如来を中尊とする三尊像や眷属を整理してきた。中尊となるのは如来だけ
ではない。今回は、千手観音を中尊とする三尊像や眷属についてまとめて
ではない。今回は、千手観音を中尊とする三尊像や眷属についてまとめて
みたい。
1.千手観音を中尊とする三尊像
千手観音の脇侍像については、数パターンを目にする。具体的な事例
で確認したい。
A.婆藪仙・吉祥天の両脇侍
千手観音の脇侍に婆藪仙(ばすせん)と吉祥天を配置した仏画を目にし
たことがある(❶)。この両脇侍は仏教における基本ルールとも聞く。
婆藪仙とは、殺生の罪を犯し地獄に落ちるも、釈迦の教えに帰依して、
修行を続ける仙人(バラモン僧)。独特な風貌、痩せ細ってガリガリの
体形は大変インパクトがある。一方、吉祥天は美と芸術、施福の女神
として馴染み深い。
2尊の対比は男vs女、老vs若、質実vs華麗、清貧vs豊穣、修行vs慈善
など様々なイメージが湧く。婆藪仙は「智慧」、吉祥天は「慈悲」の
象徴ではないかと思える。<彫像での像容は❻参照>
❶婆藪仙と吉祥天の両脇侍
B.不動明王・毘沙門天の両脇侍
不動明王と毘沙門天を両脇侍にする形式は、天台系の寺院に多いようだ。
滋賀・正明寺(しょうみょうじ)の千手観音及び両脇侍像については、
天台系の名残りとある(❷)。
延暦寺横川中堂の本尊は聖観音を中尊に、不動、毘沙門を脇侍とする三尊
としており、「横川形式」と呼ばれている。これには、伝説がある。即ち、
慈覚大師・円仁が入唐時に海難に会った。観音を念じると、観音の化身と
して毘沙門天が出現し、嵐が静まった。
比叡山に戻った円仁は一堂を建立し、観音と毘沙門天を祀った。その後、
弟子の良源が不動を加えて三尊にしたとのこと。これで横川形式三尊の
成立になった。中尊の観音菩薩は、聖観音もあれば、十一面観音、千手
観音と様々ある。
❷不動明王と毘沙門天の両脇侍
C.不動明王・降三世明王の両脇侍と
二十八部衆の眷属
2018年1月~3月、東京国立博物館で開催の「仁和寺と御室派の
みほとけ」展を観覧した。その時に、撮影した写真が❸、❹。これは
仁和寺の観音堂を再現したものである。
中尊・千手観音の両脇侍が「降三世明王」と「不動明王」となっている。
いかにも、密教的な尊像と言える。左右に、二十八部衆が並び、観る者
を圧倒する。さながら曼荼羅の世界のようにも見える。
❸脇侍の不動明王像 ❹脇侍の降三世明王像
D.地蔵菩薩・毘沙門天の両脇侍
京都・清水寺では本尊・千手音の両脇侍が「地蔵菩薩」と「毘沙門天」に
なっている。これも、比叡山の「横川形式」と同様の伝説がある。
坂上田村麻呂が蝦夷征伐へ赴く際に、延鎮上人は、地蔵菩薩と毘沙門天を
彫って、武運を願った。戦場で全滅覚悟の中、観音に祈り続けると、どこ
からともなく、僧侶と老翁が現れ救ってくれた。二人は地蔵菩薩と毘沙門
天が姿を変えて現れた。
無事に帰還した田村麻呂は本尊・千手観音の両脇侍に地蔵菩薩と毘沙門天
を安置し、現在に続く清水寺の三尊形式が誕生したと言う。残念ながら
三尊とも秘仏のため、お目に掛れない。
従って、千手観音の脇侍については、その寺独自の縁起があることが良く
分かる。必ずしも、儀軌によるものではないようだ。
2.三十三間堂の二十八部衆
全国の「千手観音と二十八部衆」の中で最も有名で、かつ圧倒的な存在感
を感じさせる寺院は、京都の三十三間堂だと思う。2018年に1001体の
千手観音立像が国宝に指定され、堂内1032体すべての尊像が国宝となる。
また、2018年には、尊像の改名や配置換えも行われた。この改名や、
配置換えを行うに至った経緯については別途確認したい。
堂内の仏像配置がどのように変わったを比較し、まとめてみた(❺)。最初
に気づくことは「風神・雷神」の位置が入れ替わった。これで、俵屋宗達の
風神雷神図と同じ構図になる(❼)。俵屋宗達は、三十三間堂の風神・雷神
をモデルにした。
次に、中尊を囲む4体に注目した。旧配置13-東方天、14-毘楼勒叉天
(びるろくしゃてん)、15-毘楼博叉天(びるばくしゃてん)16-毘沙門天
となっている。つまり四天王が囲んでいる形になっている。
現配置では、13-婆藪仙、14-大弁功徳天(吉祥天)、15-帝釈天王、16
-大梵天王となっている。特に前面の一番目立つところに、婆藪仙と吉祥天
が配置され、中尊の脇侍のようになっている(❻)。
二十八部衆については、分からないことがたくさんある。詳しく調べて、別
の機会にまとめたい。
❺三十三間堂内 現旧の仏像配置図
❻三十三間堂中尊像と眷属 ❼尾形光琳作 風神雷神図
【中尊と脇侍・眷属シリーズ 続く】
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