10月13日(土)荻窪の仏像グループメンバー、総勢20名が
サントリー美術館に集合。
この秋は仏教美術の特別展が花盛り。(10月13日 現在で)
・サントリー美術館→『京都・醍醐寺 真言密教の宇宙』
・東京国立博物館→『京都大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ』
・三井記念美術館→『仏像の姿(かたち)~微笑む・飾る・踊る~』
・出光美術館→『仙厓礼賛』
・五島美術館→『禅宗の美術と学芸』
・泉屋博古館分館→『狩野芳崖と四天王』
サントリー美術館 展覧会チラシ
10時の開館を待って、入館すると最初に目に入るのは、ポスター、
チラシ、図録の表紙を飾る如意輪観音坐像(❶)。想像していたより
小ぶりの像で、像高が49cm。観心寺像とともに、日本を代表する
作例。穏やかで、ゆったりした気分にさせてくれる美しい観音さまだ。
(掲載の画像は図録から)
❶(重文)如意輪観音坐像
次に、注目したのが「聖宝(しょうぼう)坐像」(❷)。醍醐寺を
開山した人物はどんなお顔をしていたか、興味深い。四角い顔立ちは
いかにも強靭な意志を感じさせる。
聖宝が笠取山にお堂を建てて、准胝観音と如意輪観音(❸)を安置
したことが醍醐寺の起源とされる。(向って左が准胝、右が如意輪)
その後、両観音を本地仏とする清瀧権現(せいりゅうごんげん)が
笠取山の守護神とされた。
清瀧権現は、中国長安の青龍寺にいたが、空海が帰国する時に共に
笠取山に来たという。それを聖宝が感得して守護神となった。空海と
聖宝、清瀧権現と准胝・如意輪観音、それぞれの因縁を理解した。
空海像(❹)は、良く目にする姿形。右手に五鈷杵、左手に念珠。
顔を少し横に向ける。空海十大弟子の一人、真如法親王(しんにょ
ほっしんのう)が描いたとされる根本像と同じ様式となっている。
その様式を「真如様(しんにょよう)」と呼ぶ。真如法親王は、
第51代・平城天皇の皇子、出家前の名は高岳(たかおか)親王。
狸毛筆奉献表(りもうひつほうけんひょう)(❺)は、空海が、
第52代・嵯峨天皇へ筆四本を製作し、献上した際の上表文。
三筆と言われるお二人の関係を物語る。真如法親王、嵯峨天皇など
空海と皇室との繋がりは強い。
❹空海像 ❺(国宝)狸毛筆奉献表
独鈷者、三鈷杵、五鈷杵の密教法具は馴染み深い。九鈷杵(❻)は
珍しい。これは、中国宋時代、12世紀の作。九鈷杵はあたかも、
胎蔵曼荼羅の中心にある中台八葉院のように思える。大日如来を
四仏・四菩薩が囲んでいるような造形だ。パワーを感じる。
❻(重文)金銅九鈷杵
名作の仏像も多く出陳されている。虚空蔵菩薩立像(❼)は平成
27年に国宝指定された。像高50cm程、カヤの一木造り。天衣
を含め一材でできているとは驚く。見事な造形だ。
銅造でありながら、木造に見える像が、阿弥陀如来坐像(❽)。
像高が20cm弱の小さな像であり、大変精緻にできている。
光背の薄さや、反りも見どころ。
❼(国宝)虚空蔵菩薩立像 ❽(重文)阿弥陀如来坐像
象や牛に乗る像もいい。帝釈天騎象像(❾)は東寺講堂の帝釈天像
と良く似た造形だ。お顔立ちは東寺像の方が若干上か?
閻魔天騎牛像(❿)は、安産を祈祷する時の本尊となったそうだ。
しかもこの像は、鳥羽天皇の皇后、待賢門院が出産された時に、
修された像らしい。両像とも歴史を感じさせる。
❾(重文)帝釈天騎象像 ❿(重文)閻魔天騎牛像
名仏師・快慶作の仏像も展示されている。快慶らしい整った顔立ち
の不動明王坐像(⓫)は、あまり怖さを感じさせない。直ぐ近くに
長賀筆の不動明王図像(⓬)が並んで展示。いずれも大師様(だいし
よう)と呼ばれる顔の造形をしている。東寺講堂の不動明王像と同じ
様式。
ところが、最近の研究で、根本像は高尾曼荼羅の中の不動明王の図像
の可能性が高いとのことだ。いずれも不動明王にしては、大人しい
表情。天地眼や牙上下出現の異形さはない。
⓫(重文)不動明王坐像 ⓬(重文)不動明王図像
図像で関心を引いたのは五秘密像(⓭)と五大尊像のうち、降三世
(ごうざんぜ)明王(⓮)。五秘密像は金剛界曼荼羅の向って右上角
にある理趣会(りしゅえ)に登場する菩薩と同じ顔触れになっている。
中央の金剛薩埵を囲む、周りの四菩薩は煩悩を表し、煩悩即菩提を
表現しているとのこと。菩薩で煩悩を表現することも面白い。密教
らしい尊像と言える。
降三世明王は三世王のシヴァ神とその妃ウマを踏み付ける姿が一般的。
この図像のウマ妃は 兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)を支える
地天女のように掌で支えるポーズを取っている。どういう意味か?
⓭(重文)五秘密像 ⓮(国宝)五大尊像の一尊
経典類で注目したのが宋版一切経および経函(⓯)。東大寺復興で
有名な重源が醍醐寺に施入したとされる。重源が醍醐寺のお坊さん
であることを思い起こしてくれた。
⓯(国宝)宋版一切経および経函
第一展示室の最後に、五大明王像(⓯)が横一列に並んでいる。
この像は、醍醐寺の二代目(初代座主)観賢(かんげん)が創建
したお堂の本尊と伝えられている。どことなく、ユーモラスな
雰囲気があり、愛着が持てる。東寺講堂像に次ぐ古作だそうだ。
「弘法大師」の諡号は、この観賢が醍醐天皇に奏請し、921年
に賜わった。
⓰(重文)五大明王像
第一展示室から第二展示室に移動する、階段の踊り場に薬師如来
および両脇侍像(⓱)が展示されている。以前の展示会では、この
場所で、快慶作の孔雀明王を観覧した記憶がある。
階段を下りながら、上からも、角度を変えながらも眺められる。
中尊の大きさに比べ、脇侍像が小さい。この時代の特色だろうか。
デフォルメすることが喜ばれていたことに起因するのかと感じた。
⓱(国宝)薬師如来および両脇侍像
第二展示室で、注目したものが三国祖師影(⓲)。三国とは、
インド、中国、日本のことであり、高僧46人の肖像を集成した
画巻のことだそうだ。その内の一部が展示されている。
上段右から「空海、実恵、真雅」。中段は「真済、真然、源仁」。
下段は「益信、聖宝、観賢」となる。真言宗系譜(⓳)で繋がり
が確認できる。
図録に掲載の系譜(⓳の右側)は、空海-真雅-源仁-聖宝となる。
別の資料(⓳の左側)では、空海-真雅-真然-聖宝となっている。
なお、実恵、真雅、真済は空海の直弟子、十大弟子に入る。
⓲(国宝)三国祖師影 ⓳真言宗系譜
書で驚いたのは信長の達筆ぶり。織田信長黒印状(⓴)を見て、
信長に対するイメージが一新する。信長の行状から想像できない。
書は人物のイメージさえ変える力があると感じた。凄い‼
⓴(国宝)織田信長黒印状
観覧を終え、美術館入口に掲示されたポスターを背景にして記念撮影
記念撮影
昼食は、イタリアンレストランでわいわいがやがや。
今回も、楽しい観覧でした。ご参加の皆さんに感謝。(合掌)
昼食歓談
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