2015年11月28日土曜日

稲城市、八王子市の名刹を巡る②


仏像探訪予定が順調に進み、八王子市郷土資料館への
訪問が午前中となった。
訪問目的は、白鳳期の小金銅仏を拝観すること。
この像は真覚寺の薬師如来倚像であり、現在、
郷土資料館に寄託されている。

像高がわずかに22.5cmと小さい。八王子市指定文化財と
なっている。入り口近くのガラスケースに入り、展示されている。
白鳳仏と推定できる特徴として童顔であること、倚像であること
が挙げられる。深大寺の釈迦如来倚像を小ぶりにしたような像だ。

ちょっと不自然に感じるのは、右手が与願印で薬壺を持っている
ことと、左手が手の甲を上にし、指先を下げる降魔印(触地印)を
していること。もしかして、手は後補かもしれない。

薬師如来が薬壺を持つことが一般的になるのは平安時代に入って
からとされている。
白鳳期では釈迦や薬師の区別がつきにくい。
通常の印相は、右手が施無畏印。指先を上にして、掌を前に向ける。
左手が与願印。また、降魔印をするのは、釈迦か弥勒が一般的と思う。

以上のことから、印相が不自然であり、後から補って修復したのでは
ないかと思われる。
一方、与願印を降魔印にしたり、薬壺を持たすことは可能だろうが、
施無畏印を与願印変えてに修復するには腕の形状が破たんするのでは
なかろうか。いろいろ考え、疑問を残しながら、郷土資料館を後にする。
郷土資料館に寄託された真覚寺・薬師如来倚像

昼食の時間となり、予約されていたお店に到着する。
案内されたのは結婚式場披露宴会場のような広い部屋。
円卓が3つ並べられている。各テーブルに分かれて着席する。
平日の昼食時とあって、リーゾナブルな値段で、美味しい食事を
頂くことができた。

歓談して分かったこと。花南仏像の会は発足して20年も続いて
いるということ。講師は不肖私が3代目であること。会のメンバーも
時代と共に変わったことだろう。
 
20年も存続するとは、会を大事に思い、続けてほしいと願う人達が
いたからにほかならない。
そのような会に加えて頂いたことを大変光栄に思う。

最後に向かった寺院は極楽寺。ここでの見どころは市指定文化財の
阿弥陀如来像。「歯吹きの阿弥陀如来」や「鼻取如来」と言われる伝説を
持った像だ。

到着するや、山門を囲む塀と山門の間から見える参道に驚く。
極楽寺は芝・増上寺を本山とする浄土宗の寺院。山門には増上寺大僧正が
揮毫された「寶樹山」の扁額が掛かっている。
山門                  扁額

木々に囲まれた参道          境内の案内図

鐘楼              本堂

本堂近くに木造阿弥陀如来立像の解説板が立っている。
そこに鎌倉末から室町時代にかけての「安阿弥」作と伝えられる
との解説がある。安阿弥とは仏師・快慶のことであり、鎌倉初期の
人である。作風が「安阿弥様(あんなみよう)」であれば、分かるが、
快慶作と言われると戸惑う。
ご本尊についての解説文      阿弥陀三尊像

歯吹きの様子は残念ながら、確認することは難しかった。
また、右手斜めの位置から厨子の隙間を通して勢至菩薩像を
拝観できた。前かがみになって合掌するお姿はいかにも、
来迎の様子を反映している。
左脇侍(中尊阿弥陀如来の左側に立つ)の観音は
残念ながら視界に捉えることができなかった。

厨子の中に三尊像が安置され、更にその外側にも
脇侍の観音・勢至が安置されている。
我々が拝観している間、ずっと見守っていたお坊さんに尋ねた。
「あの阿弥陀さんは快慶の作ですか?」 回答は予想通り、
「安阿弥様」であって、快慶作ではありません。
ご本尊・阿弥陀如来立像      右脇侍・勢至菩薩立像

須弥壇の後ろにも仏像や高僧像が並ぶように安置されている。
地蔵菩薩の仏頭がひと際目立っている。また、善導大師と法然上人の
像がご本尊の右側と左側に分かれ祀られていた。
善導は法然の師匠に当たる中国僧。法然は浄土宗の開祖。
この二人を祀ることは、浄土宗寺院の基本のようだ。

地蔵菩薩の仏頭            法然上人像

拝観を終え、参道を戻る皆さん

いずれも、大変印象深いお寺であり、仏像でした。
どうぞ、自由にご覧下さいと、立ち合うこともされない鷹揚な常楽寺。
ご住職のお出迎えと丁寧な解説をお聴きできた清鏡寺。
黙ったままの立ち合いで、自由に拝観し、質問すると回答がある
極楽寺と、三者三様の対応にそれぞれの良さを感じた。

3つのお寺とも歴史的変遷が面白そうだ。常楽寺と皇室、
清鏡寺と北条氏、極楽寺と徳川家と関係について調べて
みたいと思った。
(常楽寺では石造五重塔に「菊の御紋」を、
清鏡寺では本堂のガラス戸に「三つ鱗」を、
極楽寺では塀の屋根瓦に「葵の御紋」を
見かけた。)

予定時刻の4時より少し前に花小金井に戻った。
名残惜しくも、仏像探訪バスツアーはエンディングを
迎えることとなった。
バスの運転手さんの「多聞天のような敏感な耳」と
サービス精神のお蔭で楽しさも増したのではないか
と思う。

最後に、竹田会長始め、会員の皆様には
大変お世話になりました。
改めてお礼を申し上げます。
次回の仏像探訪にもぜひ、ご一緒させて頂きたいと
願っております。(合掌)



2015年11月27日金曜日

稲城市、八王子市の名刹を巡る①


小平 花南仏像の会主催「仏像探訪バスツアー」に参加させて頂く。
朝7時半、花小金井駅南口、ピーコック前に19名集合。
好天にも恵まれる。探訪寺院の見どころは竹田会長が、
予めレジュメにまとめ、配布されていた。

探訪のスケジュールは
①稲城市・常楽寺(天台宗)、
②八王子市・清鏡寺(曹洞宗)、
③八王子市郷土資料館、
④八王子市・極楽寺(浄土宗)。

最初の参詣寺院は稲城市にある常楽寺。天台宗の古刹で、
見どころは阿弥陀三尊像。
市内で最も古い仏像であり、東京都指定文化財となっている。
制作年代は平安末期、12世紀前半頃。藤原時代の特色として、
伏し目の穏やかな表情を確認したいところだ。

楼門となった山門が、目に飛び込んでくる。仁王の前に四天王が
陣取っている様式も珍しい。更に、仁王の裏側(背中合わせに)
文殊菩薩と普賢菩薩も安置されている。

境内の至る所に、仏像が鎮座している。これだけ祀るとは、
さぞや篤志家の檀信徒が大勢いることだろうと想像する。
山門

阿弥陀三尊像          中尊 阿弥陀如来坐像

中尊は78.4cm、両脇侍は約92cmと小ぶり。実際は数字以上に
大きく感じられた。中尊の頬辺りに漆箔の形跡が見られる。
来迎印であり、平安末期に流行の印相。

荘厳(しょうごん)は極楽を思わせる程のきらびやか。
一方、三尊像の右手には閻魔王と奪衣婆(だつえば)と
言う地獄の裁判官とアシスタントが鎮座している。

境内で目に付く像は天台宗の開祖、伝教大師・最澄像。
像の台座に「瞻仰崇信」と書かれている。読み方も、
意味も良く分からない。後で、調べてみて分かった。
 
「せんぎょうすうしん」と呼ぶ。
「仰ぎ見て、敬い慕い、そして尊び信じること」の意味とのこと。
解説に「草木や山河も人間と同じくらい大切で皆平等。
命あるものは皆、自分以外の命によって生かされていると言う教え」と
ある。何と深い言葉か。
閻魔王と奪衣婆          伝教大師・最澄

本堂や鐘楼の周囲にも石仏像や羅漢像で一杯

次に向かった先は八王子市の清鏡寺。このお寺の見どころは
東京都指定文化財の十一面観音像。鎌倉期の優作と言われている。
坂を上がっていくと、「南無観世音菩薩」の幟旗が参道の両端に
ずらっと並んでいる。ご住職に出向かえて頂き、お堂に入る。
参道に並ぶ幟旗          観音堂に入る皆さん

ご住職からお寺の縁起などを細かくお聴きした。
今から800年程前に、小さな祠を建て、信者が講を作り
観音像を祀って来たとのこと。440年頃に観音堂が建立された。
一方、曹洞宗の清鏡寺がこの地に移り、近世になって
観音堂が清鏡寺の管轄下に置かれるようになったようだ。

「御手の観音様」はご本尊の千手観音像のことであり、
十一面観音像のことでない。
私自身、文化財の十一面観音像と勘違いをしており、
ご住職の解説を聴くまで誤解していた。
十一面観音像が文化財に指定されることにより、
鉄扉の収蔵庫に納められることとなり、ご本尊も同じ収蔵庫に
安置するようになったそうだ。

十一面観音像は近年修復され、金色に輝いていた。
像高90cmの小ぶりの立像でお顔立ちも良く、均整のとれた体躯だ。
ご本尊の千手観音像は、坐像で真数千手。
大阪・葛井寺の千手観音を思い起こす。
ご住職のお話では専門家が何度数えても980本とのこと。
「御手の観音」の「御手(おて)」とは千手のことと知る。
十一面観音立像    千手観音坐像(本堂に置かれた写真)

須弥壇にはご本尊とは別の観音像

興味深い話は、「廻り観音」。厨子に入った観音像を背負って、
講(信者)へ出向いたそうだ。正に出開帳。仏さまが出向いてくれるとは、
どれ程有難く感じた事だろうか。
厨子の中には中央に千手観音像、向かって右が不動明王像、左が毘沙門天像。
強面の明王と天部が観音さまをガードする配置となっている。
厨子に入った廻り観音    観音堂は格天井に絵が描かれている

ご住職のご案内で本堂の中も見学する。本堂は農家の家屋を
そのまま本堂として活用されている。外観も、家の中も農家そのまま。
こういうお寺はかえって、親しみを感じる。
本堂の入り口が土間となっている。須弥壇には
ご本尊・釈迦牟尼仏が安置されている。

また、農家のような本堂のガラス戸に北条氏の家紋である
三つ鱗があるのも、不思議な歴史を感じる。
本堂の外観           本堂内の様子
本堂 内陣

客仏の十一面観音像が都指定文化財となり、保護のために鉄扉で
保管できる収蔵庫が設置され、ご本尊の千手観音像も居候のように
安置される。
礼拝としての「ほとけ」と文化財としての仏像を考えた時に、
そのバランスをどのように取るかは難しい。

「ほとけ」として礼拝するには、やはり荘厳された須弥壇に
鎮座する姿を拝観したいと思う。
然しながら、受け継ぐ文化遺産と考えた場合、保存が優先
されるようにも思える。何とかならないものか。

残りの探訪報告は、後日にさせて頂く。





2015年11月26日木曜日

横須賀 浄楽寺にて運慶作の五仏を拝観!


小雨交じりの中出かけ、8時40分、新宿駅構内の
スーパー成城石井前に8名が集合。
今日の参拝予定は、逗子の延命寺と横須賀の浄楽寺。
浄楽寺は運慶作の阿弥陀三尊、不動明王と毘沙門天で
有名はお寺。
両寺院とも幹事の井戸さんが拝観予約をされた。

浄楽寺については、拝観時間帯が雨の場合は、
収蔵庫を開けて頂けないため、拝観ができない。
御仏のご加護があるか、空が明るくなり、太陽が
顔を出すまでになる。

逗子駅で下車、徒歩5で延命寺に到着。本堂にご案内され、
ご住職の解説をお聴きした後、内陣にまで通され、
ご本尊の大日如来始め多くの尊像を間近で拝観させて頂いた。

延命寺の縁起が興味深い。開基が行基で、自作の
延命地蔵菩薩を祀ったことで延命寺となったこと。
また逗子の地名が地蔵尊を安置する厨子に由来していると聞いて驚く。
その厨子を設置したのが空海とのことであり、更にびっくり。
     延命寺 境内       ご本尊・大日如来坐像

本堂の荘厳が印象に残った。内陣を挟む両壁には真言八祖像を
描いた絵が飾られている。
向かって右壁の奥に空海、その手前が師匠の恵果和尚の姿を確認した。
また、正面向かって右側には胎蔵界曼荼羅、左側には金剛界曼荼羅の
図が掲げられている。

正面中央にはご本尊の大日如来、左脇侍(向かって右)には不動明王、
右脇侍には愛染明王が鎮座。
不動明王の火焔光背は珍しい形をしていた。明王左右の火焔が
厨子の扉のように開け閉めができるようになっている。

更に、不動明王と愛染明王の外側に地蔵菩薩が祀られている。
行基作の地蔵菩薩は焼失して現存しないものの、その跡を継ぐ
地蔵菩薩は左右どちらか諸説あったようだ。
今は、愛染明王の左側に安置された小さい方の地蔵菩薩が
有力となっているとご住職の解説があった。

愛染明王側の地蔵菩薩像のそばに阿弥陀三蔵像の掛け仏がある。
その仏について興味深い話をされた。元々、この像は延命寺の近くに
ある亀ヶ岡八幡宮のご神体であったとのこと。
神仏分離令により、この延命寺に安置されるようになったようだ。

しかも亀ヶ岡八幡宮は鎌倉の鶴岡八幡宮と対となった神社だったそうだ。
「鶴」「亀」のセットかと直ぐに想像した。
そこで亀ヶ岡八幡宮も参拝することにして、向かった。
亀ヶ岡八幡宮の鳥居           神社

神社の前には阿吽の亀が参拝者を迎える

逗子を後にして、横須賀の浄楽寺へ向かう。
伝・運慶作の仏像は数多く目にする。
正真正銘の運慶作を拝観できるとは嬉しい。
運慶作と確定した仏像は全国で、31体。
その内、一気に5体を拝観できる。
(今回が3回目であるが、何度でも良い。)
バスの路線や時刻表を確認しながら、バス停を探す。
路線図を確認する皆さん

バスに揺られて約25分。浄楽寺に到着。バス停から本堂が
見えるくらいの近いところに浄楽寺がある。
バス停近くに「浄楽寺阿弥陀三尊像」についての解説板がある。

それによると、源頼朝が鎌倉の大御堂ヶ谷に勝長寿院を
建てたが、台風で破損したため北条正子と和田義盛が
本尊をここに移したとする説、また別の説は和田義盛が建てた
七阿弥陀堂の一つの本尊とするものがあると書かれている。

しかし、毘沙門天、不動明王から出た銘札で、移転説は、
現在否定され、運慶が造立したことが確定したとのこと。
阿弥陀三尊の胎内には銘札はなかったものの、陀羅尼など
の墨書筆跡が銘札と同じであり、
五体が大仏師運慶と小仏師十人の作と決定づけた。
解説板には、その後の展開が書かれていないため、
誤解を招くこととなる。

阿弥陀三尊像の由来解説     浄楽寺本堂の正面

本堂の扁額       本堂の脇を通り収蔵庫へ向かう

収蔵庫では前の組の拝観が終了したところだった。
前の組は船橋から来られた方々で総勢22名とのこと。
しかもガイド付きの団体だった。
やはり運慶人気を物語っている。

収蔵庫の前には、阿弥陀三尊像と不動明王、
毘沙門天の解説板がある。
解説文を読みながら、いよいよ収蔵庫の中へ入る。
中央に阿弥陀如来坐像がどっしりと構えて鎮座。
両隣りに左脇侍・観音菩薩、右脇侍・勢至菩薩の立像が
阿弥陀のお供をする。

この阿弥陀さんのお顔が実に良い。気品があり、男前だ。
堂々とした体つきも頼もしさを感じ素晴らしい。
蓮華の持ち方を逆にした観音、勢至も破たんのない
造形に安心感を感じる。

一番奥には、不動明王立像が天地眼で、睨みを効かしている。
肉づきも良く、でんと構えた姿はいかにも不動明王。
体つきは不動十九観の通り、童子のようであり、筋肉質ではない。
写真で見るより、小柄に見えた。

収蔵庫の入り口近くに毘沙門天立像が左手に宝塔を掲げ、
右手に戟を持ち、邪鬼を踏みつけている。
「この眼は運慶だ」と言う声が聞こえてくる。
玉眼を取り入れたのも運慶の時代からであり、
当時はどれだけリアルに感じセンセーショナルであったことか。

ガラス越しでもなく、こんな間近で見られるとは嬉しいと感想を言う人もいた。
仏像に額が付く位の近さで拝観できるとはあまりない。
掲示の解説文

中尊・阿弥陀如来坐像     勢至菩薩・観音菩薩

毘沙門天立像 不動明王立像

浄楽寺墓地に埋葬されている郵便の父「前島密」の墓参りも済ませた。

最後に、本堂を背にして記念撮影を済ませた。今日も一日有難うございました。
今回、井戸さんが拝観予約や、電車の時刻調べ等大変お疲れ様でした。
皆さん大満足の見仏会となったと確信しています。感謝いたします。
今回、拝観できなかった方は、ぜひ機会をお作りになることをお勧めします。