<真野寺、小松寺リポートから続く>
3.那古寺(なごじ)
最後の参拝寺院は那古寺。真野寺、小松寺は南房総市の
お寺であり、那古寺は館山市所在。
那古寺の名前は、以前から耳にしていた。中嶋莉恵さんが
東京藝大で教育研究助手をされていた時、那古寺・阿弥陀
如来像の修復に携われた。そして、その修復工程について、
西荻窪で講演して頂いた。
バスを降り、なだらかな参道を登る(❶)。参道が左へカーブ
するところに案内図(❷)がある。仁王門、鐘楼堂、阿弥陀堂、
多宝塔、観音堂が並ぶ。
仁王門までの参道壁には、那古寺の仏像や宝物のの解説板が
いくつも掲示されていた。(その一部が❸❹)
❶那古寺への参道を歩く ❷那古寺の堂塔案内
❸木造阿弥陀如来坐像の解説 ❹銅造千手観音立像の解説
仁王門の前には、『真言宗智山派 坂東三十三番霊場 補陀落山
那古観音』と刻まれた石柱(❺)が建っている。一番札所の鎌倉市
杉本寺から順打ちに巡ると、那古寺は結願(けちがん)の寺となる。
阿吽の仁王像(❻❼)は、歴史の風雪に耐え、聖域を守護している
ことを感じさせる。阿形の、口の開きが大きいのも良い。境内に
入ると、すべての堂塔が見渡せる(❽)。
❺仁王門 ❻阿形像
❼吽形像 ❽境内
多宝塔(❾)と観音堂(❿)は千葉県指定有形文化財。共に、
内部の木造宝塔1基、厨子1基が附(つけたり)指定と
なっている。造形の美しい建造物だ。
多宝塔の内部は、今回拝観できない。観音堂は、那古寺の
本堂に当たるお堂であり、拝観させて頂ける。(本尊は
秘仏のため拝観不可)
❾多宝塔 ❿観音堂側面
観音堂の内部に入らさせて頂く。中央に、大きな閉扉の厨子が
が見える。振り返って、外に目をやると、正面前方に海が広がる。
観音さまが住むと言われる補陀落(ふだらく)浄土は、南の海に
あるとされる。正に山号(補陀落山)通りの地に建立されている。
⓫観音堂の正面 ⓬観音堂の中から海を臨む
お堂の内陣左側に着席し、ご住職から那古寺の縁起や宝物に
ついて、ご説明があった。御本尊の開帳は丑年、午年の3月
中旬から4月中旬の期間だけ。秘仏とは言え、案内板に写真が
掲示されているから、ご覧くださいと話された。
その写真が⓭。向って右側がご本尊。頭上に両手を掲げる様式
の清水寺式千手観音となっていた。⓭左側は国の重要文化財に
指定された銅造千手観音立像。
銅造でありながら、指先まで精緻に造形されているとは、鋳造
の技術が優れていると言える。見事な像が堂内の脇仏として、
内陣の左隅に安置されている。那古寺一番の宝物と思う。
⓭千手観音菩薩立像
(右側が秘仏本尊)
ご説明が終わった後、厨子の前で、拝観ならず、ご焼香。
続いて、別のお坊さんが、堂内を案内された。右隅奥には、
智拳印を結んだ金剛界大日如来が鎮座。光背の彩色が一部、
剥落しかけている。「塩害による」とお坊さんは嘆いていた。
海風被害は大きいようだ。
観音堂の拝観を終えた後、阿弥陀堂に案内された。中嶋さんが
修復された阿弥陀如来とのご対面。堂内は薄暗く、阿弥陀さん
のご尊顔は残念ながら良く確認できない。お堂の壁も補強して
いる。しかし、ここでも、塩害は避けられないようだ。(⓮)
修復に携わった方々のお名前が掲示されていた。修復代表者に
薮内佐斗司教授のお名前、そして修復者の中に、中嶋莉恵さん
のお名前を確認した。この9月の講演会参加の人達は親しみを
もって、読み上げていた。
⓮阿弥陀堂で阿弥陀像を拝観
3ヵ寺巡拝を終え、帰路についた。バスの中から大きな満月を見る
ことができた(⓯)。太陽が沈んでいると錯覚された方もいた。(笑)
⓯帰路のバス中から見えた満月
<筆者からのお礼>
『今回のバスツアーも、実り多い旅となりました。
竹田会長、幹事の皆さまには、お世話になりました。
ご参加の皆さまと楽しいひと時を共有できたことが、
何よりの喜びです。深謝。(合掌)』
小平・花南仏像の会「南房州の古刹を巡る」リポート終了‼
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