<前号 真野寺リポートからの続き>
2.昼食後、小松寺(こまつじ)へ
昼食は漁師料理の看板を掲げた、団体客で賑わう店。席に着く
なり、予約していた料理が運ばれてきた。遠方の小高い山の上
には館山城が小さく見える。(❶❷)
美味しい料理を頂いた後、巡拝2番目のお寺、小松寺へ向かう。
❶昼食の漁師料理 ❷遠方に館山城
バスを降り、標識の示す方向へ歩く。木々の茂った参道は
空気まで美味しく感じられる。(❸❹)
苔に覆われたブロック積み(❺)、紅葉と池のコントラスト(❻)
など、自然の織り成す景色に目を奪われた。
❸小松寺への標識 ❹木々が茂る参道を歩く
❺苔に覆われたブロック積み ❻紅葉と池のコントラスト
歩くこと、7、8分で小松寺の仁王門に到着した。(❼)
仁王門のそばに「小松寺(本尊薬師如来)のあらまし」(❽)
の解説板があった。
『文武天皇の御代(700年)に役小角(えんのおづぬ)に
よって小さな庵が建てられた。養老二年(718年)に、
その庵が、お堂に建てかえられ、巨松山檀特寺の額が掲げ
られた』
『天長八年(831年)慈覚大師によって、大きく改築され、
併せて山王権現が祀られた』とある。
今年を開基1300年とする起点は、役小角の修験道であった
ことや、やがて天台宗の寺院になったことが分かる。
❼仁王門から本堂を望む ❽小松寺のあらまし 解説板
秘仏本尊・薬師如来を拝観するため、本堂に上がらして頂いた。
秘仏御開帳の会期は3回あり、今回が最後の期間(11月16日~
12月9日)となっている。タイミング良く拝観できた。(❾❿)
❾特別開帳拝観券 ❿小松寺 本堂
本堂では、檀信徒の方がボランティアガイドとして解説された。
秘仏のご本尊(⓫)は60年に1度の御開帳であり、40年しか
経っていない。今年が開基1300年であり、特別に御開帳と
なったとのことだ。
中央の厨子入った薬師如来立像は、平安時代初期制作、カヤの
一木造り。木彫像で千葉県内最古。脇侍に日光・月光を従え、
十二神将も半数ずつ、両脇に陣取っていた。
本尊は身体に比べ、お顔が小さい。また、日光・月光の両菩薩
は本尊の大きさに比べ、極めて小さい。いずれもアンバランス。
このアンバランスが平安初期の特徴か。
ご本尊の前方左右に、脇仏が並んでいた。左脇仏(向かって
右側)の一番外側手前には、銅造十一面観音坐像(模刻像)
が鎮座(⓮)。実物像は、国の重要文化財に指定され、東京国立
博物館に寄託されている。(⓬)
(絵葉書から)
⓫本尊・薬師如来立像 ⓬銅造十一面観音坐像
(秘仏) (重文・東博に寄託)
更に、左脇仏(⓮)に、不動明王立像と御前立薬師如来立像が
並んでいた。厨子が閉扉されている時は、この御前立が厨子の
前に立つ。
右脇仏(⓭)には、本尊寄りに役行者半跏像、手前に毘沙門天立像
が並ぶ。不動明王と毘沙門天が脇仏に配置される形は天台宗寺院
に多い。これは、天台宗寺院であった名残か?
⓭本尊の右脇仏 ⓮本尊の左脇仏
小松寺は、真野寺と同じ、真言宗智山派の寺院。修験道に始まり
天台密教、そして真言密教へと変遷してきた。過去の歴史を否定
しないで、すべてを受け入れているように感じる。仏教らしく、
寛容の精神が、素晴らしい。
(次回、那古寺リポート)
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