2018年11月27日火曜日

南房総の古刹を巡る<那古寺>

<真野寺、小松寺リポートから続く>

3.那古寺(なごじ)
  最後の参拝寺院は那古寺。真野寺、小松寺は南房総市の
  お寺であり、那古寺は館山市所在。
  
  那古寺の名前は、以前から耳にしていた。中嶋莉恵さんが
  東京藝大で教育研究助手をされていた時、那古寺・阿弥陀
  如来像の修復に携われた。そして、その修復工程について、
  西荻窪で講演して頂いた。

  バスを降り、なだらかな参道を登る(❶)。参道が左へカーブ
  するところに案内図(❷)がある。仁王門、鐘楼堂、阿弥陀堂、
  多宝塔、観音堂が並ぶ。

  仁王門までの参道壁には、那古寺の仏像や宝物のの解説板が
  いくつも掲示されていた。(その一部が❸❹)
❶那古寺への参道を歩く   ❷那古寺の堂塔案内

❸木造阿弥陀如来坐像の解説 ❹銅造千手観音立像の解説

  仁王門の前には、『真言宗智山派 坂東三十三番霊場 補陀落山
  那古観音』と刻まれた石柱(❺)が建っている。一番札所の鎌倉市
  杉本寺から順打ちに巡ると、那古寺は結願(けちがん)の寺となる。
  
  阿吽の仁王像(❻❼)は、歴史の風雪に耐え、聖域を守護している
  ことを感じさせる。阿形の、口の開きが大きいのも良い。境内に
  入ると、すべての堂塔が見渡せる(❽)。
❺仁王門         ❻阿形像

❼吽形像           ❽境内

  多宝塔(❾)と観音堂(❿)は千葉県指定有形文化財。共に、
  内部の木造宝塔1基、厨子1基が附(つけたり)指定と
  なっている。造形の美しい建造物だ。

  多宝塔の内部は、今回拝観できない。観音堂は、那古寺の
  本堂に当たるお堂であり、拝観させて頂ける。(本尊は
  秘仏のため拝観不可)
❾多宝塔          ❿観音堂側面

  観音堂の内部に入らさせて頂く。中央に、大きな閉扉の厨子が
  が見える。振り返って、外に目をやると、正面前方に海が広がる。
  観音さまが住むと言われる補陀落(ふだらく)浄土は、南の海に
  あるとされる。正に山号(補陀落山)通りの地に建立されている。
⓫観音堂の正面      ⓬観音堂の中から海を臨む

  お堂の内陣左側に着席し、ご住職から那古寺の縁起や宝物に
  ついて、ご説明があった。御本尊の開帳は丑年、午年の3月
  中旬から4月中旬の期間だけ。秘仏とは言え、案内板に写真が
  掲示されているから、ご覧くださいと話された。

  その写真が⓭。向って右側がご本尊。頭上に両手を掲げる様式
  の清水寺式千手観音となっていた。⓭左側は国の重要文化財に
  指定された銅造千手観音立像。

  銅造でありながら、指先まで精緻に造形されているとは、鋳造
  の技術が優れていると言える。見事な像が堂内の脇仏として、
  内陣の左隅に安置されている。那古寺一番の宝物と思う。
⓭千手観音菩薩立像
(右側が秘仏本尊)

  ご説明が終わった後、厨子の前で、拝観ならず、ご焼香。
  続いて、別のお坊さんが、堂内を案内された。右隅奥には、
  智拳印を結んだ金剛界大日如来が鎮座。光背の彩色が一部、
  剥落しかけている。「塩害による」とお坊さんは嘆いていた。
  海風被害は大きいようだ。

  観音堂の拝観を終えた後、阿弥陀堂に案内された。中嶋さんが
  修復された阿弥陀如来とのご対面。堂内は薄暗く、阿弥陀さん
  のご尊顔は残念ながら良く確認できない。お堂の壁も補強して
  いる。しかし、ここでも、塩害は避けられないようだ。(⓮)

  修復に携わった方々のお名前が掲示されていた。修復代表者に
  薮内佐斗司教授のお名前、そして修復者の中に、中嶋莉恵さん
  のお名前を確認した。この9月の講演会参加の人達は親しみを
  もって、読み上げていた。
⓮阿弥陀堂で阿弥陀像を拝観

3ヵ寺巡拝を終え、帰路についた。バスの中から大きな満月を見る
ことができた(⓯)。太陽が沈んでいると錯覚された方もいた。(笑)
⓯帰路のバス中から見えた満月

<筆者からのお礼>
『今回のバスツアーも、実り多い旅となりました。
 竹田会長、幹事の皆さまには、お世話になりました。
 ご参加の皆さまと楽しいひと時を共有できたことが、
 何よりの喜びです。深謝。(合掌)』

小平・花南仏像の会「南房州の古刹を巡る」リポート終了‼ 




2018年11月26日月曜日

南房総の古刹を巡る<小松寺>

<前号 真野寺リポートからの続き>

2.昼食後、小松寺(こまつじ)へ
  昼食は漁師料理の看板を掲げた、団体客で賑わう店。席に着く
  なり、予約していた料理が運ばれてきた。遠方の小高い山の上
  には館山城が小さく見える。(❶❷)
  美味しい料理を頂いた後、巡拝2番目のお寺、小松寺へ向かう。
❶昼食の漁師料理      ❷遠方に館山城

  バスを降り、標識の示す方向へ歩く。木々の茂った参道は
  空気まで美味しく感じられる。(❸❹) 
  苔に覆われたブロック積み(❺)、紅葉と池のコントラスト(❻)
  など、自然の織り成す景色に目を奪われた。
❸小松寺への標識      ❹木々が茂る参道を歩く
❺苔に覆われたブロック積み ❻紅葉と池のコントラスト

  歩くこと、7、8分で小松寺の仁王門に到着した。(❼)
  仁王門のそばに「小松寺(本尊薬師如来)のあらまし」(❽)
  の解説板があった。
  『文武天皇の御代(700年)に役小角(えんのおづぬ)に
   よって小さな庵が建てられた。養老二年(718年)に、
   その庵が、お堂に建てかえられ、巨松山檀特寺の額が掲げ
   られた』

  『天長八年(831年)慈覚大師によって、大きく改築され、
   併せて山王権現が祀られた』とある。

  今年を開基1300年とする起点は、役小角の修験道であった
  ことや、やがて天台宗の寺院になったことが分かる。
❼仁王門から本堂を望む   ❽小松寺のあらまし 解説板

  秘仏本尊・薬師如来を拝観するため、本堂に上がらして頂いた。
  秘仏御開帳の会期は3回あり、今回が最後の期間(11月16日~
  12月9日)となっている。タイミング良く拝観できた。(❾❿)
❾特別開帳拝観券    ❿小松寺 本堂

  本堂では、檀信徒の方がボランティアガイドとして解説された。
  秘仏のご本尊(⓫)は60年に1度の御開帳であり、40年しか
  経っていない。今年が開基1300年であり、特別に御開帳と
  なったとのことだ。

  中央の厨子入った薬師如来立像は、平安時代初期制作、カヤの
  一木造り。木彫像で千葉県内最古。脇侍に日光・月光を従え、
  十二神将も半数ずつ、両脇に陣取っていた。

  本尊は身体に比べ、お顔が小さい。また、日光・月光の両菩薩
  は本尊の大きさに比べ、極めて小さい。いずれもアンバランス。
  このアンバランスが平安初期の特徴か。

  ご本尊の前方左右に、脇仏が並んでいた。左脇仏(向かって
  右側)の一番外側手前には、銅造十一面観音坐像(模刻像)
  が鎮座(⓮)。実物像は、国の重要文化財に指定され、東京国立
  博物館に寄託されている。(⓬)
(絵葉書から)
⓫本尊・薬師如来立像 ⓬銅造十一面観音坐像
(秘仏)     (重文・東博に寄託)

  更に、左脇仏(⓮)に、不動明王立像と御前立薬師如来立像が
  並んでいた。厨子が閉扉されている時は、この御前立が厨子の
  前に立つ。

  右脇仏(⓭)には、本尊寄りに役行者半跏像、手前に毘沙門天立像
  が並ぶ。不動明王と毘沙門天が脇仏に配置される形は天台宗寺院
  に多い。これは、天台宗寺院であった名残か?
⓭本尊の右脇仏      ⓮本尊の左脇仏

小松寺は、真野寺と同じ、真言宗智山派の寺院。修験道に始まり
天台密教、そして真言密教へと変遷してきた。過去の歴史を否定
しないで、すべてを受け入れているように感じる。仏教らしく、
寛容の精神が、素晴らしい。

(次回、那古寺リポート)






2018年11月25日日曜日

小平・花南仏像の会 南房総の古刹を巡る!


11月23日(金)花南仏像の会主催の南房総古刹巡りバスツアーに
参加させて頂いた。朝7時、花小金井駅のそば、ピーコック前に集合。
参加者は総勢21名。好天に恵まれ、行楽日和となる。

巡拝は、真野寺(南房総市)→小松寺(南房総市)→那古寺(館山市)
の順番。(南房総市、館山市、3ヵ寺の位置は❶❷の通り)
❶千葉県の地図   ❷3ヵ寺の位置(〇印) 

1.出発、真野寺(まのじ)へ
  40人乗りのバス(❸)に21人と超ゆったりのスペースに着席。
  東京湾アクアラインを通過(❹)、真野寺へ向かう。車中からの
  景色を眺め、歓談して過ごす(❺)。
❸搭乗のバス
❹東京湾アクアライン   ❺バス車内で歓談する参加者

  真野寺到着が10時半と、出発してから3時間半が経過した。
  バスを降り、幟旗の立つ境内(❻)に入る。御本尊が安置される
  観音堂へ、坂道(❼)を歩く。境内には鳥居やしめ縄(❽)もあり、
  神仏習合であることを良く物語っている。
  
  真野寺縁起・文化財の解説板(❾)には次のように書かれている。
  『神亀二年(725)行基菩薩によって開山。北条義時が私財を
   投じ、寺を建立し、覆面十一面観音と大黒天立像を安置した』

  『南房総市の指定文化財、①木造千手観音立像 附行道面、
   ②木造天王立像、③木造二十八部衆 附風神雷神像、
   ④木造大黒天立像。千手観音や大黒天が慈覚大師の作との伝承』  
❻幟の立つ境内      ❼観音堂への上り坂
❽境内にある鳥居としめ縄  ❾真野寺縁起・文化財解説板

  真野寺は真言宗智山派の寺院。境内の解説板には「新四国八十八ヶ所
  お砂踏霊場」(❿)の案内が記されている。宗祖弘法大師のご利益を
  説いている。真野寺の歩んできた歴史の一端を知ることができる。
  いよいよ、観音堂参拝。(⓫)
❿真野寺の八十八ヶ所霊場   ⓫観音堂にもう直ぐ到着

  観音堂の中に入り、先ずは大黒天(⓬)を拝観。像高1.4m、俵の
  上に立ち、肩に大袋を背負い、右手に小槌を持つ。大黒天の出現
  を記念して毎年2月6日に「真野大黒天祭り」が行われるそうだ。

  大黒天を日本にもたらしたのは天台宗の開祖・最澄と言われる。
  慈覚大師円仁は最澄の直弟子であり、ここにも天台宗との繋がり
  を感じる。
⓬朝日開運大黒天

  大黒天を拝観した後に、お堂を出て、回廊伝いに裏側に回り、
  仕切られた内陣に案内された。薄暗い中、厨子に入ったご本尊
  が目に入る。参拝者が揃ったところで、担当の方が堂内仏像の
  解説を始めた。

  残念ながら、声が小さく聞き取りにくい。揃った二十八部衆を
  祀る寺院は全国でも数少ないことや京都の三十三間堂や青梅の
  塩船観音が有名と言う話は聞こえた。

  正面中央に、厨子入り覆面千手観音像(⓭)。左脇仏(向かって右)
  に、風神と半数の二十八部衆(⓮右)。右脇仏に雷神と残りの
  二十八部衆が祀られている。

  御本尊の覆面千手観音から結縁の綱が張り出されており、握ること
  ができるようになっている。本像は秘仏で丑年、午年にご開帳との
  こと(お寺のしおりに記載)。今回は特別?
(画像は絵葉書から)
⓭覆面十一面観音像    ⓮木造二十八部衆
 
  解説者が覆面千手観音のお顔に光を当てながら、覆面を被った様子
  を示された。しかしながら、今一つ判別しにくい。

  覆面の意味は、しおりに挟まれた解説書を読んで理解できた。
  千手観音とは別に、迎講(むかえこう)で使用される行道面があり、
  このお面を被っていたから、覆面観音の呼称が生まれたとのこと。

  なぜ被ったかは、あまりにも強い霊力を鎮めるために、慈覚大師が
  被せたとの伝承。

  また、文化財の指定においても行道面が附(つけたり)指定となって
  いることからも、別材であることが理解できる。


  境内にある七福神堂(⓯)も参拝した。七福神が揃って祀られる(⓰)
  とは初めてお目にかかる。

⓯七福神堂        ⓰七福神

  弘法大師所縁の新四国八十八ヶ所お砂踏霊場(⓱)もあり、仏教
  のテーマパークのようなお寺に思えた。お砂踏をしながらの
  眺望も良い。(⓲)
⓱八十八ヵ所霊場をめぐる ⓲高台から眺める観音堂

 真野寺の拝観を終え、昼食会場へバスで移動した。次に参拝の寺院は
 小松寺。

2.昼食後、小松寺へ(次回リポート)





2018年11月24日土曜日

「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」観覧‼


11月22日、西荻グループ12名が東京国立博物館開催 京都 大報恩寺
特別展を観覧した。見どころは、快慶作の十大弟子像と肥後定慶作
の六観音像(❶)。両像ともフルメンバーが勢揃いして、全方位から
眺められるまたとないチャンス。(個人的には今回が3度目の観覧)

快慶の弟子・行快作の秘仏釈迦如来像も見逃せない。
最初に1階で大報恩寺紹介ビデオを視聴(❷)。その後会場へ向かう。
❶特別展のパンフ  ❷ビデオを視聴する参加者

大報恩寺は千本釈迦堂の名で通っている。ちょうど6年前の11月
に一度訪れたことがある。国宝の本堂は、応仁の乱の災難を免れた、
京洛最古の建造物と言われる。

なぜ免れたかを解説されたお坊さんの話を思い出す。銀杏の樹は、
燃えにくく、防火になったとのこと。堂内の柱に残る、槍や刀の傷跡
は強烈な印象となり、今でも脳裏に残る。

本堂には行快作の釈迦如来(❸)が安置されている。秘仏のため
本堂でも、普段はお目にかかれない。今回、寺外初公開となった。
大変有り難い。

行快の名を知ったのは、大阪府河内長野市・金剛寺所蔵の仏像3体
が昨年、国宝指定されたことによる。その中の1体、不動明王像の
製作者名が行快と報道された。

行快作の像はつり上がった目に特徴があるそうだ。少しかがんで、
見上げるように眺めると、つり上がった目が少し穏やかになった。
視線の角度を計算して造像したのではか。

❸釈迦如来坐像

釈迦十大弟子像は、本堂ではなく、霊宝殿に安置されていた。
元々、本堂で本尊を囲むように並んでいた十大弟子が、今では
別々になっている。今回の特別展での配置が本来の形(❹)。
❹本尊釈迦如来坐像と釈迦十大弟子像

十大弟子で最初に、注目したのは、目犍連(もっけんれん)。
曲がった腰、痩せた身体、浮き上がった血管、見開いた眼に、
不屈の精神、高潔な老僧を感じさせる。お盆の起源が目犍連 
の逸話から始まったことを知ると、身近な存在に感じる。

地味ながら、気になったのは論議第一の迦旃延(かせんねん)。
論議第一と言うからには、口角泡を飛ばし、口を大きく開けて
いるのではないかと想像する。迦旃延は、口を閉じて腹前で定印
を結んでいる。論議するには、先ず、相手の話を黙って聴くこと
と理解した。

若々しく、イケメンの弟子は、阿難陀(あなんだ)と阿那律
(あなりつ)の二人。老僧の中に混じって、ビジュアル系の二人は
目立つ存在となる。多聞(たもん)第一、天眼(てんげん)第一と
なった経緯も興味深い。

また、阿難陀は、大迦葉とペアになって本尊釈迦如来の脇侍として
三尊像で祀られることが多い。一番よく目にする十大弟子の一人。

その他、般若心経の舎利弗、拈華微笑の大迦葉、釈迦実子の羅睺羅
と言った具合に、十大弟子一人一人のプロフィールを踏まえ、観覧
すると親しみが増す。

次に、隣の会場へ移動し、六観音像(❺)を眺めた。
作者が肥後定慶。解説板に定慶と名の仏師が4名いたと書かれている。
運慶の次男・康運が改名したという説もある。いずれにしても、「慶」
の付く名前が一つのブランドとなっていたことだろうと想像する。
❺六観音像

会場は、さほど混まずに、六観音像全体を見渡せるスペースがあった。
光背は外して、観音像の後ろ側に展示してあった。別々に観覧できる
のも、本特別展の売りとなっている。(期間前半の展示は光背付き)

六観音像は❺の通り、向って一番右の如意輪観音から順に六道世界に
対応していた。即ち、如意輪観音の天道で始まり、一番左が聖観音の
地獄道となる。如意輪観音像と准胝観音像が特に、美しい。

印象に残ったことの一つに、舟形光背の先端が眺める位置によって
左右に向きを変えていくことが挙げられる。会場を右から左へと移動
しながら、光背先端を注目すると、左に傾いていた先端が、徐々に
立ってきて、光背の正面で、真っ直ぐとなる。

更に進むと、今度は右へ傾く。何とも不思議な感じがした。❻は光背
正面よりやや左側から撮られた写真と言える。
❻会場展示の光背
(ネットから)

最後に、聖観音の写真撮影が許可されており、私も一枚撮らせて
頂いた。(❼) 

お堂で拝観する仏像は、仏さまとして礼拝の対象であり、畏敬の念
を持つ。また一方、博物館で観覧する仏像は、文化財として大切に
護りたい気持ちにさせられる。別の存在であっても、心理的には
共通しているようにも思える。
❼会場の聖観音
(筆者撮影)

観覧後は、昼食を取りながら、楽しいひと時を過ごした。(合掌)