2018年12月17日月曜日

空海研究会(1)京都・南山城から奈良・斑鳩を巡る‼


空海研究会(東上野・成就院長老 福田亮成師主宰)では、毎年
空海所縁の寺院を訪ねている。今年は12月5日~6日の2日間、
京都・南山城、奈良・斑鳩、信貴山、二上山の古刹を巡った。
参加者は福田先生、会員10名(約30名中)、ゲスト1名の
総勢12名。

新幹線で京都駅まで行き、京都駅から予約していたバスに乗車し、
南山城へ向かう。訪れる寺院は、蟹満寺と観音寺(下記地図)。
両寺院のご住職は、僧門において福田先生と深いご関係をお持ち
の方々。
京都・南山城 蟹満寺、観音寺の所在地
蟹満寺
 蟹満寺は真言宗智山派の寺院。山門脇には「普門山 蟹満寺」(❶)
 の門柱が建つ。拝観受付の窓口下の壁には蟹の彫刻が掛る(❷)。

❶蟹満寺の山門       ❷拝観受付に掛った蟹
 
 ご住職お住いの応接間に案内された。部屋の壁には「蟹の額」(❸)が
 飾ってある。ご住職、奥様、福田先生とご参加の皆さんは暫し歓談(❹)。
 頂いたお茶は、今までで味わったことのない美味しさ。感激!
❸部屋の壁に掛った蟹     ❹呈茶に談笑する皆さん

 いよいよ、本堂にご案内されて、ご本尊の国宝・釈迦如来坐像を
 拝観(❺)。堂内の壁には、蟹満寺縁起を伝える絵が六面、掲示
 されている。沢山の蟹が満ち満ちて恐ろしい災難を救った因縁
 で蟹満寺と名づけられ、妙法蓮華経普門品(観音経)の功徳を
 たたえ、普門山と号されたということだ。

 ご住職のお話では、蟹満寺の創建は七世紀後半の白鳳期に遡り、
 境内周辺の発掘調査で、創建当時金堂の遺構が、現本堂の下に
 あることが判明したとのこと。ご本尊は、白鳳期から同じ場所
 に鎮座されていることになる。(飛鳥大仏と同じだ!)

 このように穏やか表情で、1300年間も人々の願いや祈りを
 受け止めて来られたと思うと、一層神々しく輝いて見える。
 御朱印は❻の通り。

 古代の丈六金銅仏として残っているのは、飛鳥寺、蟹満寺、
 薬師寺の各尊像だけとのこと。
         (絵葉書から)
❺本尊・釈迦如来坐像(国宝)     ❻蟹満寺の御朱印 

 堂内は本尊左脇壇(向かって右)に、中尊・聖観世音菩薩(❼)、
 左脇侍・不動明王、右脇侍・地蔵菩薩が並んでいる。
 右脇壇に、中尊・阿弥陀如来、左脇侍・弘法大師、右脇侍・
 興教大師の三尊像となっていた。

 注目は、ご本尊とは別に縁起本尊として、厄除 聖観世音
 菩薩が祀られていること。

 一通り拝観した後、蟹満寺ご住職もご一緒に、記念撮影(❽)。
 次に向かう先は観音寺。
       (解説冊子から)
❼縁起本尊・聖観世音菩薩  ❽本堂前で記念撮影

観音寺
 境内入口で京都南山城 国宝巡礼の立て看板(❶)を目にした。
 蟹満寺の釈迦如来坐像と合わせて、観音寺の十一面観音立像が
 一際、目立つ。他に仏像では、浄瑠璃寺の阿弥陀如来坐像と
 四天王立像がある。こちらは、昨年5月に拝観済み。

 本堂の前には、観音寺の縁起とご本尊・十一面観音立像について
 の案内板(❷)が立つ。
 〇観音寺は真言宗智山派の寺院であり、大御堂(おおみどう)
  とも普賢寺(ふげんじ)とも呼ばれる。
 〇天武天皇の勅願で義淵(ぎえん)が創建、聖武天皇の勅願で
  良弁(ろうべん)が伽藍を整備した。
 〇ご本尊の十一面観音立像は良弁によって安置されたという。
❶国宝巡礼案内    ❷観音寺縁起の案内

 周りが田園地帯の中に、観音寺の本堂(❸)が建っている。ご住職
 の案内で、堂内に通され、ご本尊の国宝十一面観音立像とご対面。
❸観音寺本堂

 厨子の扉が開けられると、天女のような十一面観音が出現した。
 天平時代の名作に思わず息を飲む。指先には木心乾漆造ならでは
 の造形美が見事。

 数ある十一面観音の中でも、観音寺像は、美しさベスト3に入る。
 奈良・聖林寺像、滋賀・向源寺像と合わせ、この3体は甲乙つけ
 難い。観音寺の御朱印は❺の通り。
 ❹本尊・十一面観音立像(国宝) ❺観音寺の御朱印

 観音寺においても、記念撮影(❻)。境内の池には金色に輝く鯉が
 泳いでいた(❼)。次に向かった先は奈良・斑鳩の法隆寺。
❻本堂を背に記念撮影     ❼金色に輝く池の鯉

法隆寺
 白鳳時代の釈迦如来(蟹満寺)、天平時代の十一面観音(観音寺)
 を拝観した後は、法隆寺で飛鳥時代の仏像にお会いする。

 バスの駐車場で降り、法隆寺へ向かう。ここに来ると、飛鳥の
 風を感じる。法隆寺の境内(❶)は広い。拝観受付(❷)で頂いた
 チケットは「西院伽藍」「大宝蔵院」「東院伽藍(夢殿)」の
 入場券となっている。
❶法隆寺境内図   ❷拝観受付への入口

 西院伽藍エリアで一番良く目にする堂塔が並列する五重塔と
 金堂(❸)。法隆寺式伽藍配置と言われる伽藍配置であり、
 仏舎利と仏像を同等に重んじるようになったことを示す。
❸金堂と五重塔

 最初に拝観したのは、五重塔と金堂の後ろに位置する大講堂。
 薬師三尊像(国宝)と四天王像(重文)(❹)が堂内に鎮座。
 大講堂内で、御朱印「以和為貴」(❺)を頂く。建物と諸尊像
 は共に平安時代の造立。
❹大講堂の薬師三尊像 ❺法隆寺の御朱印

 大講堂と繋がる回廊は平安時代、その先の部分は飛鳥時代の
 建築(❻)であると、お寺の方から説明を受けた。柱と虹梁に
 違いがあった。

 次は、回廊の内側にある金堂を訪れた。あまりにも有名な仏像
 釈迦三尊像(❼)を拝観した。造立当時のままで残る日本最古の
 像は、有難みを強く感じる。
❻飛鳥時代の回廊      ❼金堂の釈迦三尊像(国宝)

 五重塔は外観のみ眺め、大宝蔵院、百済観音堂(❽)へ移動した。
 百済観音像(❾)の造形は現代でも、斬新に感じる。その像が、
 飛鳥時代に制作されたこと自体驚きだ。

 かつて、フランスのルーヴル美術館に出陳され、大好評を博した
 そうだ。海外でも評価され、日本が誇れる文化的遺産と言える。
❽朱色の百済観音堂    ❾百済観音(国宝)

 大宝蔵院に安置される、数多くの名作の中でも、一番の注目は
 九面観音菩薩立像(❿)。8世紀初頭、唐から請来の像であり、
 白檀でできた30数センチの小像。本体から離れている天衣まで
 含め、一木造となっている。その技量の高さに仰天する。
❿九面観音立像(国宝)

 東院伽藍の閉館時間もあり、急いで夢殿のある東院伽藍へ移動。
 救世観音は御開帳日でないため、残念ながら拝観できなかった。
 夢殿拝観後、宗教における「夢告(むこく)」について福田先生
 からご教示頂いた(⓫)。
 
 法隆寺拝観を終え、東院伽藍から西院伽藍への参道(⓬)を歩き、
 バスに戻った。向かうは、今晩宿泊する信貴山 玉蔵院。
⓫先生のご説明を拝聴する参加者 ⓬東院伽藍を出ての参道 

★★翌日の探訪(朝護孫子寺、當麻寺)は次のブログでリポート
  (続く)★★




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