2020年10月18日日曜日

びわ湖長浜KANNON HOUSE(観音ハウス)を訪問! 


上野にある「びわ湖長浜KANNON HOUSE」が10月末で閉館となる。昨日
(10月17日)伺った。東博や藝大美術館での展覧会に行った際、よく立ち
寄った。

1.びわ湖長浜KANNON HOUSE
  今回展示の観音像は、長浜市宮司町・総持寺の千手観音立像(❶、❷)。
  平安時代(12世紀)のヒノキ一木割矧造で像高が106.1㎝の像。柔和な
  お顔立ちは、典型的な定朝様。持物は後補ではあるものの、千手観音の
  法力を感じさせる。

  今までに展示された観音像のパネルもじっくり眺めた(❸)。「東京に
  ある長浜の観音堂」として本物の観音さまとの出会いは今月末で幕を
  閉じることになる。2016年3月にオープンしてから4年半楽しまさせて
  頂いた。
❶長浜・総持寺千手観音像  ❷展示千手観音像を観覧
❸観音ハウスに展示の観音像パネル

2.浅草文化観光センターでのパネル展
  観音ハウス展示の仏像が浅草文化観光センターでパネル展示されている
  とのことであり、浅草まで足を延ばした(❹)。当日が最終日だった。

  展示の新聞記事が目に留まった。観音文化を後世につなぐために、活動
  される、若い女性(記事の写真)が紹介されていた(❺)。外部から、
  地域に溶け込み、地域の文化継承に活躍される姿勢は心を打つ。 
❹浅草文化観光センターでの  ❺長浜観音文化を伝える
          パネル展          新聞記事

3.「観音の里」を紹介した展覧会やTV番組
 (A)東京芸術大学大学美術館での展覧会
   長浜「観音の里」に関心・興味を持つきっかけは二度の展覧会による。
   「観音の里の祈りとくらし展ーびわ湖・長浜のホトケたちー」が開催
   (2014年と2016年)され、感銘を受けた(❻)。その時の様子は、
   2016年7月21日のブログでご紹介した。
❻展覧会の図録

 (B)BSフジ「古都浪漫こころ寺巡り」で「観音の里」放映(❼~❿)
   コロナ禍、以前録画したTV番組をよく視聴する。仏像好きの仲間
   と一緒に観て楽しんでいる。「奥びわ湖観音の里~小説家・井上靖が
   魅了された美しき観音菩薩

   120体もの観音が祀られる観音の里。井上靖が魅了された美人仏、
   古物商から救われた仏、炎から救われた仏、地中に埋められた仏
   たち。様々に秘めた歴史を持つ観音菩薩を紹介している。
   近藤サトさんのナレーションも良い。
❼番組で紹介「観音の里」 ❽井上靖の小説「星と祭」

   番組の中で、長浜「観音の里」に独自の仏教文化が開いた地理的背景の
   解説があった。高月観音の里歴史民俗資料館の学芸員・佐々木悦也氏は
   主要街道交通の要衝であったことと周りに信仰面で大きな影響を及ぼ
   した宗派があったことを上げている(❾、❿)

   即ち、奈良・京都と繋がり、東海道、中山道、北国街道を結ぶ交通の
   要衝となっている。また、奈良時代には奈良仏教、平安時代になると
   天台宗の影響を受ける。「白山信仰」という山岳信仰の影響も受けて
   いる。

   白山神社のご祭神は三柱。一柱の本地仏が十一面観音ということも
   あり、長浜には十一面観音が多い。

   姉川の合戦、賤ケ岳の合戦など戦の多いエリアでもあり、正に修羅道
   の世界となっている。修羅道は六観音の中で、十一面観音が守護する。
   長浜に十一面観音が多いのは戦が多かったからとも聞く。
❾主要街道要衝となる地域  ❿影響を受けた宗教・信仰

「観音の里」では観音さまをお守りすることによって自分たちが守られている
と感じている。学芸員の佐々木悦也氏はそのように解説されていた。


2020年10月9日金曜日

中尊と脇侍・眷属<千手観音>


如来を中尊とする三尊像や眷属を整理してきた。中尊となるのは如来だけ
ではない。今回は、千手観音を中尊とする三尊像や眷属についてまとめて
みたい。

1.千手観音を中尊とする三尊像
  千手観音の脇侍像については、数パターンを目にする。具体的な事例
  で確認したい。

 A.婆藪仙・吉祥天の両脇侍
  千手観音の脇侍に婆藪仙(ばすせん)と吉祥天を配置した仏画を目にし
  たことがある(❶)。この両脇侍は仏教における基本ルールとも聞く。

  婆藪仙とは、殺生の罪を犯し地獄に落ちるも、釈迦の教えに帰依して、
  修行を続ける仙人(バラモン僧)。独特な風貌、痩せ細ってガリガリの
  体形は大変インパクトがある。一方、吉祥天は美と芸術、施福の女神
  として馴染み深い。

  2尊の対比は男vs女、老vs若、質実vs華麗、清貧vs豊穣、修行vs慈善
  など様々なイメージが湧く。婆藪仙は「智慧」、吉祥天は「慈悲」の
  象徴ではないかと思える。<彫像での像容は❻参照>
婆藪仙と吉祥天の両脇侍

 B.不動明王・毘沙門天の両脇侍
  不動明王と毘沙門天を両脇侍にする形式は、天台系の寺院に多いようだ。
  滋賀・正明寺(しょうみょうじ)の千手観音及び両脇侍像については、
  天台系の名残りとある(❷)。

  延暦寺横川中堂の本尊は聖観音を中尊に、不動、毘沙門を脇侍とする三尊
  としており、「横川形式」と呼ばれている。これには、伝説がある。即ち、
  慈覚大師・円仁が入唐時に海難に会った。観音を念じると、観音の化身と
  して毘沙門天が出現し、嵐が静まった。

  比叡山に戻った円仁は一堂を建立し、観音と毘沙門天を祀った。その後、
  弟子の良源不動を加えて三尊にしたとのこと。これで横川形式三尊の
  成立になった。中尊の観音菩薩は、聖観音もあれば、十一面観音、千手
  観音と様々ある。
❷不動明王と毘沙門天の両脇侍

 C.不動明王・降三世明王の両脇侍と
   二十八部衆の眷属
  2018年1月~3月、東京国立博物館で開催の「仁和寺と御室派の
  みほとけ」展を観覧した。その時に、撮影した写真が❸、❹。これは
  仁和寺の観音堂を再現したものである。

  中尊・千手観音の両脇侍が「降三世明王」と「不動明王」となっている。
  いかにも、密教的な尊像と言える。左右に、二十八部衆が並び、観る者
  を圧倒する。さながら曼荼羅の世界のようにも見える。
❸脇侍の不動明王像     ❹脇侍の降三世明王像

 D.地蔵菩薩・毘沙門天の両脇侍
  京都・清水寺では本尊・千手音の両脇侍が「地蔵菩薩」と「毘沙門天」に
  なっている。これも、比叡山の「横川形式」と同様の伝説がある。

  坂上田村麻呂が蝦夷征伐へ赴く際に、延鎮上人は、地蔵菩薩と毘沙門天を
  彫って、武運を願った。戦場で全滅覚悟の中、観音に祈り続けると、どこ
  からともなく、僧侶老翁が現れ救ってくれた。二人は地蔵菩薩と毘沙門
  天が姿を変えて現れた。

  無事に帰還した田村麻呂は本尊・千手観音の両脇侍に地蔵菩薩と毘沙門天
  を安置し、現在に続く清水寺の三尊形式が誕生したと言う。残念ながら
  三尊とも秘仏のため、お目に掛れない。

  従って、千手観音の脇侍については、その寺独自の縁起があることが良く
  分かる。必ずしも、儀軌によるものではないようだ。
  
2.三十三間堂の二十八部衆
  全国の「千手観音と二十八部衆」の中で最も有名で、かつ圧倒的な存在感
  を感じさせる寺院は、京都の三十三間堂だと思う。2018年に1001体の
  千手観音立像が国宝に指定され、堂内1032体すべての尊像が国宝となる。

  また、2018年には、尊像の改名や配置換えも行われた。この改名や、
  配置換えを行うに至った経緯については別途確認したい。

  堂内の仏像配置がどのように変わったを比較し、まとめてみた(❺)。最初
  に気づくことは「風神・雷神」の位置が入れ替わった。これで、俵屋宗達
  風神雷神図と同じ構図になる(❼)。俵屋宗達は、三十三間堂の風神・雷神
  をモデルにした。

  次に、中尊を囲む4体に注目した。旧配置13-東方天、14-毘楼勒叉天
  (びるろくしゃてん)、15-毘楼博叉天(びるばくしゃてん)16-毘沙門天
  となっている。つまり四天王が囲んでいる形になっている。

  現配置では、13-婆藪仙、14-大弁功徳天(吉祥天)、15-帝釈天王、16
  -大梵天王となっている。特に前面の一番目立つところに、婆藪仙と吉祥天
  が配置され、中尊の脇侍のようになっている(❻)。

  二十八部衆については、分からないことがたくさんある。詳しく調べて、別
  の機会にまとめたい。
❺三十三間堂内 現旧の仏像配置図

❻三十三間堂中尊像と眷属  ❼尾形光琳作 風神雷神図


【中尊と脇侍・眷属シリーズ 続く】






2020年9月30日水曜日

中尊と脇侍・眷属<大日如来>


今回のテーマは大日如来。サンスクリット語では「マハーヴァイロ―チャナ
摩訶毘盧遮那」。「毘盧遮那」に「摩訶」が付く。「摩訶」とは「大きい」
「偉大な」の意味であり、偉大な廬舎那仏と言う事になる。

1.大日如来像の像容(金剛界大日如来と胎蔵界大日如来)
  大日如来で最初に思い浮かべるのは、奈良・円成寺の大日如来像(❶)。
  鎌倉時代の大仏師、運慶のデビュー作であり、20歳代中頃の作品である。
  背筋をピンと伸ばし、後ろへ反る程の姿勢は、溌溂として若々しい。

  真如苑像、光得寺像(❷)も運慶作とされている。全体のバランスといい
  円成寺像と良く似ている。胸前で智拳印を結ぶ金剛界大日如来像は、共通
  して、パワー(法力)を感じさせる。智拳印とは、右手が仏、左手が衆生
  で、仏と衆生が一体となる意味があるそうだ。
❶円成寺 大日如来像
 
 ❷真如苑、光得寺像 
  
  大阪・河内長野市 金剛寺の大日如来像も智拳印の金剛界大日如来像。
  脇侍に不動明王と降三世明王の三尊像は珍しい(❸)。

  和歌山・高野山檀上伽藍の根本大塔には胎蔵界大日如来を中尊に周囲
  には、金剛界四仏などを配し、立体曼荼羅となっている(❹)。胎蔵
  界の大日如来は法界定印の印相を結んでいる。

  曼荼羅については、次の「2.京都・東寺講堂の立体曼荼羅」や「3.
  両界曼荼羅」で詳述する。

  
❸金剛寺 大日如来像 他   ❹高野山根本大塔 大日如来像

2.京都・東寺講堂の立体曼荼羅
  空海が構想した東寺講堂の立体曼荼羅には金剛界大日如来像を中心
  に21体の像が配置されている(❺)。この配置を決めるに至った
  経緯を❻にまとめてみた。

  空海が構想した曼荼羅は「金剛頂経」の「五智如来」を中央に配し
  「仁王経念誦儀軌(にんのうきょうねんじゅぎき)」の菩薩・明王
  がぎ両脇を固め、天が周りを囲んでいる。いわば、密教尊像を中心
  にしながら、顕教尊像も取り入れている。空海らしい対応と言える。
  
❺東寺立体曼荼羅      ❻曼荼羅の儀軌

  「五智如来」(❼)とは、中央に大日如来、東南西北に阿閦如来
  宝生如来阿弥陀如来不空成就如来が並んでいる。大日如来の
  智慧を4仏が分有している。

  五智如来の東側(向かって右側)には五菩薩が安置される。中央
  に金剛波羅蜜多菩薩が鎮座し、4菩薩が周りを囲む(❽)。

  更に、西側には、五大明王が陣取る。不動明王を中央にして、東
  に降三世(ごうざんぜ)明王、南に軍荼利(ぐんだり)明王、西
  に大威徳(だいいとく)明王、北に金剛夜叉(こんごうやしゃ)
  明王が並ぶ(❾)。

  なお、東南西北は五大明王の位置が本来の方位であり、五智如来
  五菩薩は、一つずれた位置となっているようだ。南方の宝生如来、
  南方の金剛宝菩薩が鎮座する場所が東になる。これは、どこかの
  時点で、配置ミスがあったとしか考えられない。
❼五智如来

❽五菩薩          ❾五大明王

  五智如来、五菩薩、五大明王は三輪身(さんりんしん)という考え
  方で繋がっている(❿)。五智如来は仏法の真理そのものであり、
  自性輪身(じしょうりんしん)と呼ばれる。

  慈悲の姿で真理を伝える五菩薩は正法輪身(しょうぼうりんしん)。
  忿怒の姿で真理を伝える五大明王は教令輪身(きょうりょうりん
  しん)と呼ぶ。大日如来を根本にし、智慧を分有して五智如来と
  なり、更に衆生の性質に合わせて姿を変え教化しようとしている
  ことを意味している。

  東寺の立体曼荼羅は、言葉だけでは伝えきれないものを、五感に
  訴えて真理を体感させる宗教的空間そのものだ。
❿三輪身

3.両界曼荼羅
  三尊像に代表される中尊智慧の脇侍慈悲の脇侍の構成は、曼荼羅
  の世界では、どのようになっているのだろうか。両界曼荼羅は世界の
  成り立ちを表現する「胎蔵界曼荼羅」と悟りに至る道筋を表現する
  「金剛界曼荼羅」で構成されている(⓫)。

  「胎蔵界曼荼羅」は12の院に、「金剛界曼荼羅」は9の会(え)に
  分かれており、その中に数多の仏さまが坐している。
  
  A.胎蔵界曼荼羅の三部
    胎蔵界曼荼羅は、真ん中に「中台八葉院」があり、その中心に
    胎蔵界大日如来が鎮座されている。中台八葉院とその上下の院
    が「仏部(ぶつぶ)」と呼ばれる。三尊像に例えるなら、中尊
    に当たる(⓬)。

    向かって左側、赤色の院、即ち「蓮華部院」、「地蔵院」など
    は「蓮華部」と呼ばれ、慈悲を象徴する仏の院となっている。
    蓮華部院には観音菩薩、地蔵院には地蔵菩薩が住す(⓭)。

    一方、向って右側、青色の院、「金剛部院」「除蓋障院(じょがい
    しょういん)」などは「金剛部」と呼ばれ、智慧を象徴する仏の院
    となっている。「仏部」「蓮華部」「金剛部」を胎蔵界曼荼羅の
    三部となる(⓭)。
⓫両界曼荼羅

⓬胎蔵界曼荼羅      ⓭胎蔵界曼荼羅の三部

  B.金剛界曼荼羅 成身会の五部
    金剛界曼荼羅 中央の四角を成身会(じょうじんえ、じょうじんね)
    (⓮)と言う。その成身会の中心に坐すのが金剛界大日如来である。
    成身会を拡大すると⓯となる。金剛界曼荼羅の成立は、胎蔵界曼荼羅
    よりも後であり、三部が五部に変化した。

    「蓮華部」と「金剛部」だけでは、対応できなくなり、新に「宝部
    (ほうぶ)」と「羯磨部(かつまぶ)」が増えたそうだ。「宝部
    とは人間生活に不可欠の財宝を象徴する。いわばご利益の部となる。
   
    また、「羯磨部」は、世の中のすべての働きを表しており、「業」
    とか「行」の部門と言える。金剛界曼荼羅は、人間を多面的に捉え、
    現実に即しているように思われる。
⓮金剛界曼荼羅       ⓯成身会の五部

  C.金剛界曼荼羅成身会の如来と菩薩
    金剛界曼荼羅 成身会五部は、どんな如来や菩薩で構成されている
    かをまとめた(⓰、⓱)。また、空海が構想した東寺立体曼荼羅の
    五智如来や五菩薩は、金剛界曼荼羅ではどこに鎮座するか確認して
    みた(⓰)。
⓰成身会の五智如来・五菩薩 ⓱成身会の如来・菩薩・天

大日如来は仏法の真理そのものであり、この世のすべては、大日如来が
変化(へんげ)したものであると言う。大変深遠な思想であるだけに、
ややもすると、難解であり馴染みにくい。平たく言えば人気がない。

お薬師さん、観音さま、お不動さんに比して、大衆受けしない理由が
この辺にあるのかもしれない。しかし、大衆に迎合しない大日如来の
孤高の姿は大変魅力的だ。

【中尊と脇侍・眷属シリーズ 続く】



2020年9月15日火曜日

中尊と脇侍・眷属<廬舎那仏>


今回のテーマは東大寺大仏でお馴染みの「廬舎那仏(るしゃなぶつ)」。

サンスクリット語の「ヴァイローチャナ」が音訳され、「びるしゃな」。
漢字で「毘盧舎那」または「毘盧遮那」と表記され、「毘盧舎那如来」、
「毘盧舎那仏」となる。更に、略して「廬舎那仏」。

「ヴァイローチャナ」の意味は「光明遍照(こうみょうへんじょう)」。
廬舎那仏は釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来と性格が異なり、いわば
宇宙の真理」「仏法そのもの」「法身(ほっしん)の釈迦」を意味
する。

廬舎那仏を中尊に、決まった形の三尊像があるようには思われない。
そこで、今回は、東大寺大仏殿と唐招提寺金堂の尊像配置に注目して
整理してみた。

1.東大寺大仏殿 唐招提寺金堂の廬舎那仏像と脇侍像
 中尊と脇侍(脇仏)と言う関係で尊像配置を眺めると、東大寺では
 如意輪観音虚空蔵菩薩であり、唐招提寺では薬師如来千手観音
 が脇侍となっている(❶、❷)。

 このような配置をどう理解するか。東大寺の場合、如意輪観音は、
 「慈悲」の象徴、「虚空蔵菩薩」は「智慧」の象徴と、釈迦三尊像
 などと同じようにも考えられる。

 一方、唐招提寺の場合は、薬師如来と千手観音であり、どのように
 理解したら良いのだろうか?
❶中尊の廬舎那仏像     ❷中尊の脇侍像(脇仏)

2.廬舎那仏と諸尊像の配置図
 現在の東大寺大仏殿には、あと2体の像、即ち広目天像と多聞天像
 が安置されている(❸)。大仏殿の諸尊像配置を知る、歴史的な
 史料がある。

 平家の南都焼き討ちで、焼失した東大寺大仏殿の仏像は、康慶、運慶
 を始めとする慶派仏師によって造立された。東大寺大仏殿図(❹)に
 よって、大仏殿の諸尊像配置と仏像毎の制作者名が分かる。更に図解
 したものが❺となる。残念ながら、慶派制作の仏像は残っていない。

 大仏殿図と現在の大仏殿を比較すると、四天王の持国天、増長天が、
 欠けている。
❸東大寺大仏殿 諸尊像

❹東大寺大仏殿図(部分)   ❺東大寺大仏殿図 解説

 唐招提寺金堂では廬舎那仏を中心に9体の仏像が安置(❻、❼)され
 ている。9体すべてが国宝に指定されている。

 歴史学者の東野治之氏は「廬舎那仏、薬師如来、千手観音の三尊形式
 は珍しく、仏教の教義でも説明できない」。更に、「東大寺に日本初
 の戒壇院が作られ、その他に、下野薬師寺と大宰府の観世音寺に設置
 された。このことを象徴しているのではないか」とされている。

 また、歴史小説家の永井路子氏は著書『氷輪』の中で「廬舎那仏を
 本尊に、薬師を東方に、観音を西方にというのは鑑真自身の宗教的
 世界観に基づく構想だった。観音は阿弥陀の代り」と書かれている。

 永井氏は更に「東大寺の大仏は『華厳経』の教義に基づくものだが、
 唐招提寺のそれは、戒律の根本経典の一つである『梵網経』の世界
 を顕現している」とされている。

 華厳経と梵網経の違いは良く分からない。共通するのが廬舎那仏と
 蓮華蔵世界のようだ。そこで、蓮華蔵世界についてまとめたい。
❻唐招提寺金堂内陣      ❼同左 諸尊像配置

3.廬舎那仏と蓮華蔵世界
 廬舎那仏の光背に付着している化仏(❽)は何か?
 「廬舎那仏の肉髻から生まれた釈迦如来。」
 
 東大寺大仏殿、唐招提寺金堂の中は、釈迦如来で満ち溢れており、
 その一部が光背に掛っているとも言える。
 
 蓮華蔵世界とは蓮の花の中に須弥山がそびえ、一つの小世界を形成
 している。一つの小世界に一人のお釈迦様が現れる。1000の
 小世界を小千世界と呼ぶ。1000の小千世界が中千世界となり、
 1000の中千世界が大千世界となる。

 大千世界とは小千世界が10億(=1000×1000×1000)となる。
 「三千大千世界」の「三千」とは「千の三乗からなる」の意味で、
 大千世界が3000あると言う意味ではない。

 この三千大千世界の中心に存在する仏様が廬舎那仏となる。「宇宙
 の真理」「仏をを統括する仏」「仏を生み出す仏」と言える。大乗
 仏教で、無数の仏・菩薩が生れ、整理がつかなくなり、統括者とし
 て廬舎那仏が生れたとも聞く。

 蓮華から世界が生れ、世界は巨大な蓮華の中に存在するように、
 廬舎那仏から世界は生まれ、かつ世界は廬舎那仏に包まれると
 言う構造になっている。これを「梵我一如(ぼんがいちにょ)」
 と言うようだ。

 また、「一即一切・一切一即(いちそくいっさい・いっさいいち
 そく)」とも言う。あらゆるものは平等に密接に関係し合っており、
 全体の中に個があり、個の中に全体があると言う意味とのこと。
 宇宙の中に個人が存在し、個人の中に宇宙がある関係と言える。
❽廬舎那仏の光背     ❾蓮華蔵三千大千世界

 東大寺大仏台座の線刻(❿、⓫)には蓮華蔵世界が表現されている。
 ⓫図では全体を眺められる。最上層に釈迦仏が22体の菩薩と共に描か
 れている。最下層に7つの蓮華座、中間層に25層の天がある。

 最上層は小世界であり、中間層、最下層は小千世界の一部を
 イメージしたものと思われる。
❿東大寺大仏台座の線刻     ⓫同左の線刻全体図

先日、NHKBSで再放送の「大仏開眼」前編・後編を2週連続
で視聴した。大仏造立をめぐる人々の夢や野望を描いた歴史物語。
飢饉や天然痘が流行し、死者が続出した時代と、コロナの現在と
重なり、見応えがあった。

また、身勝手な権力で国を支配しようとする藤原仲麻呂に対し、
律令の法による政治を行おうとする吉備真備との抗争の様子は
縁故優先と立憲主義かを問う今を見ているようだ。吉備真備の
勝利となり、留飲を下げた。

【中尊と脇侍・眷属シリーズ 続く】





2020年8月31日月曜日

中尊と脇侍・眷属<阿弥陀如来グループ>Ⅱ


今回は阿弥陀如来像の印相や阿弥陀三尊像の姿勢を取り上げたい。

1.阿弥陀如来の印相変化と背景(❶)
 5年程前、学習院大学で開催の「仏像美術の世界」という講座に
 参加した。その時の講師が解説された講義内容を基に、「阿弥陀
 信仰と印相の変化」を一覧表にまとめてみた。

 平安前期までの阿弥陀信仰は「悔過(けか)」と追善供養ためが
 中心とのこと。自分自身の極楽往生を願うことが主目的になった
 のは、平安中期以後だそうだ。阿弥陀堂や阿弥陀仏が数多く造立
 される背景が納得できる。

 阿弥陀如来の印相については、施無畏・与願印から説法印、定印
 となり、来迎印へと変化して行く。奈良時代の説法印は初期密教
 (陀羅尼集経、だらにじっきょう)により出現した。平安前期の
 定印は密教の曼荼羅に描かれた図像に基づき造立された。

 印相は密教からの影響を受けていることが良く現れている。密教
 では「身・口・意(しん・く・い)」三つの行為を重視する。即ち、
 手に印を結び、口に真言を唱え、心に本尊を観念すること。これを
 三密(さんみつ)もしくは三業(さんごう)と言う。

 コロナの時代、「三密」が別の意味に使われている。奥深い意味の
 「身密・口密・意密」が、「密閉・密集・密接」の三密となった。
 弘法大師空海は、どう思われるのだろう。
❶阿弥陀如来印相の時系列変化

2.阿弥陀如来像の印相変化(❷~❺)
 施無畏・与願印から来迎印までの阿弥陀如来像を掲載した。定印の
 阿弥陀如来像で最古は、京都・仁和寺の阿弥陀三尊像。亡くなった
 光孝天皇追善のために造立されたと伝わる。

 清凉寺の阿弥陀三尊像も、源融(みなもとのとおる)の一周忌に、
 子息が造立した。こちらも追善供養と考えられる。一方、平等院の
 阿弥陀如来像は明らかに、発願者自身の極楽往生を願って造立した
 ものだ。

 三千院の阿弥陀如来像は来迎印であり、極楽往生を祈願するための
 本尊となっている。浄土寺像においては、「逆手(さかて)来迎印」
 と言う通常と反対の印相となっている。浄土寺では、西日が差し込み
 さながら、西方極楽から来迎したような設えになっている。
❷阿弥陀如来の印相例    ❸施無畏・与願印~定印

❹定印            ❺来迎印

3.阿弥陀三尊像 姿勢の変化(❻~❿)
 三尊像の姿勢に注目した。清凉寺像では、三尊像とも結跏趺坐して
 いる。この像は、悔過や追善供養のための本尊であり、動く気配は
 感じられない。中尊像は、定印を結ぶ。

 一方、中尊が来迎印を結ぶ三尊像の場合は、来迎の動きを感じさせ
 る造形となっている。その動きは、脇侍像から伺える。三千院像の
 観音、勢至は跪坐であり、今まさに立ち上がろうとしている。なお、
 観音は蓮台を捧げ持ち、勢至は合掌する姿が両像の特徴。

 浄楽寺像では、観音、勢至とも立像となり、来迎へ動き出している。
 更に、浄土寺像では、中尊の阿弥陀如来も立像となり、三尊像とも
 今まさに揃って動き出した。
❻阿弥陀三尊像 姿勢の変化

❼三尊像が結跏趺坐        ❽脇侍像が跪坐

❾脇侍像が立像      ❿三尊像とも立像

【中尊・脇侍・眷属シリーズ 続く】