11月23日(金)花南仏像の会主催の南房総古刹巡りバスツアーに
参加させて頂いた。朝7時、花小金井駅のそば、ピーコック前に集合。
参加者は総勢21名。好天に恵まれ、行楽日和となる。
巡拝は、真野寺(南房総市)→小松寺(南房総市)→那古寺(館山市)
の順番。(南房総市、館山市、3ヵ寺の位置は❶❷の通り)
❶千葉県の地図 ❷3ヵ寺の位置(〇印)
1.出発、真野寺(まのじ)へ
40人乗りのバス(❸)に21人と超ゆったりのスペースに着席。
東京湾アクアラインを通過(❹)、真野寺へ向かう。車中からの
景色を眺め、歓談して過ごす(❺)。
❸搭乗のバス
❹東京湾アクアライン ❺バス車内で歓談する参加者
真野寺到着が10時半と、出発してから3時間半が経過した。
バスを降り、幟旗の立つ境内(❻)に入る。御本尊が安置される
観音堂へ、坂道(❼)を歩く。境内には鳥居やしめ縄(❽)もあり、
神仏習合であることを良く物語っている。
真野寺縁起・文化財の解説板(❾)には次のように書かれている。
『神亀二年(725)行基菩薩によって開山。北条義時が私財を
投じ、寺を建立し、覆面十一面観音と大黒天立像を安置した』
『南房総市の指定文化財、①木造千手観音立像 附行道面、
②木造天王立像、③木造二十八部衆 附風神雷神像、
④木造大黒天立像。千手観音や大黒天が慈覚大師の作との伝承』
❻幟の立つ境内 ❼観音堂への上り坂
❽境内にある鳥居としめ縄 ❾真野寺縁起・文化財解説板
真野寺は真言宗智山派の寺院。境内の解説板には「新四国八十八ヶ所
お砂踏霊場」(❿)の案内が記されている。宗祖弘法大師のご利益を
説いている。真野寺の歩んできた歴史の一端を知ることができる。
いよいよ、観音堂参拝。(⓫)
❿真野寺の八十八ヶ所霊場 ⓫観音堂にもう直ぐ到着
観音堂の中に入り、先ずは大黒天(⓬)を拝観。像高1.4m、俵の
上に立ち、肩に大袋を背負い、右手に小槌を持つ。大黒天の出現
を記念して毎年2月6日に「真野大黒天祭り」が行われるそうだ。
大黒天を日本にもたらしたのは天台宗の開祖・最澄と言われる。
慈覚大師円仁は最澄の直弟子であり、ここにも天台宗との繋がり
を感じる。
⓬朝日開運大黒天
大黒天を拝観した後に、お堂を出て、回廊伝いに裏側に回り、
仕切られた内陣に案内された。薄暗い中、厨子に入ったご本尊
が目に入る。参拝者が揃ったところで、担当の方が堂内仏像の
解説を始めた。
残念ながら、声が小さく聞き取りにくい。揃った二十八部衆を
祀る寺院は全国でも数少ないことや京都の三十三間堂や青梅の
塩船観音が有名と言う話は聞こえた。
正面中央に、厨子入り覆面千手観音像(⓭)。左脇仏(向かって右)
に、風神と半数の二十八部衆(⓮右)。右脇仏に雷神と残りの
二十八部衆が祀られている。
御本尊の覆面千手観音から結縁の綱が張り出されており、握ること
ができるようになっている。本像は秘仏で丑年、午年にご開帳との
こと(お寺のしおりに記載)。今回は特別?
(画像は絵葉書から)
⓭覆面十一面観音像 ⓮木造二十八部衆
解説者が覆面千手観音のお顔に光を当てながら、覆面を被った様子
を示された。しかしながら、今一つ判別しにくい。
覆面の意味は、しおりに挟まれた解説書を読んで理解できた。
千手観音とは別に、迎講(むかえこう)で使用される行道面があり、
このお面を被っていたから、覆面観音の呼称が生まれたとのこと。
なぜ被ったかは、あまりにも強い霊力を鎮めるために、慈覚大師が
被せたとの伝承。
また、文化財の指定においても行道面が附(つけたり)指定となって
いることからも、別材であることが理解できる。
境内にある七福神堂(⓯)も参拝した。七福神が揃って祀られる(⓰)
とは初めてお目にかかる。
⓯七福神堂 ⓰七福神
弘法大師所縁の新四国八十八ヶ所お砂踏霊場(⓱)もあり、仏教
のテーマパークのようなお寺に思えた。お砂踏をしながらの
眺望も良い。(⓲)
⓱八十八ヵ所霊場をめぐる ⓲高台から眺める観音堂
真野寺の拝観を終え、昼食会場へバスで移動した。次に参拝の寺院は
小松寺。
2.昼食後、小松寺へ(次回リポート)
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