2015年1月22日木曜日

東博「みちのくの仏像」展を観覧


今年最初のBAC見仏会は東博「みちのくの仏像」展。霧雨の寒い日、
熱心な仏像愛好家11名が集合。外出を躊躇う悪天候は、かえって
展覧会を観覧するのに絶好の日となる。会場の混雑もなく、ゆっくり
観覧できた。

東北6県、14の寺社が19件26軀の仏像を出陳されている。国宝が
1件3軀、重文が8件12軀と数多く展示されている。やはり、注目は
福島・勝常寺の薬師如来坐像を始めとする三大薬師像。

福島・勝常寺 薬師三尊像(国宝)
 
岩手・黒石寺 薬師如来坐像(重文)
(薬師三尊像のうち)
 
宮城・双林寺 薬師如来坐像(重文)

14の寺社のうち、過去に拝したことがあるのは、岩手・成島毘沙門堂、
岩手・毛越寺、福島・勝常寺の3ヶ寺だけ。東北は仕事の関係で何年
も暮らしたことのある土地であり、懐かしさがある。だが、その当時は
今ほど仏像への関心が高くなかったため、14のうちわずか3だった。

数年前に勝常寺を訪れたときには、薬師三尊本尊と日光・月光菩薩が
別々に安置されていた。三尊像として拝観するのは初めてとなる。
本尊は本堂に、日光・月光菩薩は収蔵庫と別々に安置されるのは、
信仰の対象としての仏さまと、国宝としての保存優先の兼ね合いから
の決定のようだ。

三大薬師とも降魔坐の坐り方をされていることが共通している。一般的に
右足を上にする吉祥坐の如来が多いように思う。3体とも降魔坐なのは
何か特別な理由があるのだろうか。

また、厳しいお顔立ち、威圧するような雰囲気は、お薬師さんに対する
イメージとは全く違う。勝常寺の薬師如来は徳一上人が磐梯山の噴火
を始め天変地異や飢饉、疫病などから護るために造立したと聞く。
坂上田村麻呂による蝦夷討伐に対抗する意味もあったのだろうと想像
される。

勝常寺像、黒石寺像の厳しい表情は格別だ。京都・神護寺の薬師像の
表情を彷彿させる。
 
勝常寺像          黒石寺像
 
他の像にも共通して言えることは全体的にどっしりとした体形をしており、
頼もしさ、安心感を感じさせてくれる。
 
なお、黒石寺は裸祭りの蘇民祭で有名であり、天台寺は瀬戸内寂聴さんが
よく講演されるお寺として東北では馴染みとなっていた。
 
観覧後、館内のレストランで歓談して過ごした。今日も楽しい一日でした。
感謝!(合掌)
 





2015年1月16日金曜日

学習会は「歴史・お寺・仏像の自己流楽しみ方」を披露!


新年最初の定例会には会員24名が参加。先ずは、昨年末の多摩美大
美術館の感想をお聴きした。皆さん満足の展示会だったようだ。

「六地蔵の笑顔が良かった」「大日如来の表情が照明で変化するのが、
印象に残った」「300円の入館料で、解説もして頂き、大変満足」
「専門的な質問も出て、学芸員の方も大変だったのでは」「箱車での
遍路は、車を引いたり、押したりする人の方が大変」「映像の中で、
仏像を運び出す際に白い手袋をしていないのが気になった」等々

今回は、どなたの発表も予定がなかったため、幹事が、何かを発表する
こととなった。日頃、仏像拝観してメモしたことや、本を読んだり、調べたり
して、まとめていたことをパワーポイントのスライドにしてみた。

テーマは「歴史・お寺・仏像たち ~K2式楽しみ方のポイント」。スライド
は52枚となった。しかしご覧頂いたのはわずか13枚で予定の時間と
なった。消化率25%。残りは、ご要望があれば、またの機会にご覧頂く。
 (K2式とは後述)

私の楽しみ方は自分でグラフや系図を作り、眺めることから始まる。
先ず、歴史については・・・
①登場する人物の生存年数を棒グラフにして、同じ時代に生きた人か
  否かをつかむ。⇒同時代の人であれば、会ったことがあるのではと想像
  が膨らむ。 
②登場人物の系図を作り、姻戚関係がどのようになっているかを調べる
  ⇒外祖父となることで権力を手にすることが多い。
③年表を作り、時代の展開を見る
④事件や政変は当事者の相関図や推移表を作る⇒臨場感が出る。

肝心のお寺や、仏像にまで、話が及ばなかった。楽しみ方のポイントと
しては表①のような項目をチェックしている。
表①
 
今回取り上げた時代は、国宝仏の多い、天平から弘仁・貞観時代に絞った。
登場人物は天皇家(皇室)、藤原氏(貴族)、高官、高僧の4部門に分けた。
登場するのは個人的に関心の高い人物だけ。(表②)
 
KousituのK、KizokuのK、KoukanのK、KousouのK。4つとも「K」で始まる。
この「K」のうち2つだけに絞ると、分かりやすい。従って「K2式」と呼んだ。
例えば、「皇室と貴族」「皇室と高官」「皇室と高僧」「貴族と高官」等々。
この2部門の関係に絞ることで頭の整理がしやすい。
(私のイニシャルもKKだからK2としたこともある)
表②
 
生存年数(生年から没年)を棒グラフにし、生年順に並べた表を作る。
年齢は5歳刻み位のアバウトのものでも、同時代に生きた人かどうかが
一目で分かり、眺めているだけで面白い。(表③、④)
表③               表④

次に、系図は桓武天皇の皇子・皇女が藤原四家とどのようにつながって
いるのかを見るために作成。(表⑤)
更に、藤原氏に関連する年表を作成し、藤原四家⇒南家・仲麻呂⇒
式家へと勢力が変遷していくことが分かる。(表⑥)
称徳天皇没後、藤原良継や百川が、なぜ光仁天皇擁立を進めたかは
系図を見ると容易に想像がつく。
表⑤               表⑥
 
桓武から平城、そして嵯峨へと移り、藤原氏も式家から北家へと勢力が
移って行く。藤原冬嗣、良房、基経と政権の中枢になっていく。「承和の変」
から「菅原道真 大宰府へ左遷」は次回以降となった。
 
桓武天皇、和気清麻呂、最澄との関係、嵯峨天皇、藤原冬嗣、空海の
関係も興味深い。空海の交遊録という側面からのアプローチも楽しい。
 
今回の発表は、個人的な学習や楽しみ方をお話しさせて頂いただけであり、
学術的に正しいか否か問うものではないことをご了承願いたい。
 
終了後、相良さんから感想を言われた。「学生時代には、平安文学を読んで
いた。このような相関図が分かって読むともっと面白くなっていましたね」
 
2月は山森さん「いにしえの色彩を求めて」、3月は井戸さんの「神社」の
ご発表予定。お楽しみに!!
 
 
 
 


2015年1月10日土曜日

ゆうゆう荻窪東館主催 七福神めぐり


好天に恵まれ、武蔵野吉祥七福神めぐりに17名がご参加。吉祥寺の
丸井ビル前に10時集合し、巡拝をスタート。元日には、個人的に下見
を兼ねた参拝を済ませ、お蔭でご案内もスムーズに行ったようだ。

 杵築大社での参拝
 
武蔵野八幡宮をバックに記念撮影

武蔵野吉祥七福神を祀る寺社の構成は寺院4、神社2となっている。
合計数が6となるのは一つのお寺で2人の神様を祀っているため。
寺院では合掌して礼、神社では二礼二拍手一礼が一般的な作法。

お寺か、お宮か分からないこともある。井の頭弁財天のお堂は、神社
の造り。ところが、カッコ書きで大盛寺と書かれており、寺院。どちらの
作法で参拝してよいか戸惑う。

また七福神は日本、インド、中国を出身国とする神々。恵比寿神は
日本、毘沙門天・弁財天・大国様がインド、福禄寿・寿老人・布袋寿
が中国と案内チラシで紹介されている。

ここでもちょっと気になることがある。大国様と言う文字でインド出身
と紹介されている。インド出身とされるのであれば、大黒様、大黒天
とした方が良いのではないか。大国主命と大黒天を習合させる考え
から生まれた神様だから、音は「だいこく」を引き継ぎ、字は「大国」
とされたのか。お寺では「大黒天」だが、神社では「大国様」として
いるのかもしれない。

いずれにしても、神仏を区別にしない日本人にとっては、どちらでも
良いことのようにも感じる。日、中、印が仲良くすることの方が大切。
二度目の巡拝であり、少し理屈っぽくなってしまった。(失礼)

ご参加の皆さんのお蔭で楽しい七福神めぐりにすることができた。
無病息災、家内安全、諸願成就の一年、平穏な日々が続くことを
祈念し、午後3時に散会。有難うございました。(合掌)



2015年1月1日木曜日

元日は武蔵野吉祥七福神めぐり


粉雪がちらほら舞うなか「武蔵野吉祥七福神めぐり」を行う。先ずは井の頭
弁財天(大盛寺)を参拝し、「七福神めぐり色紙セット」を2000円で購入した。

参拝順は案内チラシ通り①井の頭弁財天[弁財天] ②杵築大社[恵比寿神]
③延命寺[毘沙門天・寿老人] ④大法禅寺[福禄寿] ⑤武蔵野八幡宮
[大国様] ⑥安養寺[布袋尊]。

七福神めぐり特別バスの利用は①~②、②~③、③~④の区間。
30分間隔で運行されており、参拝と乗車がスムーズに行った。
④~⑤~⑥の区間は徒歩。

参拝客が長蛇の列となっていたのは杵築大社と武蔵野八幡宮。ただし、
七福神は別のお堂に祀られており、参拝客と一緒に並ぶ必要はない。
午前11時頃スタートし、昼食を挟み、終了したのが午後3時頃となった。

         ①井の頭弁財天          ②杵築大社
 
          ③延命寺              ④大法禅寺
 
         ⑤武蔵野八幡宮          ⑥安養寺


武蔵野吉祥七福神 御朱印
 
今年も七福神のご加護で楽しく、心豊かな1年となりますように!!
 
 

2014年12月25日木曜日

多摩美術大学美術館「四国遍路と土佐のほとけ」を観覧


今年最後の見仏会は多摩美術大学美術館・特別展の観覧。ご参加は
慌ただしい年末にも関わらず18名と大人数となる。多摩センター駅を
降りて徒歩7分の距離に美術館がある。ほとんどの方が初めての来館
のようだ。

今回の展示会は四国霊場開創1200年を記念して「四国遍路と土佐の
ほとけ」をご紹介されている。特別展のタイトルは「祈りの道へ」。

サントリー美術館「高野山の名宝展」(10月観覧)は高野山開創1200年
記念であり、東博「日本国宝展」(11月観覧)のテーマが「祈り、信じる力」
で開催された。多摩美美術館の特別展は二つの展覧会と共通するテーマ
を持っている。即ち、「祈り」と「空海」だ。

 特別展のチラシ
 
主任学芸員・淵田さん丁寧で明快な解説をお聴きしながら、観覧した。
出品は、A室「遍路文化」、 B室「考古・七星剣・仏画」、C室・D室
「仏像」と区分されている。
 
入館して最初に目にするものが「箱車」。遍路は、健常者ばかりでは
ないことが分かる。乗って回りたいと思う人より、引く人の大変さを
想像してしまう。
 
遍路石には2種類あり、一つが弘法大師の供養塔であり、もう一方が
道しるべとのことだ。遍路で言われる「打つ」はお接待のお礼に木札を
納め、お寺の柱や壁に打ち留めるから出た言葉だそうだ。遍路の基礎
知識を学んだ。
 
A室で、一番目を引いたのはやはり竹林寺の木造阿弥陀如来立像だ。
伏し目がちな穏やかな表情の阿弥陀さんだ。ところが玉眼に光が当たる
と表情が一変する。眼で表情は決まる。眼は口ほどに物を言う。
 
B室で注目は仏画。県指定文化財となっている金剛頂寺所蔵の六幅が
出陳されている。愛染明王と不動明王が一体となった両頭愛染曼荼羅図
はサントリー美術館においても観覧した。インパクトのある図像だ。正に
密教の最強ペアか?
 
高祖大師秘密縁起の四巻も弘法大師・名場面集といったものであり、興味
深く眺めた。色が鮮やかなのも良い。桓武天皇時代の遣唐使、嵯峨天皇、
淳和天皇の信任を得、更に仁明天皇の勅許で宮中に真言院を設置して、
後七日御修法を行うまでになった。留学生の空海が鎮護国家を祈るまで
の僧に登り詰める姿はドラマチックだ。真言密教が国家仏教になった瞬間
と言える。
 
C室の仏像では、木造大日如来坐像が素晴らしい。若々しく、かつ堂々と
した存在感のある仏だ。奈良・円成寺の運慶像を連想させる。この像の
眼にも光を当てて頂いた。またもや表情を一変させた。特別展のチラシ
モデルとなるに相応しい像だ。
 
D室の木造地蔵菩薩立像(六地蔵)は気持ちを和ませてくれる。笑い地蔵
と呼ばれているとのことだ。特に、向かって左から二番目の(五)地蔵は
尼さんのような雰囲気を醸し出しており、特に優しさを感じる。
 
また、湛海様と呼ばれる不動明王坐像も目に留まった。江戸時代の像には
正直、今まであまり関心を示さなかった。今回を機に、もっと注意深く見て
行こう思った。
 
懸仏の解説では、「神仏習合」、「本地垂迹思想」、「和光同塵」のお話を
された。古来日本人が持っている世界観「八百万の神」や空海が請来した
「曼荼羅」に通じるように思える。神仏に祈る心を持つことこそ今の時代に
求められているのではないか。
 
どうしても、仏像中心のコメントとなってしまった。他にもたくさん印象に
残ったこともある。感想は割愛。最後まで懇切丁寧にご説明して頂いた
淵田さんのお蔭で、楽しく有意義な時間を共有することができた。参加者
一同大満足の見仏会となった。感謝!感謝!
 
最後に淵田さんを囲み、美術館をバックに記念撮影。
(美術館受付の方にシャッターを押して頂いた。)
 
 
ご参加の皆さんから誕生祝いに昼食をご馳走して頂いた。皆さんの
優しいお気遣いに感謝。今年一年ご協力有難うございました。
どうぞ、良いお年をお迎えください。来年もよろしくお願いします。(合掌)
 
 

2014年12月19日金曜日

朝比奈さん「火炎光背」制作のプロセスを詳細に語る!

 
今年最後の定例会は参加者26名。久方ぶりの方、病が癒えて元気に
復帰された方のご参加等もあり、どことなくにこやかな雰囲気となった。
本日のメインテーマは、朝比奈さんが解説される「火炎光背の制作」。
その企画・作図から完成までのプロセスを詳細に語って頂く。

最初に、相良さんが當麻曼荼羅図をご披露された。相良さんは、關先生の
講演会で「迎講」をお聴きし、當麻曼荼羅を拝観のため、當麻寺を参拝され
たとのことだ。その時に購入されたものが本日ご持参の図。
當麻曼荼羅図
 
朝比奈さんは、制作された仏像や光背等を携え、朝早く家を出られたとの
こと。ラッシュで作品が損傷するリスクを回避するための対応だ。
展示頂いた像・・・
①不動明王立像(火炎光背、岩座) ②聖観音菩薩立像(光背、蓮華座)
③雲上菩薩(浮彫り)  ④弥勒菩薩半跏像
いずれも、見事な作品で、ついつい手を合わせたくなる。
不動明王立像始め諸尊像
 
ご発表はレジュメ3枚とパワーポイント(PPT)で進められた。前回のご発表
同様、大変良くまとめられた資料(レジュメ、PPT)に只々感心。
        解説の朝比奈さん      解説を聴く参加の皆さん
 
火炎光背の意味や形についての解説に留まらず、不動明王がなぜ、
火炎光背を背負っているかについてもPPTでご説明された。
朝比奈さんの研究熱心さは「仏としての不動明王の役割」を姿形で具現
しようとする仏師の姿そのものだ。
解説に使用のスライド
 
強烈な印象として残るのは、制作完了日を設定してのスケジュールだ。
さながら、納期を設定された仏師が懸命に彫る姿がイメージされた。
自らに課した課題に対し、妥協を許さない姿にまたしても感銘を受けた。
火炎光背の手順とまとめは次の通り。
火炎光背制作の手順とまとめ
 
体験談ご披露後、沢山の質問が出た。ご参加の皆さんの関心がいかに
高まったかを如実に物語っている。それにしても20㎏の材が650gまで
軽くなるとは想像できなかった。また、材の反りを防ぐために制作過程
において接着剤を薄く塗る工夫にもビックリ。
 
本日のご発表のために、ご無理されたことがございましたら、なにとぞ、
お不動さまのお顔に免じてご容赦ください。暫くはごゆっくりなさることを
お勧めします。本日までお疲れ様でした。
 
 
 
 

2014年12月18日木曜日

阿佐谷地域区民センターで講演会(2日目)開催!


12月4日(木)に引き続き2日目の講演会。前回は奈良の国宝仏について
時代別、制作技法別にご紹介した。今回は京都の国宝仏を寺院毎に
ご紹介。京都を旅行される際にぜひご参考にして頂きたい。
        会場入り口の掲示板      講演会会場の様子
 
京都における奈良時代以前の国宝仏は広隆寺2件、東寺1件(唐からの
請来)、観音寺1件、蟹満寺1件と合計5件だけ。大半は平安京遷都後に
制作された仏像。
国宝仏を所蔵される17寺院の中から、2件以上または奈良時代以前の
仏像を所蔵される寺院にスポットを当てた。(勝手に決めた基準)
       京都の寺院所蔵の国宝仏   ご紹介する寺院創建縁起
 
平安京遷都後の歴史についても第50代の桓武天皇から第60代の醍醐
天皇までの系譜を中心に側近・高僧・藤原氏(藤原北家)との関わりに注目
しながら概観してみた。(あくまで個人的な興味でざっくりと取り上げたもの
であり、妥当か?)
 
また、時代区分としての弘仁貞観時代は784年、桓武天皇の長岡京遷都
から894年、菅原道真の進言による遣唐使廃止までの期間であり、時代を
築いた人たちの足跡と言える。
 
8世紀から10世紀創建
の寺院に関わる人物
 
寺院創建にどのような歴史的背景があったかを知ることで仏像拝観の
楽しみが増すことは体験的に実感している。芥川賞作家・三田誠広氏は
この時代の小説をたくさん書かれている。仏教に造詣の深い氏の小説は
大変興味深く読むことだできる。歴史は家系図と言われている点も全く
同感である。
 
10寺院、30件151軀の仏像をご紹介した。各寺院の中で代表的な仏像
は次の通り。
 
           ①         ②          ③
 
         ④            ⑤            ⑥
 
              ⑦                ⑧
 
              ⑨                 ⑩
 
①広隆寺・弥勒菩薩半跏像 ②観音寺・十一面観音菩薩立像
③蟹満寺・釈迦如来坐像   ④東寺・不動明王坐像(五大明王のうち)
⑤神護寺・薬師如来立像   ⑥仁和寺・薬師如来坐像
⑦清凉寺・阿弥陀三尊像   ⑧浄瑠璃寺・九体阿弥陀坐像
⑨平等院・阿弥陀如来坐像、雲中供養菩薩像
⑩蓮華王院三十三間堂・千手観音坐像 
 
皆さん最後まで熱心のお聴きいただき、気持ちよく話すことができました。
今回を機にご縁が深まることを願ってやみません。(合掌)