2月23日『阿佐谷地域区民センター開催の講演会
(空海と所縁の寺院・仏像・曼荼羅)』について、
第2回リポート。前号(2月25日)に続く。
2.空海の交遊録(❼)
交遊グループは、「親類縁者」「交流・対立の僧」「師」
「遣唐使関連」「援助協力者」「十大弟子」の6グループ
に分類。(週刊朝日百科掲載分から作成)
空海は、誰もが認める天才。また交遊を見る限り、強運の
持ち主であったと思われる。様々な人たちの出会いによって
弘法大師・空海となって行った。
先ずは、天皇・皇室との交流(❽)と空海十大弟子(❾)に
ついて見て行く。日本仏教界の両巨頭、最澄、空海の関係は、
別途改めて取り上げたい。
❼空海の交遊録
空海と同時代の天皇は第50代桓武天皇から第54代仁明天皇。
その中で、特に深い繋がりがあったのは、第52代嵯峨天皇。
嵯峨天皇がいなかれば、空海も、これほど大きな足跡を残す
こともできなかったのでは?(各天皇と関わる空海の事績は
❽の通り)
空海との関りにおいて特筆することは~
第50代 桓武天皇・・遣唐使として派遣。
第51代 平城天皇・・薬子の変の後、出家し空海に帰依。
高岳親王は空海に弟子入り、十大弟子に。
第52代 嵯峨天皇・・高野山、東寺を下賜。大覚寺開基。
第53代 淳和天皇・・勅に答えて「秘密曼荼羅十住心論」著す。
恒貞親王が大覚寺開山となる。
第54代 仁明天皇・・宮中に真言院設置。後七日御修法を勅許。
第59代 宇多天皇・・仁和寺開創。最初の門跡寺院。
第60代 醍醐天皇・・醍醐寺を自らの祈願寺。弘法大師の諡号。
ここで注目することは、第54代仁明天皇の時に勅許された
後七日御修法(ごしちにちのみしほ)。これは、宮中真言院にて
1月8日から14日まで、「国家安泰」「玉体安穏」「五穀豊穣」
「万民豊楽(ばんみんぶらく)」を祈る行事。
空海によって始められたこの修法は一時、中断の時があるものの、
明治の廃仏毀釈によって廃止されるまで続いたそうだ。この歴史を
見ても、歴代天皇がいかに仏教を重んじていたかが良く分かる。
天皇は仏教徒であると言われる理由が理解できる。
❽天皇・皇室との関り
次に空海 十大弟子(❾)と真言宗の系譜(❿)について触れたい。
空海の付法弟子とされる十人は、真雅(しんが)が朝廷への言上に
よって確定した。
真言宗系譜において醍醐寺、仁和寺の存在は大きい。小野六流、
広沢六流で野沢十二流(やたくじゅうにりゅう)と言う真言宗
の各派へ繋がる。系図を見て分かるように、空海ー真雅の流れ
から出ている。真雅の存在が大きい。
❾空海 十大弟子
空海が恵果阿闍梨から伝法灌頂を受け(❿)、正式な後継者と
なる。千人もの弟子の中から選ばれたと言われる。なぜ、日本人
の空海なのかとの疑問もわく。
恵果阿闍梨は、金剛智、不空から系譜から金剛界曼荼羅を、
善無畏、一行の系譜から胎蔵界曼荼羅を受け継ぐ。いわば
インド人から中国人へ伝えられた。次に、恵果は、日本人
の空海を、積極的に望んだのではないかとも想像される。
❿真言八祖と系譜
次回は、空海所縁の寺院について話した内容をリポートしたい。
0 件のコメント:
コメントを投稿