長安寺から正面の道路を真っ直ぐ進み、突き当りを左折。
所要時間6分で天王寺に着く。
毘沙門天は境内右手の毘沙門堂に祀られている。
 
堂内の様子は良く確認できない。
この毘沙門天は伝教大師作と伝えられているそうだ。
お寺の開創より古くなる。どういうことか?
毘沙門堂参拝           毘沙門堂内の様子
 
境内には合掌する大きな釈迦牟尼仏が座している。
毘沙門天が祀られたり、釈迦牟尼仏が鎮座したりと、
この寺が何宗だろうかと考えてしまう。江戸時代に
天台宗に改宗したとある。
 
また、江戸の三富(さんとみ)として、目黒不動、
湯島天神とともに富くじが行われた寺社としても
知られているようだ。 
境内に植えられた沙羅双樹の前で記念撮影。
釈迦牟尼仏        沙羅双樹の前で記念撮影

【6.護国院・・・大黒天】
天王寺まで歩いた道を戻りながら、真っ直ぐ進む。
歩くこと17分で護国院に到着。
護国院は、寛永寺開山・天海の弟子が開いたお寺。
寛永寺の釈迦堂として、3代将軍家光の時代に落成した。
その後焼失し、現在の本堂は1722年再建。

この寺の大黒天はうつむき加減でありながら、
若々しさが感じられる。頬もふっくらとし福々しい。
また、この大黒天の後ろ、厨子の中に、家光から
頂いたとされる大黒天画像が祀られている。

護国院本堂               大黒天

大黒天画像の解説文            大黒天画像

【7.不忍池弁天堂・・・弁財天】
最後は、不忍池の中にある弁天堂の弁財天。
護国院からの移動時間は、全体の中で一番長い。
厨子が閉ざされており、堂内に祀られているのは弁財天のお前立か。
参拝を済ますと、ちょうど1時10分前。予定通りの参拝となった。
不忍池弁天堂             弁財天

最後に、清水観音堂の前にある、レストランで楽しく食事を頂いた。
今日も一日楽しい七福神巡りができました。(合掌)
歓談する皆さん