2021年8月15日日曜日

<神仏習合❺> 僧形八幡神像

日本で一番多い神社と言えば八幡宮・八幡神社である。全国4万社以上
と言われる八幡神社の総本宮は大分県宇佐市の宇佐神宮である。(①)

社殿造営の縁起とご祭神は境内掲示板(②)に書かれている。
八幡大神(はちまんおおかみ=応神天皇)、比売大神(ひめおおかみ)、
神功皇后の「八幡三神」をご祭神に社殿が順次造営されて行った。 

ご祭神の降臨と社殿造営を解説すると次の通りとなる。
1.ご祭神
  神代に三神の比売大神(宗像三女神として有名)が宇佐の御許山
  (おもとさん)磐座(いわくら)に降臨する。次に欽明天皇32年
  (571年)に応神天皇の御心霊が現れる。比売大神が地主神として
  信仰されていた地に八幡大神が現れた。

  宇佐の地は宇佐氏辛島(からしま)大神(おおが)の信仰
  が重なっている。即ち、宇佐氏は原始磐座信仰、辛島氏は新羅の神を
  祀り、女性シャーマンを出す氏族、大神氏は誉田別(ほむたわけ)の
  八幡信仰があり、3つの信仰がベースとなっている。

2.社殿の創建・造営(宇佐神宮のHPによる)
  一之御殿(ご祭神は八幡大神)が神亀2年(725年)
  二之御殿(ご祭神は比売大神)が天平元年(729年)
  三之御殿(ご祭神は神功皇后)が弘仁14年(823年)と伝える。
 宇佐神宮の創建は725年となる。

①宇佐神宮         ②社殿創建縁起

3.神像の誕生
  もともと自然物を依り代として姿を表さなかった日本の神々が仏教
  との結びつきの中で神像が生れた。その先駆的な役割を果たしたのが
  八幡神像
  
 (A)八幡神と仏教の結びつき
   八幡神は720年大和朝廷による隼人服属の戦いに参加し勝利へ導く。
   守護神と見なされる一方、殺戮に疲弊し、仏教に救いを求めた。
   即ち、神身離脱がなされた。
   
   仏教に帰依した証が、放生会(ほうじょうえ)を始めたことであり、
   神宮寺である弥勒寺を創建したことでもある。放生会とは討たれた
   隼人の霊を鎮めるための祭礼であり、生き物を放つことによって
   功徳を積む仏教行事のこと。宇佐宮では蜷(にな=細長い巻貝)を
   放つ。

 (B)八幡神像の造立
   宇佐神宮に関係の深い神社に八幡奈多宮(なだぐう)があり、宇佐
   神宮の別宮とも言われる。創建は729年で八幡三神像(③)を収蔵
   している。
  
   この三神像は、宇佐宮の旧ご神体が奈多宮に移されたとの伝承がある。
   僧形の八幡大神、比売大神、神功皇后の神像が並ぶ。平安期の造立
   国の重要文化財に指定されている。
③八幡奈多宮・八幡三神像

4.八幡神が国家の守護神へ
  奈良時代に大仏建立に援助を行ってから、国家の守護神として敬われ
  8世紀末頃には「八幡大菩薩」と呼ばれるようになった。神仏習合の
  形が、より明確になったと言える。
  
 (A)八幡宮の展開
   平安遷都に伴い石清水八幡宮を建立したことや、八幡神が清和源氏
   の氏神とされたことで、八幡宮が全国に広がった。

 (B)国宝の八幡神像
   国宝に指定された八幡神像は現在3件ある。いずれも僧形であり、
   仏道に励む姿を象徴している。(画像④、⑤、⑥)

 【 東寺 八幡三神像(④)】
   日本最古の神像と言われている。昭和32年に御影堂の仮厨子の中
   に納められていたのが発見されたとのこと。明治初年に火災焼失
   した東寺八幡宮に祀られていた。
   
   八幡神は弘仁年間(810~824)に空海が勧請したそうだ。
   いわば東寺の守護神として祀られた。空海は、高野山を開く時も
   地主神である狩場明神や丹生明神を祀った。空海は、神仏習合を
   当初から実践されていた。
   僧形八幡神像を囲む女神像の名前は分からない。

 【 薬師寺 八幡三神像(⑤)】
   薬師寺八幡宮は休ヶ岡(やすみがおか)八幡宮とも呼ばれている。
   これは宇佐八幡から東大寺の手向山八幡宮へ向かう途中に休まれた
   ことから付いた名前とのことだ。

   この三神像の平安初期の寛平年間(889~899)の作とされる。
   三神像は僧形八幡神、神功皇后、仲津姫命(なかつひみのみこと)。
   比売大神に代り、応神天皇皇后の仲津姫命が鎮座する。

 【 東大寺 僧形八幡神像(⑥)
   快慶作の像。現在、東大寺の勧進所に安置されている。明治の
   廃仏毀釈以前は、手向山八幡宮のご神体だった。
④東寺・八幡三神像     ⑤薬師寺・八幡三神像

⑥東大寺・僧形八幡神坐像

<続く>


2021年7月30日金曜日

<神仏習合❹> 神身離脱はなぜ起こったのか?

神宮寺創建の要因となったことに「神身離脱思想」があったということは
前回のブログで触れた。神が神の身を離れて仏に救いを求めるとはただ事
ではない。なぜそのようなことが起こったのだろうか。

その背景には当時の神祇官制度による全国統治にひびが入って来たことが
挙げられる。義江彰夫氏は『神仏習合(岩波新書)』で次のように書かれ
ている。

〇神祇官(じんぎかん)制度をめぐって
「奈良時代後期に端を発し、平安時代初期以降全国的な現象として、地方
 の有力な神々が神であることの罪と苦悩を訴え、神の身を離脱して、
 仏教に帰依する動きが広く出るようになるとすれば、これらの神々を

 束ねて制禦することによって人びとの心をつかみ、その全国統治をゆる
 ぎないものにしようとした律令国家にとって、事は重大であった。とり
 わけ律令国家において、これら全国の神々を統合する行政を委ねられて
 いた神祇官の受けた打撃は深刻であった。」

なお、神祇官とは行政の役所名であり、役職ではない。そこの長官を
「神祇伯(じんぎはく)」と言う。それでは、神祇官で行っていた祭祀
とは、具体的にどのようなものだったのだろうか。

〇神祇官での祭祀とは・・・
 1.全国の神社から祝部(はふりべ)と言う神職が、神祇官に集められ
   祭祀が催される。
 2.神々への捧げ物を前に、神祇官の役人が祝詞を読み上げ、その後に
   その捧げ物が祝部に班給される。この捧げ物を幣帛(みてぐら)と
   言い、皇祖神らに捧げられた稲穂はじめ最良の収穫物を指す。
 3.この幣帛は皇祖神の霊で満たされ、豊作を引き出す力を持ったもの
   と考えられ、持ち帰って、再び豊かな収穫が期待される。
 4.皇祖神への感謝の気持ちを引き出し、租税を徴収するシステムが
   神祇官制度と表裏一体になっている。

〇神身離脱がなぜ起こったのか、
 1.地方の神々の苦悩は、地方を支配してきた豪族層の苦悩と言われる。
 2.神祇官制度による徴税システムに疑問を感じていたのではないか。
 3.その行き詰まりを解決するのに、仏教に救いを求めたことこそ
   「神身離脱」であり、「神宮寺創建」となって行った。
 4.神身離脱して仏教に帰依する神々は、ちょうど釈迦の教えに接して、
   仏教に帰依した(取り込まれた)古来インドの神々を思い起こさせる。
   梵天、帝釈天、毘沙門天、吉祥天、弁財天など皆、仏教の守護神、
   福徳神となっている。

〇神宮寺の持つ意味
 1.神宮寺は神を供養するための寺であり、同時に神が修行するための
   施設とも言える。そして結果として、神威が増し五穀豊穣に繋がる。
 2.山岳修行者による仏教の布教によって、神宮寺の創建が推進された
   ことは明らかだ。神祇が仏教と習合しながら国の統治体系が変化し
   て行った。
 3.神祇官制度による取り立ての徴税システムから、仏教の「布施」と
   と言う考え方を取り入れ、神社も好転したようだ。「布施」とは、
   功徳を積むため、自ら進んで納める行為を言う。

   <続く>

 


2021年7月21日水曜日

<神仏習合❸> 初期神宮寺の創建

神仏習合の所産に「神宮寺(じんぐうじ)」がある。仏教が伝来した後、
古来からの神祇(しんぎ)信仰とどのような関係性を持って行ったのか。

仏教は外来宗教として6世紀半ばに戸惑いを持って迎えられた。神祇信仰
(神道)との関係は、対立→併存→習合へと変容して行った。神仏習合は
千年以上を経て明治の神仏分離に遭遇し、現在に至っている。

古代においては、祭政一致であり、祭祀を司ることは、政(まつりごと)
を行うことである。祭祀は為政者にとって権力の源泉と言える。(近代
においても、国家神道により天皇中心の祭政一致体制があった。)

神宮寺とは「神威の衰えた神を救い護るために、神社の傍らにできる寺院」
「神社の境内やその近辺に、神社に併設されるようにして建てられた寺院」
などと言われる。別当寺、宮寺(みやでら)などとも呼ばれる。

神宮寺が創建されるに至った背景にどのようなことがあったのか、神仏習合
の展開を理解する上で重要な意味を持つ。先ずは、初期神宮寺の具体的事例
や創建での特徴を『八幡神と神仏習合』[逵日出典(つじひでのり)著
講談社現代新書]から引用させて頂く。

1.初期神宮寺の事例
  初期神宮寺は①の通り、8世紀・奈良時代以降の創建がほとんどであり、
  大半が地方に出現している。
  
①初期神宮寺事例一覧表

2.初期神宮寺創建の特徴
  逵日出典氏によると初期神宮寺創建の特徴は②の通り、4つあると言う。
  4つの中で、キーワードとなるのは「神身離脱(しんじんりだつ)思想」
  「地方の豪族層」「山岳修行の経験者」。特に「神身離脱」に注目して
  考えてみたい。
②初期神宮寺創建の特徴

3.「神身離脱」とはどういうことか?
  ①表8番目に掲載、多度神宮寺について『多度神宮寺伽藍縁起幷資財帳』
  に次のような記述がある。
   「我れは多度の神なり。吾れ久劫を経て、重き罪業をなし、神道の報い
    を受く。いま冀(こいねがわく)ば永く神の身を離れんがために、三宝
    (仏教)に帰依せんと欲す。」
  
  この文の解説は以下の通り。<義江彰夫著「神仏習合」(岩波新書)>
   「長きにわたってこの地方を治めてきた結果、いまや本来の神道から
    はずれて重い罪業に苦しめられ、神道の報いを受けるところにいたっ
    てしまった。いまこの桎梏から脱出したいが、そのためには永久に
    神の身を離れることが必要であり、仏教に帰依したい。」

  神宮寺創建は「神身離脱」によって、神が仏に救済を求めて来た構図と
  なっている。その推進を地方豪族と山岳修行者である遊行僧が担うこと
  となった。この背景には、律令国家の神社編成のゆきづまりがあった
  ようだ。なぜ「神身離脱」が起こったのかは次回整理したい。

<続く>
    
  

2021年6月9日水曜日

<神仏習合❷> 神々は山に坐(ま)す。仏はどこに坐すのか? 


神仏習合の前に、神や仏の存在についてまとめてみたい。神々しい山は
神が宿る霊山として古くから崇められる。また、八百万(やおよろず)
の神々の存在を信じる国民性がある。

最近の明るいニュースでは、ゴルフの松山英樹選手が「マスターズ」で
日本人初優勝を飾ったことが挙げられる。同時に、松山選手のキャディー
さんが取った行動が話題となった。

松山選手が優勝を決めた18番ホール、キャディーさんはピンをカップに
戻した後に、帽子を取ってグリーン上で一礼した。「何と礼儀正しい」
と各方面から賞賛の声が相次いだ。

この光景を目にした時、キャディーさんはグリーンの神様に「優勝させて
頂き、有難うございます」とお礼を言ったように思えた。

1.神々は山に坐(ま)す
  日本人には「神体山信仰」という信仰があるとのことだ。先に紹介の
  逵日出典著「八幡神と神仏習合」には、以下のように解説されている
  (❶にまとめた)
❶神体山信仰

  神様は、山頂の磐座や磐境に降臨されると考えられている。山自体が
  ご神体とされる。「神々は山に坐(ま)す」ことになる。

  古社中の古社とされる奈良県桜井市の大神神社(おおみわじんじゃ)
  は、ご神体が三輪山であり、本殿が無い。拝殿からご神体を拝む。

  自然と共に生きる神道では山に限らず、自然の創造物(太陽、水、雨、
  滝、風など)を神として崇める。恵みを与えてくれる反面、時には災い
  をもたらす畏怖すべき存在と捉えている。

2.仏はどこに坐(ま)すのだろうか?
  神仏を分けずに、一括りで捉えており、改めて仏はどこに存在するかと
  問われると、答えに窮するのではないだろうか。

  仏像を初めて目にした欽明天皇は「外国の神は、金色に輝いている」と
  驚天動地。(538年、または552年の仏教公伝)
  仏教がどういうものかは分からないで、神道を念頭にして考えれば、
  当然のことだ。

  神道が自然を相手に、自然と共に生きるのに対し、仏教は釈迦の教えに
  基づき、「悟り」を目指す宗教である。神道には教義が無いのに対し、
  仏教は教義がある。教義があるから、修行や行動の変容が求められる。

 ❶仏像は何のためにあるのだろうか
  仏像は、教義を象徴するもの、仏さまを象徴するもので、仏さまその
  ものではない。神が降臨する依り代(よりしろ)のように、仏が降臨
  する依り代と言う考えは当てはまらない。

  仏像は、仏教の二大テーマ「智慧」と「慈悲」をイメージさせる存在
  であり、礼拝者の仏心(ぶっしん)を共鳴、共振させてくれる。

 ❷仏はどこに坐すか?
  弘法大師空海は「般若心経秘鍵」で次のように言っている。
  「それ仏法は遥かにあらず、心中にしてすなわち近し。
   真如は外にあらず、身を捨てていずくにか求めん。」

  「そもそも仏の教えは、はるか遠くにあるのではなく、われわれの心の
   中にあって、まことに近いものである。
   さとりの真理は、われわれの外部にあるものではないから、この身を
   捨てて、どれにそれを求め得ることができようか。」

  「仏はわれわれの心の中に坐す」ことになる。誰にも「仏心」即ち、
  仏になる種は持っているそうだ。その種を育てることこそ、仏教の
  教えと心得ている。

<続く>

 

2021年5月31日月曜日

「神仏習合」について考える


「お盆」や「除夜の鐘」は仏教に由来した行事であろうし、「節分」や
「初節句」などは、神道に由来したことだろうと想像する。

初詣はお寺にも神社にも行く。七福神巡りでは、お寺、神社の区別なく
参詣する。多くの日本人は神仏をあまり分けて考えていないように思わ
れる。嘗ては、仏壇と神棚が家の中に違和感なく、併存していた。

明治の神仏分離令は、古来からの宗教観に暗い影を落とすことになった。
国家神道の政策は誤りであったと反省し、戦後は信教の自由が保障され
た。また、宗教を過度に意識し、語ること自体がタブー視されたのでは
ないか?

いかに生きるかを考える上で、宗教は極めて有益な視点を提供してくれ
るように思える。宗教をタブー視することは、精神性に深みの無い、
俗物的な人間ばかり多くなるのではないかと危惧する。

何でも受容する柔軟性は、日本人の良さと言える。一方、無節操なまでに
何でも受け入れる姿勢に軽薄さを感じることもある。商業主義に乗せられ
易いのは国民性か? クリスマスのケーキ、バレンタインのチョコレート、
ハロウィーンの仮装などの文化的な背景に無頓着のまま、上辺だけを真似
する風潮はいかがなものか。

「神仏習合」を通して、日本人の神仏に対する姿勢を見つめ直してみたい。
参考にした本は以下の通り。
❶             ❷
<続く>


2021年4月13日火曜日

2021年は、国宝指定の仏像「該当なし」?

半年ぶりのブログアップとなる。コロナ禍で活動ができなかったことに
加え、筆者が病気に罹り、手術・入院や退院後の療養・体力回復に時間
を要し、あっという間に半年が過ぎてしまった。

お陰様で体調も良好となり、4月から活動を一部再開することができた。
ブログもアップしようとする意欲も湧いて来た次第である。

毎年3月に、国宝や重要文化財に指定された仏像彫刻の報道を目にする。
今年は、見かけた記憶が無い。念のためにと、文化庁のホームページで
確認するも、『国宝・重要文化財(美術工芸品)の指定等』の報道は、
掲載されていない。

直近の状況を見ると、2015年~2020年まで6年間連続して、国宝指定
が続いた。一方、2000年から見ると、指定のあった年が11年、指定の
無い年も11年(今年を含めて)となる。<下に掲載の一覧表参照>
2000年以降に国宝指定となった仏像等

コロナ禍で、審議ができなかったのだろうか。国宝指定を受けて良い
仏像は、まだまだたくさんあるように思える。ぜひとも、仏像ファン
の期待を裏切らないように、関係者の方々には宜しくお願いしたい。



2020年10月18日日曜日

びわ湖長浜KANNON HOUSE(観音ハウス)を訪問! 


上野にある「びわ湖長浜KANNON HOUSE」が10月末で閉館となる。昨日
(10月17日)伺った。東博や藝大美術館での展覧会に行った際、よく立ち
寄った。

1.びわ湖長浜KANNON HOUSE
  今回展示の観音像は、長浜市宮司町・総持寺の千手観音立像(❶、❷)。
  平安時代(12世紀)のヒノキ一木割矧造で像高が106.1㎝の像。柔和な
  お顔立ちは、典型的な定朝様。持物は後補ではあるものの、千手観音の
  法力を感じさせる。

  今までに展示された観音像のパネルもじっくり眺めた(❸)。「東京に
  ある長浜の観音堂」として本物の観音さまとの出会いは今月末で幕を
  閉じることになる。2016年3月にオープンしてから4年半楽しまさせて
  頂いた。
❶長浜・総持寺千手観音像  ❷展示千手観音像を観覧
❸観音ハウスに展示の観音像パネル

2.浅草文化観光センターでのパネル展
  観音ハウス展示の仏像が浅草文化観光センターでパネル展示されている
  とのことであり、浅草まで足を延ばした(❹)。当日が最終日だった。

  展示の新聞記事が目に留まった。観音文化を後世につなぐために、活動
  される、若い女性(記事の写真)が紹介されていた(❺)。外部から、
  地域に溶け込み、地域の文化継承に活躍される姿勢は心を打つ。 
❹浅草文化観光センターでの  ❺長浜観音文化を伝える
          パネル展          新聞記事

3.「観音の里」を紹介した展覧会やTV番組
 (A)東京芸術大学大学美術館での展覧会
   長浜「観音の里」に関心・興味を持つきっかけは二度の展覧会による。
   「観音の里の祈りとくらし展ーびわ湖・長浜のホトケたちー」が開催
   (2014年と2016年)され、感銘を受けた(❻)。その時の様子は、
   2016年7月21日のブログでご紹介した。
❻展覧会の図録

 (B)BSフジ「古都浪漫こころ寺巡り」で「観音の里」放映(❼~❿)
   コロナ禍、以前録画したTV番組をよく視聴する。仏像好きの仲間
   と一緒に観て楽しんでいる。「奥びわ湖観音の里~小説家・井上靖が
   魅了された美しき観音菩薩

   120体もの観音が祀られる観音の里。井上靖が魅了された美人仏、
   古物商から救われた仏、炎から救われた仏、地中に埋められた仏
   たち。様々に秘めた歴史を持つ観音菩薩を紹介している。
   近藤サトさんのナレーションも良い。
❼番組で紹介「観音の里」 ❽井上靖の小説「星と祭」

   番組の中で、長浜「観音の里」に独自の仏教文化が開いた地理的背景の
   解説があった。高月観音の里歴史民俗資料館の学芸員・佐々木悦也氏は
   主要街道交通の要衝であったことと周りに信仰面で大きな影響を及ぼ
   した宗派があったことを上げている(❾、❿)

   即ち、奈良・京都と繋がり、東海道、中山道、北国街道を結ぶ交通の
   要衝となっている。また、奈良時代には奈良仏教、平安時代になると
   天台宗の影響を受ける。「白山信仰」という山岳信仰の影響も受けて
   いる。

   白山神社のご祭神は三柱。一柱の本地仏が十一面観音ということも
   あり、長浜には十一面観音が多い。

   姉川の合戦、賤ケ岳の合戦など戦の多いエリアでもあり、正に修羅道
   の世界となっている。修羅道は六観音の中で、十一面観音が守護する。
   長浜に十一面観音が多いのは戦が多かったからとも聞く。
❾主要街道要衝となる地域  ❿影響を受けた宗教・信仰

「観音の里」では観音さまをお守りすることによって自分たちが守られている
と感じている。学芸員の佐々木悦也氏はそのように解説されていた。