2020年2月9日日曜日

板橋区 乗連寺・東京大仏を拝観!


2月8日(土)、幸運にも、風もなく穏やかな日和となる。
荻窪のメンバー総勢18名で、板橋区の乗蓮寺を訪れる。
東武東上線成増駅改札口に10時集合、駅前からバスに
乗り、赤塚八丁目で下車、徒歩5分で到着(①、②)。

①乗連寺の近辺地図    ➁バス停から徒歩5分

住宅地の中に、突然、大きな山門が姿を現す。
山門への階段脇には閻魔堂がある(③、④)。

A.閻魔堂の仏像
  閻魔堂には、中央に閻魔王像、左手に奪衣婆像、更に
  前列に、小ぶりの十王像が横並びに鎮座。
③山門への階段を登る   ④階段下右手に閻魔堂

山門への階段を登る。乗連寺の縁起を記す看板を目にする
(⑤、⑥)。乗蓮寺は浄土宗のお寺、山号・院号「赤塚山
慶学院(せきちょうさん けいがくいん)」と称する。
赤塚山を「せきちょうさん」とは読め無い。

徳川家康始め、徳川将軍から庇護を受けたことや、高速道路
建設に伴う移転、恒久平和を祈願して東京大仏が建立された
ことなどが記されている。
⑤威風堂々とした山門   ⑥乗蓮寺の縁起を記す看板

B.山門に立つ守護神像
  山門には仁王像(⑦、⑧)と二天像(⑨、➉)が背中合わせ
  に立っている。いずれも金網越しであり、鮮明な雄姿を見る
  ことはできない。広目天、多聞天の彩色が鮮やかだった。
⑦山門の仁王像(阿形)   ⑧山門の仁王像(吽形)

⑨筆と巻紙を持つ広目天   ➉宝塔を捧げ持つ多聞天

C.境内には数多くの石仏
  境内では、数多くの石仏を目にする(⑪~⑰)。布袋尊
  七福神を眺め、「ここへ来たら、新年七福神めぐりが直ぐに
  終わる」との声が聞こえて来た。七福神始めほとんどの像が、
  笑い、微笑むお顔をしている。(毘沙門天は、厳しい表情)
  奪衣婆(⑭)までが、優しい顔立ちをしている。

  一方、がまんの鬼は足下に踏み付けられた邪鬼のような顔を
  しており、立て看板に「何でも耐える がまんの鬼 津藩主
  藤堂家旧蔵」とある。

  鉄拐(てつかい)仙人(⑰)の看板には「足の病気に霊験ある」
  と書かれている。初めて目にする仙人の名であり、「てつかい」
  とは読めない。足の病気に関連する伝説がありそうだ。

  なぜ、こんなに石造物が多いかの理由が分かった。解説板(⑱)
  に、「現在の豊島区駒込付近に所在していた津藩藤堂家江戸
  下屋敷(染井屋敷)に置かれていました」とある。

  その石造物が時代と共に、所蔵者が変わり、現在乗連寺の境内
  に安置されている。
⑪太鼓腹の布袋尊     ⑫七福神が横一線に並ぶ

⑬獅子に乗る文殊菩薩   ⑭あまり怖くない奪衣婆

  ⑮微笑むような役行者    ⑯何でも耐える「がまんの鬼」

 ⑰鉄拐(てつかい)仙人  ⑱石造物についての解説板

D.お堂の中の仏像
  境内、お堂に安置された仏像が2躯ある。朱色の福寿観音堂
  に安置される観音菩薩像(⑲)と金色に輝く弁天堂の弁財天
  像(⑳)。いずれも、趣のあるお堂だ。

  観音菩薩は、北村西望氏の制作とのことであり、一層熱心に
  拝観した。氏は長崎「平和記念像」の制作者であり、また
  井の頭公園内の彫刻園に作品が展示されている。
⑲お堂の福寿観音    ⑳池の中に弁財天

E.お目当ての「東京大仏」
  今回参詣の一番の目的は東京大仏を拝観することにある。
 「銅造 阿弥陀如来坐像」(21)は弥陀定印の堂々とした
  体躯、微笑むようなお顔立ちで、観るものを引き付ける。

  解説板(22)には、「当山二十三世 正誉隆道(しょうよ
  りゅうどう)が昭和四十九年 八十八歳にて発願 完成
  まで約三年の歳月と延べ三千五百人の手によって 昭和
  五十二年四月完成を見ました」とある。
21.東京大仏     22.東京大仏の解説板
  「銅造・坐像」の基準で像高を比較すると、8.2mは、
   全国第4位の大きさになるようだ。
   第1位 東大寺大仏(奈良) 14.7m
   第2位 鹿野大仏(日の出町)12m
   第3位 鎌倉大仏(鎌倉)  11.39m
   第4位 東京大仏(板橋区)  8.2m

F.本堂の阿弥陀三尊像
  次に、本堂でご本尊を拝観した(23、24)。残念ながら、
  本堂内へ入ることはできない。隙間からの写真が(24)。
  来迎印の阿弥陀如来坐像を中尊に、観音・勢至の両脇侍像
  が立つ三尊形式となっている。
23.乗連寺の本堂      24.ご本尊の阿弥陀如来像

すべての、拝観を終えた後、東京大仏の前で記念撮影。
暫し、大仏や奉納された絵馬を眺めながら、歓談して
過ごした。(25~28)
25.本堂から大仏を眺める  26.大仏を前に記念撮影

27.大仏の周りで歓談     28.奉納の絵馬を眺め、一言


松月院(しょうげついん)参詣
 お昼までは時間があり、すぐ近くの松月院も参詣した。
 門前の案内板(29)に「萬吉山(ばんきさん)宝持寺」と
 言い、曹洞宗の寺院であることが分かる。

 千葉氏の菩提寺であること、徳川家康から寄進を受けて、
 徳川将軍家の庇護があったこと、洋式砲術の高島秋山
 (たかしましゅうはん)とご縁のある寺院であることも
 分かる。由緒ある寺院に感心した。

 山門脇には「不許葷酒入山門(くんしゅさんもんにいる
 をゆるさず)」の石柱が立つ(30)。直ぐに禅宗寺院で
 あることが分かる。山門から本堂を望む眺め(31)も
 素晴らしい。
29.曹洞宗寺院「松月院」縁起  30.禅宗寺院らしい石柱と山門

31.山門から本堂を望む

 興味を引いたのは、豊川吒枳尼真天(とよかわだきにしんてん)
 のお堂(32)。吒枳尼真天とは稲荷と同じのようだ。インド神話
 の「ダーキニー」が音写され吒枳尼(荼吉尼)となり、稲荷大神
 と習合したとのこと。

 ダーキニーはシヴァ神の妻、カーリー女神の侍女で、夜叉の一種。
 仏教に取り入れられ、善神となったようだ。吒枳尼真天の神呪
 (しんじゅ)(33)を見ると、密教寺院のようであり、二拍手
 一礼は神社だ。禅宗寺院のお堂とは思われない。
32.豊川吒枳尼真天のお堂  33.吒枳尼真天の神呪(しんじゅ)

 高島秋帆の功績を讃える碑がなぜ建立されたかは解説板(34)
 に記されている。長崎に生まれた秋帆は、出島でオランダ人
 から西洋砲術を学んだ。松月院に本陣を置き、日本最初の
 本格的な西洋式砲術を指揮したとのことだ。記念碑が大砲
 のような形をしているのも一際目立つ(35)。
34.高島秋帆顕彰の解説板  35.火技中興洋兵開祖碑

 参拝後は、昼食歓談、ワイワイガヤガヤ。座敷席を貸切状態。
 飲んだり、食べたりして楽しいひと時を過ごした。
<大仏そば 萬吉偵で舌鼓>
Aテーブル        B、Cテーブル

お茶はセルフサービス

 天気も良く、帰りは赤塚中央通りを歩き、東武の下赤塚駅
 もしくは地下鉄赤塚駅から乗車した。




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