2018年2月25日日曜日

東博「仁和寺と御室派のみほとけ」特別展を堪能!


2月22日(木)小雨が降る中、西荻窪のグループメンバー15名が
東京国立博物館開催の「仁和寺と御室派のみほとけ」特別展観覧
のため集合した。平日の雨天にも関わらず、大勢の人が会場前に
並んでいた。

仁和寺は、お気に入りのお寺で、何度も訪れたことがある。仏像、
宝物、建造物、庭園のいずれも優れている。日本屈指、京都随一
の古刹と言える。

仁和寺は、第58代光孝天皇によって発願され、第59代宇多天皇
によって創建された。(A)  宇多天皇は側近に菅原道真を登用
したこと、皇位を醍醐天皇に譲って出家されたことや仁和寺を最初
の門跡寺院にしたことでも知られている。

(A)桓武~醍醐までの歴代天皇


展覧会場は第1章から第5章までの構成で展示されている。
 【第1章】 御室仁和寺の歴史 / 【第2章】 修法の世界
 【第3章】 御室の宝蔵 
  
 【第4章】 仁和寺の江戸再興と観音堂
 【第5章】 御室派のみほとけ
第1から第3までが第1会場、第4、第5が第2会場となっている。

第1章から順次観覧して行った。10時入館し、12時までの2時間では
慌ただしいように感じた。盛りだくさんの展示は実に見応えがある。
案内パンフレット(B)や図録(C)の通り、国宝、重文の仏像が沢山出展
されている。そこで、第2会場の展示と仏像に絞って、コメントしたい。
(B)特別展案内パンフ表紙と見開き

(C) 図録 表紙

1.仁和寺 観音堂の再現
 第2会場に入ると、観音堂の内陣が再現されている。須弥壇には
 本尊の千手観音菩薩立像、眷属の二十八部衆など数多くの仏像が
 所狭しと並んでいる。

 ここだけ、写真撮影が許されており、大勢の人がシャッターを押して
 いた。「フラッシュはやめてください」と係員の声が何度も聞こえた。

 仏像と合わせて、須弥壇内側の壁画、お堂外側の壁画も見事。絵画
 ファンから賛嘆の声を聴いた。
(D)仁和寺 観音堂の再現(筆者が撮影)

2.国宝の仏像は4件6躯(次のa~d)
 a.仁和寺創建当初の本尊が阿弥陀如来坐像(①)。
  腹前で定印を結ぶ像は、造立年がはっきりしている像の中で最古
  とのこと。ふくよかなお顔は宇多天皇似だろうかと想像を巡らした。

  両脇侍像(②)の位置が、通常とは逆になっている。一般的には
  左脇侍(向かって本尊の右側)が観音菩薩、右脇侍が勢至菩薩と
  なる。両脇侍は逆になっている。特別の理由があるのだろうか?
(仁和寺) 
①国宝 阿弥陀如来坐像 / ②国宝 および両脇侍立像

 
 b.日本一小さい国宝の仏像が仁和寺の薬師如来坐像(③)
  この仏像だけは、第1会場、第1章の中に展示されている。ガラスの
  ケースに入れられた像の前には長い列ができている。「時計回りに
  ご覧ください」と、係員の声が聞こえる。

  白檀でできた像高約12㎝の像は、実に精緻にできている。丸い光背
  の後ろには板彫の日光、月光菩薩立像が台座に差し込まれている。
  また、光背には七仏薬師の姿が確認できる。

  極め付きは、台座に彫られた十二神将。一面に三体ずつ、彫られて
  いる。仏師は円派の祖、円勢とその子長円であり、当代一流の技を
  見た思いがする。截金も残っており、実に見事な像だ。
③国宝 薬師如来坐像(仁和寺)

 c.本特別展見どころNo.1は葛井寺の千手観音坐像(④)かも
  しれない。真数千手と言われる千手観音の中でも、実際に千本を
  越える像は本像のみとのこと。1041本が確認されている。

  ぐるりと回り、前後左右からじっくり眺めた。脇手の小手が光背の
  ようにも見える。お顔が東大寺法華堂の伝・月光菩薩と似ている
  とのことであり、まじまじと見つめた。確かに穏やかないいお顔だ。
④国宝 千手観音菩薩坐像(大阪・葛井寺)

 d.菅原道真の作と伝わる道明寺の十一面観音菩薩立像(⑤)
  道明寺は平安時代には「土師寺(はじでら)」と呼ばれており、
  土師氏(はじし)の氏寺。土師氏は菅原道真の祖先にあたり、
  この地域の豪族だった。
  
  カヤの一木造りで、彩色をしないで木肌をあらわす檀像彫刻
  となっている。写真より実物の方がはるかに強いインパクトを
  感じる。

  国宝の十一面観音菩薩像は7躯ある。その中で一番小さな
  像が、本像で像高は1m弱。
  
⑤国宝 十一面観音菩薩立像(大阪・道明寺)

3.本特別展に出展の御室派寺院
  真言宗御室派の寺院は仁和寺を総本山に全国に約790寺院ある
  とのこと。今回の特別展に出展は17寺院(E)。出展仏像のうち、
  特に印象に残った像を北から南へ順に列挙する下記e~mの通り。
(E)特別展に出展の御室派寺院

  e.宮城・龍寶寺 釈迦如来立像(⑥ 重文)
   縄状に結った頭髪、丸首の着衣、同心円状の衣文など典型的な
   清凉寺式釈迦如来像。別のお寺にあった像を伊達家の祈願寺
   である龍寶寺に17世紀末に移したとのこと。
   像高163㎝、13世紀の作。
⑥釈迦如来立像(宮城・龍寶寺)

  f.神奈川・龍華寺(りゅうげじ) 菩薩坐像<金沢文庫保管>(⑦)
   国宝の6躯以外で、一番インパクトのあった像と言える。1998年
   に、龍華寺の土蔵改築に際して発見され話題となった像とのこと。

   奈良時代(8世紀)、脱活乾漆造の像であり、どのような経路で、
   龍華寺の所蔵となったかは明らかではない。発見当時各部が
   バラバラとなっていた。学術的な検討に基づく修理がなされ、見事
   な姿となった。今回観覧して、指先の造形を絶賛する人もいた。
⑦菩薩坐像(神奈川・龍華寺) <金沢文庫管理>

  g.三重・蓮光院 大日如来坐像(⑧ 重文) 
   智拳印を結ぶ大日如来を目にすると、直ぐに運慶作の大日如来と
   比較してしまう。運慶仏とは違った素朴な良さを感じた。つるんと
   したボディは、東寺講堂の菩薩像と共通するように見える。
⑧大日如来坐像(三重・蓮光院)

  h.福井・明通寺 深沙大将立像/降三世明王立像(⑨、⑩共に重文)
   像高2メートル50を超える大きな像が2体並んだ姿は迫力がある。
   本尊・薬師如来の脇侍像として三尊像で祀られているそうだ。このよう
   な三尊像はお目に掛かったことがない。

   口を開けた阿形の降三世明王は見かけない。また、深沙大将は口を
   閉じた吽形となっている。当初から阿吽の対で祀るように制作された
   ことを物語っている。
(福井・明通寺)
⑨深沙大将立像   ⑩降三世明王立像

  i.福井・中山寺 馬頭観音菩薩坐像(⑪ 重文) 
   忿怒相、真っ赤な円光の光背を観て、愛染明王と見間違えてしまう。
   奈良・西大寺の愛染明王坐像とよく似ている。頭上の馬、馬口印、
   持物を見れば、馬頭観音と識別できる。

   台座は、不動明王の瑟瑟座(しつしつざ)となっており、いろんな特徴
   を兼ね備えたパワー全開の馬頭観音坐像に見える。
⑪馬頭観音菩薩坐像
(福井・中山寺)

  j.大阪・金剛寺 五智如来坐像(⑫ 重文)
   第2会場、観音堂を再現した部屋の隣に、金剛寺の五智如来が
   お寺と同じように安置されている。一瞬、博物館に展示されている
   ことを忘れる。

   智拳印を結ぶ金剛界大日如来を中央に、阿閦、宝生、阿弥陀、
   不空成就の4如来が囲む。京都・東寺講堂の五智如来は、印相
   が全員異なる。本像は大日、阿弥陀以外の3如来は皆同じような
   印相をしており、見分けがつかない。光背の種子(しゅじ)で判別
   できるとのこと。
⑫五智如来坐像(大阪・金剛寺)

  k.兵庫・神呪寺(かんのうじ) 如意輪観音菩薩坐像(⑬ 重文) 
   何とも不思議な坐り方をされた像だ。如意輪観音の坐り方として
   よく知られているのが輪王座(りんのうざ)。右足を立膝にした、
   両足の裏を合わせる坐り方を言う。

   この如意輪観音像の坐り方は初めて見る。当初から、このような
   形をしていて、後補ではないことは、像底からの調査でも明らか
   になっている。

   像の醸し出す雰囲気、坐り方、寺名の漢字「神」「呪」や読みの
   「かんのうじ」とすべてが不思議な魔力を感じさせる。
⑬如意輪観音菩薩坐像
(兵庫・神呪寺)

  l.広島・大聖院(だいしょういん)不動明王坐像(⑭ 重文)
   両目を見開き、前歯を出したような様式は、「大師様」と称され、
   弘法大師・空海が請来した「不動明王像」の姿。顔だち、体つき
   ともボリューム感があり、どっしりとした重量感も感じる。
⑭不動明王坐像
(広島・大聖院)

  m.香川・屋島寺 千手観音菩薩坐像(⑮ 重文) 
   全体として、安定感抜群の印象を受けた。顔、身体、脇手、
   光背がバランスよくまとまっており、安心感を与えてくれる。
   ⑭不動明王坐像以上のボリューム感、重量感も感じる。
⑮千手観音菩薩坐像
(香川・屋島寺)

  n.徳島・雲辺寺 千手観音菩薩坐像(⑯ 重文)
             不動明王立像(⑰)/毘沙門天立像(⑱ 重文)
   千手観音を中尊に不動明王と毘沙門天を脇侍とする三尊像は
   天台宗寺院に見られる組み合わせ。

   現在は、重文の千手観音と毘沙門天は収蔵庫に、不動明王は
   護摩堂に安置されているそうだ。折角の三尊像が離れ離れに
   なることは寂しい。
(徳島・雲辺寺)
⑯千手観音菩薩坐像
⑰不動明王立像/⑱毘沙門天立像

他に、仁和寺の「吉祥天立像」「愛染明王坐像」「文殊菩薩坐像」
「悉達太子坐像」なども素晴らしい。今回はコメントを割愛。
また、第1章から第3章の宝物については、別の機会にまとめたい。

観覧を終えて、いつものようにメンバーと昼食を共にし、よもやま話
に花を咲かせた。参加者に感謝!(合掌)




2018年2月13日火曜日

金沢文庫「運慶 鎌倉幕府と霊験伝説」を観覧!


現在、神奈川県立金沢文庫において、特別展「運慶 鎌倉幕府と
霊験伝説」が開催されている。<1月13日(土)~3月11日(日)>
2月10日(土)荻窪東館の会員16名が観覧に訪れた。

本特別展での注目点は、①鎌倉幕府の造仏、②運慶と鎌倉幕府との
繋がりがどのようにできたか ③運慶の霊験伝説が生まれた背景を探る
ことなどが挙げられる。出展の運慶仏は少ないものの、興味深い企画だ。

A)特別展チラシや図録表紙を飾る「瀧山寺 梵天立像」(画像1、13、14)
   昨秋、東京国立博物館での運慶展には中尊の聖観音立像が
   出展された。今回は脇侍の梵天立像。東寺講堂の梵天坐像
   と良く似ている。(帝釈天の方が更に似ているか?)
   運慶が東寺講堂の像を参考にしていたことが窺える。
1.運慶展 図録表紙

B)入館して最初に目にする諸像(画像2、3、4)に運慶始め慶派が
  残した造像の形式を見ることができる。

  神奈川・宝生寺(ほうしょうじ)の厨子入り像(画像2)を観た瞬間、
  足利・光得寺の運慶作・大日如来像を思い浮かべた。(画像イ)

  この宝生寺像は鎌倉・覚園寺の前身である大倉薬師堂諸尊の形式
  に基づいて制作されたようだ。(大倉薬師堂諸尊像は運慶作)

  また、扉の四天王像は東大寺大仏殿像の形式に基づく「大仏殿様」
  となっている。大仏殿様とは康慶、運慶、快慶、定覚が造像を行った
  東大寺大仏殿像の形式のこと。
2.神奈川・宝生寺 厨子入薬師如来坐像
及び両脇侍立像・十二神将立像・四天王立像 

(イ)栃木・光得寺 厨子入大日如来坐像
*今回は厨子なしで展示

  大仏殿様四天王像の展示(画像3)もあり、比較しながら眺めること
  もできる。
3.大仏殿様四天王立像     
(岡田美術館蔵)           

  東寺南大門の金剛力士像は明治初年に廃仏毀釈で焼失しているようだ。
  運慶の代表作であり、現存していないことが残念でならない。
  「東寺南大門様」の金剛力士像(画像4)は江戸時代の作、30㎝前後の
  小像ながら、なかなかの迫力を感じる。
4.東寺南大門様 金剛力士像
(個人蔵)

  一階常設の弥勒菩薩像脇に十二神将の戌神(画像5)が展示されている。
  いつもは鎌倉国宝館に安置されている。この像は旧辻薬師堂の像であり、
  「大倉薬師堂様」と称すべき模刻像と言える。

  大倉薬師堂創建の二代目執権・北条義時が公暁に暗殺されるところを
  救ったのが戌神であり、霊験仏として尊重された伝説がある。これも、
  運慶の霊験がもたらしたことだろうか?
 
5.鎌倉国宝館(旧辻薬師堂)
十二神将立像のうち戌神

  模刻像の現存数が多い仏像について、金沢文庫学芸員の瀬谷貴之氏が
  講演会で、お話しされた。
    第1位 東大寺大仏殿諸像
    第2位 東寺南大門金剛力士像
    第3位 大倉薬師堂十二神将像
  いずれも、運慶が制作された像ばかりだ。運慶の偉大さを物語る。

C)いよいよ、二階特別展会場へ移動。国宝「称名寺聖教(しょうぎょう)」を
  所蔵する金沢文庫だけに、古文書(こもんじょ)の展示が目に付く。

  康慶作、静岡・瑞林寺の地蔵菩薩坐像(画像6)に、またお目に掛かった。
  東博での運慶展にも出展されていた。穏やかな表情に、いつも癒される。
  地蔵菩薩像の結縁名と「筥根山縁起幷序」(画像7)に認められる鎌倉幕府
  草創期の協力者名から、康慶と箱根神社との関係性が見られると言う。
  これは、運慶の父・康慶の時代から、東国での造仏に関わることを示す史料
  と言える。
6.静岡・瑞林寺 地蔵菩薩坐像  7.神奈川・箱根神社 筥根山縁起幷序

  埼玉・慈光寺は東国における天台宗の有力寺院として知られるようだ。
  頭部の髻を失った阿弥陀如来坐像(画像8)は面貌や写実的な髪筋の表現、
  胸や腹の厚みなどから慶派仏師初期作品に挙げられるとのこと。

  また、この像は冠を戴く菩薩形の常行堂安置形式の宝冠阿弥陀と見られる。
  この像を安置したお堂で、法会の時に読み上げられたものが称名寺聖教に
  ある「釈文秘鑰(しゃくもんひやく)」(画像9)
  
8.埼玉・慈光寺 宝冠阿弥陀  9.神奈川・称名寺 釈文秘鑰

 D)奥州平泉は鎌倉幕府初期の寺院建立に、モデルとなった。現在、国指定
  史跡となった永福寺跡(画像ロ)と湘南工科大学制作の復元CG(画像ハ)
  で、当時の様子がイメージできる。中央に釈迦堂、向かって右側に薬師堂、
  左側に阿弥陀堂を配する伽藍となった。奥州征伐の後、供養のため建立。

  永福寺跡から数多くの出土品だ発見され、今回展示されていた。
  仏像の断片や装身具などで、運慶工房が関係したものと見られている。

(ロ)国指定史跡永福寺跡   (ハ)永福寺 復元CG

  神奈川・大善寺の天王立像(画像10)は中尊寺金色堂 中央須弥壇の
  増長天立像(画像ニ)とよく似ている。仏像にまで平泉の影響があった。
  ただし、仏像は寺院建立に比べ、限定的のようだ。(慶派が主流)

10.神奈川・大善寺   (ニ)中尊寺 金色堂
天王立像      増長天立像

E)横須賀市・曹源寺の十二神将像・巳神像(画像11)は願成就院の
  毘沙門天立像(画像ホ)に良く似ている。

  この巳神像は、他の像に比し、作風も優れ、像高も大きいことから
  特別な造像意図があったとされている。巳年生まれの源実朝と
  関係があるという説がある。

  北条政子発願で建立された永福寺薬師堂(画像ロ、ハ)の安置仏
  の模刻の指摘もあると言う。<図録解説>

  昨年4月に東博を訪問した時に撮影した画像も掲載した。(画像ヘ、ト)
11.神奈川・曹源寺  (ホ)静岡・願成就院
十二神将立像・巳神   毘沙門天立像

(ヘ)東博展示の曹源寺十二神将    (ト)曹源寺十二神将解説

F)東寺講堂諸尊像修理と仏舎利の出現で霊験伝説が生まれる。
  一門の棟梁として行った仏像修理で、像内に納められていた空海請来
  と思われる仏舎利出現は奇瑞であり、運慶の霊験性を高めることに
  繋がった。

  称名寺聖教(画像12)には大仏師法眼運慶が数十人の小仏師を引率
  して修理したとある。そして、仏舎利が出現し、員数を数えたとある。
12.東寺講堂御仏所被籠御舎利員数
部分(称名寺聖教のうち)

G)「運慶」との明記がある文書(もんじょ)の存在は、運慶仏を証明
  する決定的な史料となる。今回、文書と仏像の両方が出展されて
  いるのは次の二組。

  〇瀧山寺縁起(画像13)と瀧山寺 梵天立像(画像14)
  〇像内納入品(画像15)と称名寺 大威徳明王坐像(画像16)
  いずれも、赤い線で表記した。

  梵天像、大威徳明王像ともに、東寺講堂像を参考にされたに違い
  ないと想像する。
13.愛知・瀧山寺 瀧山寺縁起  14.瀧山寺 梵天立像

15.称名寺 大威徳明王坐像  16.大威徳明王 像内納入品

H)霊験伝説のある阿弥陀像(画像17)と縁起絵巻(画像18)を
  じっくり観覧した。

  鎌倉二階堂の光触寺で阿弥陀三尊像を拝観したことがある。
  その時は、残念ながら薄暗く、ご尊顔をクリアに拝観することは
  叶わなかった。間近で観ると、いかにも、慶派の作風を感じる。

17.神奈川・光触寺 阿弥陀如来立像  18.光触寺 頬焼阿弥陀縁起絵巻
       及び両脇侍立像           (運慶に阿弥陀仏新造を依頼)

I )慶派仏師が東国で示した事績で、印象的なものは次の二件。
  仏師は康慶の弟子、運慶とは兄弟弟子に当たる宗慶と実慶。
  埼玉・保寧寺の阿弥陀三尊像(画像19)は宗慶の作。
  柔和な顔立ちとかすかに微笑むような口元が印象的だった。
  左右対称な両脇侍像の造形も素晴らしい。

  静岡・修善寺の大日如来坐像(画像20)は実慶の作。
  奈良・円成寺の運慶作大日如来像を彷彿とさせる造形。
  顔だちはこちらの方が、少し粗野な感じがする。
19.埼玉・保寧寺 阿弥陀如来坐像及び両脇侍立像
(宗慶作)

20.静岡・修善寺 大日如来坐像
(実慶作)

J )注目した二体の不動明王立像は埼玉・不動院像(画像21)と
  長野・仏法紹隆寺像(画像22)。像高は地蔵院像が53㎝、
  仏法紹隆寺像が42㎝と小ぶり。小さいながら、不動明王らしい
  迫力は充分ある。

  地蔵院像の剣を担ぐような構えと風になびく髪が印象的であり、
  初めてお目に掛かる造形だ。

  仏法紹隆寺像については、運慶仏として認定が待たれる、一番
  近い仏像として注目していた。

21.埼玉・地蔵院   22.長野・仏法紹隆寺
不動明王立像     不動明王立像
 
観覧を終えた後、地下会場でボランティアガイドから特別展の見どころ
解説を興味深く拝聴した。もう一度観覧したくなるようなお話に感心した。

会場を後にして、隣接の称名寺へ向かった。先ずは記念撮影(①)
①観覧後に記念撮影

仁王門でボランティアガイドの方の解説をお聴きした後、称名寺境内を散策。
ご本尊を参拝し、再び仁王門前の参道を通り、総門(赤門)抜け、金沢文庫駅
まで歩いた。

②仁王門を眺める       ③ガイドの解説を聴く

④称名寺庭園解説板      ⑤庭園の反橋・平橋

⑥称名寺境内の解説板

⑦金堂               ⑧釈迦堂

⑨総門(赤門)

金沢文庫駅近くのお店「地球食堂」で昼食に海鮮丼を頂いた。
美味しさ、ボリューム、料金と皆さん大満足。楽しい一日でした。(合掌)