現在、神奈川県立金沢文庫において、特別展「運慶 鎌倉幕府と
霊験伝説」が開催されている。<1月13日(土)~3月11日(日)>
2月10日(土)荻窪東館の会員16名が観覧に訪れた。
本特別展での注目点は、①鎌倉幕府の造仏、②運慶と鎌倉幕府との
繋がりがどのようにできたか ③運慶の霊験伝説が生まれた背景を探る
ことなどが挙げられる。出展の運慶仏は少ないものの、興味深い企画だ。
A)特別展チラシや図録表紙を飾る「瀧山寺 梵天立像」(画像1、13、14)
昨秋、東京国立博物館での運慶展には中尊の聖観音立像が
出展された。今回は脇侍の梵天立像。東寺講堂の梵天坐像
と良く似ている。(帝釈天の方が更に似ているか?)
運慶が東寺講堂の像を参考にしていたことが窺える。
1.運慶展 図録表紙
B)入館して最初に目にする諸像(画像2、3、4)に運慶始め慶派が
残した造像の形式を見ることができる。
神奈川・宝生寺(ほうしょうじ)の厨子入り像(画像2)を観た瞬間、
足利・光得寺の運慶作・大日如来像を思い浮かべた。(画像イ)
この宝生寺像は鎌倉・覚園寺の前身である大倉薬師堂諸尊の形式
に基づいて制作されたようだ。(大倉薬師堂諸尊像は運慶作)
また、扉の四天王像は東大寺大仏殿像の形式に基づく「大仏殿様」
となっている。大仏殿様とは康慶、運慶、快慶、定覚が造像を行った
東大寺大仏殿像の形式のこと。
2.神奈川・宝生寺 厨子入薬師如来坐像
3.大仏殿様四天王立像
(岡田美術館蔵)
東寺南大門の金剛力士像は明治初年に廃仏毀釈で焼失しているようだ。
運慶の代表作であり、現存していないことが残念でならない。
「東寺南大門様」の金剛力士像(画像4)は江戸時代の作、30㎝前後の
小像ながら、なかなかの迫力を感じる。
4.東寺南大門様 金剛力士像
(個人蔵)
一階常設の弥勒菩薩像脇に十二神将の戌神(画像5)が展示されている。
いつもは鎌倉国宝館に安置されている。この像は旧辻薬師堂の像であり、
「大倉薬師堂様」と称すべき模刻像と言える。
大倉薬師堂創建の二代目執権・北条義時が公暁に暗殺されるところを
救ったのが戌神であり、霊験仏として尊重された伝説がある。これも、
運慶の霊験がもたらしたことだろうか?
5.鎌倉国宝館(旧辻薬師堂)
十二神将立像のうち戌神
模刻像の現存数が多い仏像について、金沢文庫学芸員の瀬谷貴之氏が
講演会で、お話しされた。
第1位 東大寺大仏殿諸像
第2位 東寺南大門金剛力士像
第3位 大倉薬師堂十二神将像
いずれも、運慶が制作された像ばかりだ。運慶の偉大さを物語る。
C)いよいよ、二階特別展会場へ移動。国宝「称名寺聖教(しょうぎょう)」を
所蔵する金沢文庫だけに、古文書(こもんじょ)の展示が目に付く。
康慶作、静岡・瑞林寺の地蔵菩薩坐像(画像6)に、またお目に掛かった。
東博での運慶展にも出展されていた。穏やかな表情に、いつも癒される。
地蔵菩薩像の結縁名と「筥根山縁起幷序」(画像7)に認められる鎌倉幕府
草創期の協力者名から、康慶と箱根神社との関係性が見られると言う。
これは、運慶の父・康慶の時代から、東国での造仏に関わることを示す史料
と言える。
6.静岡・瑞林寺 地蔵菩薩坐像 7.神奈川・箱根神社 筥根山縁起幷序
埼玉・慈光寺は東国における天台宗の有力寺院として知られるようだ。
頭部の髻を失った阿弥陀如来坐像(画像8)は面貌や写実的な髪筋の表現、
胸や腹の厚みなどから慶派仏師初期作品に挙げられるとのこと。
また、この像は冠を戴く菩薩形の常行堂安置形式の宝冠阿弥陀と見られる。
この像を安置したお堂で、法会の時に読み上げられたものが称名寺聖教に
ある「釈文秘鑰(しゃくもんひやく)」(画像9)
8.埼玉・慈光寺 宝冠阿弥陀 9.神奈川・称名寺 釈文秘鑰
D)奥州平泉は鎌倉幕府初期の寺院建立に、モデルとなった。現在、国指定
史跡となった永福寺跡(画像ロ)と湘南工科大学制作の復元CG(画像ハ)
で、当時の様子がイメージできる。中央に釈迦堂、向かって右側に薬師堂、
左側に阿弥陀堂を配する伽藍となった。奥州征伐の後、供養のため建立。
永福寺跡から数多くの出土品だ発見され、今回展示されていた。
仏像の断片や装身具などで、運慶工房が関係したものと見られている。
(ロ)国指定史跡永福寺跡 (ハ)永福寺 復元CG
神奈川・大善寺の天王立像(画像10)は中尊寺金色堂 中央須弥壇の
増長天立像(画像ニ)とよく似ている。仏像にまで平泉の影響があった。
ただし、仏像は寺院建立に比べ、限定的のようだ。(慶派が主流)
10.神奈川・大善寺 (ニ)中尊寺 金色堂
天王立像 増長天立像
E)横須賀市・曹源寺の十二神将像・巳神像(画像11)は願成就院の
毘沙門天立像(画像ホ)に良く似ている。
この巳神像は、他の像に比し、作風も優れ、像高も大きいことから
特別な造像意図があったとされている。巳年生まれの源実朝と
関係があるという説がある。
北条政子発願で建立された永福寺薬師堂(画像ロ、ハ)の安置仏
の模刻の指摘もあると言う。<図録解説>
昨年4月に東博を訪問した時に撮影した画像も掲載した。(画像ヘ、ト)
11.神奈川・曹源寺 (ホ)静岡・願成就院
十二神将立像・巳神 毘沙門天立像
(ヘ)東博展示の曹源寺十二神将 (ト)曹源寺十二神将解説
F)東寺講堂諸尊像修理と仏舎利の出現で霊験伝説が生まれる。
一門の棟梁として行った仏像修理で、像内に納められていた空海請来
と思われる仏舎利出現は奇瑞であり、運慶の霊験性を高めることに
繋がった。
称名寺聖教(画像12)には大仏師法眼運慶が数十人の小仏師を引率
して修理したとある。そして、仏舎利が出現し、員数を数えたとある。
12.東寺講堂御仏所被籠御舎利員数
部分(称名寺聖教のうち)
G)「運慶」との明記がある文書(もんじょ)の存在は、運慶仏を証明
する決定的な史料となる。今回、文書と仏像の両方が出展されて
いるのは次の二組。
〇瀧山寺縁起(画像13)と瀧山寺 梵天立像(画像14)
〇像内納入品(画像15)と称名寺 大威徳明王坐像(画像16)
いずれも、赤い線で表記した。
梵天像、大威徳明王像ともに、東寺講堂像を参考にされたに違い
ないと想像する。
13.愛知・瀧山寺 瀧山寺縁起 14.瀧山寺 梵天立像
15.称名寺 大威徳明王坐像 16.大威徳明王 像内納入品
H)霊験伝説のある阿弥陀像(画像17)と縁起絵巻(画像18)を
じっくり観覧した。
鎌倉二階堂の光触寺で阿弥陀三尊像を拝観したことがある。
その時は、残念ながら薄暗く、ご尊顔をクリアに拝観することは
叶わなかった。間近で観ると、いかにも、慶派の作風を感じる。
17.神奈川・光触寺 阿弥陀如来立像 18.光触寺 頬焼阿弥陀縁起絵巻
及び両脇侍立像 (運慶に阿弥陀仏新造を依頼)
I )慶派仏師が東国で示した事績で、印象的なものは次の二件。
仏師は康慶の弟子、運慶とは兄弟弟子に当たる宗慶と実慶。
埼玉・保寧寺の阿弥陀三尊像(画像19)は宗慶の作。
柔和な顔立ちとかすかに微笑むような口元が印象的だった。
左右対称な両脇侍像の造形も素晴らしい。
静岡・修善寺の大日如来坐像(画像20)は実慶の作。
奈良・円成寺の運慶作大日如来像を彷彿とさせる造形。
顔だちはこちらの方が、少し粗野な感じがする。
19.埼玉・保寧寺 阿弥陀如来坐像及び両脇侍立像
(宗慶作)
20.静岡・修善寺 大日如来坐像
(実慶作)
J )注目した二体の不動明王立像は埼玉・不動院像(画像21)と
長野・仏法紹隆寺像(画像22)。像高は地蔵院像が53㎝、
仏法紹隆寺像が42㎝と小ぶり。小さいながら、不動明王らしい
迫力は充分ある。
地蔵院像の剣を担ぐような構えと風になびく髪が印象的であり、
初めてお目に掛かる造形だ。
仏法紹隆寺像については、運慶仏として認定が待たれる、一番
近い仏像として注目していた。
21.埼玉・地蔵院 22.長野・仏法紹隆寺
不動明王立像 不動明王立像
観覧を終えた後、地下会場でボランティアガイドから特別展の見どころ
解説を興味深く拝聴した。もう一度観覧したくなるようなお話に感心した。
会場を後にして、隣接の称名寺へ向かった。先ずは記念撮影(①)
①観覧後に記念撮影
仁王門でボランティアガイドの方の解説をお聴きした後、称名寺境内を散策。
ご本尊を参拝し、再び仁王門前の参道を通り、総門(赤門)抜け、金沢文庫駅
まで歩いた。
②仁王門を眺める ③ガイドの解説を聴く
④称名寺庭園解説板 ⑤庭園の反橋・平橋
⑥称名寺境内の解説板
⑦金堂 ⑧釈迦堂
⑨総門(赤門)
金沢文庫駅近くのお店「地球食堂」で昼食に海鮮丼を頂いた。
美味しさ、ボリューム、料金と皆さん大満足。楽しい一日でした。(合掌)
我家の菩提寺のご本尊と脇時がはっきりしていません。ご本尊は、どなたか知りませんが昔調べた結果、あしゅく如来との事ですが、私が見たところ、不空成就如来です。脇時は判りません。住職にお聞きしてもハッキリしたことは・・・・?
返信削除現在、曹洞宗ですが昔は真言宗のお寺でした。詳しい方に見てもらい実際のところ、なに如来様で脇時が、なに菩薩なのか知りたいのは檀家で私だけなのか・・・・?お蔭様で仏像に興味もちました。