大善寺の次は仁勝寺に向う。
2.仁勝寺(にんしょうじ)<臨済宗向嶽寺派(甲府市小瀬町)>
到着をお伝えすると、ご住職が出て来られて、八角形の
お堂(❶)に案内された。奈良・法隆寺の夢殿(❷)を
思わせる形をしたお堂だ。
❶仁勝寺八角形のお堂 ❷法隆寺夢殿(参照)
❸聖徳太子像を拝観 ❹ご住職の解説を拝聴
禅宗寺院である仁勝寺になぜ聖徳太子孝養像(きょうようぞう)
が安置されているのか(❺)、また像の特徴など、ご住職から
解説頂いた。扉の内側には解説文が貼られてあった(❻❼)
が安置されているのか(❺)、また像の特徴など、ご住職から
解説頂いた。扉の内側には解説文が貼られてあった(❻❼)
この聖徳太子立像は、元々、京都の恵心院に安置されていた。
甲斐源氏(武田氏)の祖、新羅三郎源義光(しんらさぶろう
みなもとのよしみつ)が天皇の勅命により甲斐へ供奉される
際、一緒にお連れし、それ以来武田家の守り本尊となった。
武田勝頼敗戦の際、家臣が縁ある仁勝寺に隠し、守ったという
ことが仁勝寺略縁起に記してあるとのこと。
❺聖徳太子孝養像 ❻甲斐源氏(武田氏)系図
聖徳太子が16歳の時の像を「孝養像(きょうようぞう)」
と呼んでいる。髪を左右に分けて「角髪(みづら)」を結い、
両手に笏(しゃく)や柄香炉(えごうろ)を持って立つ姿は
父である用明天皇の病気平癒を願う像と言われている(❼)。
衣には、赤や緑などの色が残り、所々に金色で鳳凰の模様
が表されたり、眼には水晶の玉眼がはめ込まれるなどの
技法が施されている。鎌倉時代に造られたと考えられて
いるとのこと(❽)
昭和4年に文部省指定で国宝となり、昭和25年文化財保護法
が新たに施行された時に文化庁指定で重要文化財となった。
お寺によっては「旧国宝」と呼んでいるところもある。
❼「聖徳太子 その姿」 ❽「仁勝寺の聖徳太子像」
解説 解説
聖徳太子像一体で、武田氏の歴史や文化財としての価値など
関心や興味が尽きない。聖徳太子の偉大さを改めて認識した。
次は、午前中の最後の寺院、青松院へ向かう。仁勝寺のご住職
が、出発するバスにいつまでも手を振られていたのに恐縮した。
(続く)
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読み通すには一頑張りが必要かも。
読めば日本史の盲点に気付くでしょう。
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