2018年11月24日土曜日

「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」観覧‼


11月22日、西荻グループ12名が東京国立博物館開催 京都 大報恩寺
特別展を観覧した。見どころは、快慶作の十大弟子像と肥後定慶作
の六観音像(❶)。両像ともフルメンバーが勢揃いして、全方位から
眺められるまたとないチャンス。(個人的には今回が3度目の観覧)

快慶の弟子・行快作の秘仏釈迦如来像も見逃せない。
最初に1階で大報恩寺紹介ビデオを視聴(❷)。その後会場へ向かう。
❶特別展のパンフ  ❷ビデオを視聴する参加者

大報恩寺は千本釈迦堂の名で通っている。ちょうど6年前の11月
に一度訪れたことがある。国宝の本堂は、応仁の乱の災難を免れた、
京洛最古の建造物と言われる。

なぜ免れたかを解説されたお坊さんの話を思い出す。銀杏の樹は、
燃えにくく、防火になったとのこと。堂内の柱に残る、槍や刀の傷跡
は強烈な印象となり、今でも脳裏に残る。

本堂には行快作の釈迦如来(❸)が安置されている。秘仏のため
本堂でも、普段はお目にかかれない。今回、寺外初公開となった。
大変有り難い。

行快の名を知ったのは、大阪府河内長野市・金剛寺所蔵の仏像3体
が昨年、国宝指定されたことによる。その中の1体、不動明王像の
製作者名が行快と報道された。

行快作の像はつり上がった目に特徴があるそうだ。少しかがんで、
見上げるように眺めると、つり上がった目が少し穏やかになった。
視線の角度を計算して造像したのではか。

❸釈迦如来坐像

釈迦十大弟子像は、本堂ではなく、霊宝殿に安置されていた。
元々、本堂で本尊を囲むように並んでいた十大弟子が、今では
別々になっている。今回の特別展での配置が本来の形(❹)。
❹本尊釈迦如来坐像と釈迦十大弟子像

十大弟子で最初に、注目したのは、目犍連(もっけんれん)。
曲がった腰、痩せた身体、浮き上がった血管、見開いた眼に、
不屈の精神、高潔な老僧を感じさせる。お盆の起源が目犍連 
の逸話から始まったことを知ると、身近な存在に感じる。

地味ながら、気になったのは論議第一の迦旃延(かせんねん)。
論議第一と言うからには、口角泡を飛ばし、口を大きく開けて
いるのではないかと想像する。迦旃延は、口を閉じて腹前で定印
を結んでいる。論議するには、先ず、相手の話を黙って聴くこと
と理解した。

若々しく、イケメンの弟子は、阿難陀(あなんだ)と阿那律
(あなりつ)の二人。老僧の中に混じって、ビジュアル系の二人は
目立つ存在となる。多聞(たもん)第一、天眼(てんげん)第一と
なった経緯も興味深い。

また、阿難陀は、大迦葉とペアになって本尊釈迦如来の脇侍として
三尊像で祀られることが多い。一番よく目にする十大弟子の一人。

その他、般若心経の舎利弗、拈華微笑の大迦葉、釈迦実子の羅睺羅
と言った具合に、十大弟子一人一人のプロフィールを踏まえ、観覧
すると親しみが増す。

次に、隣の会場へ移動し、六観音像(❺)を眺めた。
作者が肥後定慶。解説板に定慶と名の仏師が4名いたと書かれている。
運慶の次男・康運が改名したという説もある。いずれにしても、「慶」
の付く名前が一つのブランドとなっていたことだろうと想像する。
❺六観音像

会場は、さほど混まずに、六観音像全体を見渡せるスペースがあった。
光背は外して、観音像の後ろ側に展示してあった。別々に観覧できる
のも、本特別展の売りとなっている。(期間前半の展示は光背付き)

六観音像は❺の通り、向って一番右の如意輪観音から順に六道世界に
対応していた。即ち、如意輪観音の天道で始まり、一番左が聖観音の
地獄道となる。如意輪観音像と准胝観音像が特に、美しい。

印象に残ったことの一つに、舟形光背の先端が眺める位置によって
左右に向きを変えていくことが挙げられる。会場を右から左へと移動
しながら、光背先端を注目すると、左に傾いていた先端が、徐々に
立ってきて、光背の正面で、真っ直ぐとなる。

更に進むと、今度は右へ傾く。何とも不思議な感じがした。❻は光背
正面よりやや左側から撮られた写真と言える。
❻会場展示の光背
(ネットから)

最後に、聖観音の写真撮影が許可されており、私も一枚撮らせて
頂いた。(❼) 

お堂で拝観する仏像は、仏さまとして礼拝の対象であり、畏敬の念
を持つ。また一方、博物館で観覧する仏像は、文化財として大切に
護りたい気持ちにさせられる。別の存在であっても、心理的には
共通しているようにも思える。
❼会場の聖観音
(筆者撮影)

観覧後は、昼食を取りながら、楽しいひと時を過ごした。(合掌)





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