2018年7月13日金曜日

熱田神宮、瀧山寺、大樹寺を巡る‼


毎年、気の置けない者5名が「仏像と歴史研究会」と称し、神社・仏閣等を
巡っている。かつて、同じ会社に勤務した、同期入社の5人衆。各々が、
好きな、得意分野や特技を持つ面々。考古学、古代史、江戸検定1級合格、
水彩画・書、仏像彫刻。 歴史、美術と興味の対象は尽きない。
ご親戚のご不幸のため、今回は、不参加1名。

7月8日(日)10時半、名古屋駅近くのレンタカー会社に集合。レンタカー
で巡拝スタート。名古屋城➡熱田神宮➡瀧山寺➡大樹寺➡岡崎公園。
探訪した中で、熱田神宮、瀧山寺、大樹寺についてリポートする。

1.熱田神宮
  熱田神宮は「三種の神器」の一つ、草薙剣が祭られていることで有名。
  
  頂いたチラシには次のような解説がある。
   『ご祭神の熱田大神(あつたのおおかみ)は三種の神器の一つ
   である草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を御霊代(みたましろ)と
   される天照大神(あまてらすおおかみ)のことです。』
  熱田大神=草薙神剣=天照大神と言うことになる。

  東門駐車場(?)に車を入れて、境内(①、②)を歩き出した。
①境内案内図      ②同左・部分拡大

  最初に目を引いたのは大きなクスノキ(③)。弘法大師お手植えとの
  解説がある(④)。樹齢1000年以上とある。お手植えなら、1200年
  は経つ。熱田神宮と空海はどのような関係があったのだろうか。
③大楠(おおくす)          ④同左・解説

  次に注目したのは信長塀(のぶながべい)(⑤、⑥)。解説板によると、
  「織田信長が桶狭間出陣の際、当神宮に願文を奏し、大勝したので、
  そのお礼として奉納した塀である。」

  信長が神仏に願をかけたり、お礼をすることもあるのかと驚く。また、
  奉納した塀が、土塀とは思えないほど、頑丈そうな造りをしていること
  に再び驚く。土と石炭を油で練り固め、瓦を厚く積み重ねているそうだ。
⑤信長塀           ⑥同左・厚み

  本宮まで進み、参拝を済ませた(⑦)。境内には熱田神宮1900年の
  歴史を時代順に解説した看板が並んでいる。その中でも、個人的に、
  関心が高い時代は鎌倉時代(⑧)。源頼朝、熱田神宮、運慶との関係
  を探るのが面白い。
⑦熱田神宮 本宮      ⑧1900年の中の一時代

  熱田神宮の次は、岡崎市の瀧山寺へ向かう。

2.瀧山寺(たきさんじ)
  瀧山寺は運慶仏を所蔵するお寺として、仏像好きに知られている。
  お寺の縁起は、しおりに記載されている(⑨)。歴史は古く、役行者・
  小角(えんのぎょうじゃ・おづぬ)が建てた一堂が瀧山寺の始まり
  とされる。現在は天台宗の寺院。

  隆盛を極めたのは、鎌倉時代、源頼朝の従弟に当たる寛伝上人
  が住職になった時代とある。寛伝は熱田神宮宮司の子息であり、
  頼朝の菩提を弔うために、仏像制作を運慶に依頼した人物と
  される(⑳)。

  木立の中、階段を上がると前方に本堂が見えて来る(⑩)。
⑨瀧山寺縁起         ⑩本堂への参道

  本堂を参拝(⑪、⑫)。ご本尊の薬師如来は秘仏のため、拝観する
  ことはできない。しおりには50年に一度ご開帳とある。特別ご開帳
  はないのだろうか?
⑪瀧山寺本堂            ⑫本堂を参拝

  境内、本堂前では、大きな太鼓にまたがり、太鼓を叩く子ども(⑬)、
  太鼓を作る大人たち(⑭)の姿が見える。大きな樽を重ねて、太鼓
  を作っているようだ。この地域の歴史と文化を感じる。
⑬樽で作った太鼓を叩く     ⑭樽で太鼓を作る
 <瀧山東照宮>
  本堂の横手に瀧山東照宮(⑮)がある。岡崎の地に東照宮を勧請した
  のは徳川三代将軍家光と解説板に書かれている(⑯)。
   『三河の国は、徳川家の本国、岡崎城は家康誕生の地で、また在世の
   本城であるから、岡崎附近に権現様を勧請したい。』  

   『幸いにも、瀧山寺は古跡で岡崎の要害の地にも当たり、家康が岡崎
   在城の節、信仰も厚かった霊地であるから、この地に東照宮を勧請
   するように・・・・』
⑮瀧山東照宮参詣          ⑯瀧山東照宮の解説

  東照宮は全国に100社以上あると聞く。瀧山東照宮の境内はさほど
  広くはなく、本殿も小さい(⑰)。しかし、日光、久能山東照宮と並んで
  瀧山東照宮が日本三東照宮に数えられると言う(⑱)。

  調べてみると、二大東照宮は決まっているものの、三番目となると、
  いくつか説が分かれるようだ。いずれにしても、格式高い東照宮である
  ことは間違いない。
⑰瀧山東照宮 本殿        ⑱岡崎観光文化百選

  坂を下って、瀧山寺宝物館へと向かった。 (⑲) お目当ての運慶仏と
  ご対面できる。
⑲瀧山寺 宝物館入口

  宝物館に入ると、ガイドの方が熱心に宝物の解説を始められた。系図を
  手にされ、足利氏三代目の義氏が三河国の守護職となってから、足利氏
  と瀧山寺との関係が強くなったと説明。

  源氏と足利氏とは源義家を先祖に持つ、親族(⑳)。仏像好きな者達が
  注目する人物は、義氏の父・義兼(足利氏二代目)。今は廃寺となった
  樺崎寺(かばさきじ、足利市樺崎町)を建立し、運慶に大日如来像制作
  を依頼している。(21)

  その、樺崎寺所縁の大日如来像は現在、光得寺(足利市)と真如苑
  (立川市)が1体ずつ所蔵している。

⑳源氏・足利氏の系図      21頼朝に繋がる系図と運慶仏

  ようやく、お目当ての運慶仏とご対面となった(22)。中尊の聖観音
  菩薩像、左脇侍の梵天像とは、それぞれ東京国立博物館、金沢文庫
  での運慶展で拝観した。右脇侍の帝釈天像とは初のご対面となる。

  この三尊像の造立者は、前述の通り、瀧山寺住職の寛伝。聖観音立像は、
  頼朝と等身大の大きさにし、像内に頼朝の鬢(びん)と歯が納められて
  いる。

  三尊像の中で、一番のお気に入りは、帝釈天立像。東寺講堂像と良く似て
  いる。東寺講堂像は、イケメンNo.1の仏像として人気がある。瀧山寺像
  のイケメンぶりも勝るとも劣らない。運慶は、東寺講堂像の修復も手掛け
  ており、お顔立ちが似るのも不思議はない。

  専門家が運慶作と認定の現存する仏像は全国で31体。愛知県以東では
  16体と過半数になる。その16体は、源頼朝と深い繋がりの人たちがが
  造立しており、頼朝の影響力がいかに大きいかを示している。

  ガイドの方から、足利義氏が奉納した迎講(むかえこう)菩薩面の拓本
  (23)がプレゼントされた。迎講とは、阿弥陀如来が二十五菩薩を伴い
  お迎えに来るさまを儀式化した法会のこと。義氏は阿弥陀信仰があった
  と推察する。
22聖観音・梵天・帝釈天(運慶・湛慶作)     23迎講・菩薩面の拓本
          [絵はがきから]

3.大樹寺
  最後は、徳川将軍家の菩提寺「大樹寺」。歴代将軍の位牌があることで
  有名なお寺。将軍の身長と同じ位牌はどんなものだろかと思いながら、
  訪れた。境内には、本堂、大方丈、収蔵庫、宝物殿の建物がある。(24)
  先ずは、本堂のご本尊参拝に向かう。(25)
24大樹寺境内案内図          25大樹寺本堂

  大樹寺沿革を記す案内板が建っていた。(26、27) 大樹寺の創建は
  松平4代の親忠とある。家康が松平9代であり、5代前の先祖となる。

  「厭離穢土(おんりえど)、欣求浄土(ごんぐじょうど)」の教えが、
  なぜ家康の座右の銘となったかの経緯も書かれれいる(27 赤線部分)
26大樹寺沿革          27同左・拡大

  本堂の受付で、宝物殿など観覧の入館料を納めると、ご本尊の前に
  着席するように促される。すると、大樹寺の縁起を解説する録音テープ
  が流れ出した。「だいじゅじ」ではなく「だいじゅうじ」と何度も呼んで
  いた。気になって、後で調べてみると、「だいじゅうじ」とも言うようだ。

  ご本尊の阿弥陀如来坐像は、金色の見事な像。(28)平安末期の作と
  言う割りに、劣化が少ない。恐らく修復を終えた像と思われる。
  一光千体阿弥陀如来呼ばれ、光背に千体の化仏が荘厳されている。

  本堂の向かって左脇には法然上人の像(29)を見る。 浄土宗寺院では、
  善導大師(向かって右脇)と対になって安置される。
28阿弥陀如来坐像          29法然上人坐像

  宝物殿では、松平八代と徳川歴代将軍の位牌が並んでいた。位牌の
  大きさは、5代綱吉が一際小さい。8代吉宗は大きいと言われている
  いも関わらず、他と同じような大きさだった。
30徳川歴代将軍位牌

「仏像と歴史研究会」予定コースを終了し、夜は浜松名物の鰻で舌鼓を
打った。いつも楽しい旅となり、感謝!(合掌)




2018年6月14日木曜日

杉並稲門会主催「仏像の観方・楽しみ方」講演会開催


6月10日(日)2時から杉並稲門会主催「仏像の観方・楽しみ方」講演会
が開かれた。「稲門会」とは早稲田大学の同窓会のことであり、杉並区
には7つのブロックで構成される支部組織があるそうだ。

あいにくの雨にもかかわらず、41名のご参加があった。ほぼ9割は
男性の皆さん。今までの講演会では大半が女性であり、慈悲深い
観音菩薩のような優しい眼差しを感じて話した。

今日は事情が違う。智慧の文殊菩薩のような透徹した視線や怒りの仏
不動明王の険しい視線を浴びての講演になるのではないかと、勝手な
想像を巡らした。

ご参加者には・・・
・法隆寺釈迦三尊像の原型再現プロジェックに携わった方
・ご実家が高野山塔頭寺院の方
・杉並郷土史会の新村会長
・今回の講演会を企画され、仏像に造詣の深い山口さん 始め 
講演会テーマに関連する分野で専門的知識をお持ちの方々が
眼前に並んでいる。

ところが、講演会開始早々、不安も一掃される。皆さん温かい眼差しで、
大変熱心に耳を傾けて頂いた。さすが、早稲田大学! 人格者揃い‼
熱心にお聴きになるご参加の皆さん

1.仏像は仏さま、文化財?(第一のテーマ)
 「仏像の観方・楽しみ方」で最初にお話しするのは仏像の接し方(①)。
 「仏さま」か「文化財」か、捉え方で接し方も異なってくる。
 しかし、その線引きは難しいし、むしろ分けられないようにも思える。
 
 度重なる戦乱や火災を逃れて、護られた仏像は仏さまとして大事に
 されたからに他ならない。地中に埋められ、戦禍を免れた仏像もある。
 有難いことに、1000年、1500年も祀られている仏さまも数多い。

 仏像を文化財と認識したのは、明治期のフェノロサや岡倉天心によって
 であり、100数十年の歴史しかない。廃仏毀釈の嵐が過ぎた後の事だ。

 文化財として問題になるのは保存と公開のバランス。文化財を観光資源
 として活用しようとする文化財保護法改定が検討されている。保護が疎か
 になりかねないと改定を危惧する声が上がっている。先人の功績が台無し
 にならないことを祈る。
①仏像の接し方

2.仏像は何のために造られたのか? (第二のテーマ)
 一般的な彫刻は、作者が伝えたいことを作者の感性で造形したものである。
 一方、仏像は経典や儀軌によって造形の決まりがある。仏の三十二相・
 八十種好(しゅごう)や不動十九観などがこれに当たる。造立発願者の
 意向や仏師による個人差はあるものの、大枠で決まっている。
 
 仏像は仏教思想・教義・メッセージを伝えるために造立されている。即ち、
 仏教の二大テーマ(二本柱)である「慈悲」と「智慧」(②、③)と言える。
②仏教の二大テーマ・慈悲    ③仏教の二大テーマ・智慧
 
 三尊像を例にして、解説を加えた。中尊の如来に対し、両脇侍が慈悲と智慧を
 分担している。阿弥陀如来では慈悲の観音、智慧の勢至(④)。釈迦如来では
 智慧の文殊に、慈悲の普賢(⑤)。
 
 不動明王が中尊の場合においても、慈悲の矜羯羅童子、智慧の制多迦童子と
 なっている。更には不動明王の持物においても、智慧の宝剣と慈悲の羂索とで
 それぞれを象徴している(⑥)。
 
 胎蔵界曼荼羅や金剛界曼荼羅についても同様なことが言える。時間の関係で
 講演会では割愛となった。
④三千院・阿弥陀三尊像     ⑤法隆寺上御堂・釈迦三尊像
 
⑥不動明王 二童子像 
 
3.仏像の観方・楽しみ方についてのまとめ
 2009年に東京博物館で「阿修羅展」が開催され、仏像好きが一気に増え、
 今日の仏像ブームとなった。その仕掛け人が興福寺貫主の多川俊映氏。
 その多川氏が最近の著書「仏像 みる・みられる(角川書店)」で苦言を
 呈している。
 
 私たちは、直ぐにこの仏像はいつ頃の作だろうか、誰の発願だろうか、材質
 は、仏師は、と仏像についての予備知識を得てから観ようとする。
 (文化財として見る限りおいては当然のことと考える。)
 
 多川氏は著書で次のように言及されている。
 『誤解を恐れずにいえば、基本データは邪魔でさえあり、むしろ何の予備
 知識をも持たずに、ただそのままに仏像の前に立てばよく、そして、ただ
 ただ仏像をみつめればよいと思うのです。
 
 そうしたところに、おのずから心の変化を促す契機があると思うのです。
 唐突ですが、そのことを空海の言葉を借りていえば、「虚往実帰(虚しく
 往きて実ちて帰る)」でしょうか』
 
 仏像に何を求めるかによって、観方・楽しみ方も変わって来る。最後に
 空海の言葉(⑦)をご紹介して、講演会を終えた。
⑦空海 般若心経秘鍵から

4.お礼
 今回の講演会開催に当り、山口博正さんと幹事の若狭茂さんには2月に
 お会いして以来、大変お世話になりました。厚くお礼申し上げます。

 講演会終了後は、杉並稲門会 会長の久保田さん、副会長の前坂さん
 とも、コーヒーを飲みながら楽しいひと時を過ごさせて頂きました。

 また、小生所属のNPO団体メンバー、関さんや青野さんも講演会最後
 まで、お付き合い頂きました。すべて仏縁と感謝!(合掌)


2018年6月12日火曜日

高井戸のお不動さん 吉祥院を参拝!


6月9日(土) 京王井の頭線高井戸駅改札口10時集合、吉祥院に向かう。
参加者は総勢15名。駅から徒歩6分に位置する。3月に訪れており、直近
二度目の参詣となる。予め、ご住職にお電話し、参拝予約をしておいた。

駅の階段を降り、環八通りを右手に進むと参道入口の鳥居のような門(①)
が見えて来る。門をくぐり、左右が住宅となる細い参道(②)を歩く。
参道奥を右手に折れると山門(③)が見え、その先に本堂(④)がある。

杉並区教育委員会による「吉祥院」についての解説は・・・
「当院は象頭山遍照寺と号する天台宗の寺で本尊は不動明王です。中興開山
 は上高井戸村の並木卓善で、明治16年に開創されました。

 並木卓善は不動信仰に厚く、明治8年には成田山新省講を結成し、成田不動尊
 の末寺的な寺院を創設しようと計りました。しかし、当時は寺院の新設は禁止
 されていたため、丁度廃寺となっていた谷中の吉祥院=江戸初期の開創で
 松平定信や輪王寺宮の崇信を受け、大寺席となったが、明治維新廃寺と伝える
 =を再興するという姿で開かれたのが、当院のはじまりです。」

廃寺の再興とは、吉祥院二世晃恭が谷中の天台宗象頭山遍照寺吉祥院住職と
なり、明治16年に移転させたということのようだ。

①環八沿いの吉祥寺参道入口  ②山門へ向かう住宅地の参道

③山門                 ④本堂

ご住職お住まいのインターホンを押し、来訪をお伝えすると、本堂が開扉
され、堂内へご案内頂いた。椅子への着席と写真撮影の許可を頂いた。
全員が坐って、ご住職のお話を拝聴した。(⑤)

吉祥院の正式名は「象頭山(ぞうずさん)遍照寺(へんじょうじ)吉祥院」。
歓喜天(象頭人身の神)がご本尊であったことにより、「象頭」との山号が
付いていた。また「遍照」とは大日如来のこと。現在は、不動明王がご本尊
となっている。

また、吉祥院の変遷は、霊巌島から谷中に移り、更に現在の地に移転と
なったとのこと。霊巌島とは霊巌寺がかつてあったところのようだ。
ご住職の解説をお聴きしたあと、堂内を拝観させて頂いた(⑥)。 
⑤ご住職からお寺の縁起を聴く   ⑥本堂内を自由に拝観する

ご本尊の不動明王像(⑦)は、大師様(だいしよう)の造形。両眼を開いて
おり、天地眼となっていない。本堂右手奥には、寛永寺慈眼堂から拝領された
と言う厨子の扉(⑧)が置かれていた。三つ葉葵の紋が彫られ、格式の高さを
物語っている。

慈眼堂の慈眼とは慈眼大師天海僧正のことであり、家康、秀忠、家光と徳川
三代に仕えた高僧。吉祥院の本堂と山門は慈眼堂から移築されたらしい。
棟札がないため、証明できないことが残念とご住職が言われていた。

大老・松平定信もこのお堂に上がり、我々と同じ位置でご本尊を礼拝された
のではないかとのご説明に、江戸時代に思いを馳せることにもなった。

厨子の前には中央に不動明王、左右には智拳印を結ぶ金剛界大日如来が
鎮座されている。いずれの像も、ご利益を感じさせる造形だ。
⑦ご本尊の不動明王像      ⑧慈眼堂拝領の厨子と諸尊像 

本堂から、外に出て、境内の石仏のご説明をお聴きした。本堂を正面に見て、
左手に、五大明王、三十六童子など成田山と同じような築山がある(⑨)。
三十六という数は、過去・現在・未来と三倍すると百八となり、煩悩の基となる
とご説明された。煩悩を断ち切るための童子と理解した。

⑨吉祥院 成田山

本堂を挟むように左右に二童子が立っている。本堂に向かって左側には
険しい顔立ちの童子、制多迦童子(⑩)が立っている。他方の右側には、
蓮華を持ち、優しい顔立ちの矜羯羅童子(⑪)が立つ。像名の表記が逆
になっているのは残念。
⑩制多迦童子像      ⑪矜羯羅童子像

境内をぐるりと巡った後は、ご住職と一緒に記念撮影(⑫)をした。シャッター
は、所属団体仲間の石岡さんにお願いした。住まいが吉祥院のご近所でも
あり、今回の見仏会に馳せ参じてくれた。
⑫ご住職と一緒に記念撮影

本堂の左手奥に、「こもり娘」と言う可愛らしい像が目に付いた(⑬⑭)。
台座には明治三十三年九月二十八日建立と明記されている。
建立された人達の名前もあった。どんな思いで建てたのだろうか。 
  ⑬ こもり娘像と石碑        ⑭こもり娘像

杉並の寺院は7割が明治以降の移転、もしくは新設の寺院であり、特に
移転された寺院の場合は、お寺の古い縁起に不明な部分もある。

吉祥院も、新たな確証となる史料が出てくれば、文化財としての価値も
更に高まることが予想される。杉並の寺院は歴史を調べる楽しみもある
と思われる。いつも、熱心に解説されるご住職にお礼申し上げたい。

拝観後、高井戸駅近くの中華で、早めの昼食を美味しく頂いた。(合掌)

2018年5月19日土曜日

中島憲子さん「海外へ流出した仏像」を紹介!


5月18日(金)のBAC定例会参加者は17名。新規に1名が加入された。 
今回の学習会は、中島憲子さんが「海外へ流出した仏像」をご紹介する。

明治新政府の神仏分離令によって廃仏毀釈が盛んになり、仏像等の
美術品が破壊され、また海外へ流出した。そのような時代背景の中、
活躍された人物を4名を紹介された。
発表される中島さん         参加者の皆さん

1.美術品の保護やコレクションに関わった人物紹介
  ①岡倉天心…東京帝国大学の学生時代からフェノロサの通訳
            として、京都・奈良等の古社寺の調査旅行に同行

  ②エドワード・シルヴェスター・モース…明治10年東京帝国大学教授
           として招かれる。陶器類コレクション約5000点

  ③アーネスト・フランシスコ・フェノロサ…モースの紹介で東京帝国
            大学の教員として来日。最初の外国人、日本美術の
            研究者

  ④ウィリアム・スタージス・ビゲロー …古代仏教美術の保存に深い
            関心を抱き、多大な援助。膨大なコレクションは
            ボストン美術館に寄贈。

2.古社寺保存法の公布

    1886年(明治19年) 岡倉天心 奈良地方の古社寺調査報告書
           ↓
    1897年(明治30年) 「古社寺保存法」 公布
           ↓
    1929年(昭和4年)  「国宝保存法」
           ↓
    1950年(昭和25年) 「文化財保護法」 制定へと受け継がれる

「古社寺保存法」は、今日の文化財保護の礎となったものであり、文化財
の海外流出がきびしく規制されるようになった。

文化財は「保存」と「公開」という2つの側面を有しており、そのバランスを
取る必要がる。「公開」ばかりすると、劣化が激しく、文化財を毀損する
ことにも繋がる。一方、「保存」だけに固執し、「公開」しないと、国民共有
の財産を目にする機会を奪ってしまう。

文化財保護法を見直そうと言う動きがある。どのような視点で変えようと
しているのか、良く注目しておく必要がある。
 
3.海外流出の仏像の紹介 (一部掲載)
  一通り、解説を済ませた後、実際に流出した数々の仏像を、スライド
  に映して、名作を紹介された。
  中島さんの好きな仏像を、ほぼ年代順に映し出した。

ご紹介の仏像




海外流出になりかけ、真如苑が落札した大日如来像のエピソード
を皆さん、興味深くお聴きしていた。それにしても80万で購入した
仏像が14億円となるとは、仏像の素晴らしさは勿論のこと、「運慶」
と言うネームバリューの大きさによるものと感じる。
真如苑 大日如来坐像

最近、読んだ本で、感銘を受けた本をご紹介した。仏像好きな人
であれば、なおさら心がけたいと強く感じた。ご一読をお勧めする。
  • 書名:「仏像 みる・みられる」
  • 著者:多川 俊映 (興福寺貫主)
  • 発行:角川書店
「文化財の仏像」、「仏さまの仏像」 共に心穏やかにしてくれる
のは確か。