2022年3月10日木曜日

東寺の歴史と寺宝(Ⅲ)

 今回は空海の曼荼羅について記した言葉を確認することから始めたい。

1.空海の「曼荼羅」

 空海は御請来目録(ごしょうらいもくろく)で「密蔵は深玄にして、翰墨に
 載せ難し更に図画を仮りて悟らざるに開示す。」と記されている。

 意味は、空海研究所長の武内孝善氏解説によると「真言密教はとくに奥深く、
 文字で表し尽くすことは難しい。だから図画をかりて悟れない者に開き示す
 のである。」

 更に「経疏に秘略にして、これを図像に載せたり」(①のⅢ)とある。これ
 は「経典や注釈書には秘したり略したりしていて(十分理解できないところ
 を)図像が端的に画いてくれている。」(➁のⅢ)という意味である。

 続いて、「伝法・受法、此を棄てて誰ぞ。」(①のⅤ)即ち、「伝法も受法
 も、曼荼羅をはなれては誰も奥深いところまで理解することはできない。」
 (➁のⅤ)とある。

 真言密教と曼荼羅は不可分の関係であり、密教は曼荼羅なければ成立しなか
 ったのではないだろうか。密教のエッセンスをすべて曼荼羅の中に集約して
 いると言える。曼荼羅を理解することが、密教を知ることに繋がる。

①空海の「曼荼羅」      ➁曼荼羅解説文

2.両界曼荼羅
 
(Ⅰ)「両界」か「両部」か?
 「両界曼荼羅」「両部曼荼羅」と二通りの言い方がある。違いは何だろうと、
 疑問に思っていた。密教の研究者である正木晃氏が、著書「空海と密教美術
 (角川選書)」で次のように解説されていた。

 平安前期、空海より数十年後に天台宗の密教部門を大成した安然(あんねん)
 が真言宗の両部曼荼羅という呼称に反発して、両界曼荼羅という呼称を採用
 したそうだ。胎蔵曼荼羅も金剛曼荼羅にあわせて胎蔵曼荼羅と呼ばれる
 ようになったとのことだ。今では両界曼荼羅の方が普及している。

 胎蔵曼荼羅には「界」という「領域」示す意味は無く、胎蔵曼荼羅の呼称
 は正しくないと正木氏は言う。真言宗では今でも両部曼荼羅と称している。
 なお、美術史や文化財の分野においては、両界曼荼羅の表現が用いられてい
 るとのことであり、本ブログにおいても両界曼荼羅を使用することとした。

 誤用がいつの間にか広がり一般化してしまい、誤用と言えなくなってしまう
 ケースは良くあることだ。

(Ⅱ)両界曼荼羅は何を表現しているか?
 「胎蔵界曼荼羅」は7世紀前半に東インドで誕生した。一方「金剛界曼荼羅」
 は7世紀後半に南東インドで成立したとのことだ。元来、別々の曼荼羅であ
 ったものが、空海の師匠である唐の恵果阿闍梨によって二つを合体すること
 が考案された。そして「金胎不二」として大成したのが空海である。

 胎蔵界曼荼羅は私たちの世界の成り立ちを表現しており、慈悲と智慧からな
 る「理の曼荼羅」と言われている。大日如来の慈悲と智慧が世界に遍満する
 様子をあわわしている。(③の右)

 金剛界曼荼羅は悟りに至る道筋を表現しており、「智の曼荼羅」と呼ばれて
 いる。大日如来の智慧に至る段階を示している。(③の左)
③両界曼荼羅

(Ⅲ)「3」が聖数の胎蔵界曼荼羅
 胎蔵界曼荼羅は大日経を典拠にしたものであり、大日経の思想を端的に提示
 したものとして「三句の法門(さんくのほうもん)」と言う言葉がある。

 「菩提心を因とし、大悲を根とし、方便を究竟(くきょう)となす」、即ち
 「悟りを求める心を行動の原因とし、大いなる慈悲を根本とし、実践に最高
 の価値をおく」。

 この胎蔵界曼荼羅の構造は、釈迦・観音・金剛手の三尊形式が起源とされる。
 如来を中尊に左右の脇侍が慈悲と智慧を象徴する存在として配置される構造
 となっている。(④⑤⑥)

 また、胎蔵界曼荼羅の構造は初重、二重、三重の三層構造になっているとさ
 れる。ただし、発展の段階で外金剛部院が加わり四重のようになっている。

 ❶中台八葉院から、❷遍知院、❸持明院、❹観音院、❺金剛手院までが初重。
 ❻釈迦院、❽虚空蔵院、❿地蔵院、⓫除蓋障院が二重。
 ❼文殊院、❾蘇悉地院が三重となる。(正木晃著 「空海と密教美術」から)

 この構造は、いかにも大日如来の慈悲と智慧が四方八方に広がる様子を示し
 ている。
④胎蔵界曼荼羅12院      ⑤胎蔵12院の解説文

⑥胎蔵界曼荼羅の三部

(Ⅳ)「5」が聖数の金剛界曼荼羅
 「智の曼荼羅」である金剛界曼荼羅は智慧に特化したものであり、胎蔵界の
 三部を補強するように二部が加わる。宝部(ほうぶ)と羯磨部(かつまぶ)
 である。従って金剛界曼荼羅では「5」が聖数となり、五尊形式をとる。

 三毒にまみれた人間を悟りに向かわせるには、「蓮華部」の慈悲、「金剛部」
 の智慧だけでは難しいとしたのだろうか。いわばご褒美のような「宝部」と
 活動をし続けるイメージの「羯磨部」を入れて現実世界に近づけたように思え
 る。「宝部」が飴(アメ)、「羯磨部」が鞭(ムチ)と勝手に解釈している。
 (⑦⑧⑨)

 なお、金剛界曼荼羅は9ブロックに分かれており、その中心にあるのが成身会
 (じょうじんね)である。成身会が根本であり、他のブロックは成身会の変形
 版、もしくは省略版と言える。従って、成身会を理解することが金剛界曼荼羅
 を理解することになる。典拠となる経典は金剛頂経である。

 ただし、成身会の右斜め上に位置する理諏会(りしゅえ)だけは全く異なる。
 理諏会の典拠となる経典は理趣経であり、経典からして違う。一番密教らしい
 のがこの理諏会かもしれない。煩悩すら排斥しないで悟りへのエネルギーへ
 昇華させてしまう。煩悩即菩提の世界だ。
⑦金剛界曼荼羅       ⑧金剛界曼荼羅成身会

⑨金剛界曼荼羅成身会の五部

3.立体曼荼羅の構成
(Ⅰ)空海の構想
 嵯峨天皇から東寺を下賜され、空海が講堂に造立したのが立体曼荼羅である。
 正木 晃氏によると、空海は最初に仁王経念誦儀軌に説かれた曼荼羅を構想し
 五菩薩、五明王、五方天の構成にした。仁王経念誦儀軌は金剛頂経の一部と
 空海は考えており、金剛頂経の世界を具体化したいと考えていた。

 ところが、真言密教で最も重要な金剛界五仏が入っていない鎮護国家に相応
 しくないと考え、壇上の中央に五仏を安置する現在の構成とした。(➉⑪⑫)
➉空海が構想した立体曼荼羅

⑪東寺講堂立体曼荼羅     ⑫同左 仏像配置

(Ⅱ)五智如来
 中央には大日如来を中心にし、周りに4仏が配置されている。大日如来の智慧
 を分有し、五智如来と称する。金剛界曼荼羅の五尊形式である。(⑬)

 5つの智慧と智慧の内容については⑭に示す通りである。併せて金剛界五部の
 部族を明記しておいた。即ち大日如来は仏部、阿閦如来は智慧の金剛部、宝生
 如来はご利益(りやく)の宝部、阿弥陀如来は慈悲の蓮華部、不空成就如来は
 成就する活動、いわば精進(しょうじん)の羯磨部となる。(⑭)
、⑬五智如来        ⑭5つの智慧

(Ⅲ)正法輪身の五菩薩、教令輪身の五大明王
 五智如来の智慧は五菩薩や五大明王に引き継がれる。慈悲の姿で真理を伝える
 時は五菩薩となり、忿怒の姿で叱ってでも真理を伝えなくてはならない時には
 五大明王となる。(⑮⑯⑰)

⑮五菩薩         ⑯五大明王

⑰三輪身

(Ⅳ)大乗仏教の天部(梵釈と四天王)
 密教の五智如来、五菩薩、五大明王を守護する梵天・帝釈天、四天王はいずれ
 も大乗仏教の尊像である。空海は密教と大乗仏教を敢て融和させる構成にした
 ものと思われる。

 残念なことに、空海は講堂の立体曼荼羅の完成を見ることなく、高野山で入定
 された。以上で、空海の曼荼羅についての整理を終える。

⑱梵天・帝釈天          ⑲四天王




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