今回は阿弥陀如来像の印相や阿弥陀三尊像の姿勢を取り上げたい。
1.阿弥陀如来の印相変化と背景(❶)
5年程前、学習院大学で開催の「仏像美術の世界」という講座に
参加した。その時の講師が解説された講義内容を基に、「阿弥陀
信仰と印相の変化」を一覧表にまとめてみた。
平安前期までの阿弥陀信仰は「悔過(けか)」と追善供養ためが
中心とのこと。自分自身の極楽往生を願うことが主目的になった
のは、平安中期以後だそうだ。阿弥陀堂や阿弥陀仏が数多く造立
される背景が納得できる。
阿弥陀如来の印相については、施無畏・与願印から説法印、定印
となり、来迎印へと変化して行く。奈良時代の説法印は初期密教
(陀羅尼集経、だらにじっきょう)により出現した。平安前期の
定印は密教の曼荼羅に描かれた図像に基づき造立された。
印相は密教からの影響を受けていることが良く現れている。密教
では「身・口・意(しん・く・い)」三つの行為を重視する。即ち、
手に印を結び、口に真言を唱え、心に本尊を観念すること。これを
三密(さんみつ)もしくは三業(さんごう)と言う。
コロナの時代、「三密」が別の意味に使われている。奥深い意味の
「身密・口密・意密」が、「密閉・密集・密接」の三密となった。
弘法大師空海は、どう思われるのだろう。
❶阿弥陀如来印相の時系列変化
2.阿弥陀如来像の印相変化(❷~❺)
施無畏・与願印から来迎印までの阿弥陀如来像を掲載した。定印の
阿弥陀如来像で最古は、京都・仁和寺の阿弥陀三尊像。亡くなった
光孝天皇追善のために造立されたと伝わる。
清凉寺の阿弥陀三尊像も、源融(みなもとのとおる)の一周忌に、
子息が造立した。こちらも追善供養と考えられる。一方、平等院の
阿弥陀如来像は明らかに、発願者自身の極楽往生を願って造立した
ものだ。
三千院の阿弥陀如来像は来迎印であり、極楽往生を祈願するための
本尊となっている。浄土寺像においては、「逆手(さかて)来迎印」
と言う通常と反対の印相となっている。浄土寺では、西日が差し込み
さながら、西方極楽から来迎したような設えになっている。
❷阿弥陀如来の印相例 ❸施無畏・与願印~定印
❹定印 ❺来迎印
3.阿弥陀三尊像 姿勢の変化(❻~❿)
三尊像の姿勢に注目した。清凉寺像では、三尊像とも結跏趺坐して
いる。この像は、悔過や追善供養のための本尊であり、動く気配は
感じられない。中尊像は、定印を結ぶ。
一方、中尊が来迎印を結ぶ三尊像の場合は、来迎の動きを感じさせ
る造形となっている。その動きは、脇侍像から伺える。三千院像の
観音、勢至は跪坐であり、今まさに立ち上がろうとしている。なお、
観音は蓮台を捧げ持ち、勢至は合掌する姿が両像の特徴。
浄楽寺像では、観音、勢至とも立像となり、来迎へ動き出している。
更に、浄土寺像では、中尊の阿弥陀如来も立像となり、三尊像とも
今まさに揃って動き出した。
❻阿弥陀三尊像 姿勢の変化
❼三尊像が結跏趺坐 ❽脇侍像が跪坐
❾脇侍像が立像 ❿三尊像とも立像
【中尊・脇侍・眷属シリーズ 続く】
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