2019年10月27日日曜日
日常語となった「仏教由来のことば」を考える②
今回のことばは「迷惑」「邪魔」を取り上げ、考えてみたい。
仏教語としての意味は以下の通り。
〇「迷惑」の「迷」は本当の道に迷うこと、「惑」は途方に
くれて戸惑うことを意味するそうだ。
〇「邪魔」とは、お釈迦さまの修行を妨げる〝心の悪魔″を
意味するとのこと。
いずれも、心のあり方・ありよう、内面の状態を表したことば
と言える。一方、日常語として使用される場合は意味が違う。
日常語の「迷惑」は自分にとって不利益とか不都合を意味する。
また、「邪魔」は自分の都合で「邪魔な人」「邪魔な物」と
外側にあるものに使われる。
仏教語としての意味は、共に修行で煩悩を克服しようとする
姿勢が阻害された状態や、原因を表している。いずれも心の
内面のことであり、自身のあり方についてのことばと言える。
日常語は、自分の煩悩は問題にしないで、問題点や原因を外部
に求めている。このようなことばの使われ方は、お釈迦様に
とって、さぞかし心外なのではないだろうか?
都内のある区で児童相談所が開設されるという計画が出た時、
地域住民の一部から、「迷惑だ」「このエリアのブランドが
下がる」とのクレームが出た。
このニュースを知った時、「迷惑」は「児童相談所」ではなく、
クレームを言う人たちの心が「迷惑」になっているのではないか
と感じた。(もし、納得できる理由があったのであれば失礼。)
仏教語本来の意味を知ることで、ものの見方や、感じ方まで
再点検できる。仏教語は面白い!
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