2016年 谷中七福神巡り 御朱印
(1月9日 頂いたもの)
JR田端駅北口改札、10時に26名が集合。今回は仏像サロンメンバー
以外に6名、「読み聞かせ講座」修了の皆さんが合流した。
穏やかな日和の七福神巡りとなる。田端・東覚寺の福禄寿からスタートし、
上野・不忍池弁天堂の弁財天が最後となる七福神を巡る。エリアで言えば、
北区、荒川区、台東区の3区にまたがる。
田端駅改札口にはいくつもの旗を目にする。グループが集合ための目印
としている。旗を目印に集合を呼びかけたものの、旗が多すぎて全く目印
にならない。一部、迷う方も出た。10時には勢揃いした。
七福神巡りの移動時間に85分、参拝時間70分と見積もって、およそ
2時間半の所要時間となる。昼食時間を13時として、予約を済ませた。
いよいよ最初の寺院、東覚寺へ向け行動開始。
谷中七福神の案内板 田端駅を出て東覚寺へ向かう
東覚寺で最初に目につくのは赤い紙が貼り付けられた仁王像。
この赤紙仁王尊の解説板には1641年から露仏として立って
いるとある。通常は山門に立ち、境内を護る存在。
ところが、この仁王像は病気の身代わりになってくれる。
自分の患部と同じところに赤い紙を貼って祈願する。
何と有難い仁王尊か。東覚寺は真言宗豊山派の寺院。
東覚寺境内と参拝の様子
【2.青雲寺・・・恵比寿】
北区田端から荒川区日暮里へ移動する。1㎞18分歩くと、
禅寺の青雲寺に到着する。
臨済宗妙心寺派の寺院。第二次世界大戦で焼失し、現在の
重層造本堂は昭和35年に再建された。境内には滝沢馬琴の
筆塚もある。七福神の中で唯一、日本の神。
重層造本堂 恵比寿神
【3.修性院(しゅしょういん)・・・布袋尊】
青雲寺から2分の距離に日蓮宗寺院の修性院がある。
ここの布袋尊は「日ぐらしの布袋」として知られているとのこと。
堂々とした体格の布袋さんだ。重量が200㎏もある。
解説板を読むと、江戸時代中期頃から、このあたり一帯が
「ひぐらしの里」と呼ばれていた。
そこから、日暮里と言う地名になったことだろう。
布袋尊 日ぐらしの布袋 解説板
【4.長安寺・・・寿老人】
修性院から歩くこと13分。朝倉彫塑館の前を通り、長安寺に着く。
手前に七福神そばの幟旗を立てる店があり、見間違う。長安寺は、
青雲寺と同じ臨済宗妙心寺派の寺院。
手前に七福神そばの幟旗を立てる店があり、見間違う。長安寺は、
青雲寺と同じ臨済宗妙心寺派の寺院。
この寺の寿老人は徳川家康が納めたと言われているそうだ。
参拝者の頭上に鎮座し左脇に鹿を従えている。岡倉天心と繋がりの
深い日本画家・狩野芳崖の墓もある。
参拝者の頭上に鎮座し左脇に鹿を従えている。岡倉天心と繋がりの
深い日本画家・狩野芳崖の墓もある。
鹿を従える寿老人 狩野芳崖の墓
【5.天王寺・・・毘沙門天】
長安寺から正面の道路を真っ直ぐ進み、突き当りを左折。
所要時間6分で天王寺に着く。
毘沙門天は境内右手の毘沙門堂に祀られている。
堂内の様子は良く確認できない。
この毘沙門天は伝教大師作と伝えられているそうだ。
お寺の開創より古くなる。どういうことか?
毘沙門堂参拝 毘沙門堂内の様子
境内には合掌する大きな釈迦牟尼仏が座している。
毘沙門天が祀られたり、釈迦牟尼仏が鎮座したりと、
この寺が何宗だろうかと考えてしまう。江戸時代に
天台宗に改宗したとある。
また、江戸の三富(さんとみ)として、目黒不動、
湯島天神とともに富くじが行われた寺社としても
知られているようだ。
境内に植えられた沙羅双樹の前で記念撮影。
釈迦牟尼仏 沙羅双樹の前で記念撮影
【6.護国院・・・大黒天】
天王寺まで歩いた道を戻りながら、真っ直ぐ進む。
歩くこと17分で護国院に到着。
護国院は、寛永寺開山・天海の弟子が開いたお寺。
寛永寺の釈迦堂として、3代将軍家光の時代に落成した。
その後焼失し、現在の本堂は1722年再建。
この寺の大黒天はうつむき加減でありながら、
若々しさが感じられる。頬もふっくらとし福々しい。
また、この大黒天の後ろ、厨子の中に、家光から
頂いたとされる大黒天画像が祀られている。
護国院本堂 大黒天
大黒天画像の解説文 大黒天画像
【7.不忍池弁天堂・・・弁財天】
最後は、不忍池の中にある弁天堂の弁財天。
護国院からの移動時間は、全体の中で一番長い。
厨子が閉ざされており、堂内に祀られているのは弁財天のお前立か。
参拝を済ますと、ちょうど1時10分前。予定通りの参拝となった。
不忍池弁天堂 弁財天
最後に、清水観音堂の前にある、レストランで楽しく食事を頂いた。
今日も一日楽しい七福神巡りができました。(合掌)
歓談する皆さん
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